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ダンカン・プリチャード 著
笠木雅史 訳
『知識とは何だろうか 認識論入門』
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訳者解説
笠木雅史
本書は、Routledge が刊行している分野別の哲学入門書シリーズ「〜と呼ばれるものは何だろうか(What is This Thing Called 〜)」の一冊として刊行された、Pritchard, Duncan (2018) What is This Thing Called Knowledge, 4th Edition の翻訳である。邦題は、やや簡略化し、『知識とは何だろうか─認識論入門』とした。このタイトルが示すように、本書は知識、あるいはより広く認識活動一般を扱う哲学分野である、認識論の入門書となっている。本書は、英語圏ではすでに高い評価を受けており、多くの大学で認識論入門の授業のテキストとして用いられている(英語圏では、本書でその議論が紹介されるような認識論の論文が読書課題として指定され、本書は副読本や参考書として指定されることが多い)。本書の意図と使い方については、すでに冒頭で著者のダンカン・プリチャードが説明しているため、以下では、1 .本書の特徴、2 .著者の紹介、3 .本邦訳の成立過程という三つの点を簡略にまとめることにする。
1 .本書の特徴
本書を手に取られた方はすでにお分かりのように、まったく認識論、あるいは哲学の知識がなくても独習できるように、本書にはさまざまな配慮が行われており、理想の認識論入門書の一冊と言うことができる。各章の末尾には、その章の要点のまとめがあり、さらに学習課題として、その章の内容についての一連の問題が付されている。読者はこの学習課題を解くことで、自分がどの程度その章を理解したのかを確認することができるだけでなく、認識論が取り組む問題について自分で考えるための訓練を行うことができる。その意味で、本書が意図しているのは、読者が認識論内部のさまざまな見解についての知識を習得することだけでなく、読者が自分で認識論を行うための第一歩を踏み出すことである。そして、その歩みをスムーズに始め、さらに先へ歩いてゆくことができるように、本書には他にも工夫が存在する。まず、各章の末尾には、「入門的な読書案内」、「より高度な読書案内」、「フリーのインターネット上の資料」も付されており、そこで挙げられた文献・資料を読むことで、読者は興味を持った章の内容をさらに深く学習することができる(ただ残念なことに、邦訳のある文献は一部しか存在しないが)。次に、本書の末には、さらに認識論一般を学んでみたい読者のために、「一般的な読書案内」として、他の認識論の入門書や論文集、インターネット上の資料のリストが掲載されている。これだけではなく、本書末には、本書に登場する重要な語の意味を説明する「用語集」、本書で言及されるさまざまな事例をまとめた「主要事例集」も付されている。用語集に収録されている語は、本文での初出時にゴシック体で表記されており、確認しやすいように配慮が行われている。事例集にまとめられた事例は、本書で複数回言及されるものも多く、こちらもその確認のために活用できる。
本書が認識論の入門として理想的である理由は、このように独学するためのさまざまな配慮と工夫が行われているという点だけでなく、内容としても他の入門書にはないほど広範囲の主題を扱っているという点にある。現代認識論は非常に早いスピードで展開しており、それまでの主題について数多くの著作が刊行される一方で、次々に新しい主題も登場している。このような認識論の新しい展開をカバーするために、2006 年に第一版が刊行された後に、2009 年に第二版、2013 年に第三版、そして2018 年にここで訳出した第四版と版を重ねるごとに、本書には新しい章が追加されてきた(また、文献案内や本文の細かい点にはさまざまな調整が同時に加えられた)。それぞれの版の構成を、本書である第四版に存在する章の番号で記すと、次のようになる。
第一版(2006):現第1 〜10、18 〜20 章
第二版(2009):現第13 章追加
第三版(2013):現第11 〜12 章追加
第四版(2018):現第14 〜17 章追加
つまり、認識論の中心的な問題であった知識の分析、知識獲得の手段、懐疑論に関する問題を軸に展開される第四版の第Ⅰ〜Ⅱ部と第Ⅴ部だけという認識論に固有の問題を扱う第一版から、現在の第Ⅲ部にあたる科学、宗教、道徳という個別分野内の知識の性質を論じる章、第Ⅳ部にあたる科学技術、教育、法、政治という個別分野内の認識論的諸問題を論じる章が追加された。このように、本書は哲学以外の分野への認識論の応用を含めるという方向で改定されてきたのである。そして、このいわば応用認識論と言うべき方向は、現代認識論の主潮流の一つである(他にも大きな流れはいくつか存在する)。他の認識論の入門書にはない本書の内容上の大きな特徴の一つは、このような現代認識論の方向をカバーしている点にある。
本書は基本的に現代認識論の基礎とその応用方向への展開をカバーすることに重点が置かれているが、本書のさらに優れた点は、現代だけでなく、古代から近代までの認識論についても主要人物や興味深い主題を紹介するコラムが、各章にいくつか置かれていることである。これらのコラムを読むことで、読者はある程度、現代の認識論が位置する歴史的な文脈や認識論に貢献した人物たちの経歴を知ることができる。また、いくつかのコラムは、本文で扱われる認識論の主題と関連する映画を紹介している。これらのコラムは、本文と独立に気軽に読めるように書かれている。
本書は本文とコラムをあわせるとかなり大部の分量となり、本書を初めて読む初学者は、読み通すのに苦労するかもしれない。しかし、本書でもっとも基本的な部分は、第1 〜7 、9 章であり、これらの章をまず読み終えれば、次に他のどの章に進んでもほとんど問題なく読みすすめることができる。したがって、自分が興味を持った章があれば、次にそこを読むという形でもかまわない。この点でも、本書は読者への配慮の行き届いた入門書である(ただし、本書にも短所と言える箇所がないわけではない。例えば、本書の本文中で論じられる女性哲学者はミランダ・フリッカーしかおらず、ジェンダー上の著しい偏りが存在することは残念である。また、本書は先に述べたように、基本的に2006 年刊行の第一版に章を追加するという形で改定されてきたため、当初から存在する一部の章の議論には、すでにやや古さを感じるところもある)。
2 .著者の紹介
本書の著者ダンカン・プリチャードは、現代の英語圏の哲学における代表的な認識論者の一人である。彼はイギリス出身であり、セント・アンドリュース大学で哲学の博士学位を取得し、スターリング大学、エジンバラ大学の哲学科長を努めた後、現在はカリフォルニア大学アーバイン校の哲学科で特別栄誉教授の座についている。本書の内容の広範さにも現れているように、認識論内の多くの分野で非常に多くの著作、論文を刊行するとともに(これまで専門書、入門書を単著、共著合わせて10 冊以上執筆し、公刊した論文の数は200 を優に超える)、数冊の論文集を編集している。彼の広範な研究分野の中でもとりわけ顕著なのは、本書第2 章の主題である知識の価値についての研究、第3 章の主題である知識の定義についての研究、第6 章、第14 章、第15 章で議論される徳認識論、第19 章の主題である根本的懐疑論の研究である。また、イギリス芸術・人文学研究会議からの資金のもとで、2013 〜2015 年には、本書第14章で扱われる拡張された知識を主題とする大規模プロジェクトを率いて多くの活動を行うなど、近年は応用認識論の研究も精力的に行っている。このように広範な分野に貢献しているプリチャードだが、特に根本的懐疑論の研究では間違いなく現代の第一人者であり、単著として刊行した研究書3 冊、(2005)Epistemic Luck, Oxford University Press, (2012) Epistemological Disjunctivism, Oxford University Press, (2015) Epistemic Angst: Radical Skepticism and the Groundlessness of Our Believing, Princeton University Press は、根本的懐疑論を現在研究しようとするならば、必読書となっている。彼の研究は、哲学内外で高く評価されており、2007 年にはキャリア初期の研究者を対象とするフィリップ・リーヴァーヒューム賞を授与されたほか、2011 年にはエジンバラ王立協会のフェローに選出された。
プリチャードは極めて旺盛に研究を行う一方で、教育活動にも力を入れている。彼の教育への熱意は、本書のように学習のための配慮が行き届いた入門書を執筆し、改定を続けていることからも窺い知ることができるはずである。本書以外にも、より進んだ認識論の入門書として(2016) Epistemology, Palgrave Macmillan を執筆しており、また懐疑論だけを扱う入門書として、(2019)Scepticism: A Very Short Introduction, Oxford University Press も刊行している。懐疑論についてはさらに、アナリサ・コリーヴァ(Annalisa Coliva)との共著でSkepticism, Routledge という入門書が2022 年に刊行された。このような認識論の入門書の執筆に加え、近年は大規模公開オンライン講座(MOOC)にも積極的に参加し、「哲学入門(Introduction to Philosophy)」を共同で担当したほか、単独で「懐疑論(Skepticism)」を担当した。これらの講座は、代表的なMOOC のシステムであるコーセラ(Coursera)上で受講することができ、プリチャードの教えを受けたことがある人は世界中に存在している(「哲学入門」の講座の受講者は、現時点で200 万人以上に及ぶという)。プリチャードはさらに、万人に教育機会を提供するという理念のもとで始まった、受刑者を対象とする哲学教育プログラムにも参加している(そのようなプログラムは、英語圏でいくつか存在する)。この哲学教育の内実と意義について徳認識論の観点から論じた、(2021) ‘Philosophy in Prisons and the Cultivation of Intellectual Character’, Journal of Prison Education and Reentry, 7, 130-143 という論文も執筆している。
本書第15 章に教育に関する章が収められていることからも分かるように、プリチャードは教育の認識論も専門としており、他にもいくつか教育に関する論文を執筆している。彼の徳認識論に関する研究は、教育に資する基礎研究として位置づけられており、研究活動と教育活動は一体化された形で行われているのである。本書は、その両者の活動からえられた経験を活用したものであり、先に説明したように、本書が単に認識論の知見を紹介するだけでなく、読者が自分で考えるための案内をするように設計されているのも、知的徳の育成という観点が背後にあるからだと考えられる。
3 .本邦訳の成立過程
本書の翻訳にあたっては、原著が初学者への配慮が行き届いたものであるため、日本語で本書を読む初学者にも理解がしやすいように、原文の構造を忠実に再現するよりも、その内容を平易に表現するように心掛けた。このため、一部は原文の表現を削除したり、逆に追加した部分も存在する。また、読解を妨げないようにするため、日本語だけで可能な限り理解できるようにも心掛けた。このため、一部の語に原語を併記するということも本文では行わず、原語は索引にのみ表記されている。もちろん、こうした訳者の行いによって、逆に理解が難しくなるという結果が生じたとすれば、それはひとえに訳者の力不足である。
本書を翻訳する過程で生じた疑問には、原著者のプリチャード氏に問い合わせた上で、一部の箇所については原著の文を修正したり、原著にない文を追加したりした。また、原著には幾つかの表記のゆれやミスと思われる箇所も存在したため、それらも修正した。さらに、紹介されている文献・資料についても、原著刊行後に改定されているものについては、プリチャード氏の協力のもと、最新の情報に改めてある。これらの処置によって、少なくとも一部は原著よりも読みやすくなっているはずである(そう祈りたい)。
最後に、本邦訳の成立過程について記しておく。認識論の入門書を執筆、あるいは翻訳しないかという依頼を訳者が受けたのは、たしか2014 年のどこかだと記憶している。翻訳にしましょうかと返事をした後、翻訳に値する入門書を挙げるようにさらに依頼があり、幾つかの候補を挙げた。その中から選ばれたのが、本書である(当時は入門書の執筆は時間的に余裕がないので、翻訳の方を選択したのだが、本邦訳の刊行がこれだけ遅れたことからも分かるように、翻訳は執筆以上にたいへんな作業だとすぐに思い知ることになってしまった)。翻訳が大変遅れてしまったのは、勤務先の大学の業務に加え、他にも多くの依頼や参加しているプロジェクトがあり、それらをこなすだけで訳者の能力を超えてしまったためである。結局のところ、本書の翻訳に本格的に取り組み始めたのは2020 年の5 月であり、訳稿が完成したのはさらに遅く、2021 年の12 月になってしまった(翻訳は、依頼時に最新版だった第三版をもとにする予定だったが、2018 年に第四版が刊行されたため、途中でそちらに切り替えた)。
これだけ大幅に翻訳の完成が遅れてしまったため、勁草書房と原著の著者であるプリチャード氏には、大きな迷惑をかけることになってしまった。最初に本企画を依頼してくれた勁草書房の渡邊光氏は2020 年に退職されたため、本書を一緒に刊行するという約束を守ることができなかった。本当に申し訳ない。訳者は2015 年の夏にプリチャード氏が当時在籍したエジンバラ大学に滞在し、在外研究を行う機会をえたが、そこでプリチャード氏に翻訳の方針についても相談した。その後、これだけ翻訳が遅延するとは、氏も思ってもいなかっただろう。これについても、大変申し訳なく思っている。
本書の邦訳にあたっては、他にも多くの人にお世話になった。まず、翻訳途中の草稿をテキストとする訳者の授業を受講してくれた広島大学の学生からは、どの辺りの理解が難しいのかを学ぶことができた。さらに、翻訳原稿が完成した後、太田陽、次田瞬、萬屋博喜の各氏にその全体を読んでもらい、多くのミスや改善点を指摘してもらった。それに加え、永守伸年氏には第7 章、安藤馨氏には第16 章を読んでもらい、彼らの専門的な観点から指導を受けた。こうした多くの協力がなければ、本邦訳は極めて拙いものになっていたはずである。ここに記して、感謝したい。また、渡邊氏から本邦訳の編集作業を引き継いだ勁草書房の土井美智子氏の的確な作業がなければ、本書の刊行はさらに遅れていたことが確実である。この点にも感謝したい。最後に、本翻訳に関する研究は、科研費(20K00033)の助成をうけている。
20 年ほど前に大学院生だったときから、訳者はプリチャード氏の著作に極めて多くを学んできた。当時氏の論文を熱心に追っていたのだが、彼が刊行したばかりの論文が日本ではまだ入手できず(掲載誌が電子化されていないか、できたとしても日本の大学ではまだ利用できなかった)、どうしてもすぐに読みたかった訳者は、辞書をひきながら生まれて初めての英文のメールを書き、メール添付で送ってくれないかとたずねたことがある。数時間後に返事があり、まったく見ず知らずの異国からの依頼だったにもかかわらず、氏は快く応じてくれた。当時は自分が将来、氏の著作を翻訳することになるとは夢にも思っていなかったが、本邦訳でその恩を返すことができたとすれば、嬉しく思う。