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『法とリヴァイアサン――行政国家を救い出す』

 
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キャス・サンスティーン、エイドリアン・ヴァーミュール 著
吉良貴之 訳
『法とリヴァイアサン 行政国家を救い出す』

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訳者解説
 
吉良貴之
 
 本書はCass R. Sunstein & Adrian Vermeule, Law and Leviathan: Redeeming the Administrative State, Harvard University Press, 2020 の全訳である。本書は一方にいわゆる「行政国家」化の進展、他方に近年のアメリカ司法の保守化傾向を置き、両者のあるべき姿を追究する「行政法哲学」の試みである。その基本的な姿勢は、公法学者・法哲学者であるロン・L・フラーの「法の内在道徳」をアメリカ公法の基礎に見出そうとするものである。ここで検討されている裁判例はアメリカのものであり、本書は第一にアメリカ公法の研究であることはいうまでもない。しかし、行政国家化の進展と、それに対する司法のあり方という課題は日本を含め、先進諸国に共通するものといえる。したがって本書の洞察の重要部分は日本の公法を考えるうえでも十分に役立つと思われる。
 本書は、アメリカ公法史におけるいくつかの重要な裁判例と、それに基づく法理を軸としながら論述が進められる。本書を読むにあたってその細かい内容を知っておく必要はないのだが、本文中の説明はそれほど詳しくない。したがって、頻出のいくつかについて、この解説で確認しておくのが有益だと思われる。以下「新しいコーク」「非委任法理」「シェブロン法理」「アウアー法理」「法の内在道徳」について、要点を述べておく。
 
 【新しいコーク(New Coke)】 行政国家状況における行政権の肥大化を、権力分立に違反する事態として批判する論者たちを指す。「コーク」は、イギリスの法律家エドワード・コーク(一五五二―一六三四年、「クック」と表記されることも)にちなんでいる。コークはイギリスのステュアート朝、ジェームズ一世の専制政治を批判し、国王に対するコモンローの優位を説いた。「新しいコーク」として、サンスティーンとヴァーミュールの当初の二〇一六年の論文(“The New Coke: On the Plural Aims of Administrative Law,” The Supreme Court Review, Vol. 2015 )では、トーマス、アリトー、スカリアといった連邦最高裁の保守派判事らがあげられているが、本書ではゴーサッチ判事がその代表と位置付けられている。合衆国憲法の原初の意味から権力分立を主張する原意主義ではなく、あくまで現代の「生ける立憲主義」「コモンロー立憲主義」の運動として捉えるところにサンスティーンとヴァーミュールの独自性があるといえる。
 【非委任法理(non-delegation doctrine)】 合衆国憲法第一編の立法権を行政機関に包括的に授権(委任)することを禁止する法理をいう。「授権禁止」「委任禁止」法理とされることもある(以上、後掲・辻 二〇二三:一三三)。古くは一九二八年の連邦最高裁によるJ. W. Hampton, Jr. & Co. v. United States 判決で示され、委任に際しては連邦議会が行政を導くための「明瞭な原理(intelligible principle)」を示す必要があるとされた。もっとも、連邦最高裁においてそれが十分に支持されてはこなかったという見方が主流であったが、二〇一九年のGundy v. United States 事件におけるゴーサッチ判事の反対意見を契機として議論が活発化している。その詳細と、サンスティーンとヴァーミュールによる評価は本書一二三頁以下を参照。
 【シェブロン法理(Chevron doctrine)】 一九八四年のChevron U.S.A., Inc. v. Natural Resources Defense Council, Inc 判決において連邦最高裁によって示された、行政のルール解釈に対する司法の敬譲についての法理。現代アメリカ行政法において最も重要な法理の一つとされる。曖昧なルールの解釈につき、連邦議会が直接に言及していない問題については行政機関のルール解釈が不合理でない限り、司法はそれを尊重(敬譲)すべきであるとされた。その審査は「第一段階」で連邦議会の意図がそもそも曖昧であるかどうか、曖昧であるとすれば「第二段階」でその曖昧さが意図的なものであるかどうかが判断されるとした。もっとも、この法理の適用範囲は徐々に狭められ、サンスティーンは二〇〇六年の論文(“Chevron Step Zero,” 92 Virginia Law Review 187 )で、その前段階として、連邦議会が行政機関や裁判所にルール解釈の権限をもたせようとしているかどうかが審査されなければならないとした。本書一三九頁以下参照。
 【アウアー法理(Auer doctrine)】 一九九七年のAuer v. Robbins 判決において連邦最高裁によって示された、行政のルール解釈に対する司法の敬譲についての法理。シェブロン法理は曖昧な法令の解釈権限を問題にするが、アウアー法理は行政機関自身が作成した曖昧なルールの解釈権限の問題である。そこでは明白な誤りや矛盾がない限り、司法は行政機関の解釈を尊重(敬譲)しなければならないとされた。もっとも、二〇一九年のKisor v. Wilkie 判決以降、この法理の適用範囲も狭められているとされる。詳細とその評価については、本書七二頁以下、およびKisor 判決への言及箇所を参照。
 【法の内在道徳 internal morality of law】 アメリカの法哲学者ロン・フラー(一九〇二―一九七八)が一九六四年の著書Law and Morality(稲垣良徳訳『法と道徳』、有斐閣)で示した、法が法であるための八条件を指す(本書四一頁)。この一般性や遵守可能性といった形式的要件は「手続的自然法」として理解され、フラーによればそれは法にとって最低限必要な「義務の道徳」と、よりよい法を目指すための「熱望の道徳」の二つの側面を有するとされた。この法と道徳の結びつきをめぐって、イギリスの法哲学者H・L・A・ハートとの間で有名な「ハート=フラー論争」が展開された。本書は全体として、このフラー的原理をアメリカ行政法に内在する原理として位置づけようとしている。
 
 本書で扱われている内容について日本語で読める研究書・論文はそれほど多くないが、辻雄一郎『シェブロン法理の考察』(日本評論社、二〇一八年)、辻雄一郎『行政機関の憲法学的統制――アメリカにおけるコロナ、移民、環境と司法審査』(日本評論社、二〇二三年)は、本書が扱っている範囲の多くをカバーしている(特に後者)。本書の翻訳および解説にあたってもおおいに参考にさせていただいた。ほか、概説的なものとして、リチャード・J・ピアース『アメリカ行政法』(正木宏長訳、勁草書房、二〇一七年)はこの分野全体をコンパクトにまとめている。
 
著者の紹介
 本書はハーバード大学ロースクールの公法学担当の同僚である、キャス・サンスティーンとエイドリアン・ヴァーミュールによる共著である。両者はこれまで、いくつかの論文を共著で発表しているが、著書一冊での共著は初めてである。費用便益分析への態度など、両者のスタンスに違いがあることも述べられているが、本書全体としては基礎理論的な作業が中心であるため、特に役割分担をしているというよりは、そのまま両者の共著として読んでよいと思われる。
 キャス・サンスティーン(一九五四―)は現代アメリカ公法学を代表する研究者であり、きわめて多数の著書・論文がある。その関心は狭義の公法学にとどまることなく、法哲学的な基礎理論にも造詣が深い。近年は行動科学の法学への応用に力を注いでおり、経済学者リチャード・セイラーとの共著『実践 行動経済学』(遠藤真美訳、日経BP社、二〇〇九年[原著二〇〇八年])および『NUDGE実践 行動経済学 完全版』(遠藤真美訳、日経BP社、二〇二二年[原著二〇二一年])で「ナッジ」(ひじでそっと押す、という意味)という語を世界的な流行語にしてみせた。ほか、オバマ政権時には行政管理予算庁の情報・規制問題室長も務めており、そこで経験した行政における「ルール」の考察が本書でも随所に生かされている。
 サンスティーンの著書は日本語に翻訳されたものだけでも相当数があり、また分野も多岐にわたっている。ただ、本書のような公法基礎理論については、まだあまり紹介されていないのが実情かもしれない。基本的な主張を知るにあたっては、基礎理論的考察における重要な論文を集めた、那須耕介編・監訳『熟議が壊れるとき』(勁草書房、二〇一二年)が最も便利だと思われる。
 もう一人の著者、エイドリアン・ヴァーミュール(一九六八―)は、サンスティーンに比べればだいぶ年少だが、同じく現代アメリカ公法学を代表する論者とみなされている。公法学の社会科学としての総合化を目指し、意思決定理論などの成果を存分に用いている点で、サンスティーンと共通するところが多い。代表作にアメリカ公法学の「制度論的転回」をもたらしたと評価される『不確実性下の判断(Judging under Uncertainty)』(二〇〇六年、未邦訳)、ほか『リスクの立憲主義(The Constitution of Risk)』(吉良貴之訳、勁草書房、二〇一九年[原著二〇一四年])などがある。
 近年は保守的な論調が目立っており、「ポスト・リベラル」時代の代表的なイデオローグと目されている。学術的な著作でそうした姿勢が前面に出ることは多くないものの、最近著『共通善立憲主義(Common Good Constitutionalism)』(二〇二二年、未邦訳)は近年のアメリカ公法学において原意主義に代わる保守的な主張として注目されている。本書『法とリヴァイアサン』ではイデオロギー的な主張は抑えられているが、原意主義批判の箇所などではそうした問題関心が表れているといえそうである。また、「共通善」概念を中世のローマ法に遡らせるなど、歴史的関心も強く、その一部は本書の憲法思想史的な部分に生かされているだろう。
 本書は「行政国家の救済」という副題に示されているように、行政に対する司法の過度な敬譲を批判する立場(「非委任法理」の支持者など)に対し、その懸念を和らげるための行政法道徳の意義を説いている。その理論的背景としては、サンスティーンであれば熟議民主主義論と対になった「司法ミニマリズム」、ヴァーミュールであれば各制度機関の権限配分のあり方から見た司法の制度能力批判というように、もともと司法積極主義に対する批判的な視点がある。本書はそこから、行政権の望ましいエンパワメントのあり方へと、積極的な考察に進められている。
 
謝辞
 本書は吉良が、ヴァーミュール『リスクの立憲主義』(勁草書房、二〇一七年)およびサンスティーン『入門・行動科学と公共政策』(勁草書房、二〇二一年)に続いて、単独で訳した。翻訳にあたっては、戸田舜樹氏(筑波大学大学院、憲法思想史)にチェックをお願いした。おかげでいくつかの誤りや、読みにくい箇所が改善された。もちろん、なお残る誤りの責任はすべて吉良が負うものである。
 出版にあたっては、『リスクの立憲主義』に続いて、勁草書房編集部の山田政弘氏にお世話になった。山田氏は「基礎法学翻訳叢書」の創刊を進めるなど、本書のような法哲学・法学基礎理論の重要な著作を世に広めることに並々ならぬ熱意を持ってくださっている。私の能力不足ゆえにご期待に十分に応えられていないことを恐れているが、今後も重要な著作の出版のため、ご一緒できることを願っている。
 本書を訳すに至った経緯は、直接には、前述のサンスティーンやヴァーミュールの著作を訳したり、関連する論文を執筆してきた延長にある。ただ、本書の翻訳に向けて背中を押してくださった、故・那須耕介先生には特別の感謝を捧げたいと思う。那須先生が本書について「訳す価値がある」と太鼓判を押してくださったことで、小著ではあるもののなかなかの難物である本書を訳す決心がついた。しかし先生はその後すぐ、あまりにも早く病魔に倒れてしまった。本訳書をお目にかけることができなかったことを心より残念に思っている。
 那須先生はサンスティーンらの著作の法哲学的意義に早くから注目し、前述の『熟議が壊れるとき』の編・監訳を行ったほか、いくつかの重要な論考を執筆されてきた。特に、没後刊行された著書『法、政策、そして政治』(勁草書房、二〇二三年)は、法学的・政策学的・政治学的思考が交差する、視野の広い論考を集めている。そこで示された批判的視点は本書『法とリヴァイアサン』を読むうえでも重要な示唆を与えてくれる。
 那須先生とは、サンスティーンらのナッジ論の検討(那須耕介・橋本努・吉良貴之・瑞慶山広大『ナッジ!したいですか?されたいですか?――される側の感情、する側の勘定』勁草書房、二〇二〇年)でご一緒させていただいたほか、さまざまな機会に温かい励ましの言葉をいただいてきた。今となっては遅すぎるが、本訳書の公刊によって、そして今後の仕事によって、那須先生の学恩に少しでも報いられることを願っている。
 
 
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