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あとがきたちよみ
『 映画で学ぶジャーナリズム――社会を支える報道のしくみ』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
別府三奈子・飯田裕美子・水野剛也 編著
『映画で学ぶジャーナリズム 社会を支える報道のしくみ』

「はじめに──現場で働く記者たちの姿にふれる」「本書のねらいと使い方」「Theme 1 社会問題の可視化【スポットライト 世紀のスクープ】(冒頭)」「おわりに──専門知と実践知の対話から」(pdfファイルへのリンク)〉
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はじめに──現場で働く記者たちの姿にふれる
 
 本書は、皆さんとともに、ジャーナリズムのあり方について考えるために作った一冊です。専門知識を暗記するような入門書ではありません。報道の仕事は一つとして同じ現場がないので、暗記した知識だけでは対応できないからです。どうしたら良いのか。どうしたら良かったのか。私たちは常に考え続ける必要があります。意見交換を重ねながら深く考えることが、より良いジャーナリズムを生み出す原動力となります。そこで、報道記者たちの仕事ぶりを知ることができ、対話の糸口ともなるような12 本の著名な映画を取り上げてみました。
 本書には、一緒に検討したい三つの問いがあります。
 ・報道記者は、どのような仕事をしているのだろうか。
 ・ジャーナリズムは、何のために、誰のために、あるのだろうか。
 ・民主社会にとって、ジャーナリズムはどのような役割を果たしているのだろうか。
 これらは、ジャーナリズムの原則(エレメンツ)と言われる、この専門職の核にある問いです。
 プラットフォームのIT 化で、ニュースはスマホで簡単に読めるようになりました。生成AI が過去のデータから記事をつくる社会も、そこまで来ています。しかし、読まれるニュースを売るだけでは、ジャーナリズムはその役割を果たすことができません。検索しても出てこないことこそ、ニュースなのです。暮らしやすい社会を作っていくために、記者は何をし、私たちはその情報を得てどうするのか。一人ひとりが好き嫌いだけではなく、理由も含めて熟考するために、原点を見つめ直す。その手がかりを、本書で提供したいと思います。
 
観て、考えて、みんなで話そう!
 では。さっそく、映画作品を楽しむところから始めてみましょう。
 多くの作品は、皆さんにも身近な配信サービスで、手軽に観られます。テーマごとに独立しているので、どのテーマの映画から見始めてもかまいません。本書は、ジャーナリズムを大切に思う映画監督の力を借りて、ジャーナリストたちの仕事を「見える化」しようとする試みでもあります。説明より作品。ぜひ、映画をご覧ください。
 その後で。映画から得たイメージを鵜吞みにせず、じっくりと考えてみましょう。映像はイメージを作る力が強く、わかったような気持ちになりやすいものです。しかし、現実とのギャップがあります。映画ごとの検討なら、テーマの1 ページ目にある「考えてみよう」がヒントになります。それらの問いを深める解説が本文にあります。もし、さらに疑問が生じたら、調べてみましょう。調べるための信頼性の高い情報源などについては、本書の付録にまとめました。活用してください。
 人によって、映画で注目したところには違いがあるものです。その違いを知ることは、視野を広げる大切なきっかけになります。映画を観た人どうしの対話を楽しみながら、ジャーナリズムの役割について考えてみてもらえれば幸いです。
 
2023 年5 月
編著者一同
 
 
本書のねらいと使い方
 
 本書では映画を介して皆さんを、古今東西の報道の舞台裏にお連れします。刻々と変化する現場。次々と生じる難題。果敢に試行を重ねる記者たち。ニュースになる前の報道の内側に焦点をあてます。
 
記者にフォーカスした映画のラインナップ
 本書で取り上げる映画作品の選定は難しい作業でした。まず、記者が登場する作品を、世界と日本で製作された映画から幅広く探しました。候補にあがった作品は130 本近くにもなりました。
 それらはおよそ三つに分類できました。①事実に基づきその再現を重視した社会派映画、②登場人物に記者を配した娯楽映画、③事実の記録であるドキュメンタリー映画、です。内容面では、ジャーナリズムの良き社会的役割を描くもの、ジャーナリズムの問題に焦点をあてるものといった実話ベースやフィクションの作品群と、記者が登場するロマンスやミステリー、さらには犯罪ものや戦争ものなどでした。娯楽に力点がある作品は候補から外しました。映像論からいえば、劇映画とドキュメンタリー映画は異なるジャンルです。しかし、本書の目的を最優先にし、映画論の分類にとらわれることなく作品を選びました。また、DVDとして市販されており、入手が容易であることを必須条件としました。
 日本のテレビ・ドキュメンタリー番組や記録映画には、大変すぐれた力作がたくさんあります。たとえば、「標的の村」(琉球朝日放送)、「はりぼて」(チューリップテレビ)、「さよならテレビ」(東海テレビ)などは、報道記者やディレクターの社会的に重要な役割がよく見えてくることでしょう。昨今では、「エルピス」(関西テレビ放送)のような深みのある力作が、テレビドラマにもあります。しかし、本書制作時点ではいずれもDVD が市販されていませんでした。そこで、日本の記者職の皆さんが共感するものを、邦画以外からも積極的にピックアップしました。
 候補に残った映画は24 本になりました。それらの作品を、ジャーナリズムの機能別に、五つに分類しました。本書のⅠ~Ⅴ部がこれにあたります。類似する機能の作品は良作や力作でも厳選し、12 本に絞りました。
 
執筆者と構成
 執筆者については、ジャーナリズムのありようを多角的な立ち位置から観ることを重視し、作品に登場する記者の実務に精通した報道人や、作品のモチーフに詳しい研究者を探しました。執筆者は男性と女性がほぼ半数ずつ。保守的な報道業界や研究職としては、めずらしいかもしれません。
 執筆者どうしは、編集方針や互いの内容の骨子を共有しています。しかし、本文やコラムの記述内容については、互いの経験や専門を最大限尊重して活かす方針をとりました。執筆者については執筆者紹介欄をみてください。
 本書の全体構成は、前述のようにジャーナリズムの機能を五つに分け、それぞれの機能が観察しやすい作品ごとにテーマをたてました。さらにゲストスピーカーによる「現場からのメッセージ」を加え、巻末に付録をつけました。
 本文の各テーマは、同じフォーマットの構成です。最初の見開き2 頁が映画作品の基本情報です。1 頁目のテーマタイトルとリード文、「キーワード」「考えてみよう」が、その映画で検討したいジャーナリズム論のポイントです。2 頁目は作品紹介、3 頁目以降は以下の5 項目で解説されています。
 「1 何が起こっていたのか」は、作品のモチーフや当時の様子などの背景説明です。本文のメインは、「2 ジャーナリズム論からの作品解説」です。次の「3 今の社会における「……」」は各テーマを現代社会に引きつけて考えるヒント、「4 広げ、深めて考える」はモチーフやテーマをちょっと別の角度から考える視点を提供します。最後に、関連する映画や書籍などを「もっと知りたい人へ」で紹介しました。
 各章の章末に、13 本のコラムがあります。これらは、各章の重要ポイントについて専門的に概説した読みもので、各領域の第一人者による寄稿です。実務の諸相、理論、歴史、倫理や法律といった制度論、機能論、効果論など。ジャーナリズム研究のさまざまなアプローチに触れられるように、構成してあります。コラムごとに独立しているので、どこから読んでもわかるようになっています。
 
本書の使い方
 高校や大学では、生徒や学生による発表や報告の後、クラス内でグループ・ディスカッションがよく行われます。本書は、こういった場面でも使いやすいように、編集しました。編著者の水野剛也は、長年、少人数で映像を介した対話型の授業開発を試みており、その成功のコツは、対話の前の準備にあると言います。

「活発な意見の応酬は、裏付けをともなう熟考があってこそです。まず、論点をしぼることです。「広く、浅く」ではなく、「狭く、深く」。そのために、守備範囲を限定するわけです。各章の冒頭にある「考えてみよう」がそれです。次に、全員が共通して読む基本文献・資料を提示することです。映像はたしかに情報量が多いけれど、建設的な議論をするためには、それだけでは不十分です。新聞・雑誌記事、学術論文、書籍、DVD 付属の冊子、BPO(放送倫理・番組向上機構)の決定など、論点に関連する資料をあらかじめ用意します。加えて、それぞれ、追加的に独自の調査をします」。

 見て話すだけではなく、「考えてみよう」の問いなどについて、自分でもさらに調べてみる。その材料も対話する相手と事前に共有し、発表と討議を深めて楽しむ、という流れです。ここまでくると、大学のゼミ合宿のレベルになります。
 本書の「付録」(198-205 頁)では、言論の自由と公共の利益についての概説と、独学のサブツールとなる情報源を紹介しました。博物館、ホームページや書籍、専門雑誌、教育パッケージ、ジャーナリズムの賞などです。
 社会と技術の変化の中で、ジャーナリズムの姿も変化します。その機能が弱まってきたら、具体的に検証して改善を重ねる必要があります。機能が弱まっているかどうか、改善はどの方向でするといいのか。こういったことを考えるためには、原則の理解がとても重要になります。デジタル・シティズンシップの時代を担う皆さんが、自由闊達に新たなジャーナリズムのありようをめぐり対話する。そのための土壌を耕すには、どのような本が必要だろうか。編著者も著者もともに試行し、さまざまな資料にあたり、関係者と対話を重ねました。多くの人たちからのアイデアと協力によって生まれた、ジャーナリズムを元気にするための試みの一冊です。(別府三奈子)
 
■実際に映画を取り上げたページについてはpdfもしくはサンプルでご覧ください。
 
 
おわりに──専門知と実践知の対話から
 
 2000 年代生まれの大学生にとって、自分の意思で、あるいは友達どうしで最初に見た映画といえば、『シン・ゴジラ』(2016 年、庵野秀明脚本・総監督、東宝)がその一つに挙がるのではないでしょうか?
 映画の冒頭、東京湾で海底火山が噴火したような水蒸気が噴き上がり、アクアラインのトンネルが壊れます。これを最初に伝えているのが「たかが浸水でこの騒ぎw」「地震??」というSNS のつぶやきです。首相官邸での閣僚会議を中断させたのは「海面から超巨大な尻尾を確認」というテレビの生中継でした。
 建物やインフラを破壊し、放射能をまき散らして首都東京に向かうゴジラ。長谷川博己演じる内閣官房副長官・矢口蘭堂が、省庁の垣根を超えて結集した政官界のメンバーと、ゴジラの息の根を止める作戦を考えます。実にスリリングでかっこいい。しかしこの映画、どこまでいっても、速報以外のジャーナリズムはまったく出てこないのです。新聞紙面はただの一度も出ません。政権側が対処すべきやっかいごととして「記者会見」が描かれるものの、国民への周知は防災無線や短いニュース音声だけ。東京中心の防衛をいぶかる若い記者と、訳知り顔でさとすベテラン記者が一瞬映りますが、登場人物として役名のある記者は、政権に頼まれて調べ物をするフリージャーナリスト早船達也ただ一人です。
 これがいまの学生が見ている現実なのだろうと思います。デバイスだけの問題ではありません。『シン・ゴジラ』では、危機への対処を決めるのは国家であり、有能で志のある政治家と官僚がいたから日本は運良く救ってもらえました。防災無線より存在感の薄い報道が、かろうじて政府広報の役割を果たします。政府の判断を検証することも、巻き込まれた犠牲者の横顔を伝えることもありません。
 私は通信社で記者・デスクなどを務めた後、2013 年から採用担当として、2018 年から大学の兼任講師として多くの学生と接する機会を得ました。中学高校のころから、報道の仕事をネガティブに見ている人が増えたように感じています。そうなった理由は、報道の側にも問題があったでしょう。ですが報道を嫌う人も、実際の記者の行動や思いを知る機会はあまりないのです。
 実際に大学の授業で現役の記者に話をしてもらうと、学生はよくこの仕事を理解してくれます。社会の中での役割や、それを果たす難しさ、何かを伝えることで誰かが動くときのやりがい。遺族取材というだけで顔をそむけていた人も、京都アニメーション放火殺人事件を長期にわたり取材した話を聞き、「自分の考えていた『遺族』像は固定的だと思った」「亡くなった人の作品を紹介して、その人を記録する姿勢は素晴らしいと思った」などの感想を寄せてくれました。
 記者を題材にした映画を見てほしい、と思ったのは、こうした学生たちの柔軟な心や吸収力を信じたからです。ジャーナリズム史が専門の法政大学の別府三奈子さん、映画を題材に学生どうしが討論する授業を重ねてきた明治大学の水野剛也さんと、ジャーナリズム映画の本を作りたいというアイデアで一致しました。
 とはいえ、研究者と報道従事者では、関心も面白がり方も違います。日航ジャンボ機墜落事故を描いた『クライマーズ・ハイ』は、報道従事者にとってはNHK ドラマ版が圧倒的によく、映画版は違和感が大きい。研究者の二人からは「なぜですか」と問われました。別府さんの家に1985 年の事故当時を知る上毛新聞社元取締役の武藤洋一さんを招き、ドラマと映画を見比べながら「この遺族の言葉がよい」「デスクはこんなことは言わない」と4 人で議論を重ねました。
 実践知の側は、毎日の出来事に追われがちです。専門知の立場から「報道は人びとの『知る権利』に資する」「報道がなければ民主主義は成り立たない」と明示していただき、あらためて一丁目一番地に戻ることができました。
 『シン・ゴジラ』は、2011 年の東京電力福島第一原発事故を想起させる映画です。事故当時、内閣や電力会社の発表だけだったでしょうか。実際には多くの記者たちが、政府の判断を検証し、企業に質問を重ね、識者の見解を集め、人びとの暮らしがいかに破壊されたか、そこで働く人びともどんなに苦しんだかを、調べて報じました。映画で、矢口副長官が生き残ったのは幸いでしたが、もし多国籍軍の核攻撃を受け入れる政治家だけが残っていたら、日本はどうなったでしょう。そんな「主権ガチャ」を黙って受け入れはしない、自分たちの社会は、正しい情報を得て自分たちで判断して決めていきたいという人びとに資するために、報道の側として働きたいと私は思います。
 最後に、多様な執筆陣をそろえ、引っ張ってくださった、映画で言うなら“別府組” 監督の別府三奈子さんにあらためて敬意を表します。 (飯田裕美子)
 
 前世紀末、アメリカ留学時に授業で見た映画です。現在でも購入・レンタル可能です。
 『市民ケーン』Citizen Kane(米国、1941 年製作、119 分)
 『大統領の陰謀』 All the Presidentʼs Men(米国、1976 年製作、132 分)
 『スクープ 悪意の不在』 Absence of Malice(米国、1981 年製作、116 分)
 『ニュースキャスター』 Broadcast News(米国、1987 年製作、132 分)
 タイトルはもちろん、シーンのいくつかさえ、いまでも鮮明に覚えています。教員や学友と語りあったことも。それほどまでに、映像は記憶に残り、血肉ともなる。教材として有効であることは、間違いありません。ただし、何事も使いよう。
 なのに、質の高い作品を選りすぐり、適切な解説を加え、具体的な活用法まで指南してくれる便利なテキストが、これまでなかった。そこで、別府さんの号令を受け、私たちが決起したわけです。
 その手はじめとして編まれた本書では、ジャーナリズムの意義や役割を前向きに捉えることを基本方針としています。本書で学んだら、次は中・上級者として、ジャーナリズムの「負」の側面にも光をあてた作品に挑戦してはいかがでしょう。よく言いますね。欠点を含めて受け入れるのが本当の愛だと。
 とりあえず、冒頭であげた作品からどうぞ。 (水野剛也)
 
 ジャーナリズム研究(新聞学)という学際領域に出会って40 年になります。今回、たくさんの映画を見直し、1 世紀半にわたる多くの文献を読み返しました。豊富な実務経験からの叡智、社会学理論、倫理・哲学的な思索、法学的な論理的思考、数量調査からの見立てなど。アプローチは違うのですが、先人たちの目標は、自由に語り合える社会を作ろう、困っている人を放り出さずに問題を自分たちの手で解決しようという点で一致するようです。川の支流があわさり、ジャーナリズムの改善という大きな川が流れているように見えます。
 日本ではこの数年、報道に関する産学共同の研究の場が減り、教育の主眼が情報社会から情報技術にシフトしたことで、この川の流れが細くなっているようです。報道の現場では変わらずに、無名の報道職たちの努力が続けられているのに、その姿が以前にも増して見えづらくなっています。こういった状況を懸念する人たちが集まって、本書ができました。
 共編者の水野剛也さんは、恩師武市英雄先生のもとでの同窓です。同じく共編者の飯田裕美子さんとは、十数年前にシンポジウムの壇上で同席したご縁から、大学での授業をめぐり何年も協力と助言を仰いできました。報道職への思いが深く揺るがないお二人との対話が、本書刊行の推進力となりました。共著者との出会いはさまざまで、旧知の職場の同僚や同業者のほか、日本メディア学会ジャーナリズム研究・教育部会の仕事を通じて知り合った優秀な研究者やベテラン報道人もいます。
 映像を扱う教育法の開拓では、小林直毅さん主催の水俣事件報道研究会、大石泰彦さんたちのヒューマン・ライツ教育研究会、公益財団法人放送番組センターと早稲田大学ジャーナリズム教育研究所の共同研究など、多くの場と人の交流に負うところが大きいです。多数の著者がいる本書の編集作業と刊行では、大ベテランの鈴木クニエさんに大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。
 これから、本書で学んでくださる皆さんにもぜひ加わっていただき、世界を潤す川の流れを絶やさぬよう、手入れを続けていければ幸いです。 (別府三奈子)
 
 
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