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『カトリック的伝統の再構成』(シリーズ・西洋における宗教と世俗の変容1)

 
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伊達聖伸・渡辺 優 編著
『カトリック的伝統の再構成』(シリーズ・西洋における宗教と世俗の変容1)

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[総論]西洋における宗教と世俗の変容――カトリック的伝統の再構成
 
伊達聖伸・渡辺優

 
一、カサノヴァ『近代世界の公共宗教』の議論を踏まえつつ超え出ていくために
 
いま、なぜ、カトリシズムを研究するのか――近代知の「他者」と向きあう
 「カトリシズムは最大の宗教であり、かつもっとも研究が遅れた宗教の一つである〔…〕。カトリシズムの社会学は、今なお未開発である」(カサノヴァ 二〇二一:五七〇)。
 これは、ホセ・カサノヴァ『近代世界の公共宗教』の一節である。従来の世俗化論がかかげてきた「私事化」論を批判しながら、カサノヴァは、第二ヴァチカン公会議以降のカトリックが近代という時代の正統性を認めつつも私的宗教となることを拒み、近代的にして公的な宗教であり続けようとしてきたと述べる。そのうえで、現に公会議後のカトリシズムが世界中で「きわめて公的な横顔」を見せていることに注意を促している(同上:四二)。上記の引用は、この箇所にカサノヴァが付した注釈である。
 『近代世界の公共宗教』の原著刊行年は一九九四年。それから三〇年が経った今日、「カトリシズムの社会学」はもはやけっして未開発の分野ではない。しかし、最大の宗教であるはずのカトリックが、なぜもっとも研究の遅れた宗教だったのかという問いは、今日でもまず反省的に問われるべき重要な問いである。
 『近代世界の公共宗教』は、近代化が進めば進むほど宗教は衰退するといった単線的な世俗化論を訂正し、世界規模の宗教復興ないし宗教的なものの回帰に棹差しながら公共宗教論を唱えた著作として、すでに古典の位置を占めていると言ってよい。
 いわゆる世界的な宗教復興のはじまりとしては、一九七九年のイラン・イスラーム革命が言及されることが多い。一九九四年刊行のこの本においてカサノヴァは、一九八〇年代に「宗教的な諸伝統そのものが、むしろ再活性化して公的役割を引き受けるようになった」という「新たな予想外のこと」を受けて、新しいパラダイムを提唱している(同上:三四)。とはいえカサノヴァは、単純な宗教復興論を唱えたのではない。むしろ彼は、起きているのは世俗化なのか、それとも宗教復興なのかという二者択一的な問いをしりぞけ、宗教と世俗の絡まり合いに着目する視点を提供している。すなわち、「世俗化論の核心、つまり世俗的な領域が宗教的な制度や規範から分化し離脱していくという命題は、有効なまま」で、「世俗化論は洗練されうる」というのがカサノヴァの立場である(同上:三六、四三五─四三六)。
 カサノヴァは、相矛盾する意味合いを含む「世俗化」という概念について巧みな交通整理を行なった。すなわち、デュルケムとウェーバーにはじまる宗教社会学の世俗化論をつぶさに検討し、①世俗と宗教の分化としての世俗化、②宗教の衰退としての世俗化、③宗教の私事化としての世俗化という三つの命題に区別した。現代宗教研究においてカサノヴァが参照される場合、まずはこの三区分に言及されることがほとんどと言ってよいだろう。
 しかし、カサノヴァの議論の要点は、単に世俗化をめぐる宗教社会学の理論(セオリー)の仕分けを行なったことのみにあるのではない。「セオリーというよりはむしろテーゼというべき世俗化」(同上:五九)を吟味するその批判的まなざしは、従来の世俗化論の多くがその上に立ってきた暗黙の前提にまで、さらにはその歴史的・思想史的背景にまで届いている。宗教の衰退や私事化というテーゼは、それ自体、「宗教」と「世俗」の力関係が大きく変化していった一六世紀以降の西欧世界に固有の歴史的事情に根差している。そうしたテーゼは、第一印象に反して、けっして現実を客観的に記述するニュートラルなものではない。それは、宗教という「闇」に対する理性の「光」を称揚した啓蒙主義による宗教批判や、その根底にある進歩主義的歴史観の刻印を受けている。それはまた、近代科学や近代世俗国家、あるいは資本主義という近代経済システムが自律性と正当性を確立する過程で産出し利用した、主観主義的で個人主義的な「宗教」というリベラルな思考に支配されている。概して世俗化論は、「特殊な歴史的背景をもつ自民族中心的な先入観」(同上:一〇一)に囚われてきた。西洋近代において、この先入観が拠って立つところの歴史観や価値観の対抗者であり続けてきたのがカトリシズムである。ここに、社会学を含め近代の科学がカトリシズムをきちんと論じてこなかった本質的な理由の一端が認められる。
 カサノヴァは、「宗教は私事である(べき)」というテーゼが、近代西洋の政治や経済など世俗的領域が宗教(キリスト教)から自らを解放し、今度は自らが宗教をコントロールするために「好ましい」規範の産物であること、また、そのような規範を強化するように作用していることを見抜いていた。彼はそこから、近代世界における宗教の私事化はけっして自明の趨勢ではなく、現代世界において私たちはむしろ宗教の「脱私事化」というべきプロセスを目撃しつつあるというよく知られた主張へと議論を展開していく。しかしここで改めて注目したいのは、「脱私事化」をめぐる議論の手前でカサノヴァが提起した論点である。すなわち、西洋近代における「宗教」と「世俗」の力関係の変化が、現在の私たち─世俗主義的な価値観を生きる現代人─の「宗教」をめぐるものの見方そのものを、深いところで規定しているということだ。
 
プロテスタンティズム中心主義史観が見えなくしてきたもの
 宗教と世俗の関係にかかわるカサノヴァの問題提起は、社会学、歴史学、宗教学、国際政治学など今日の人文社会科学に領域横断的に起こっている新たな展開を見るとき、たいへん先駆的なものであったと言える。たとえば、近年の日本の歴史学においても、「宗教」を周縁化してきた一九世紀以降の近代歴史学に対する反省と、新しい宗教史記述の探究の具体的な試みが注目すべき進展をみせている。西欧近世史・宗教史研究者の深沢克己は、近代歴史学の問題点として、国民国家形成史を主題として宗教を政治の従属変数とみなす政治的還元主義の傾向を批判している。そこで宗教に与えられた副次的な地位は、政教分離と「魔術からの解放」を近代化の指標とする「世俗化」パラダイムに起因することが指摘されている。「魔術からの解放」とは、周知のようにマックス・ウェーバーが西欧文化を特徴づけるために用いた概念である(ヴェーバー 一九八九)。ウェーバーによれば、古代ユダヤ教の預言者にはじまるその世界史的なプロセスは、一六世紀のプロテスタント宗教改革によって頂点を迎えた。「魔術の園」から、すなわち教会の儀式やさまざまな感覚的・身体的実践を神にはたらきかけ神より救いを得るための手段とする中世的・カトリック的文化から離脱して、信仰の根源的な個人化・内面化を実現したプロテスタンティズムこそが西洋近代を切り拓いたとするその議論は、後世に絶大な影響を与えた。西欧近世のプロテスタント宗教改革を世界史の分水嶺とする近代歴史学の「プロテスタント史観」の帰結の一つが、近代カトリック・イメージの歪曲であり、学的対象としてのカトリックの周縁化であった。内面的・近代的なプロテスタンティズムの革新性の強調は、外面的・前近代的なカトリシズムの「腐敗・堕落」を半ば自明視させることとなり、カトリシズムを「過去の遺物」として近代の学知から排除したのである。(深沢 二〇一〇;二〇一四)
 「プロテスタント史観」を脱却して西洋近代史のなかに宗教を、とりわけカトリシズムを改めて位置づけることは、日本の歴史学者たちのあいだでもいまや新たな課題として広く認識され、研究の蓄積が進んでいる。二〇一三年五月開催の日本西洋史学会第六三回大会における小シンポジウム「ヨーロッパ近代のなかのカトリシズム─宗教を通して見るもうひとつの「近代」」は、そのような動向の一つの結節点であると言えよう。企画責任者である中野智世は、そこで次のように問題提起していた。「一般に、近代と親和性が高いとされるプロテスタンティズムに比して、カトリシズムはながらく近代の「対抗勢力」と目されており、そのためもあってか、護教的な教会史の陰で実証研究は大きく立ち遅れてきた。ことに日本の西洋近現代史研究には、宗教を分析の俎上にのせること自体をタブー視するような史学史的背景があり、そうしたなかで、カトリック、カトリシズムの問題については、少数のパイオニアを除きほとんど研究が蓄積されてこなかった」(中野 二〇一四:六〇)。中野による趣旨説明に続きこのシンポジウムで報告を行なった三名の歴史学者を中心とする研究グループの成果は、その後二冊の書物として刊行されている(中野、前田、渡邊、尾崎編 二〇一六;二〇二三)。
 「宗教を分析の俎上にのせること」をタブー視せず、また、「世俗化」という概念そのものを主題化する宗教学においても、近現代のカトリシズムの研究は立ち遅れてきたと言わざるをえない。宗教学においても、やはりウェーバーと「プロテスタント史観」の影響は決定的だったのである。一九六〇年代から七〇年代にかけて宗教学でさかんに論じられた世俗化論の代表的論客であるピーター・バーガーは、一九六七年に出版された『聖なる天蓋』でこう述べていた。「プロテスタンティズムは、たとえどんなに他の因子が重要であったとしても、世俗化への歴史的に決定的な序奏の役を演じたと断言して差し支えあるまい」(バーガー 二〇一八:二〇一)。かくしてプロテスタンティズムと近代化=世俗化との本質的結びつきを確認する一方、バーガーは、「古代の聖書以前の宗教の擬態を再現している」カトリシズムについては、「ある種の最古からの人間の宗教的憧憬を現代世界に存続せしめるもの」(同上:二一七)と評していた。カトリシズムは魔術の園にまどろむ前近代の遺物とみなされていたのである。
 近代宗教学におけるカトリシズムの周縁化は、本質的に個人的・主観的な事柄とされた「宗教体験」論の興隆とも表裏一体をなしている。最も重要な論者として、感情と直観に宗教の本質をみたフリードリヒ・シュライアマハーや、彼の決定的影響下に宗教の本質としての非合理的体験論を精緻化したルドルフ・オットー、また二〇世紀の思想書として最大のベストセラーの一つとなった『宗教的経験の諸相』の著者ウィリアム・ジェイムズがいる。一九世紀以降の宗教学、あるいは宗教思想そのものに世界的な影響を及ぼした彼らの宗教体験論は、宗教にとってより本質的な価値を主観的で内面的な体験の直接性に認める一方、教会や儀礼、聖典など制度化された権威を外的・形式的な副次的要素とみなした点で共通している。近年の研究では、こうした宗教体験論興隆の精神史的背景として、近代プロテスタンティズムとの親和性や、啓蒙主義との緊張関係、近代批判の契機との結びつきが指摘され、個人的体験を核とする宗教理解の歴史性が明らかにされている(Jay 2005: 78-130 ; 深澤 二〇〇六:二一三─二三三)。アメリカのカトリック研究を代表する宗教学者の一人ロバート・オルシは、宗教体験に優越性と自律性を認める近代アメリカの宗教理解は、固有の「反カトリシズム」に根ざしていると指摘しているが(Orsi 1996: 49)、これはアメリカの宗教文化だけにとどまる問題ではない。
 今日の宗教学において、かつてのバーガーの世俗化論、あるいはジェイズムの宗教体験論を素朴に持ち出す者は少数である。二〇世紀末以降の宗教学では、西洋近代に発するリベラルな価値観を前提とする世俗主義的な「宗教」理解が徹底的に問いなおされている。この問題の文脈で最もよく参照される論者の一人はタラル・アサドである。カサノヴァの『近代世界の公共宗教』より一年先に出版された『宗教の系譜』(一九九三年)や、そこで提起された問題をさらに展開した『世俗の形成』(二〇〇三年)といった著作を通じて、アサドは、フーコー的な系譜学の手法によって「宗教(religion)」概念の西洋的偏差を明らかにしてみせた。啓蒙主義やプロテスタンティズムのバイアスがかかった西洋近代の「宗教」概念は、近代国民国家の世俗的規範に従属する主体を形成する権力のメカニズムのなかに埋め込まれている(アサド 二〇〇四;二〇〇六)。歴史学における「プロテスタント史観」批判と同様の自己批判が宗教学においても─より根本的な仕方で─行なわれていると言える。
 こうしたなか、儀礼、身体、実践、伝統、口承的文化、生活慣習、共同体など、概して「プロテスタント的な主観的宗教形態」(カサノヴァ 二〇二一:一〇一)にそぐわぬがゆえに近代宗教学によって看過されてきたと考えられる要素や論点が、現代宗教学のフロンティアに浮上してきている(ベル 二〇一一;Orsi 2016)。そこに「カトリック的なもの」への注目の一因を見ることもできるだろう。世俗化論の再考という主題に関連して近年最も注目を集める成果として、チャールズ・テイラーの『世俗の時代』がある(テイラー 二〇二〇)。「ウェーバーの地平を更新し、宗教/世俗を焦点に人文社会諸学を見渡した歴史哲学の書」(島薗 二〇二二:六)と評されるこの書は、実のところ、カトリックの伝統に固有の術語や思考法を下敷きにしている(坪光 二〇二二)。近世以来の歴史記述・宗教史記述のなかで不遇をかこってきたカトリックだが、近代的宗教概念・宗教理解のプロテスタント中心主義批判を経て、現代の人文社会諸科学に新たな地平を拓きつつある。
 
『近代世界の公共宗教』以後の展開を踏まえて
 プロテスタント中心主義批判と平仄を合わせるようにして、カサノヴァは、宗教の「脱私事化」論は、典型的な近代的リベラリズムの思考のカテゴリーに逆らっての概念化であると述べている(カサノヴァ 二〇二一:四四二)。
 カサノヴァには、『近代世界の公共宗教』の執筆時点で、「世俗」と「宗教」を二項対立的にとらえる見方に対してすでに批判的な姿勢が見られる。このような視点の持ち主だったからこそ、西洋中心主義的な議論であるというタラル・アサドの批判に対しても、自分自身の過去の議論を批判的に見直し、非西洋も意識した世俗化論および公共宗教論を構想する必要性を唱えることができたものと思われる(カサノヴァ 二〇一一)。
 カサノヴァ自身が言及していることからも窺えるように、彼の議論はアイゼンシュタットの「複数の近代」論と親和的なところがある(同上:三四五)。このことの意味は、少なくとも二重である。第一に、西洋の外部にも近代はあるということである。第二に、西洋の内部にも複数の近代があるということである。日本の研究者は、非西洋の世俗と宗教を考える必要があるというカサノヴァの姿勢を評価しつつ、それをできるのは自分たちであるという矜持も持って、日本を含む非西洋地域を研究してきたところがあるように思われる。それに比べると、西洋内部の多様性にも目を向けて世俗と宗教を論じる日本語の研究は必ずしも多くはない。それを踏まえたとき、カサノヴァの『近代世界の公共宗教』は、西洋における宗教的世俗の多様性を掘り起こし、分析するのに有効な視点をいまなお提供していると言うことができる。
 そのうえで改めて確認しておきたいのは、カサノヴァが『近代世界の公共宗教』において取りあげている五つの事例研究─スペイン、ポーランド、ブラジル、アメリカの福音主義プロテスタンティズム、アメリカのカトリック─のうち、実に四つがカトリックであるということである。この選択は、カサノヴァ自身がカトリックのスペイン系アメリカ人というアイデンティティを持つ宗教社会学者であることもおそらく大いに関係している─そのうえで東欧はポーランド、南米はブラジルでカバーしているとも言える─が、今から振り返ると、この著作自体が、カトリック的近代を語りうる時代の条件のもとに置かれていたことにも注意を促しておきたい。
 そもそも西洋の近代において、プロテスタントは近代化と比較的親和性を持っていたのに対し、カトリックは世俗的な近代そのものに対して敵対的だった。教皇ピウス九世は一八六四年に『誤謬表』を発表して近代の価値観を批判し、一八七〇年の第一ヴァチカン公会議では教皇の不可謬説が唱えられた。ところが、それからおよそ一〇〇年後の一九六二年から一九六五年にかけて、教皇ヨハネ二三世(在位一九五八─六三)とパウロ六世(在位一九六三─七八)のもとで開催された第二ヴァチカン公会議ではカトリックの現代化(アジョルナメント)が唱えられた。
 カサノヴァ自身、「カトリシズムは、反近代的な公共宗教の典型的な形態だった」と指摘したうえで、次のように述べている。「しかしながら、一九六〇年代半ばになると、カトリック教会は、世俗的な近代へと公式に路線をうつす苦痛に満ちた現代化(アジョルナメント)のプロセスをたどりはじめ、近代という時代の正当性を受け入れた。それでもカトリシズムは、私的宗教になることは拒否している。近代的でかつ公的であることを望んでいるのである」(同上:四二)。
 世俗的な近代の価値観を受け入れつつ、公共的な役割を担うカトリシズムの姿を提示するカサノヴァは、同時にそのようなカトリックを肯定的に評価しているように見える。換言すれば、独裁体制を批判して社会の民主化に資するカトリックに、好意的なまなざしを注いでいる。実際、スペインについては一九七五年のフランコの死のあとの体制移行、ポーランドについては一九八〇年代の連帯、ブラジルについては一九六八年のメデジン会議に言及して、「スペイン、ポーランド、ブラジルにおける民主化のプロセスのなかで、カトリック教会は積極的な役割を果たした」と述べるカサノヴァの叙述は(同上:四五三)、記述的であると同時に規範的でもある。スペインのフランコのほか、ポルトガルのサラザールやケベックのデュプレシなど、二〇世紀中葉から後半にかけてのカトリック圏の社会では、しばしば長期的な独裁体制が続いたが、第二ヴァチカン公会議の機運とも相俟って、カトリック自身が民主化への流れを担ったところがある。そのことと、世界的な宗教復興および冷戦体制の崩壊へと至る動きは同時的であった。そして、『近代世界の公共宗教』はこのような時代の刻印を受けている。
 しかし、一九九四年の原著刊行からすでに四半世紀以上の歳月が流れている。当時のいくつかの前提は、現在では崩れてしまっているのではないだろうか。
 当時と現在を隔てているものとして、第一に、規範としての民主化の脱自明化を挙げることができる。二〇世紀中葉のカトリック諸国では、独裁体制の権威主義に対して左派的なカトリックが公共的な役割を担いつつ自由と民主化を進めることが当為として見られたところがあるが、冷戦末期には西洋諸国とその周辺では民主化と自由主義が全面化し、その結果現在では、しばしば民主主義がポピュリズムに行き着いたり、自由主義の名のもとに新しい権威主義化が進行したりしている。西洋世界とりわけ西ヨーロッパではカトリック教徒の教会離れや聖職者の高齢化が進み、カトリック教会の全般的な衰退傾向を認識せざるをえないなか、内部では多様化が進み、その一部はカトリックとしてのアイデンティティを強めている。そのようなカトリックは、政治的には保守派と相性が良く、同性婚に対して伝統的な家族観を持ち出して反対したり、人工妊娠中絶に否定的な見解を持っていたりする。
 これに関連して第二に、西洋社会におけるカトリシズムの脱制度化の進行が「脱文化化」(exculturation)にまで行き着いているのではないかということである。カトリック信者の教会出席率の減少は、すでに二〇世紀半ば頃には見られたが、自分自身をカトリックに所属しているとみなす者の割合はその後も長いあいだ比較的高止まりのままで推移してきた。文化としてのカトリックが西洋のカトリック世界の歴史に深く根を下ろしていることは、なかなか否定できなかった。しかし、加速する時代のなかで宗教的伝統の継承が脱自明化するような世俗の新展開を迎え、現代の西洋は文化的カトリシズムからも脱却しつつあるのかもしれない。歴史的にはローマを総本山として西ヨーロッパの文化を形作り、新大陸をはじめ世界に進出していったカトリックだが、現代におけるカトリック信仰の中心地は南米やアフリカ――いわゆる「グローバルサウス」――に移動していると言っても過言ではない。脱中心化された西洋世界のカトリックの現状は、興味深い分析の対象である。
 第三に、位階制に体現されてきた聖職者の権威の失墜とカトリックであることの多様化のさらなる進展である。二〇世紀半ば頃から目立ちはじめた人びとの教会離れは、教導職の権威の低下を表わしてはいたが、二一世紀の世紀転換期頃から報じられるようになった聖職者の性的スキャンダルは、二〇一〇年代に入って一部の聖職者の問題ではなく教会組織の構造上の問題であると認識されるようになった。こうして聖職者の権威そのものが失墜し、西洋のカトリック世界全体が揺らいでいるなかで、カトリックそのものから離れていく元信者がいる一方で、熱心な俗人のカトリック教徒が旧来の制度を批判しながら組織としてのカトリックを立て直そうとしている。これまでカトリックの聖職者は独身男性にかぎられてきたこともあり、そのような場面では、ジェンダーやセクシュアリティの問題がクローズアップされている。
 カトリック内部の多様性は、コロナ禍でも露呈した。フランスでは、二〇二〇年三月から五月にかけての外出制限の際には、多くのカトリックは政府の指示にしたがい、それに反対したのはごく一部のカトリックにかぎられた。ところが、政府が五月に外出制限を段階的に解除するときに、生活に必須である施設から教会を外して後回しにすると、カトリックの指導者たちは異なる反応を示した。政府の措置は屈辱的だと公言する司教がいる一方で、カトリック信者は市民として責任ある行動をすべきであると述べる司教もいた。衛生の観点から、病人や死にゆく者に寄り添うことが制限されたことも、聖職者および一般信徒に複雑な反応を引き起こした。位階制を持つカトリックはもともと集権的な宗教という特徴を示してきたが、もはやカトリックを一枚岩的なものとして語ることはできなくなっている。
 この総論では、以上のような点に留意しながら、西洋のカトリック世界の現状と重要な問題の焦点について概観していきたい。現代史の展開のなかでカトリシズムのあり方はどのような変化を遂げてきたのか。その地域的な現われ方の多様性をどうすれば整合的に理解できるのか。現代西洋的なカトリックのあり方を、グローバルな広がりのなかでどのように理解すればよいのか。ホセ・カサノヴァが『近代世界の公共宗教』で展開した議論を、ポスト・コロニアリズムの観点に立つタラル・アサドはいわば西洋の「外側」から批判的に問い直したとするならば(アサド 二〇〇六)、本書ではアサドの批判の妥当性を認めつつ、あえて西洋の「内側」から見るような仕方で、カトリック的伝統の再構成の諸相を浮かびあがらせていきたい。さらに言えば、近現代における「異質」な「他者」としてのカトリックの多様なあり方を描き出すことを通して、「ポスト世俗」とも言われる時代を生きる私たちの思考をより他者に開かれたものとすることも狙っている。
(本文つづく。注は割愛しました)
 
 
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