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『学力格差の拡大メカニズム――格差是正に向けた教育実践のために』

 
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数実浩佑 著
『学力格差の拡大メカニズム 格差是正に向けた教育実践のために』

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まえがき
 
 学力格差の問題が再発見されてから,20 年ほど経った。2000 年代初頭には,「昔に比べて子どもたちの学力が低下しているのではないか」という議論がされることはあっても,教育の問題を格差や貧困という社会問題と結びつけて考察し,家庭背景による学力格差を問題視するような論調はほとんど存在しなかった。
 しかし近年,こうした状況は大きく変わってきている。教育に関わる人であれば,家庭背景による学力格差が存在することを肌で感じているだろう。学力格差の問題を知ったうえで,「わが子にはできる限りよい教育を提供してあげたい」と願い,熱心な教育投資を行う保護者も少なくないと思われる。政策レベルにおいても,「貧困の連鎖」の解決を模索するなかで,教育格差の解消に向けた取り組みを進めようとする機運も高まってきている。
 このように家庭背景による学力格差が存在することについては,広く認知されているし,学力格差をはじめとする教育格差の問題は,わが国の社会問題として大きく注目を集めている。しかし,なぜ学力格差が生まれるのかについてはまだ十分に明らかにされていないことが多い。特に,個々の子どもたちの学力がどのように変化していくかという視点を含めた「学力格差の変化のメカニズム」については,ほとんどわかっていないというのが現状である。
 本書はこの学力格差の変化のメカニズム,特に,学力格差の拡大メカニズムを主題とする。この主題に対して,「マタイ効果」という概念を理論枠組みとして,格差の拡大メカニズムに迫っていく。
 学力格差を聞いたことがあるという人に比べて,マタイ効果という言葉を知っている人は少ないかもしれない。筆者がこの言葉をはじめて知ったのは,貧困研究で著名な阿部彩氏の『弱者の居場所がない社会』を読んだときである。そこには次のようにある。

この言葉[マタイ効果:筆者補足]は,新約聖書の一節「持っている人は与えられて,いよいよ豊かになるが,持っていない人は,持っているものまで取り上げられるだろう」(マタイ福音書13 章12 節)から名付けられた社会現象のことである。すなわち「マタイ効果」とは,「格差は自ら増長する傾向があり,最初の小さい格差は,次の格差を生み出し,次第に大きな〈格差〉に変容する性質」を指す。

 端的にいえば,マタイ効果とは「裕福な人はますます裕福に,貧乏な人はますます貧乏に」というように格差が自己増幅的に拡大する現象を示す概念である。この概念を知ったとき,教育格差の問題に関心があった筆者は,「なるほど。『有利な人はますます有利に,不利な人はますます不利に』という傾向性が,確かにこの社会にはあるかもしれない」と深く納得したのを覚えている。
 そしてそのあと,次のようなアイデアを思いついた。マタイ効果は経済の話だけではく,教育の文脈でもみられるのではないだろうか。「勉強が得意な子はますます得意に,苦手な子はますます苦手に」という傾向性が,学力格差を生み出す一因を形成しているのではないだろうか。
 このようなアイデアをもとに,「学力格差」というテーマに「マタイ効果」という概念をもって迫ってみたい。すなわち,マタイ効果という概念を用いることで,学力格差がなぜ生まれるのかという問いに対して,新たな回答を提示することを目指す。「なぜ生まれるのか」を明らかにすることができれば,「どのようにして学力格差を是正(解消)することができるのか」という実践的な問いに示唆を与えることも期待できる。
 以上が本書の中心的な問題意識である。ただし本書では次のような問いにも足を踏み込んで考えてみたい。それは「なぜ学力格差は是正すべきなのか」という問いである。
 なぜわざわざこのような問いを取り上げる必要があるのか。それは,「格差是正に向けた教育実践のために」という副題を掲げ,「学力格差は是正すべき」という価値判断を貫こうとするならば,「なぜ・いかなる理由で学力格差は是正すべきなのか」を説明する必要があると考えるからである(実際,「格差は望ましくない」という前提を受け入れないという人も少なくないだろう)。そしてその回答は決して自明ではなく,学力格差に関するエビデンスを蓄積する作業と並行して,改めて理論的に考察すべき学術的問いでもある。
 この問いの検討作業を進めることは,学力格差の是正を目指す先に,どのような教育および社会の理想像(ゴール)を設定するかという問いに向き合うことにもつながる。この問いに関して本書では,ある中学校のフィールド調査をもとに,学校現場はいかなる平等観を有しているのかを検討することを通して,教育に求められる「平等」とは何かという問いについても明らかにしていく。
 このように本書は,教育の不平等の実態はどうなっているのか,どのようなメカニズムでそうした不平等が生まれるのかという「事実レベル」の分析と,なぜ・どのような社会的不平等があってはならないのか,その判断に至る背後にはいかなる価値理念がかかわっているのかという「規範(価値)レベル」の分析という2 つの側面を意識しながら論を展開していく。
 もっともこれまでの学力格差研究が重視してきたのは,データに基づく事実レベルの分析であり,本書の比重もそちらに重きがある。しかしながら,学力格差に関する実証的研究が積み重ねられ続けている現在において,一度立ち止まって,「そもそも何のために学力格差の研究をするのか」という根本的な問いについて考えることも重要であると考える。少なくとも,本書がいかなる規範的前提をもって執筆されているのかを明示的に示しておくことは,学力格差研究の出発点にある価値理念を自覚・反省し,事実と規範の混同による無用な議論の混乱を避けるためにも有益だろう。その作業は,格差是正の必要性を社会に説得的かつ論理的に訴えかける言説を編み直していくことにも貢献するはずである。
 
 当然ではあるが,学力格差の問題を解消することができれば,ただちに理想の社会が実現するというわけではない。しかしながら,学力格差という問題は,さまざまな課題が山積みとなっている日本社会において,最も重要な社会問題のひとつであると筆者は感じている。そしてそのように感じているのは,筆者だけではないであろうとも思う。この問題の解決に向けて,先行研究の成果を引き継いだうえで,学力格差の「事実レベル」と「規範レベル」の分析・考察を進めることで,学力格差研究に対して新たな知見を導き出していきたい。
 
 
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