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『イスラームの定着と葛藤 』(シリーズ・西洋における宗教と世俗の変容2)

 
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伊達聖伸・見原礼子 編著
『イスラームの定着と葛藤』(シリーズ・西洋における宗教と世俗の変容2)

「[総論]西洋における宗教と世俗の変容――イスラームの定着と葛藤」(はじめに)(pdfファイルへのリンク)〉
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[総論]西洋における宗教と世俗の変容――イスラームの定着と葛藤
 
伊達聖伸・見原礼子・安達智史・佐藤香寿実・山下泰幸・和田知之

 
はじめに――日本における研究動向と本書の方法・射程
 
 ヨーロッパおよび西洋世界とイスラームとの関係を考える際、共存を初めから自明視してかかることはできない。両者の関係はむしろ、対立と葛藤に満ちているように映るだろう。歴史的に言えば、「ヨーロッパ」という概念自体がイスラームに対峙する文脈において中世初期に形成されており、近代において政治的・経済的・軍事的覇権を握った西洋は、イスラーム世界を植民地化しながら知的な認識と記述の対象としてきた(Jopke 2015;サイード 一九九三)。そして第二次世界大戦後のヨーロッパの高度経済成長を支えたムスリム移民は社会のなかで周縁化され、二〇〇一年の九・一一は西洋社会全般においてイスラームのイメージをさらに悪化させるきっかけになった。サミュエル・ハンチントンが唱えた「文明の衝突」論は、東西冷戦の対立軸に代わるものとしてキリスト教的西洋とイスラームの対立を強調している(ハンチントン 二〇〇〇)。近年では、ヨーロッパがイスラーム化の進行によって「ユーラビア」(Eurabia)になるのではないかと不安を煽り立てる論調もある(マレー 二〇一八など)。だが、危機を迎えているのはイスラーム世界も同様であって─それはシリアやイラクにおけるISISの台頭などに表れている─、そうした混乱を西洋とイスラームの対立に起因するものとみなすのは誤りであるとの議論もある(トッド、クルバージュ 二〇〇八など)。
 日本では、イスラームやアラブ世界については、イスラーム学や地域研究の分厚い研究蓄積がある。一方、日本におけるヨーロッパ(特に西・北欧諸国)および西洋のイスラーム/ムスリムをめぐる国際比較研究の多くは、移民研究やマイノリティ研究の一環として展開されてきた(石川・渋谷・山本編 二〇一二;宮島 二〇一六;宮島・佐藤編 二〇一九;高橋・石田編 二〇一六;山本編 二〇一七など)。こうした研究の蓄積はそれなりにあるものの、イスラームやムスリム(コミュニティ)に焦点化した研究となると、かなり限られてくるのが現状である。移民研究やマイノリティ研究としての性格を持ちつつも、ヨーロッパにおけるイスラームの包摂あるいは排除をめぐる制度・政策や政治の問題を概観しながら、同時にトルコ系イスラーム運動のダイナミズムを国際比較の視座から論じた重要な研究として、内藤正典による研究がある(内藤 一九九六)。内藤はイスラームの包摂あるいは排除をめぐる問題に関連する一連の研究を手がけているが(内藤 二〇〇四;二〇二〇など)、なかでも「宗教シンボル」に焦点を当てた共編著(内藤・阪口編 二〇〇七)では、イスラームのヴェールという特定のイシューへの向き合い方がヨーロッパ各国でどのように異なるのかを浮かびあがらせた。
 これに関連して、イスラーム・ジェンダー研究において、ヨーロッパの事例や経験がイスラーム圏の経験と並置・比較されるかたちで参照される機会も増えてきている。長澤栄治監修の「イスラーム・ジェンダー・スタディーズ」は近年の代表的な成果である(森田・小野編 二〇一九;鷹木編 二〇二〇;服部・小林編 二〇二〇;鳥山編 二〇二一;岡・後藤編 二〇二三)。
 ヨーロッパおよび西洋におけるイスラームやムスリム(コミュニティ)に焦点を合わせたこれまでの研究は、大きく二つに分けることができる。一つは、宗教としてのイスラームを管理ないし包摂するための各国の制度や政策の歴史的変遷および実態に着目し、それが現実社会や政治の場においていかなる言説や論争を生じさせているのかを記述し分析するものである。それは、各国の移民や宗教をめぐる制度・政策および文化・哲学の固有性に着目し、それぞれの違いを浮き彫りにする(「ライシテ」のフランスと「柱状化」のオランダなど)。それと同時に、このアプローチは、いずれの国や社会においても、それぞれの制度や政策あるいは政治が、イスラーム/ムスリムとの共存をめぐりいかなる困難や対立を生じさせているのかを強調する傾向がある。もう一つが、日常生活で生じている多様なリアリティからムスリムと共に生きることをめぐる課題に迫ろうとするものである。制度、政策あるいは政治においての議論では、「共存をめぐる困難な課題」がクローズアップされる一方で、日常においては、対立と同時に共生が進むという多様なリアリティが存在している。そうしたムスリムが経験する日常性や現実は、おもに各国のフィールドワークやインタビューを通した重厚な質的調査の結果から明らかにされてきた(安達 二〇二〇;佐藤 二〇二三;山下 二〇一八など)。本書は、このいずれかもしくは両方の側面からの研究を進めてきた研究者たちが、国際比較研究の視座を踏まえつつ、各国の政治・社会・日常生活におけるイスラームの定着と葛藤をめぐる課題の諸側面に焦点を当て、分析を深めることを目的としている。
 そのための方法として、本書は「方法論的フランス中心主義」を提案する。これは、厳格な政教分離としてイメージされることの多いフランスの政教関係とイスラーム/ムスリムのあり方を一つの出発点となるモデルとして意識しながら、それを相対化していくアプローチのことである。ただそれは、本書の執筆者全員が各章の執筆に際して「フランス中心主義」を選択するという意味ではなく、比較研究を目指す本書が最初の足がかりとして立脚しながらそれを相対化していく流れを本書全体の構成に反映させることを意図するものである。この方針を採択するのは、執筆者にフランス研究者が多いことも一つの理由だが、それだけではない。
 もう少しわかりやすく述べてみよう。「方法論的フランス中心主義」は二つの要素からなる視点・方法である。第一に、それは西洋のイスラームをめぐり、フランスを出発点として論じる方法である。フランスは、ライシテと呼ばれる厳格な政教分離体制を敷き、そのため政教一致を志向すると言われるイスラームと特に対立が生じやすいと考えられがちである。つまりフランスは、西洋の世俗主義対イスラームという対立図式が最も先鋭に現れる場所として認識されている。
 だが、こうした認識は正しいものだろうか。イスラームとの対立がフランスで最も激しいのであれば、なぜ同国はヨーロッパ最大規模のムスリム受け入れ国となっており、そこで五〇〇万人とも六〇〇万人とも言われるムスリムが暮らし続けていくことができるのだろうか。実際には、フランスにはフランスならではのムスリムとの共生を可能にするライシテの論理が存在するのである。方法論的フランス中心主義は、フランスにおけるライシテとイスラームの一筋縄ではいかない複雑な関係を具体的な事例を通して論じることで、両者の関係をめぐる従来の単純化された見方を相対化することを狙っている。
 とはいえ、「方法論的フランス中心主義」は、「フランス中心主義」と同義ではない。つまり、第二に「方法論的」という言葉には、フランスの事情を一つのモデルとしながら、それを出発点とし、他国の事例で相対化していくという意味合いが込められている。政教分離の度合いの強弱がムスリムとの共生の成否を決めているわけではない。フランスならフランスらしい色合いを、他の国ならその国らしい色合いを帯びた包摂と排除の論理を比較の視座から読み解き、そのようななかでムスリムが実際にどのような日常生活を送っているのかに少しでも迫ろうとするのが、本書の目指すところである。
 その出発点として、この総論では、西洋諸国におけるイスラームとの共存をめぐる各国の制度的・政策的・政治的課題(マクロなパースペクティヴ)と、日常や現実の多様性(ミクロなパースペクティヴ)を架橋することを試みる。そのためにまず、二〇〇〇年代後半以降にヨーロッパを対象として行なわれてきたいくつかの国際比較調査の結果についてレビューを行なう。西洋諸国と言っても、大西洋の両岸では前提となる文脈が異なっているため、ヨーロッパはひとまずヨーロッパとして、アメリカ大陸とは区別される地域としてとらえておきたい。調査結果の分析を通して、イスラーム/ムスリムに対するヨーロッパ社会の認識のあり方やムスリム自身の自己認識(アイデンティティや差別認識など)が、従来の研究ではどのように比較されているのか明らかにする。次に、西洋諸国におけるイスラーム/ムスリムとの共存をめぐる一つのモデルとしてフランス社会の例を中心に紹介をし、フランス特有の事情とともに、西洋社会では全般的にいかなる問題が焦点化されるのかを概観する。そうしながら、視野をヨーロッパへ、さらに広い範囲へと広げていきたい。
(以下、本文つづく)
 
 
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