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『生ける憲法』

 
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デイヴィッド・ストラウス 著/大林啓吾 訳
『生ける憲法』(基礎法学翻訳叢書)

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訳者まえがき
 
 本書は、シカゴ大学ロースクール教授のデイヴィッド・ストラウスが著した『生ける憲法』(The Living Constitution)の翻訳である。原書が刊行されたのは二〇一〇年であるが、ちょうどその頃、アメリカでは憲法観をめぐる議論が興隆を迎えていた。アメリカはイギリスやフランス、さらには日本と比べて歴史が浅い分、世界初の近代憲法を自負しており、かなりのフィデリティを抱いている。そして銃、中絶、同性婚などのような重要な問題は憲法解釈に左右されることが少なくないため、憲法解釈方法ひいてはその先にある憲法観をめぐる議論のゆくえが耳目を集めてきた。論争が進むにつれて「生ける憲法」対「原意主義」という対立構造が形成される中、同書(原書)は生ける憲法の議論を書籍として上梓したものである。
 ストラウスは憲法を有機的に捉えて、時代を経るにつれて発展すると考える。これに対し、その対立相手である原意主義は憲法の意味が制定された時点に固定化されたものと捉える。換言すれば、ストラウスが提唱する生ける憲法はその名の通り憲法を生きた存在とみなすのに対し、原意主義は憲法制定者の意思が示された憲法典に拘束されるものとする。ある意味、憲法の生死をめぐる争いが展開していたわけである。この論争自体は二〇世紀から続くものであるが、原書が刊行される二年前、議論の膠着状況を揺るがす事態が起きた。二〇〇八年、連邦最高裁はヘラー判決において原意主義を正面から実践する判決を下したからである。それまで個別意見レベルでは原意主義の姿を見ることができたが、それがとうとう法廷意見レベルで登場するに至ったのである。
 そうなると、当然ながら生ける憲法側は黙っているわけにはいかない。アメリカ憲法学において、生ける憲法の概念自体は従来からしばしば言及されてきたものの、ストラウスの本が刊行されるまで、生ける憲法を正面から論じた書籍はマクベインの本などわずかしかなく、本格的な議論という意味では、この本は生ける憲法の嚆矢ともいえる存在である。
 二〇二四年現在、生ける憲法と原意主義の論争はなお継続中であり、それどころかむしろヒートアップしている。幾度の論争を経て、議論の内容は高度化・精緻化しているものの、それと同時に両者が融合する傾向にあり、むしろそれとオリジナルな生ける憲法論や原意主義論との間に距離が生じているようにも思える。ゆえに、この論争を理解するためには、まずオリジナルの議論を押さえなければ始まらない。生ける憲法については、その基本書ともいえる本書を読むことが必須である。同時に、その好敵手である原意主義についても、その基本書たるアントニン・スカリア著『法解釈の問題』(勁草書房、二〇二三年)が高畑英一郎教授(日本大学)の手によって翻訳されたばかりである。
 土台は整った。あとは頁を捲るだけである。そこには、アメリカ憲法学で最も熱い論争が待っている。
 

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 原書は一五〇頁と手軽な分量に抑えてあり、内容も平易に記してある。一般に、翻訳書は、できるだけ原書に忠実に訳すことが望まれるが、本書の場合、英文や英文法にこだわると、せっかくわかりやすい原書の文章がかえってわかりにくくなってしまうおそれがあった。そのため、本書は原書の趣を壊さないように、できるだけわかりやすい文章を心がけ、適宜、意訳を試みた。形式面についても、〝 〟をそのままの形で表すこともあれば、それを「 」に直した箇所もある。また、文意を掴みにくい箇所には、わずかではあるが、新しく「 」を付けたところがある。さらに、訳語についても、「いう」と「言う」、「アメリカ合衆国憲法」と「合衆国憲法」のように、同じ言葉を用いる場合であっても、文脈に応じて使い分けてある。なお、アメリカ憲法を知らない人も読めるように、訳注を付けてある。
 
 
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