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『ドイツ公法史入門』

 
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ミヒャエル・シュトライス 著
福岡安都子 訳
『ドイツ公法史入門』

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訳者あとがき
 
 本書の著者,ミヒャエル・シュトライスは,1941 年7 月20 日,ライン川西岸の都市ルートヴィヒスハーフェンにて,当時,同市市長を勤めていた父エーリヒの長男として生まれた。シュトライス家は,近郊のギンメルディンゲンでプファルツ・ワインの醸造を営む家系であり,ミヒャエル自身も,ワイン醸造者養成課程をひととおり終えた後,(やはり,法学博士号を有する法律家であった父と同様に)法学を修め,1967 年には法学博士号をミュンヘン大学で取得している。
 本格的に学問の道を進むか否かについては,当初,迷いもあったようであるが,博士論文指導教授(ドクトルファーター)ステン・ガグネア(Sten Gagnér, 1921~2000)にも推され,ナチズム下の有名なスローガン「公益は私益に優先するGemeinnutz vor Eigennutz」を巡る言説を1933 年~1945 年の帝国官報を史料として辿る教授資格論文の執筆に取りかかり,1973 年,ミュンヘン大学より,公法学,近現代法史,教会法について教授資格を授与された。
 その後,キール大学を経てフランクフルト大学法学部に教授ポストを得(1974 年),2021 年に突然の病を得て逝去するまで,このフランクフルト大学,そして,同市所在のマックス・プランク・ヨーロッパ法史研究所を拠点として,極めて精力的な研究・著述活動を行った。その活動は,公法史を中核としつつ,教会法,社会法,ナチズム研究,そして文芸までを含む。本書は,このミヒャエル・シュトライスのライフワークであり,「公法史」という独立の学問領域の存立可能性を世界に知らしめた著作である『ドイツ公法史』全4 巻の精髄を著者自身が一冊にまとめた,『ドイツ公法史入門』の邦訳である。
 各国の一流大学から送られた名誉博士号,学術領域の最高位の受賞歴・叙勲の数々,そして,その早すぎる死を受けて多数の研究者が競って活字に著わした,業績と人物の両面にわたる高い評価からは想像が付き難いところではあるが,フランクフルト大学法学部に教授職を得た当初について,ミヒャエル・シュトライス本人は,「着任して何年か経っても誰も特別に気に留めていないような,小者の教授」であったと述べている。上記の教授資格論文は,例外的状況・緊急事態における法と政治的決定の関係という,(カール・シュミットに言及するまでもなく)公法学にとり最も基本的であるはずの問題を,この関係がドイツ史上,疑いなく最もクリティカルな意味を持った時期,即ち,ヒトラー政権期を対象に,ガグネアの「テクストへの忠実な依拠」という方法論に即して分析しようとする意欲作であった。しかし,法史と言えばローマ法研究の流れを汲む私法史が中心であり,対応して,法学部内で歴史研究に携わる研究者の多くが講座としては民法に所属していた当時のドイツの法学界において,シュトライスの教授資格論文は,「公法」+「法史」という,あまり類例を見ない組み合わせに立つものであった。また他方では,1970 年代初めのこの時期,ヒトラー政権期についての学問的研究というもの自体が未だ緒に就いたばかりであり,政権に大なり小なり関与した研究者が法学界でもなお少なからず現役であって,その中には,有力教授も含まれた。これらの事情から,若いシュトライスは,言わば“変わった論文”でデビューした人として,かなり後々まで,色眼鏡で見られたようである。
 いずれにしても,フランクフルト大学法学部に籍を置いた彼は,さしあたり,実定法としての公法学の枠組みの中では社会法領域に専門を求め,また,ヘッセン= ナッサウのルター派教会の幹事として,教会法上の実務的問題にも携わった(「この時期は,法史的な方面ではあまり活動しなかった。」)。しかし,1970 年代終わりから,再び彼は,歴史研究へと向かっていく。この時期,特に関心を向けたのは初期近代であり,フォルクスワーゲン財団の研究助成を受けて,1978 年から1979 年にかけての冬学期を,初期近代研究についてヨーロッパ有数の蔵書を誇るヘルツォーク・アウグスト図書館(ニーダーザクセン州ヴォルフェンビュッテル市所在)における研究滞在のために用いている。ここからまず生まれたのが,論文「統治の奥義と国家理性:17 世紀初期の政治理論についての覚え書きArcana Imperii und Ratio Status : Bemerkung zur politischen Theorie des frühen 17. Jahrhunderts」(1980)であった。
 シュトライスはさらに1985 年,同じフォルクスワーゲン財団に対し,「公法の学問史」の執筆のためとして,1 年間の研究専念期間の助成を申請した。史料研究の拠点は,上述のヘルツォーク・アウグスト図書館と,マックス・プランク・ヨーロッパ法史研究所とされた。この申請を振り返ってシュトライスは,予定では成果を1 年で1 冊の本としてまとめるという「ほとんどナイーフと言うべき」申請内容であったものの,「この計画の明らかな非現実性にもかかわらず採択され」,プロジェクトとしてスタートしたことを,彼らしいユーモアを交えて語っている。いずれにしても,ここから,1988 年刊行の『ドイツ公法史第1 巻:帝国公法学とポリツァイ学,1600~1800 年』を皮切りとして,1992 年には『ドイツ公法史第2 巻:国法論と行政学,1800~1914 年』が,1999 年には『ドイツ公法史第3 巻:共和国と独裁における国法学と行政法学,1914~1945 年』が,そして2012 年には最終巻『ドイツ公法史第4 巻:西と東における国法学と行政法学,1945~1990』が,生まれることになった。そして続く2014 年には,この足かけ30 年間にわたる,ページ数にして延べ2,000 頁を超える研究結果を,初年次の法学部生や一般読者,そしてまた,国外の読者のために自らコンパクトに綴り直した本書,『ドイツ公法史入門』を,上梓したのである。
 「公法の学問史」という主題を設定した背景について,シュトライスはこのように説明する。即ち,先にも紹介したように,シュトライスは,ドイツの法学部において歴史に関わる研究・教育が行われる場合,それは,伝統的に,私法(特に民法)との関係において,しかもその解釈論史Dogmengeschichte として─特に,実定法としての民法解釈に何らかの直接的帰結をもたらす意識の下で─行われることが主流であったと述懐する。これはもちろん,いわゆる大陸法的伝統の中で,法体系そのものの土台がローマ法に基づいており,そしてまた,現代法の中でローマ法的な要素を最も強く引き継ぐのが民法であった,という歴史的事情に因る。しかしこの与件の下において,公法に関わる歴史は,構造的に,十分な関心を寄せられない位置に置かれてきた。刑法や国際法,行政法などの歴史,そしてまた,社会保障法制や科学技術法制の歴史といった,広義の公法を構成する諸分野の歴史もまた,同様である。もちろん,「公法」+「法史」の組み合わせに属するものとしては,前々から「フェアファッスングの歴史Verfassungsgeschichte」─国制史ないし憲法史─という分野が存在し,講義されてきたところではあるが,それもまた,「基本法前史」,つまり,実定憲法を講義する際の導入部分に縮減されてしまいがちであった,というのがシュトライスの評価である。こうした状況認識の下で,かつてローデリヒ・フォン・スティンツィングとエルンスト・ランズベルクが著した『ドイツ法学史』,また,フランツ・ヴィーアッカーが著した『近世私法史』などの古典的名作を横目でにらみつつ,これらに対応する業績の公法学分野における不在,という問題状況を解決しようとしたのが,シュトライスの『ドイツ公法史』のプロジェクトであった。
 こうした背景から生まれたシュトライスの本書の魅力は,個々の論点についての,簡潔かつ適確な情報力だけではない。シュトライスの言う「公法」とは─グロティウスがかつて公法を,「総体」対「個体」の関係を律する法と,複数の「総体」同士の関係を律する法として定義したことに忠実に─憲法のみならず,行政法,社会法,国際法,ヨーロッパ法(EU 法)など,つまりは国家と個人との関係(憲法,行政法,社会法等),そして,国家と国家との関係(国際法,ヨーロッパ法等)を規律する法分野を,広く含む。否,さらに言えば,これらの法分野において展開されてきた思想的営みをシュトライスが扱う際,彼は,人で言えば「イェリネク」や「シュミット」のような,どの教科書にも載っているような偉人たちの思想のリレー活動としてではなく,彼ら一流著者のみならず既に忘却された二流・三流の著者たちも含めた集合的な営為として,学問史を描く。しかも,憲法のような誰でも知っている法典のみならず,(現在の我が国の例に喩えて言えば)六法全書や法令全書でなければ掲載されないようなタイプの,群小法文書類にも目を向けて,それら規範的テクスト群を解釈し位置付けようとしてきた,法律家たちの知的営為の有り様を描こうとしていることが,その特色と言える。
 それは例えば,初期近代史において,治安行政や保健衛生を皮切りに,ごく細かな事項についてまで制定された無数のポリツァイ条令と,それに対応するポリツァイ学の興隆である。また,1870 年に成立したドイツ帝国において諸官庁が執行に当たった行政法規と,それら法規に通底する法的な「型」を抽出することで行政法体系を構築した,オットー・マイヤーらの努力である。そしてまた,特に大戦期から戦後にかけて,インフラ整備や社会保障など多領域で進行していった「介入国家」化と,この動きに対応して「生存配慮」という概念を生み出したフォルストホフ,またさらに,マイヤー時代からの行政行為論に加えて「授益的行政行為」論を大きく発展させた戦後行政法学,などである。これらのディテールが,憲法の基本理念としての「法治国家」に,また,「近代国家の成立」という大テーマに,具体的内実を与えるのである。
 結果として立ち現れる,憲法領域に加えて行政法や社会保障等の個別領域の展開をも総合した「公法史」は,同じ大陸法的伝統の中でドイツと並ぶ公法文化を擁するフランスにおいても,オリジナルな業績として,尊敬と羨望を集めることになった。やはり大陸法的伝統の一端を占めてきた,明治以降の我が国について見れば,ビスマルク憲法等に多くを負ったとされる大日本帝国憲法は,英米法的理想を強く映した日本国憲法へと変わり,また,近年の信託法制の整備などに触れるまでもなく,大陸法的伝統と英米法的伝統のハイブリッド化が大きく進んでいる。しかし,「訴え」や「請求」,「行政行為」やその「取消し」といった,法学それ自体の基本ボキャブラリーから,法学者が体系書執筆を人生の仕事として捉えてきたその姿勢に至るまで,土台のレベルにおける大陸法的な法文化の存続は,否定し難い。特に,ドイツ法については,シュトライスが本文でも指摘する,ドイツ人法学徒に顕著な抽象化・体系化志向─それはとりもなおさず,異なる土地への移植を容易にした─とも相俟って,我が国の法のインフラ部分に与えてきた影響は,今日,それとして意識されているかどうかは別として,極めて強いものがある。そうした法の抽象化・体系化の営みが属する「法化」という大きなプロセスにつき,本書が叙述するところは,公法を構成する各々の個別領域を横断する通史的見通しと共に,我が国の近・現代法の来し方,行く末を考えるためにも,有益なものを伝えていると思われる。
 そしてまた,本書は,ヒトラー政権期の公法学や,東ドイツの公法学の有り様など,現代史の重要テーマについてもまた,ドイツにおける研究の発展を踏まえた情報を,平易な言葉で提供していることも特色と言える。特に前者は,シュトライスが教授資格論文の時代から取り組んできた,パイオニアとも言える問題領域であり,ナチズムの淵源を自然法的伝統の欠如・法実証主義の過剰として捉える,我が国において定着している理解とはかなり異なった,アップデートされた知見を提示している。ドイツにおける法治国家概念の「形式的」性格を痛烈に批判したのは,もともとむしろ,ナチズムに組みする論者たちであったという指摘は,歴史の複雑さとして,考えさせるものを含む。興味を持たれた方は,Recht im Unrecht. Studien zur Rechtsgeschihchte des Nationalsozialismus(『不法の中の法:ナチズム法学研究』,1994 年。英語訳・フランス語訳も出版されている)などへと進まれることをお勧めしたい。
 ちなみに,アメリカ・フランスその他の欧米各国や,中国・台湾等において,シュトライスの諸作が,信頼できるスタンダードワークとしてコンスタントに翻訳されてきたことに比較すると,日本における翻訳出版は,相対的に見て,限定的なものに留まってきた。駒場で初年次の学生に接していると,ドイツという国についての通念が,その現実の姿と遙かに乖離するに至っていることを痛感する。これは,オランダのように,社会的な共有イメージが,「風車」や「チューリップ」といった入り口の段階で長く固まっている国についてとも,また異なる問題状況であると思われる。シュトライスより相談を受けて本書の翻訳に着手するに当たっては,こうした事情にも背中を押された。
 翻訳の作業に当たっては,大学初年次の学生に本書を手に取ってほしいという原著者としての意向を,大方針とした。そのままに訳したのでは分かりにくいと思われた幾つかの箇所については,生前のシュトライスに確認しつつ,表現を補って訳した。本書で扱われる主立った人物たちについて挿入されている図版も,ドイツ語原本にはないものであるが,同じくシュトライス自身が,上記の意向に立って選んだものである。
 文章の書き方としても飾らない平明な言語を尊び,その意味で言わば,「教科書的」な文体を恥としなかったのがシュトライスであり,本書も,そうした雰囲気を素直に伝えることに努めた。しかしやはり,あくまで翻訳とはテクストの仮の姿であって,日本語では再現しきれないものが決定的に残る。特に,Verfassung 及びVerfassungsrecht という単語は,本書の題材の核心に属する言葉であるにもかかわらず,それらに正確に対応する語彙は,我々の日本語に存在していない。各時代,各文脈に合わせ,便宜的な解決を図らざるを得なかった所以であり,本書に扱われる内容に興味を持たれた方,疑問点についてさらに考究せんと思われた方には,是非とも,シュトライスの原著に,そして,この原著の元となった4 巻構成の『ドイツ公法史』の対応部分に向かっていただくことを,切に望む次第である。
 シュトライスのドイツ語の世界は明るく透明であり,怪力乱神を語らない。「神奇卓異は至人にあらず,至人はただ是れ常なり」という言葉をそのまま現したような人となり,また書き手であった師を,懐かしく想う。
 その彼の下で博士論文を執筆するという,極めて貴重な学縁を結んで下さった故・村上淳一先生,西川洋一先生,石部雅亮先生,西村重雄先生,和仁陽先生,そして守矢健一先生には,この場を借りて,改めて,篤く御礼を申し上げたい。本稿に関わる作業に当たっては,特にウィーン大学教授Miloš Vec 氏のほか,トゥールーズ大学教授Aurore Gaillet 氏,また,ご遺族のHerr Peter Stolleis, Frau Dr. Erika Stolleis 各氏にお世話になった。そして,コロナ渦という類例のない時期を超え,ただでさえ容易ならぬ学術書の翻訳作業を手厚くサポートして下った勁草書房の関戸詳子さんには,本当に感謝の言葉もない。
 
2023 年6 月 訳者
(注は割愛しました。pdfでご覧ください)
 
 
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