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『教育政策をめぐるエビデンス――学力格差・学級規模・教師多忙とデータサイエンス』

 
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中西啓喜 著
『教育政策をめぐるエビデンス 学力格差・学級規模・教師多忙とデータサイエンス』

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まえがき
 
 エビデンスに基づいて教育の政策立案を行えば、教育がより良いものになるというエビデンスがあるわけではない。それにもかかわらず、教育政策にエビデンスを求める姿勢はますます強くなっている。
 しかしその実、政策がエビデンスに基づいて実行されるわけでもない。例えば、Covid-19 によるパンデミック対策で子どもたちの「密」を避けるためとして、二〇二一年度から小学校全学年で一学級の上限人数が四〇人以下から三五人以下へと変更された。パンデミックの「どさくさに紛れて」のような印象は受けるが、それでも学級規模縮小が実施された。これは、決して科学的に厳密なエビデンスに基づいて意思決定されたわけではない。そもそも一学級の上限人数が五人減ったことによって感染リスクがどれほど低減するのか。中学校や高校で変更しないのは、四〇人学級でもリスクは小さいと判断したのか。このように、民主主義社会における政策的意思決定は、必ずしもエビデンスに基づいて成されていくのではなく、社会的な機運の高まりによって実行されることもある。
 本書では、「なぜエビデンスに基づいた教育政策の議論は困難なのか?」を主たるリサーチクエッションに設定する。この問いには次のような関心が含まれている。
 第一に、教育研究におけるエビデンスの定義と範囲をめぐる問題である。例えば、自然科学の実験から得られるものだけをエビデンスとして狭く定義してみよう。すると、得られるエビデンスが社会的・歴史的な文脈から乖離してしまい、実際に学校教育を取り巻く問題にはほとんど適用できず、的を射た議論ができなくなる。
 第二に、エビデンスの利用についての問題である。なぜエビデンスを使うのかというと、端的にいえば「教育の改善を通じて社会を良くしたいから」である。ところが、厳密な科学的手続きによって得られるエビデンスが、常に学校教育にとって有益なものとは限らない。この時に「〇〇をしても教育が改善されるエビデンスはない!」や「学校が役に立つというエビデンスはない!」とニヒルを気取っても意味が無い。教育研究に課されているのは、どのようにして有益なエビデンスが科学的手続きによって得られるのかを考えることである。
 第三に、政策的意思決定は、エビデンスに基づいて実行されるとは限らない。そうした意思決定がなされるとデータサイエンティストは不貞腐れるが、実際の政策的意思決定は、複数のエビデンスが政治的に調整されて成立し、唯一のエビデンスや一人の研究者に依拠してなされるものではない。
 これらの観点を踏まえつつ、「なぜエビデンスに基づいた教育政策の議論は困難なのか?」について考えていくのが本書の目的である。
 なお、本書での「教師」の表記について断りを述べておきたい。本書では、「教員」と「教師」という表記が混在する。それというのも、例えば、「教員採用試験」では「教員」が用いられるが、「#教師のバトン」では「教師」が用いられており、文脈や文書などによって表記を完全に統一させることは難しいためである。可能な限り文脈を踏まえて表記を使い分けてはいるが、必ずしも統一されてはいないことを了承されたい。
 
 
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