あとがきたちよみ 本たちの周辺

あとがきたちよみ
『戦争はなくせるか?』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
クリストファー・コーカー 著
奥山真司 訳
『戦争はなくせるか?』

「プロローグ」「原書解説」冒頭(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉
 

*サンプル画像はクリックで拡大します。「プロローグ」「原書解説」本文はサンプル画像の下に続いています。


 


プロローグ
 
 一九八三年の夏、アメリカ陸軍情報部の部長に任命されたばかりのアルバート・スタブルバイン三世少将は、一万六〇〇〇人以上の兵士を指揮下に抱えていた人物だ。彼には一つの悩みがあった。それは、自分がオフィスの壁を通り抜けられないことだった。彼はいつの日か、オフィスの壁を通り抜ける超能力が情報収集の一般的なツールになるはずだと推測しており、そのような日が来れば戦争のない世界がやってくるはずだと考えていたのだ。
 この物語は、ジョン・ロンソンの著書『山羊を見つめる男たち』に登場し、後にジョージ・クルーニー主演の映画となってヒットした。しかし、アメリカ軍の「超心理学(パラサイコロジー)プログラム」で訓練を受けた兵士たちは、自分たちが「平和の前触れ」となる存在だとは思っていなかった。冷戦の後半には、ソビエト連邦とアメリカの両方で、新時代の戦い方を探るという無駄な試みのために、多額の資金が「超心理学」に費やされていた。これは戦争のダイナミズムによるものだ。つまり当時は「使えない技術」を発明すればすぐに使えるようになる、と思われていたのだ。
 超心理学的な戦争は、たしかに人間の想像の限界を超えたものかもしれないが、それがわれわれの戦争についての理解の限界を超えていると言い切れるのだろうか? この答えは、簡単に言えば「ノー」である。実際のところ、この研究は冷戦の余興であった。アメリカ人がこの研究を進めたのは、ロシア人がそれに真剣に取り組んでいたからであり、敵が真剣に取り組んでいるものは、自分たちも真剣に取り組まなければならない。将来の戦争に関して言えば、現在中国政府がアメリカとの次の戦争に備えて超心理学的な戦いに取り組んでいると信じている「超能力スパイ」もいるという。
 このようなプロジェクトは、バーバラ・エーレンライクが「戦争が文化に及ぼす鉄の拘束(こうそく)」と表現する典型的なものだ。彼女は戦争を「自己複製的な行動パターン」であると捉(とら)えている。「自己プログラミング文化活動」として考えてみると、たしかにそれはあらゆる社会活動の中で最も活発なものの一つであるように思える。バルカン紛争の絶頂期に、軍事観光で利益を得るための副業をしていた、セルビアのある犯罪集団を例に挙げてみよう。彼らの主催したツアーで、金持ちの観光客たちは有料でサラエボの市民を狙撃したり、モスタルの市場に迫撃砲弾を撃ち込んだり、中規模の都市に大砲を撃ち込んだりして、午後のひとときを過ごすことができた。ロシアの前衛的な作家であるエドワルド・リモノフは、この究極の「人間サファリ」を楽しむ姿を、動画で撮影されてしまった。さらには、プロの傭兵や元アメリカ軍レンジャー、あるいはグリーンベレーなどと名乗って、準軍事組織に参加したアメリカ人志願者たちもいた。彼らの多くは、実際にはテレビの中の戦争しか知らなかったのだ。言い換えれば、戦争を体験するために自分自身を危険にさらす覚悟のある人たちがいたということだ。(以下、本文つづく。注は割愛しました)
 
 
原書解説
 
航空自衛隊幹部学校航空研究センター 中谷寛士
 
 本書は、クリストファー・コーカー(Christopher Coker)によるCan War Be Eliminated?(Polity Press, 2014)の全訳書である。原書はイギリス、ポリティ出版の「地球の未来(Global Future)」シリーズの一冊として出されたものだ。本シリーズはそのタイトル通り、今後、地球の未来に大きく影響を与えうる問題について、国際的に第一線で活躍する専門家や思想家が正面から大胆に議論・分析することを特徴としている。そのような特徴を有したシリーズ本にふさわしく『戦争はなくせるか?』という挑発的な題名が本書には付けられている。
 また、本書は学術本というよりも一般書であり、専門家だけではなく幅広い層を対象として書かれたものだ。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や大国間競争の復活など、今日において戦争が日々身近なものとなりつつある中で、本書はこのような課題に対する考えの枠組みを提供しており、大変重要な時期に意味ある一冊が出版されたと言える。
 
著者の経歴
 原著者であるコーカーは、現在、イギリスの名門大学であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に属する外交政策を専門とするシンクタンク、LSEアイディアズ(LSE IDEAS)の所長を務める学者だ。日本ではあまり知られてはいないが、戦略研究や戦争学の分野では、本書をはじめとする数々の著書で世界的に名を知られている。現に日本の防衛研究所を含め、世界の研究機関で講演及び講義実績がある。現在、彼はLSEではいっさいの学生指導は行っていないが、一九八二年から二〇一九年までの約四〇年間教壇に立ち続けた。また、解説者(中谷)にとっては博士論文の外部審査官でもある。なお、本解説を書くにあたっては、コーカーとメールで幾度かやり取りを行った。解説者には以前、自身のことを歴史家と称していたが、実際にはイギリスを代表する世界的にも著名な戦争哲学者または政治思想家として紹介されることが多い。
 だが興味深いことに、コーカーの研究者としてのキャリアは、冷戦時のアメリカの第三世界に対する外交政策を専門として始まっている。現に、博士号(D. Phil)を取得したオックスフォード大学で書いた博士論文は、アメリカのニクソン政権の対南アフリカ政策に焦点を当てた内容であった。また、彼の博士課程の指導教授は、あのマイケル・ハワード卿(Sir Michael Eliot Howard)であった。
 博士号を取得した後の冷戦時代においては、コーカーは冷戦外交や同盟に関する著作を中心に取り組んでいたが、冷戦終了後には研究の方向性を変化させており、一九九七年には『西洋の衰退期(Twilight of the West)』(Basic Books, 1997)という挑戦的なタイトルの著作を出版し、西洋の衰退について悲観的に議論して非常に話題を呼んだ。この本は現在までにロシア語を含め七カ国語に訳されている。そして同時期から、本書に関連してくる戦争に関する著作を本格的に世に出すようになった。
 ではそもそもコーカーはいかにして戦争に興味を持つようになったのだろうか。コーカー自身の戦争に対する興味関心は、幼いころに戦争ゲームで遊ぶなど、幼少期からすでに存在していたという。また、ニクソン政権の対南アフリカ政策に関する論文で博士号を取得したと先述したが、これもまた自身が幼少期に家族で何度か南アフリカを訪れた経験が大きいという。歴史学の学位を修めたケンブリッジ大学では戦争に関する数多くの本を読んだ。そして、戦争に関する学術的関心をさらに高める契機となったのが、自身が学者として敬愛するフィリップ・ウィンザー(Philip Windsor)の戦略研究に関するLSEでの講義を、ウィンザーの引退と同時に引き継いだことだという。
 余談ではあるが、コーカーの担当する講義は大変人気があり、年によっては立ち見が出るほどであり、つねにモグリの学生(訳者の奥山もその一人)がいた。彼の講義も実にユニークなものであり、パワーポイントや発表資料などはいっさい使わず、自身の言葉だけで物語を語るように講義を行うことに特徴がある。学生は講義を聞いたというよりは、各講義において壮大な一つの物語を聞いたような印象を受けるのであり、講義の終わりには拍手が起きることもあった。
 関連して言えば、コーカーは学部生だけではなく、多くの大学院生も指導しており、最近では日本でも出版された『戦争の新しいのルール(The New Rules of War)』(中央公論新社、二〇二一年)が話題を呼んだショーン・マクフェイト(Sean Mcfate)も熱望して博士課程で指導を受けており、コーカーから多くの知的刺激を受けたことを告白している。
 
本書の特徴
 本書の詳しい内容については読者のみなさんにお読みいただくとして、ここでは主要な論点及び特徴をいくつか簡潔に見ていきたい。
 第一に、「戦争はなくせるか?」という壮大かつ挑戦的なテーマを、英語の原著ではわずか一二〇ページほどの中で議論して、しかも非常に説得力のある独自の主張を展開している……(以下、本文つづく)
 
 
banner_atogakitachiyomi