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あとがきたちよみ
『感覚融合認知――多感覚統合による理解』

 
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横澤一彦・藤崎和香・金谷翔子 著
『感覚融合認知 多感覚統合による理解』

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はじめに
 
 人間に限らず,生物が複数の感覚系を持つことは,生存において,多くの潜在的な利益をもたらすことは容易に推定できる。たとえば,各感覚モダリティ(様相)が外的環境の異なる側面を感知できるため,経験できる範囲や種類が広がるだけでなく,異なる感覚モダリティが同じオブジェクトや事象に共に対応できることになる(Spence & Driver, 2004)。すなわち,異なる感覚器官は異なる物理的刺激に反応するため,複数の種類の感覚器官をもつことは,多様な情報を外界から得ることにつながり,生存に有利なのである。ここでは,ある事象(イベント)から得られた複数の感覚情報が脳内で融合して,再構成され,理解に至るまでの過程を,感覚融合認知と呼ぶ。感覚融合認知は造語であるが,文字通り,複数の感覚情報が融合した事象認知を指す。
 ただ,感覚融合認知は特別な事象の認知ではなく,日常的でありふれた一瞬のうちに生じる事象の認知に過ぎない。我々は,日常的な事象の多くが,そもそも複数の感覚が融合した結果であることに気を留めることはほとんどない。ところが,1 つの事象は複数の感覚に分かれて感覚器官に取り込まれ,それらの単純な加算として処理されるのではなく,感覚間の相互作用により新たな解釈を生み出すことで,1 つの融合した認知に至っているのである。
 具体的な事例で説明してみたい。ある1 つの事象を経験して,「犬が吠えた」という認知に至ったとしよう。この事象は,聴覚認知という単一の感覚モダリティで認知されたように思われるかもしれないが,日常的な状況では,犬という存在が視覚的に確認された上で,その口元から鳴き声が聴覚的に聞こえたという状況である可能性が高い。そうだとすれば,感覚融合認知に基づいて「犬が吠えた」という認知に至ったことになる。すなわち,「犬の声が聞こえた」だけならば聴覚認知,「犬の顔が見えた」だけならば視覚認知かもしれないが,「犬が吠えた」は視覚情報と聴覚情報が融合した感覚融合認知の結果を表現していると考えることができる。さらに言えば,「犬が吠えた」とは,「たった今,目の前で犬が吠えた」という状況が正確な事象説明だとすれば,特定の事象を認知するためには,時空間情報も含めた理解が多くの場合必要となる。
 感覚融合認知では,日常的でありふれた一瞬の事象の認知を扱うことになるが,認知心理学とか知覚心理学で扱ってきた認知は,歴史的には個別の感覚モダリティを取り出して,それぞれの処理過程を解明する試みであった。典型的な視覚研究では,実験環境を統制するために,実験参加者を暗室に閉じ込め,聴覚モダリティなど他の感覚情報が変動しないように注意しながら,実験参加者に与えたい視覚刺激だけを呈示し,実験参加者の反応を分析してきた。視覚研究に限らず,聴覚研究であっても同様である。他の感覚の手がかりが交絡するのをできるだけ避けるために,他の感覚の手がかりを最小限に抑えながら,研究対象とする感覚モダリティの手がかりだけを操作する実験に取り組むことで,それぞれの感覚モダリティの処理過程を明らかにすることができた。このような研究の積み重ねによって,個々の感覚情報処理の過程についての理解が着実に進んだので,このような研究アプローチは大きな成功を収めたと言えるだろう。ところが,どの感覚モダリティも,他の感覚から完全に分離して理解することはできないということが徐々に明らかになってきた。そもそも,すべての体験は多感覚的であるという主張もある(Velasco & Obrist, 2020)。このことは,従来の研究アプローチの妥当性を覆すものであり,知覚の多感覚的な側面を理解することなしに,知覚意識などの説明が十分にはできないことがわかってきた(O’Callaghan, 2019)。その結果,個別の感覚モダリティを取り扱うのではなく,感覚モダリティ間の相互作用,すなわち積極的に感覚情報を交絡させる現象に関心が高まったわけだが,それは比較的最近,1980 年代になってからなのである(Stein, 2012)。
 ここまで,「感覚融合認知」が,複数の「感覚」情報が「融合」した「事象」認知であると説明してきたが,「感覚」,「融合」,「事象」というそれぞれに対して,その定義を以下で説明する。
 
感覚とは
 あらかじめ断っておくと,深淵な問題を含むので,「感覚」とは何かについてここで厳密に定義するつもりはない。あくまで,「感覚融合認知」における「感覚」について取り上げるのは,融合認知とは何かを明確にする前段階での必要性に迫られているためである。すなわち,複数の感覚情報が融合した事象認知である感覚融合認知において,感覚情報が単一か複数であるかは,そもそも「感覚」を定義しない限り,決めることができないからである。ここでは,独立した感覚器官で得られた感覚情報を「感覚」と定義し,それらが複数存在する処理過程を「感覚融合認知」として取り扱うことにしたい。
 「五感」という区分は日常的によく使われ,視覚,聴覚,触覚,嗅覚,味覚という5 つの独立した感覚モダリティに分けられることは,多くの方が受け入れている。なぜならば,目から入った情報は「見える」という感覚を生み出し,耳から入った情報は「聞こえる」という感覚を生み出すからかもしれない。しかしながら,実は感覚モダリティがこれらの5 つであることは研究者によって意見が分かれるところである(Sathian & Ramachandran, 2020)。特に触覚は,単に触れられている感覚である触覚に加え,温覚,冷覚,痛覚などに分けることも可能である。さらに,運動感覚や位置感覚を含む自己受容感覚,平衡感覚,内臓感覚も感覚モダリティに含めることも一般的になっている。
 さて,分かりやすく言えば,いわゆる五感は,視覚は目,聴覚は耳,触覚は皮膚,嗅覚は鼻,味覚は舌という独立した感覚器官が存在し,それらで得られる感覚情報は独立した感覚情報として扱うことで,感覚情報が複数存在する状況を定義することができる。
 すなわち,五感は5 という数量に拘った区別ではなく,それぞれを独立した感覚器官に基づく感覚と捉えるとすると,それを構成する感覚モダリティ間の相互作用に関する研究は,「マルチモーダル認知」とか,「クロスモーダル認知」と呼ばれる研究分野として見なされている。このような感覚モダリティ間の相互作用に関する研究においては,研究分野によって「多感覚」,「マルチモーダル(multimodal)」,「クロスモーダル(crossmodal)」,「ヘテロモーダル(heteromodal)」,「ポリモーダル(polymodal)」,「スーパーモーダル(supermodal)」など,いくつもの用語が使われており,混乱し,問題をわかりにくくしてしまう可能性も生じている(Stein, 2012; 田中, 2022)。そもそも厳密に定義し分けることは難しく,モダリティに制限されない「多感覚」は少し広い概念を表すが,それ以外はいずれもほぼ同義で用いられることもあるので,ここでは区別せず,「マルチモーダル認知」とか,「クロスモーダル認知」などと呼ばれる研究分野をすべて包含する概念として「感覚融合認知」という造語を提案していることになる。
 改めて,「感覚融合認知」は,「マルチモーダル認知」とか,「クロスモーダル認知」と呼ばれるモダリティ間の融合認知を包含するとともに,五感という別々のモダリティ間の融合認知だけではなく,モダリティ内の融合認知研究を取り上げる点に特徴がある。たとえば,両眼は別々の感覚器官であり,両耳も別々の感覚器官であるので,同一モダリティであっても,両眼間,両耳間の融合認知も感覚融合認知として取り扱うことになる。両眼視や両耳聴による事象認知や空間認知は,視覚や聴覚という単一モダリティ内の感覚情報の相互作用であっても,感覚融合認知として扱う必要がある。モダリティ間とモダリティ内の相互作用において,本質的に違いがあるのかどうかは感覚融合認知の研究テーマの1 つであろう。
 一方,「感覚融合認知」と見なさない処理もある。視覚情報処理において,網膜に射影された外界情報は,特化された機能を持つ視神経細胞によって,色,明るさ,動きなどに分類されて処理されている。たとえば,色情報は,視覚系において特定の処理経路を経て,V4 など大脳腹側視覚経路の高次領野に伝えられることにより,色覚が成立すると考えられるので,脳情報処理において特定の処理経路を経るものの,明るさや動きなどの視覚情報が色とは別の感覚器官で得られている感覚情報とは見なさない。もちろん,感覚融合認知を広く定義すれば,色,明るさ,動きなどの視覚情報を統合する特徴統合理論を代表とする注意過程(注意巻参照)や,ジオン理論を代表とする図形要素の統合によるオブジェクト認知過程(オブジェクト認知巻参照)などの脳内のほとんどの処理過程も,感覚融合認知に含めることは可能だろうが,本書で取り上げる感覚融合認知は,別々の感覚器官から得られた情報の融合過程を取り上げることにするので,色,明るさ,動きなどの視覚情報の統合過程を感覚融合認知に含めないことにした。
 
融合とは
 感覚融合とは,感覚間相互作用により,複数の感覚情報が統合され,1 つの事象としてまとまって理解される過程である。多くの場合,複数の感覚情報が融合された結果,そもそも複数の感覚情報に基づいたかどうかは顧みられないことになる。前述したように,「犬が吠えた」という認知は,多くの場合感覚融合認知であるが,視覚情報との感覚間相互作用により,複数の感覚情報が統合された結果であることを気づく必要もなく,犬の声に対する聴覚という単一の感覚モダリティでの認知だと解釈しても何も矛盾はない。別の例でも説明してみたい。我々はジュースの味の違いを味覚で味わっているように感じているが,目をつぶり,鼻をつまんで飲んでみると,どのような果物のジュースかを言い当てることさえとても難しいことに驚く。これは,ジュースを飲むという日常的にありふれた事象認知ではあるが,味覚,嗅覚,視覚の感覚融合認知の結果であることに気づくことはめったになく,味覚という単一の感覚モダリティでの認知だと解釈しても何も矛盾はない。したがって,改めて「感覚融合認知」とは日常的なありふれた一瞬のうちに生じる事象認知であり,「感覚間相互作用」,「多感覚統合」などと呼ばれる研究分野をすべて包含する概念として「感覚融合認知」という造語を提案していることになる。
 融合するための重要な要因は,1 つの事象ならば,複数の感覚を生起させている情報源の空間の一致と,時間の同期が伴うことは明らかである。ただし,1 つの事象に基づく複数の感覚情報が,完全に空間的に一致しているわけでもなく,完全に時間的な同期が取れているわけでもない。空間的に完全に一致していなくても,時間的に完全な同期が取れなくても,それぞれ融合できる許容範囲に収まっていれば,感覚融合認知に至ることになる。具体的な例で許容範囲について考えてみたい。たとえば,雷という事象は稲光と雷鳴が構成されていて,稲光は主に視覚認知に基づき,雷鳴は主に聴覚認知に基づいている。稲光と雷鳴の情報源は空間的に一致しているが,光の進む速度と音の進む速度の違いにより,感覚入力の段階で時間的な同期が取れているわけではない。視覚的に確認できる雷の発生源くらいまでの距離ならば,稲光が視覚情報として到達するまでの時間はほぼゼロとみなすことができるが,聴覚的に確認できる雷の発生源からの距離は,1 秒の時間遅れごとに約340 m となるので,稲光のあと10 秒後にゴロゴロと雷鳴が聞こえたとすると,距離にして3400 m 離れていることになる。また,稲光の後3 秒と経たないうちに雷鳴が聞こえると,約1 km 以内のところに雷の発生源があると算出できる。3 秒の時間差があれば,約1 キロ離れていると推定した上で,稲光と雷鳴を融合して解釈し,1 つの事象としてまとまって理解されているが,これは光の進む速度と音の進む速度の違いに関する知識に基づいて解釈しているのであって,稲光と雷鳴が切り離されて知覚されるならば,雷に対する認知が一瞬のうちに生じた事象とはいえないので,基本的に感覚融合認知に含めない。すなわち,感覚融合認知とは,一瞬のうちに生じる事象の認知であると説明したが,それは複数の感覚情報が,少なくとも主観的には時間的に同期していることが前提である。
 
事象とは
 感覚融合認知が,一瞬のうちに生じた事象において生起した複数の感覚が融合して,脳内で再構成され理解に至るまでの過程であるとするとき,事象とは,脳内での認知もしくは表象の単位となるような外界の出来事ということになる。オブジェクト認知(オブジェクト認知巻参照)におけるオブジェクトも,脳内での認知の単位に相当するが,実はオブジェクトと事象を厳密に定義し分けることは難しく,認知もしくは表象の単位としてほぼ同義で用いられることもある。「吠えた犬」をオブジェクト認知することと,「犬が吠えた」事象を感覚融合認知することは,外界に存在する同一の対象を脳内で理解したことにおいて,差別化することは難しいし,区別する必要もないかもしれない。
 外界の事象と,脳内で再構成された感覚融合認知の結果は一致するとは限らず,一致しない場合には,いわゆる錯覚と呼ばれる現象が生じていることになる。腹話術効果やマガーク効果は,典型的な錯覚現象と考えられている。たとえば,第2 章で取り上げるマガーク効果は,「バ」という声と「ガ」という口の動きが結合して「ダ」という感覚融合認知になる場合には,聴覚情報の弁別結果としては錯覚となるが,「ダ」という感覚融合認知が,間違った結論を導き出しているとは必ずしも言えないだろう。腹話術効果において,口元が動かない腹話術師による発話が,口元が動いている人間の発声と感覚融合認知したとするときも,間違った結論を導き出しているとは必ずしも言えないだろう。いずれも,ある感覚モダリティでの結論が,別の感覚感覚モダリティでの結論を変えてしまうという驚くべき現象ではあるが,日常的なありふれた一瞬の事象において,融合した表象の方が正しい結論を導き出している可能性が高いのである。すなわち,感覚融合認知は,外界の事象に対して,錯覚を最小化しているかもしれないのである。したがって,事象の情報源に戻って,錯覚と決めつけるのは,感覚融合認知の重要性を正しく理解できていないことにつながることに注意しなければならない。感覚融合認知によって,脳はある事象に対して,各感覚モダリティに基づく感覚情報の単純加算ではない結論を得ることができるということは明らかである。脳はこのような感覚融合認知によって,外界の事象を検知・識別する能力を高めることができるので,この過程の存在が明らかに生存価値を持ち,種の進化と拡散において重要な役割を果たしてきたのは間違いないだろう(Stein, 2012)。
 ただし,そもそも独立した感覚器官で処理されるときに,1 つの事象としてまとめるときには,いわゆる結び付け問題が生じる。結び付け問題は,広義には脳内で並行に行われる様々な感覚情報をどのように統合するかの問題である。1 つの事象から得られた複数の感覚情報は,1 つの脳内表象に再構成できればよいが,複数の事象が同時に生じているとき,それぞれの事象から得られた複数の感覚情報が,どのような組み合わせで統合し,再構成されるのかという難問をどのように解いているのかという点も,感覚融合認知における研究課題の1 つである。
 
本書の構成
 感覚融合認知が,比較的広範な分野を包含することを明らかにした。前述のように,感覚融合認知とほぼ同義と考えられる多感覚処理に関する研究について,すでに分厚いハンドブックが出版されており,知覚認知,注意などの現象研究ばかりではなく,生理学的な脳基盤や説明モデル,発達や進化,発達障害やリハビリなど,多様な領域に大別された研究群が紹介されてから,10 年以上が経過している(Stein, 2012)。本書では,このようなハンドブックのように,すべての領域についてさらなる展開を含め紹介することはできないし,感覚融合認知に関わる研究のあらゆる側面をカバーしないことを明確に選択したことになる。その代わりに,感覚モダリティに共通する融合手がかりの存在を明らかにすることと,行動実験に基づいて議論されてきた感覚融合認知の原理とメカニズムを典型的な感覚融合現象を元に解説するということの両者に明確に焦点を当てることを目指した。その際,感覚融合認知という用語の使用に拘らず,クロスモーダル認知でも,多感覚処理でも,言及している現象に最適な用語を自由に使うことにしている。本書は5 章立てになっているが,以下では,各章ごとに簡単な内容紹介をしておきたい。感覚モダリティ固有の情報ではなく,感覚モダリティに共通して存在するのは,時間,空間,質感のような情報であるが,いずれも感覚融合認知において非常に重要な手がかりになる。そこで,時間に関して第1 章で,空間に関して主に第2 章と第3 章で,質感に関して主に第4 章で取り上げている。そして,同一感覚モダリティ内の融合認知を第5章で取り上げている。
 まず,第1 章では,感覚融合認知における時間的な同時性・同期性に着目し,最も基本的な問題である異なる感覚モダリティ間の同時性知覚に関わる現象を取り上げている。時間知覚について考える際には,事象時間,脳時間,主観時間の3 つの時間を区別する必要性を指摘する。事象時間とは事象が発生した時間,脳時間とはその事象によって引き起こされる脳活動のタイムコース,主観時間とは,事象のタイミングに関して実際に観察者が知覚した内容である。各モダリティの事象時間が発生源において同時でも,脳時間,主観時間がずれることは起こり得ることは明白だろう。脳時間も感覚モダリティによって異なる可能性があり,主観時間は,事象時間や脳時間のずれがそのままは反映されるわけでもないことを強調している。同時性判断課題,時間順序判断課題,同期・非同期弁別課題,時間バインディング(時間対応付け)課題などによって主観時間が求められるが,主観的な同時性が固定的なものではなく,さまざまな要因の影響を受けて変化することにも言及している。なお,異なる感覚モダリティ間の同時性判断には,呈示密度や一度に比較できる数の限界があることにも留意しなければならない。最後に,特定の感覚モダリティが常に優位となるのではなく,信頼性の高いモダリティに重みを置いた,柔軟で最適な統合が行われていると考えられるようになってきたことに触れている。
 次に,第2 章の前半では,視聴覚の空間的な感覚融合認知に関する代表的な知覚現象である腹話術効果(Ventriloquism)を中心に取り上げている。たとえば,モニタとスピーカーの関係など,日常的に,視覚情報と聴覚情報が「別々の場所で生じている」という事実に,我々がほとんど気付かない事例を挙げ,その特性を明らかにするために,腹話術という現象が色々な状況において利用されてきたことを明らかにしている。そもそも腹話術効果が本当に「知覚」現象と呼べるか否かについての検討から,様々な現象と,その基盤となる神経メカニズムについて,膨大な数の先行研究によって検討されていることを知ることができる。腹話術効果のボトムアップ要因とトップダウン要因に分けて,問題の所在を整理し,解明されてきた神経メカニズムについても言及している。腹話術効果は,空間的に静止した対象に対する聴覚的な音源定位に与える視覚の影響とみなすことができるが,対象の運動は,多感覚的な処理によって知覚される典型的な感覚情報の一つと考えられるので,第2 章の後半では,運動情報の知覚における多感覚処理のうち,主に視覚と聴覚が関与する現象を取り上げている。すなわち,聴覚運動知覚に対する視覚の影響,視覚運動知覚に対する聴覚の影響などを取り上げ,それらの神経メカニズムにも言及している。
 引き続き,第3 章では視覚,聴覚,触覚に関する多感覚的な処理と,注意との関係について論じている。注意に関する研究の圧倒的多数が,視覚または聴覚といった単一感覚モダリティ内の情報選択をテーマとしていることを指摘した上で,多感覚的な注意の働きを理解するには,単一感覚モダリティの処理を前提とした注意研究とは異なった視点からの検討が必要であることを強調している。感覚モダリティを超えた空間的注意の存在,感覚モダリティ間における空間表現の対応付けなどを取り上げ,多感覚的な空間的注意の神経メカニズムに言及している。注意を向けていないはずの情報による干渉に関わる代表的な現象であるフランカ効果や,標的刺激と妨害刺激が異なる感覚モダリティの刺激である場合の照合課題に基づくクロスモーダル一致性効果が,視覚,聴覚,触覚の間で生じることを明らかにしている。第3 章の後半では,感覚モダリティを超えるような場合に,注意機能の代表的な説明モデルである特徴統合理論の適用が比較的困難であることを明らかにし,視覚系の特徴を前提とした特徴統合理論の延長上で議論を行うことの限界を指摘すると共に,多感覚情報統合に注意が必要か否かという根本的な問題についても検討している。
 さらに第4 章では,質感知覚を取り上げている。「質感」という日本語を訳す適切な英語が見つからないが,たとえば典型的な質感知覚である素材カテゴリー知覚が,一見シンプルなようで実は複雑であることを指摘する。低次質感知覚とは,低次の知覚情報処理によって得られるもので,高次質感認知とは,高級感,繊細さ,本物感など,選好や価値判断をも含む概念である。質感は視覚,聴覚,触覚など,単独の感覚モダリティだけでなく,複数の感覚モダリティの情報を統合することによっても得られ,多感覚的,適応的,能動的なプロセスの結果としても生じることに言及している。多感覚的な質感知覚への視覚の影響,聴覚の影響を取り上げ,さらに3 つ以上のモダリティの質感知覚として木の質感知覚を取り上げている。数ある素材のなかから木を選んだ理由は,身近な素材で,バリエーションが豊富にあり,視覚,聴覚,触覚の情報を多く含む素材であるためであるが,様々な素材を使った研究のさらなる発展にもつながることが期待できると感じてもらえるに違いない。最後に,多感覚質感情報統合のロジックを取り上げ,たとえば材質のカテゴリー知覚と,材質の特性知覚では,統合のルールが異なっていることなどを踏まえて,改めて質感知覚の奥深さを感じさせてくれる。
 最後に第5 章では,五感の中の複数の感覚モダリティが関わる現象を扱う研究が行われる前から,感覚モダリティ内の融合認知研究が行われてきたことを明らかにしている。感覚モダリティ内の融合認知とは,複数の独立した感覚器官が存在する視覚と聴覚において,主に両眼視と両耳聴の研究成果を指している。典型的な現象である立体視とステレオ聴は,我々が外界の3 次元空間情報を一瞬にして解釈できるメカニズムを支えていることになる。第5 章の後半では,前半で取り上げた感覚モダリティ内の感覚融合認知と,他章で取り上げている2 つないし3 つの感覚モダリティ間の感覚融合認知だけではなく,五感全体の感覚融合認知を取り上げている。五感すべての感覚融合認知として当然ながら,嗅覚と味覚を含むことになるので,主に食体験における現象を取り上げている。感覚モダリティ内融合認知と感覚モダリティ間融合認知の現象としての共通点として,最終的な解がそれぞれの感覚モダリティでの結論を無視し,感覚モダリティでの結論と異なる結論を出すことも厭わないし,経験上あり得ない結論を出すことも容認してしまう一方,1 つの事象だという前提を崩さないという制約条件があることを指摘し,感覚融合認知が成立する現象は,秩序ある外界を瞬時に理解するために,高度な制約条件を駆使しなければ,成り立たないと主張している。
 本書では,多感覚統合の神経メカニズムについて散発的に言及しており,必ずしも十分多くを取り上げているとはいえないが,多感覚統合の神経メカニズム研究を踏まえて,空間法則,時間法則,逆効力の法則の三つの法則が提案されている(岩宮,2014)。三つの法則のうち,空間法則とは空間の一致,時間法則とは時間同期であり,すでに説明した通りであるが,逆効力の法則とは,たとえば聴覚刺激と視覚刺激それぞれの効果が弱いときに,最も強く両者の統合が生じる現象を指している。単一のモダリティで呈示したときに刺激強度が弱く,神経細胞に弱い反応しか生じさせないような聴覚刺激と視覚刺激でも,それらを組み合わせると,上丘の多感覚細胞は非常に強く反応するという。このような多感覚細胞が,個別の感覚刺激が弱いときほど効率よく情報を統合し,その刺激の存在を強調していることになる。このような逆効力の法則と呼ばれる法則を含め,改めて単なる刺激の加算ではない感覚融合認知に関する現象の面白さを是非とも感じて欲しいと思う。
 
 
おわりに
 
 著者を代表して,感覚融合巻の内容を振り返ってみたいと思います。まず,「はじめに」では,感覚融合認知という造語について,その定義を説明した上で,様々な現象を包含するけれども,本書の中でそのすべてを網羅することを目指すわけでもないという立場を取っていることを明らかにしています。すなわち,研究テーマを大胆に取捨選択しているわけですが,類書に比べ,本書の特徴をどのように捉えることができるのかということを考えてみたいと思います。感覚融合認知が,複数の感覚情報が融合した事象認知を指すと定義していますので,すでに膨大な研究の蓄積があることに間違いありません。そのような背景の中で,各著者が限られた紙面において,感覚融合認知の本質に迫るような研究テーマを取捨選択している点が本書の特徴であり,各章でどのような現象を取り上げているのかに注目いただければ良いのではないかと思います。
 第1 章では,感覚融合認知において最も重要と考えられる時間的な同時性・同期性について取り上げています。主観的な同時性が固定的なものではなく,さまざまな要因の影響を受けて変化するという適応性は,我々が外界を理解する上で,どのような意味合いで最適な設定になっていると考えれば良いのかについて,様々な研究成果を元に整理されています。まず,事象時間,脳時間,主観時間という分類があることを知った上で,心理現象において重要な主観時間について理解を深めておくことは,このような研究分野を理解するためには必須なのだろうと思います。
 第2 章では,感覚融合認知に関する代表的な現象である腹話術効果を取り上げ,腹話術効果が「知覚」現象であるという点を明らかにすることから説明されていますが,膨大な数の先行研究の蓄積から未解決な問題まで,改めて時空間的な視聴覚融合認知における腹話術効果の重要性を総合的に理解できると思います。聴覚関連の現象であると取り扱われることが多かった腹話術効果の分析結果が,多感覚情報統合に関するモデルや神経科学メカニズムを考える際に果たしてきた役割を知ることができます。
 第3 章は,多感覚的な処理と注意の関係を取り上げています。視覚など,単一の感覚モダリティで蓄積されてきた注意研究の成果からの類推による解明の限界を指摘し,そもそも多感覚情報統合に注意が必要か否かという根本的な問題に立ち返って検討が行われています。改めて,単一の感覚モダリティにおける注意と,多感覚情報統合における注意について比較するとき,共通点と相違点を元に,両者がどのような関係にあるかと考えるきっかけにしてもらえれば良いのではないかと思います。
 第4 章では,質感知覚を取り上げていて,感覚融合認知という観点で捉えると,非常に興味深い研究テーマであることが分かります。質感に直接相当する英単語がないことからも明らかなように,研究テーマとしての取り扱い方がいまだに固定されているわけではありませんが,低次質感,高次質感,素材カテゴリー知覚に分けた上で,多感覚的な質感知覚の特徴を明らかにしています。質感に関する研究は1 つの研究分野として,予想以上に大きな広がりを見せている訳ですが,当然ながら様々な素材を使った研究に取り組む余地が残っているので,この分野は益々発展していくように思います。
 第5 章では,両眼視や両耳聴など,感覚モダリティ内の融合認知研究と,五感全体の融合認知研究を取り上げていて,感覚融合認知の両極端の研究テーマを1 つの章で取り扱っているところに特徴があると思います。感覚モダリティ内か,感覚モダリティ間かは,融合対象となる感覚情報が同質か,異質かという点で根本的に違うのですが,空間もしくは時間を再構成するという点では,感覚モダリティ内でも,感覚モダリティ間でも,問題の所在は変わらないように思います。このような観点から典型的な両眼視や両耳聴を改めて取り上げている点は,複数の感覚モダリティの融合認知を取り上げている他章との比較をしてもらいたいと思っています。
 シリーズ統合的認知の最後に発刊される「感覚融合認知」巻は,統合的認知の本質的な研究課題を全て含んでいるといっても過言ではなく,今後も大きな発展が期待されています。これまでに蓄積された研究成果を厳選して取り上げた本書が,研究分野のさらなる発展の一助になることを願ってやみません。
 
 
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