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『アートベース・リサーチの可能性――制作・研究・教育をつなぐ』

 
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小松佳代子 編著
『アートベース・リサーチの可能性 制作・研究・教育をつなぐ』

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はしがき
 
 本書は、二〇一八年に出版した『美術教育の可能性─作品制作と芸術的省察』(小松編著 2018)の姉妹編である。この五年のあいだに、アートベース・リサーチ(Arts-Based Research:以下ABRと略記する)をめぐる状況は大きく展開してきた。詳しくは第一章で述べるが、七〇〇頁を超えるハンドブックが出版されたことにそれは端的に表れている(Leavy 2018)。しかもさらに新たな章を加えたこのハンドブックの第二版が計画されていると聞く。国際美術教育学会(International Society for Education through Art)を中心としてABRを標榜する研究がいくつも発表され、国際的な共同研究グループができている。
 研究における知の生成に際して、創造的な芸術活動を組み込むABRは、その実践の展開と相まって、造語も含めて多様な呼称が用いられるようにもなっている。ABRのハンドブックを編集したリーヴィー(Leavy, P.)は「研究としてのアート実践(Art Practice as Research)」「アートに基づく探究(Art-based inquiry)」「アートグラフィー(a/r/tography)」「学問芸術(Scholartistry)」など、ABRに関する語彙として二九もの例を挙げている(Leavy 2018 : 5)。ABRもそのうちの一つなのだが、同時にこれらの用語の総称としても位置づけられている。それゆえ、ABRと自らの研究方法論との違いを強調する研究者もいて、どういう言葉を用いるかは非常に悩ましい。この概念の外延が広がるに従って、内包が浅くなってしまうのは避けたい。それゆえ本書では、多様な用語を包括するものとしてABRを用いる。
 日本ではほとんど知られていないABRをアートベース・リサーチというカタカナ表記にすることにも迷いはある。原語は、Arts-Based Research であり、そのままカタカナ表記にすればアーツ・ベースド・リサーチになる。しかし日本語の語感として意味が通じにくいのではないかと考えた。「アートに基づく研究」「アートをベースにした研究」と訳したところで、それがどのようなものを指すのかがわかるわけではない。意味内容を優先して「芸術的省察による研究」と敢えて意訳してみたこともあるが、訳語としてそれが定着してしまうのもやはりどうかと考えるようになった。
 Arts-Based Research の各単語の頭文字をとってABRとするのが、研究者の間では通例になりつつある。それゆえ本書でもABRという語を使っていくことにするが、人口に膾炙しているわけではないこの語をタイトルにすると、何を論じた書籍なのかさえわからなくなってしまうため、本書ではアートベース・リサーチという語を採用した。
 この五年間に、日本でもABR実践の成果が書籍として出版されている。Keio ABR を立ち上げて、二〇一五年から「アートを使う社会学(あるいは社会的な活動)」(岡原 2020:i)を進めてきた、慶應義塾大学の岡原正幸は二〇二〇年に出版した『アート・ライフ・社会学─エンパワーするアートベース・リサーチ』で、副題にアートベース・リサーチ、また本文ではアートベース社会学という言葉も用いている。あるいは、私も参加した科学研究費助成による研究「Arts-Based Research による芸術を基盤とした探究型学習理論の構築」(二〇一八年度から二〇二一年度、研究代表者:笠原広一)の成果をまとめた書籍のタイトルは、『アートベース・リサーチがひらく教育の実践と理論』(笠原・小松・生井 2022)『子どもの表現とアートベース・リサーチの出会い』(笠原・池田・手塚 2022)とした。笠原は、他にも国際共同研究「アートベース・ペダゴジーの教員養成プログラム開発とリサーチハブ構築による社会実装」(二〇二〇年度から二〇二五年度)も行っている。今後ABRはこのようにアートベース・リサーチという表記、あるいは具体的な学問と結びつけて研究領域を明確化する際には、アートベース社会学やアートベース・ペダゴジーといった語が標準になっていくかもしれない。
 アートをベースにするとはどういうことか。従来の人文社会科学の研究にアートを入れることで、言語的な記述や客観的な分析だけでは捉えきれない、人間の感情や身体的感覚に迫ろうとする。あるいは生・生活・人生など生きることそのものを探究することが可能になる。第一章で見るように、研究のあらゆるフェーズにアートを活用することが試みられている。例えば、データの収集に写真やビデオや素描などのアート的な活動を用いる、自らの経験をアートとして表象することで個人的な問題を社会的な課題と接続して考察する、あるいは探究の結果をアートとして表現することで従来の論文とは異なる深い知の生成を目指すなど、その方法はさまざまである。
 アート実践を組み込むことで研究のあり方そのものを問い直すこうした研究と問題関心を共有しつつ、アーティスト自身が研究者でもある美術系大学院でのABRは、日々の研究自体がアート実践である点において異なる。アートを活用した研究というよりも、アート活動そのものが研究である。アートの実践は、私たちにとって研究の対象であると同時に、考察の基盤でもある。すなわちアートによってアートを考察するという同語反復的な営みでもある。
 アート実践の研究はこれまで、作品やそれに関わる概念を対象化して考察する美学や芸術批評によってなされてきた。それらは作品が制作された後に、他者がその作品が置かれている文脈や他の作品との比較検証などから考察するものである。アーティスト自身による研究は、むしろ作品が制作される前に、コンセプトを構築する際のリサーチとしてなされるようになっている。そうした研究や制作手法を参照しつつも、私たちはむしろアート実践のただ中において、研究しようとしている。もちろん実践のただ中といっても制作中は活動に没頭しているため、省察がそのまま研究になるわけではない。それでも、事後的に対象化して言語化するだけでなく、実践を生きているときの、実際の感覚や思考、いわば実践の手触りのようなものを何とか捉えようとする研究である。
 もちろん、それは簡単なことではない。自らの実践活動を自分で考察して語り、実践の手触りをそのまま伝えようとすると、従来の学術研究の手法と相当に異なるものになるため、学会などでは厳しい批判を受けることになる。批判ならまだ良いが、時には、自らの依って立つ学問方法論にそぐわないゆえの無理解や誤解にも晒される。同じアートに関する研究を行っているにもかかわらず、まったく言葉が通じないかのようなこの状況に大きな戸惑いを覚える。あたかも「山の向こう」の別の国に住んで別の文法体系の言葉を話している人に語りかけているような通じなさである。しかしだからといって、「山のこちら側」に私たちだけの研究コミュニティを作ればいいとも思わない。やはり「山の向こう」にも届く研究をしていく必要がある。
 既存の方法論に則った方が、理解されやすいだろう。しかし一人ひとりの感覚に即して行われるアート実践には、既存の方法論を当てはめるだけでは掬い取れないものがあまりにも多いように思われる。それゆえ私たちは、研究対象について探究しつつ、探究する方法論を同時に構築していくという困難な試みに挑まなければならない。ABRは何かということをなかなか定義できないのはそのためでもある。最初に定義をして、それに即した具体的研究があるのではなく、個々の研究がなされることでABRという研究のあり方が少しずつ形をなしていくと考えている。
 繰り返すがそれは簡単なことではない。とはいえ近年、一人称研究、オートエスノグラフィー、当事者研究など、一人ひとりの生きた経験を研究の俎上に載せようとする試みが広がりつつある。これらの方法論を参照しつつ、私たちはアート実践と研究のあいだを行き来し、あるいはアート実践と研究とを重ね合わせて考察を進めている。
 本書の第Ⅱ部、第Ⅲ部の筆者は全員、長岡造形大学大学院で研究を進めてきた制作者、実践者、研究者である。大学院全体で修士課程の定員一学年一五名、博士(後期)課程の定員一学年三名という、小さな地方公立大学の大学院であり、さらにその中でもデザインを中心とする研究が多いなかで、アートの実践研究を行う数少ない大学院生たちが、敢えて選んでABRをここから構築していこうとしている。各章はその試みの報告である。
 私自身は、二〇一四年からABRに関心を持ち、手探りで研究を進めてきた。しかしいまだにABRとは何かと訊かれて、端的に答えることができないでいる。またABRを論じるのにABRだけを論じるのでは足りないこともわかってきた。第Ⅰ部は、その意味でABRの理論的な背景と、私たちが構築しようとしているアートをベースにした研究の可能性について論じる。この考察は、しかし私一人で書けるものではなかった。後半の執筆者も含め、これまで一緒に研究してきたアーティストとの議論、あるいはABRの探究のために行ってきた展覧会での作品を、大きな「根拠」として思考を進めている。それゆえ、「私が探究した」というより、私の探究とアーティストの作品やそれをめぐる探究の「あいだ」で立ち上がってきた思考の痕跡といった方が正確だろう。その意味で本書は、文字通りアート実践者との共著である。
 
小松佳代子
(傍点と参考文献は割愛しました。Pdfにてご覧ください)
 
 
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