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『アメリカ哲学入門』

 
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ナンシー・スタンリック 著
藤井翔太 訳
『アメリカ哲学入門』

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訳者解題
 
 本書は、Nancy A. Stanlick, American Philosophy: The Basics (London: Routledge, 2013)の全訳に、日本語版の序文を付したものである。人文・社会科学系の大手出版社ラウトレッジを版元とする原著は、「当該テーマを初めて学ぶ学生を読者層として、その分野の基本事項を導入し、発展学習に向けた理想的な踏切り板となることを意図」した「The Basics(基礎)」シリーズの一冊として出版されている。題名に違わず、本書はアメリカ哲学史における重要人物の思想を概観することを趣旨としており、特定の学派に焦点を当てたものではない。しかし、そこで採用されている視座と問題意識を鑑みて、この日本語版は勁草書房の「現代プラグマティズム叢書」の一書として位置づけられている。
 
著者について
 著者のナンシー・スタンリックは、アメリカ合衆国の哲学研究者である。一九八一年にサウス・フロリダ大学哲学科を卒業後、同大学で修士号(一九八三年)と博士号(一九九五年)をそれぞれ取得している。博士課程では、社会科学の哲学の専門家として知られるスティーヴン・ターナーを指導教員とし、ホッブズの政治哲学についての博士論文によって学位を得た(ちなみに、彼女は同大学から哲学の博士号を得た史上初の女性だという)。職歴としては、セントラル・フロリダ大学を含むいくつかの大学で非常勤講師として教えた後、二〇〇一年に同大学の専任教員に着任し、現在に至るまで教育・研究・大学行政にあたっている。二〇一五年には同大学で正教授に昇進し、副学部長等の要職を経て、二〇二三年八月には哲学科の学科長に就任している。
 スタンリックは倫理学・社会哲学、近代哲学史(特にアメリカ哲学とホッブズ)等を専門としており、関連する業績として次がある。

1. Philosophy in America (Volume I): Primary Readings. Upper Saddle River, NJ: Pearson,2004. (Bruce S. Silver との共編)
2. Philosophy in America (Volume II): Interpretive Essays. Upper Saddle River, NJ: Pearson, 2004. (Bruce S. Silver との共著)
3. American Philosophy: The Basics, London: Routledge, 2013. (単著〔本書〕)
4. Asking Good Questions: Case Studies in Ethics and Critical Thinking, Indianapolis: Hackett Publishing Company, 2015 . (Michael Strawser との共著)
5. The Essential Leviathan: A Modernized Edition. Indianapolis: Hackett Publishing Company, 2016 . (Thomas Hobbes 著、Daniel P. Collette との共編)
6. Understanding Digital Ethics: Cases and Contexts, New York: Routledge, 2019. (Jonathan Beever とRudy McDaniel との共著)

 上記のうち、1から3がアメリカ哲学に関するもの、4と6が倫理学・社会哲学に関するもの、そして5が近代哲学史に関するものである。また著者はこれ以外にも、オンラインの無料哲学百科事典として知られる『インターネット哲学百科事典(Internet Encyclopedia of Philosophy, IEP)』のアメリカ哲学関連記事の責任編集者を務めていることも、注目に値するだろう。
 
本書の特徴
 本書は一見、実に穏当な大学生向けの教科書のような顔をしている。第一章で予告されているように、アメリカ哲学史に登場する代表的な思想傾向が時代に沿って大まかに分類され、それぞれの章では一定の傾向を共有する論者たちの思想が簡単に解説されていく。重要な哲学的概念は太字で示され、それらの意味は巻末の「用語解説」で説明される。また、各章の結論部の前には、当該の章で紹介された議論に対する批判的考察がなされる節がもうけられている。これは、本書を教科書として用いる学生や一般読者が各テーマを授業内外で討議し、深い理解を得られるようにするための工夫だろう。実際に、原著に寄せられた複数の書評において、本書の教科書としての質は概ね高い評価を得ている。
 一方で本書は、誰を「アメリカの哲学者」として扱うかについては、必ずしも多くの伝統的な哲学(研究)者が同意するとは限らない、挑戦的な選択を行っている。すなわち、ヨーロッパ系の白人男性哲学者だけではなく、女性、黒人、ネイティヴ・アメリカンといったアイデンティティを持つ論者についても、本書は積極的かつ大々的に取り上げているのだ。全体の概要を示す第一章に続いて、第二章で神学者のジョナサン・エドワーズを最初のヨーロッパ系アメリカ人哲学者として位置づけるのは「実のところきわめてオーソドックスな哲学史観」だし、第三章でなされているようにアメリカ建国の父たちの議論と思想を「哲学」として扱うことも、これまでに例がないわけではない。だが、続く第四章では前章で扱われたトマス・ジェファソンらの奴隷制度をめぐる言説が批判的に検討された上で、フレデリック・ダグラスやグリムケ姉妹らの議論が紹介されているが、こうした名前が主題的に登場するのは哲学書としては珍しいだろう。また、第五章ではトランセンデンタリストのエマソンとソローに加えて、一般には黒人社会学者・思想家として知られるデュボイスや政治活動家のゴールドマンが紹介されている。プラグマティズムを扱う第六章の人選と内容は標準的なものだが、アメリカ哲学の最近の展開をまとめた第七章では、認識論と科学哲学の議論に続いてネイティヴ・アメリカンの哲学が、そして第八章では、政治哲学に続けてフェミニスト倫理学と黒人神学の議論が概観される。このような構成の哲学史は管見の限り(この原稿を執筆している時点で)本邦では例がなく、哲学(のみ)に馴染みがある読者にとっては初めて見かける名前も少なくないだろうと思われる。
 本書の特徴は、同様のテーマを扱った類書と比較するとより明白になるだろう。アメリカ哲学(史)を主題とする日本語の書籍の数はそもそも少なく、そしてその多くは書かれてからかなりの時間が経ったものだが、そのいずれにおいても、例えばダグラスやデュボイスのような黒人思想家や、グリムケ姉妹に紙幅が割かれることはない。また、執筆時期が比較的最近で、内容面でも(この原稿の執筆時点で)最も包括的な範囲をカバーするものだといえるブルース・ククリックのアメリカ哲学史についても、残念ながら事情は大きく変わらない。実際、同書日本語版には訳者らが作成した「主要人物表」が付録として収められており、そこには実に六二人の名前が挙げられているが、女性哲学者のルース・バーカン・マーカスがかろうじてリスト入りしているものの、それを除いては全員が男性であり、黒人やネイティヴ・アメリカンをルーツとする論者は一人もいない。
 それでは、なぜこれまで書かれてきた多くのアメリカ哲学史では、もっぱらヨーロッパ系の白人男性ばかりが取り上げられてきたのだろうか? 哲学史家たちはみな、人種差別主義的・性差別主義的な偏見をもって、意図的に女性や有色人種の論者を排除してきたのだろうか? 高名な哲学者の著作においてすら極端な主張が確認できる以上、そのような傾向を有した人々が一定数いたことは確かだろう。しかし、哲学とは何であるかについては、必ずしも明示的・意識的な悪意を介在しない仕方で、特定の人々の思弁や活動を指す特殊な営みとして理解されてきたという事情も少なからずあったと考えられる。つまり、「哲学的」とされる問題群に何が含まれるかについては、知的コミュニティにおいてある程度の共通了解があり続けたであろうし、社会的・具体的な実践を従、それに対する理論的考察を主とする優先順位も、古代から続く基層的価値観として影響力を持っていたと思われる。また、哲学が大学を中心とする学術制度の中に組み込まれて以降は、そのシステムの中での正統的なトレーニングや学位の有無・種類、また議論の形式や文体についても、一定の様式が整備されていった。このようにして経路依存的に引き継がれてきた議論環境においては、標準とされる問題設定・論述様式、あるいは専門家たちの哲学的議論のサークルに参加するために求められる諸々の要件(例えば学位とそれを裏づける学術的訓練)を満たさない思想家たちやその言葉は、哲学ならざるものとしてみなされてきた。
 スタンリックはこうした傾向に抗い、(アメリカ)哲学を保守的・硬直的・静態的な定義から解放することを提案する。ここで彼女が採用するのが、プラグマティスト的な視座である。すなわち、哲学の特徴は「人間の理解や行為に対して観念が影響を与えること」であり、哲学的観念は「現実、知識、そして善き生についての人間の理解や行為を駆動する知的原動力」(本書二頁)だとして捉え直すのである。この拡張された定義においては、理論を主、実践を従とする枠組みは転倒され、力強い思弁に基づく活動によって社会変革を目指す行為をも、「哲学」という営みの一つの相貌として理解することが可能になる。また、制度的な不正義によって高等教育を受けることができなかった女性や黒人の思想家のみならず、学術論文に代表される書き言葉を通じた形式的コミュニケーション手段によってではなく、口承によって知的伝統を表現・維持してきたネイティヴ・アメリカンも、哲学者として正当に名指されることになる。
 
本書の意義
 本書のように、これまで見過ごされてきた人々にも光を当ててアメリカ哲学を辿り直すことの意味は何か? 一つは単純に、これまでに提出されてきた多くの哲学史が採用する視点の恣意性と偏向性、ひいては不正確性を暴く、という点があるだろう。つまり、それらは「アメリカ哲学史」ではなくて、「ヨーロッパ系白人男性哲学史」だったのではないか、という問題提起をなすものだということである。本書のような小著においては、議論の質や影響力の観点から見て取り上げられるべき哲学者が網羅されうるわけもないし、現に扱われている人物にしても、そのそれぞれについて思想史的な観点から見て必ずしも厳密な論述がなされているとはいえない――これらは著者自身が自覚している本書の限界ではある。だが、本書はそういった課題を抱えてなお、古いアメリカ哲学史に欠けていた(しかし含まれるべきだった)人種的、性別的、文化的グループ(の少なくとも一部)による知的貢献を正当に評価するものであり、その意味で、アメリカ哲学の系譜に対するより包括的な把握に向けた前進、あるいはそれに向けた提言として価値あるものだといえるのではないか? そして本書の二つ目の意義とは、このような哲学史の再記述は、それ自体が倫理的な行為として捉えられうるということである。現代認識論においては、知識の担い手が帯びる権力の高低や社会的立場によって、その人物の証言の信頼性が不当かつ恣意的に低く見積もられるという事象に注目した、認識的不正義というアプローチが注目されている。その顰みに倣っていえば、(アメリカ)哲学史において特定のカテゴリーに属する人々の議論に特権的立場が与えられ、それ以外が(意図的・非意図的の別を問わず)排除されるという事態も、まさにそうした不正の例なのではないか? 不当に冷遇されてきた哲学者たちにしかるべき尊敬を向けることは、その意味で正義にかなった行為だといえるのではないだろうか?
 本書の打ち出す哲学観とそこから紡ぎ出されるアメリカ哲学史は画期的なものである。そしてそうした試みの常として、異論・批判を免れる術はないだろう。「本物の」哲学からの逸脱、理念とすべき真理や客観性を蔑ろにする哲学の政治化、プラグマティスト的哲学史観に合わせた人物や議論の恣意的選択(チェリー・ピッキング)――こうした疑義は当然ながら寄せられるだろうし、すべてではないにしてもその一部は妥当な指摘だろうとも思う。ただ、そうした議論も含め、読者が本書の功績と課題を批判的に考察することはむしろ歓迎すべきことであり、それは本書の美点である明快にして簡潔な筆致が喚起するものなのだと、私は考えている。アメリカ哲学、ひいては広く哲学や思想の歴史の叙述・認識において、誰がいかなる視座をとり、それを引き受けていくのか――こうした議論や思索の契機を提供することこそが、訳者である私の願いである。
 
謝辞
 本書を完成させるにあたり、次の方々から重要なご支援・ご助力を賜った。ここに厚く御礼申し上げる。原著者のナンシー・スタンリック氏は、Zoom で本書について議論する機会を作ってくださり、寛大にも日本語版序文を執筆いただいた。「アメリカらしさ」を哲学者たちのリベラルな理念の中に見出そうとするこの力強い文章からは、対話の喪失と社会的分断に特徴づけられる現代社会に対する彼女の強い懸念と同時に、アメリカ哲学に対する生きた希望が表現されている。勁草書房で編集を担当してくださったのは山田政弘氏である。彼は哲学書を中心として同社から出された数多くの名著を手掛けた編集者として知られている。その評判に違わず、怠惰な私にも無理なく遵守可能な出版スケジュールを提案してくださり、意味の取りにくい文章に対する的確な修正提案もいただいた。また、業務連絡に際してメールではなくMicrosoft Teams を利用することに同意いただけたことを、とりわけありがたく思っている。同じく勁草書房の鈴木クニエ氏の名前もここで挙げない訳にはいかない。かつて私は、哲学関連の文章を英語で読むオンライン講座を開いていたことがあるが、それにたびたび参加してくださっていたのが鈴木氏だった。彼女が私を山田氏に紹介してくださることなしには、本書の企画は現実のものになることはなかっただろう。哲学関係の語彙を中心に本書全体をチェックしてくれたのは、哲学研究者の飯泉佑介氏である。訳文・訳語に対する彼の指摘のおかげで、本書の質は間違いなく向上した(そして当然ながら、本書に何らかの問題が残っているとしたら、その責任は私にある)。キャロル・ギリガンや正義論を主題とする川本隆史先生の大学院ゼミに共に出席していた飯泉氏の協力と励ましによって、その授業の精神に通じたアメリカ哲学の作品を仕上げられたことを感慨深く思っている。
 
藤井翔太
 
(※注は割愛しました。上記pdfでご覧ください。)
 
 
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