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『21世紀を拓く新規開業企業 ――パネルデータが映す経済ショックとダイバーシティ』

 
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日本政策金融公庫総合研究所 編集/武士俣友生・井上考二・長沼大海 著
『21世紀を拓く新規開業企業 パネルデータが映す経済ショックとダイバーシティ』

「はしがき」「序章・第2 節 本書のねらい」(pdfファイルへのリンク)〉
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はしがき
 
 21 世紀に入ってすでに20 年以上が経った。それだけ長い時間が経過すると,当初は大きな変化だと受け取られていた事象も当たり前のこととして認識されるようになってくる。情報通信技術(ICT)の発達と社会への浸透はその典型であろう。高速・大容量の通信回線ブロードバンドのわが国における契約数は今世紀が始まった2001 年に280 万件ほどだったものが,2020 年には15 倍の4,200 万件を超えた(第6 章参照)。実店舗を構えずにネットショップで商品を販売する企業やソーシャル・ネットワーキング・サービスを使って宣伝広告を行う企業が今は至る所にある。ICT によって事業の可能性が広がったり,低コストの事業展開が可能になったりしている。
 1999 年に行われた中小企業基本法の改正により中小企業政策の柱の一つとなった創業支援も,いまや当然のこととして,政府をはじめとするさまざまな機関が実施している。開業に関するセミナーやイベントの開催,開業計画に対する専門家のアドバイス,融資や補助金などによる必要資金の供給,インキュベーション施設の整備といった伝統的に行われていた支援のほか,近年ではスタートアップ企業が投資家や大企業と出会う機会となるピッチイベントや,アントレプレナーシップを醸成して開業の裾野を広げる起業家教育なども盛んに行われている。開業のために利用できるインフラはかなり整えられてきた。
 こうした後押しの動きがあるにもかかわらず,わが国の状況は依然として低調である。起業活動の水準を国際比較できるグローバル・アントレプレナーシップ・モニターの調査によれば,18 歳から64 歳の人のなかに起業の具体的な準備をしている人と起業して3 年半未満の人がどれだけいるかを示す総合起業活動指数(Total Early-Stage Entrepreneurial Activity, TEA)は,2022 年に日本が49 カ国中43 位となっている。
 経済社会の活力を維持していくためには,経済活動の担い手となる企業が数多く存在し,新陳代謝も活発であることが重要だが,中小企業経営者の高齢化が進んでいることも相まって,日本では廃業率が開業率を上回る状況が続き,企業の数は年々減少している。新規開業企業に寄せられる期待は大きくなる一方なのである。成長市場や新市場に乗り出し,層として多くの雇用を創出したりイノベーションを生み出したりする存在として,地域にあっては経営者の引退などでマーケットを退出する企業に代わりコミュニティを支える存在として,経済社会の活性化に寄与する。その数を増やすことは,国全体を挙げて取り組むべき重要な政策テーマとなっている。
 日本政策金融公庫総合研究所は,創業支援の拡充の一助となるよう,前身の国民金融公庫,国民生活金融公庫の時代から新規開業企業についての調査研究に力を入れてきた。その一環として2001 年に開始したのが「新規開業パネル調査」である。新規開業企業の開業後の動態的な変化を明らかにすることを目的に,同一企業を5 年間続けて追跡調査するものである。これまでに2001 年に開業した企業を対象とする第1 コーホート,2006 年に開業した企業を対象とする第2 コーホート,2011 年に開業した企業を対象とする第3 コーホートそれぞれの調査結果を分析,公表している。
 そして,2016 年に開業した企業を対象とする第4 コーホートの2020 年まで5 年間の調査が終わり,その分析結果を取りまとめたものが本書である。過去に出版した3 冊は,基本的に調査が終わったばかりのコーホートを分析対象としていたのに対し,本書では四つのコーホートの各5 年間のデータ,すなわち2001 年から2020 年までの20 年間にわたるデータを用いて,21 世紀初頭における新規開業の動向を探ることを試みた。
 この20 年の間には,リーマン・ショック,東日本大震災,新型コロナウイルス感染症の流行という企業の経営に大きな影響を及ぼす出来事が起きていることを忘れてはならない。既存企業ですら影響を受けたこれらの経済ショックが,まだ経営が不安定な新規開業企業にどのようなインパクトを与えたかは,開業年が異なる複数のコーホートの開業後の経営パフォーマンスの経年変化を分析することでみえてくるだろう。
 これらの突発的なショックに加えて,この20 年間の経済社会にはさまざまな構造的変化が起こり,人々の意識を徐々に変えていった。開業や開業後の経営のあり方は,そのときどきの社会情勢や人々の意識に反応するものであり,息の長い変化が起きているはずだ。例えば,少子高齢化による労働力人口の減少を背景に,女性やシニア層の活躍に期待が集まっている。開業の世界においても,従来から主流である,中小企業に勤めて経験を積み,30~40 歳代で独立開業する男性以外に,育児の合間の副業として自宅で事業を始める女性や,地域社会の役に立ちたいと定年後にビジネスを起こすシニアなど新たなタイプの経営者が現れ,開業の担い手は多様化してきている。コワーキングスペースやシェアオフィス,シェアキッチンといった施設が整ってきたことにより,開業は必ずしも不動産投資を伴うものではなくなった。開業に必要な投資の水準は減少している。小さく事業を始め,リスクをコントロールしていこうとする動きが広がり,開業の小規模化が進んでいる。こうした変化は少しずつ顕現していくものであり,長期のデータを分析することでようやくみえてくる。
 本書は,こうした経済ショックの影響と開業の姿の構造的な変化という,長年にわたるデータの蓄積がなければ分析が難しいテーマを扱っている点が最大の特徴である。その姿が少しずつ変わっていく新規開業企業を効果的に支援していくには,新規開業企業の実態をつぶさに知っておくことが必要である。これまで以上に詳細な研究成果を発信することにより,本書が研究者の方々や創業支援の実務に携わる方々のお役に立つものとなれば幸いである。
 本書の刊行までには,多くの方々にご協力いただいた。パネルデータの分析に欠かせない計量的手法については,慶應義塾大学商学部の山本勲教授にご指導いただいた。宮本詳三氏をはじめ勁草書房の編集部の皆さまには,本書の内容が読者に伝わりやすいものとなるよう丁寧に編集していただいた。もちろん,内容におけるあり得べき誤りは,すべて筆者に帰するものである。そして,新規開業パネル調査の調査対象となった新規開業企業の経営者の方々には,開業後のご多忙な時期にもかかわらず,貴重なお時間を使って毎年のアンケートにご回答いただいた。これらすべての方々に,この場を借りて厚くお礼申し上げる。
 
2023 年6 月
武士俣 友生
 
 
序章 パネル調査でみる新規開業企業の20 年
第2 節 本書のねらい
 本書は,2016 年から2020 年にかけて実施した第4 コーホートの調査結果をとりまとめるとともに,第1 コーホートから第4 コーホートまでの四つの企業群に共通する調査項目を集計した結果を比較している。20 年間で変化した点,逆に変化せず共通している点などを分析し,21 世紀に入ってからの新規開業企業の実態を把握する。
 新規開業パネル調査に関する先行研究は,後述するように基本的には一つのコーホートを分析対象としてきた。開業時期が異なる四つの企業群それぞれのパネルデータを用いて20 年間にわたる新規開業企業の動きを追った点が本書の最大の特徴である。
 特に明らかにしようとした点は二つある。一つは新規開業企業に及んだ経済ショックの影響である。前掲図序─1 でみたように,新規開業パネル調査を開始した2001 年以降,日本の経済活動に大きな影響を及ぼした突発的な出来事が三つある。2008 年9 月のリーマン・ショック,2011 年3 月の東日本大震災,そして2020 年1 月以降のコロナ禍である。これらの発生直後,業況判断DIは大企業,小企業ともに低下した。
 経済ショックの影響は,当然,新規開業企業にも及ぶ。しかし,どの程度の影響を受けたかについては,必ずしも明確ではない。開業したばかりで事業を軌道に乗せる過程にある企業の場合,ある時期の業況の変化は,外部環境の影響によるものか,開業してからの経過年数によるものか,あるいはその両方の要因が混在したものなのか,判然としないからである。
 新規開業パネル調査のデータを用いれば,この問題を乗り越えられると思われる。開業時期が異なる複数のコーホートを分析し,開業後に経済ショックを経験した企業群と経験しなかった企業群を比較することで,経済ショックの影響を開業後の経過年数による影響から分離して観察できるようになる。
 もう一つ明らかにしたいのは,開業の姿の変化である。調査を開始した2001 年から2016 年企業に対する調査が終了した2020 年までの間には,少子高齢化の進展,サービス経済化,情報通信技術(以下,ICT)の発達,働き方の多様化など,わが国の経済社会にさまざまな構造的変化がみられる。人が行う営みである以上,新規開業はそのときどきの社会の情勢や人々の意識が反映されたものになる。取り巻く環境が変化すれば,開業の姿にも何らかの変化が生じると思われる。
 例えば,1991 年から実施している新規開業実態調査のデータをみると,新規開業企業の経営者が「女性」である割合は徐々に増加している。女性の社会進出が進んだことが背景にある。開業時の年齢が「60 歳以上」である割合も,高齢化の影響を受けて2010 年代は2000 年代より高くなっている。
 先述の経済ショックの場合と異なり,世の中の構造変化は緩やかに時間をかけて進んでいく。そのため,こうした経営者の性別や年齢の変化も,「男性」が大半を占め,「30 歳代」「40 歳代」が多いという特徴そのものが変質するほどの大きな動きではない。しかし,従来の新規開業の担い手とは異なる層が確かに増えており,多様化の傾向を示すものとなっている。
 こうした新規開業企業全体の時系列変化のほかにも,本書では新規開業パネル調査のデータを使用し,新規開業実態調査では把握できない開業後の経年変化についても,20 年間で変化があるのかどうか,ある場合は経営にどのような影響を及ぼしているかを分析する。
 本書の分析結果の概要は第4 節で紹介するが,その前に新規開業パネル調査結果の分析を行った過去の文献について触れておきたい。新規開業パネル調査は各コーホートの調査が終わるたびに分析結果をとりまとめており,これまでに樋口ほか(2007),日本政策金融公庫総合研究所・鈴木(2012),日本政策金融公庫総合研究所・深沼・藤田(2018)の3 冊が刊行されている。
 樋口ほか(2007)は2001 年企業に対する調査の分析結果をまとめたものである(表序─2 ①)。新規開業企業を対象に日本で初めて実施された本格的なパネル調査のデータをもとに,存続廃業の状況,雇用の創出,金融機関の役割,成長への取り組みなど,さまざまな切り口で分析を行い,長らくブラックボックスであった開業後の動態に光を当てた。
 続いて,2006 年企業を分析したものが日本政策金融公庫総合研究所・鈴木(2012)である(表序─2 ②)。2001 年企業の分析ではひとくくりにしていた廃業を非自発的廃業と自発的廃業に分類したほか,販路の開拓,資金調達,満足度,労働時間など,企業の経営面だけでなく経営者の生活面からも開業後の動態に迫った。計量的手法を駆使して樋口ほか(2007)の内容を発展させている。
 2011 年企業の分析結果をまとめた日本政策金融公庫総合研究所・深沼・藤田(2018)は,調査開始前に発生した東日本大震災が開業に及ぼした影響を取り上げている点が特徴である(表序─2 ③)。また,生産性の推移や経営者の休職といった切り口で開業後の実態を分析しているほか,樋口ほか(2007)や日本政策金融公庫総合研究所・鈴木(2012)と同様のテーマも扱い,過去の分析結果の頑健性を確認している。
 なお,本書に掲載している過去のコーホートのデータは本書の執筆に当たって改めて集計したものである。表序─2 の各文献には本書で紹介するのと同様のデータが掲載されている箇所もあるが,該当箇所が多いため,分析結果の解釈等の引用や比較分析を伴わない場合は参考文献としての記載を省略した。(以下、本文つづく。注と図表は割愛しました)
 
 
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