あとがきたちよみ
『知識とは何だろうか[原著第5版]――認識論入門』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2026/10/29

 
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ダンカン・プリチャード 著
笠木雅史 訳
『知識とは何だろうか[原著第5版] 認識論入門』

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訳者解説
 
笠木雅史
 
 本書は、Routledgeが刊行している分野別の哲学入門書シリーズ「〜と呼ばれるものは何だろうか(What is This Thing Called 〜)」の一冊として刊行された、Pritchard, Duncan(2023)What is This Thing Called Knowledge, 5th Editionの翻訳である。邦題は、やや簡略化し、『知識とは何だろうか─認識論入門[原著第5版]』とした。本書の第4版(原著2018年)の邦訳は版の表示を抜いた同タイトルで2022年に公刊されたが、今回第5版を訳出するにあたり、原著の変更箇所をすべて反映したほか、既存箇所の翻訳も再度見直して手を入れた。
 本書のタイトルが示すように、本書は知識、あるいはより広く認識活動一般を扱う哲学分野である、認識論の入門書となっている。本書は、英語圏ではすでに高い評価を受けており、多くの大学で認識論入門の授業のテキストとして用いられている(英語圏では、本書でその議論が紹介されるような認識論の論文が読書課題として指定され、本書は副読本や参考書として指定されることが多い)。本書の意図と使い方については、すでに冒頭で著者のダンカン・プリチャードが説明しているため、以下では、1.本書の特徴、2.著者の紹介、3.第5版邦訳の成立過程という三つの点を簡略にまとめることにする。
 
1.本書の特徴
 本書を手に取られた方はすでにお分かりのように、まったく認識論、あるいは哲学の知識がなくても独習できるように、本書にはさまざまな配慮が行われており、理想の認識論入門書の一冊と言うことができる。各章の末尾には、その章の要点のまとめがあり、さらに学習課題として、その章の内容についての一連の問題が付されている。読者はこの学習課題を解くことで、自分がどの程度その章を理解したのかを確認することができるだけでなく、認識論が取り組む問題について自分で考えるための訓練を行うことができる。その意味で、本書が意図しているのは、読者が認識論内部のさまざまな見解についての知識を習得することだけでなく、読者が自分で認識論を行うための第一歩を踏み出すことである。
 そして、その歩みをスムーズに始め、さらに先へ歩いてゆくことができるように、本書には他にも工夫が存在する。まず、各章の末尾には、「入門的な読書案内」、「より高度な読書案内」、「フリーのインターネット上の資料」も付されており、そこで挙げられた文献・資料を読むことで、読者は興味を持った章の内容をさらに深く学習することができる(ただ残念なことに、邦訳のある文献は一部しか存在しないが)。次に、本書の末には、さらに認識論一般を学んでみたい読者のために、「読書案内」として、他の認識論の入門書や論文集、インターネット上の資料のリストが掲載されている。これだけではなく、本書末には、本書に登場する重要な語の意味を説明する「用語集」、本書で言及されるさまざまな事例をまとめた「主要事例集」も付されている。用語集に収録されている語は、本文での初出時にゴシック体で表記されており、確認しやすいように配慮が行われている。事例集にまとめられた事例は、本書で複数回言及されるものも多く、こちらもその確認のために活用できる。
 本書が認識論の入門として理想的である理由は、このように独学するためのさまざまな配慮と工夫が行われているという点だけでなく、内容としても他の入門書にはないほど広範囲の主題を扱っているという点にある。現代認識論は非常に早いスピードで展開しており、それまでの主題について数多くの著作が刊行される一方で、次々に新しい主題も登場している。このような認識論の新しい展開をカバーするために、2006年に第1版が刊行された後に、2009年に第2版、2013年に第3版、2018年に第4版、そして2023年にここで訳出した第5版と版を重ねるごとに、本書には新しい章が追加されてきた(また、読書案内や本文の細かい点にはさまざまな調整が同時に加えられた)。それぞれの版の構成を、この第5版に存在する章の番号で記すと、次のようになる。

第1版(2006):現第1〜10、20〜22章
第2版(2009):現第13章追加
第3版(2013):現第11〜12章追加
第4版(2018):現第16〜19章追加
第5版(2023):現第14〜15章追加、第6章、第19章大幅改訂

 つまり、認識論の中心的課題であった知識の分析、知識獲得の手段、懐疑論に関する問題を軸に展開される第5版の第Ⅰ〜Ⅱ部と第Ⅵ部だけという認識論に固有の問題を扱う第1版から、現在の第Ⅲ部にあたる科学、宗教、道徳という個別分野内の知識の性質を論じる章、第Ⅴ部にあたる科学技術、教育、法、政治という個別分野内の認識論的論点を扱う章が第4章までに追加された。そして、さらにこの第5版では、第Ⅳ部として、意見の不一致、無知と認識的不正義という知識と無知の社会的次元を扱う二つの章が加えられた。さらに、信頼性主義と徳認識論を解説する第6章がより明確かつ理解しやすいように大幅に改訂されたほか、「政治」の章(第4版第17章)の一節であった認識的不正義についての議論が拡張されて、新たな章(第5版第15章)で無知と関連づけて論じられるようになった。それに伴い、新しい「政治」の章(第5版第19章)には、認識的不正義の節の代わりにフェイクニュースの節が入ることとなった。もちろん、「読書案内」、「用語集」、「主要事例集」などの付録も、本体部分の変更に合わせて、改訂されている。
 このように、本書は哲学以外の分野への認識論の応用を含めるという方向で改訂されてきたのである。第5版で追加された二つの章も、「社会認識論」と呼ばれる認識論のより社会的、現実的問題への応用分野に関わるものである。そして、この社会認識論・応用認識論という方向は、現代認識論の主潮流の一つである(他にも大きな流れはいくつか存在する)。他の認識論の入門書にはない本書の内容上の大きな特徴の一つは、このような現代認識論の展開をカバーしている点にある。さらに、知識の分析を行う従来の認識論のプロジェクトの中で最初に提示される徳認識論を、応用認識論・社会認識論の問題への対処において一貫して適用するという点も、本書のもう一つの大きな特徴である。第5版には、上述した以外にも多くの変更箇所があるが、それらの多くは、徳認識論の内実とその適用の意義をより明確に解説するという目的での変更である。この変更により、これだけ広範な話題を扱いながらも、本書全体はより統一性のあるものとなった。
 本書は基本的に現代認識論の基礎とその応用方向への展開をカバーすることに重点が置かれているが、本書のさらに優れた点は、現代だけでなく、古代から近代までの認識論についても主要人物や興味深い主題を紹介するコラムが、各章にいくつか置かれていることである。これらのコラムを読むことで、読者はある程度、現代の認識論が位置する歴史的な文脈や認識論に貢献した人物たちの経歴を知ることができる。また、いくつかのコラムは、本文で扱われる認識論の主題と関連する映画を紹介している。これらのコラムは、本文と独立に気軽に読めるように書かれている。
 本書は本文とコラムをあわせるとかなり大部の分量となり、本書を初めて読む初学者は、読み通すのに苦労するかもしれない。しかし、本書でもっとも基本的な部分は、第1〜7、9章であり、これらの章をまず読み終えれば、次に他のどの章に進んでもほとんど問題なく読みすすめることができる。したがって、自分が興味を持った章があれば、次にそこを読むという形でもかまわない。この点でも、本書は読者への配慮の行き届いた入門書である(ただし、本書にも短所と言える箇所がないわけではない。例えば、本書の本文中で論じられる女性哲学者はミランダ・フリッカーしかおらず、ジェンダー上の著しい偏りが存在することは残念である。また、本書は先に述べたように、基本的に2006年刊行の第1版に章を追加するという形で改訂されてきたため、当初から存在する一部の章の議論には、すでにやや古さを感じるところもある)。
 
2.著者の紹介
 本書の著者ダンカン・プリチャードは、現代の英語圏の哲学における代表的な認識論者の一人である。彼はイギリス出身であり、セント・アンドリュース大学で哲学の博士学位を取得し、スターリング大学、エジンバラ大学の哲学科長を努めた後、現在はカリフォルニア大学アーバイン校の哲学科で特別栄誉教授の座についている。同校では知識・科学技術・社会学際研究センターを設立し、所長を務めてもいる。本書の内容の広範さにも現れているように、認識論内の多くの分野で非常に多くの著作、論文を刊行するとともに(これまで専門書、入門書を単著、共著合わせて10冊以上執筆し、公刊した論文の数は200を優に超える)、数冊の論文集を編集している。
 彼の広範な研究分野の中でもとりわけ顕著なのは、本書第2章の主題である知識の価値についての研究、第3章の主題である知識の定義についての研究、第6章、第14〜17章で議論される徳認識論、第19章の主題である根本的懐疑論の研究である。また、イギリス芸術・人文学研究会議からの資金のもとで、2013〜2015年には、本書第16章で扱われる拡張された知識を主題とする大規模プロジェクトを率いて多くの活動を行うなど、近年は応用認識論の研究も精力的に行っている。このように広範な分野に貢献しているプリチャードだが、特に根本的懐疑論の研究では間違いなく現代の第一人者であり、単著として刊行した研究書3冊、(2005)Epistemic Luck, Oxford University Press,(2012)Epistemological Disjunctivism, Oxford University Press,(2015)Epistemic Angst: Radical Skepticism and the Groundlessness of Our Believing, Princeton University Pressは、根本的懐疑論を現在研究しようとするならば、必読書となっている。さらに、やや専門的なところもあるが一般読者に向けた本として、人間の実存に関わる問題について認識論的考察を行う(2026)Tempting Fate: A Philosophical Guide to Risk, Luck, and a Meaningful Life, Princeton University Pressも最近出版された。彼の研究は、哲学内外で高く評価されており、2007年にはキャリア初期の研究者を対象とするフィリップ・リーヴァーヒューム賞を授与されたほか、2011年にはエジンバラ王立協会のフェローに選出された。
 プリチャードは極めて旺盛に研究を行う一方で、教育活動にも力を入れている。彼の教育への熱意は、本書のように学習のための配慮が行き届いた入門書を執筆し、改訂を続けていることからも窺い知ることができるはずである。本書以外にも、より進んだ認識論の入門書として(2016)Epistemology, Palgrave Macmillanを執筆しており、また懐疑論だけを扱う入門書として(2019)Scepticism: A Very Short Introduction, Oxford University Press(邦訳はダンカン・プリチャード『哲学がわかる 懐疑論─パラドクスから生き方へ』横路佳幸訳、岩波書店、2023年)も刊行している。さらに、アナリサ・コリーヴァ(Annalisa Coliva)との共著で(2022)Skepticism, Routledgeという懐疑論の入門書、ダニエル・モヤル・シャーロック(Danièle Moyal-Sharrock)と共著で(2024)Wittgenstein on Knowledge and Certainty, Cambridge University Pressというウィトゲンシュタインの反懐疑論的考察に焦点を当てた概説書も刊行している。
 このような認識論の入門書の執筆に加え、プリチャードは大規模公開オンライン講座(MOOC)にも積極的に参加し、多くの入門的講座を共同で担当しているほか、単独で「懐疑論(Skepticism)」も担当している。これらの講座は、代表的なMOOCのシステムであるコーセラ(Coursera)上で受講することができ、プリチャードの教えを受けたことがある人は世界中に存在している(「哲学入門」の講座の受講者は、現時点で200万人以上に及ぶという)。プリチャードはさらに、万人に教育機会を提供するという理念のもとで始まった、受刑者を対象とする哲学教育プログラムにも参加している(そのようなプログラムは、英語圏でいくつか存在する)。
 本書第17章に教育に関する章が収められていることからも分かるように、プリチャードは教育の認識論も専門としており、いくつかの教育に関する論文を執筆している。近年は、本務校であるカリフォルニア大学アーバイン校での全学的な知的徳の育成に関わる教育・研究プロジェクトでも総括責任者を務めてもいる。このように、彼の徳認識論に関する研究は、教育活動と一体化された形で行われているのである。本書が単に認識論の知見を紹介するだけでなく、読者が自分で考えるための案内をするように設計されているのも、知的徳の育成という観点が背後にあるからだと考えられる。
3.第5版邦訳の成立過程
 ここに訳出した本書第5版は、上述した以外の点でも第4版からさまざまな変更が加えられている。文章の不備の修正、文体や表記の統一といった形式的な変更だけでなく、より整合的かつ理解しやすくなるように、文章が追加されたり、変更されたりしている。変更箇所は各章数十か所に及び、過去の改訂に比べても、もっとも大規模で徹底的な改訂だと言うことができる。今回の翻訳にあたり、原著の変更箇所は確認できた限りですべて翻訳に反映した。
 本書を翻訳する過程で生じた疑問には、前回と同様に原著者のプリチャード氏に問い合わせた上で、一部の箇所については原著の文を修正した。本書で紹介されている文献・資料についても、プリチャード氏の協力のもと、最新の情報を反映するように改めた。本書末尾の「読書案内」について相談した際に、いくつかの本の追加については一任すると言われたため、訳者の判断で数冊の本を追加している。それらの本についてのコメントは訳者が作成したため、〔訳者追加〕と付されている。
 前回と同様に、今回の翻訳にあたっても、日本語で本書を読む初学者にも理解がしやすいように、原文の構造を忠実に再現するよりも、その内容を平易に表現するように心掛けた。このため、一部は原文の表現を削除したり、逆に追加したりした部分も存在する(ただし、前回の翻訳の際にプリチャード氏に指摘した原著の不備は第5版で多くが修正されたため、原著と翻訳の相違は、今回はかなり小さいものとなった)。また、読解を妨げないために、日本語だけで可能な限り理解できるようにも心掛けた。このため、一部の語に原語を併記するということも本文では行わず、原語は索引にのみ表記されている。もちろん、こうした訳者の行いによって、逆に理解が難しくなるという結果が生じたとすれば、それはひとえに訳者の力不足である。
 最後に、本邦訳の成立過程について記しておく。本書第4版の邦訳は2022年10月に出版されたが、そのおよそ半年後の2023年5月に第5版の原著が出版された。その直後に、新規に追加された現第14〜15章と大幅に改訂された第6章を試訳し、本書をテキストとする授業で使用した。その際に勁草書房に第5版の翻訳の出版を打診したが、旧版の増刷に関わる事情もあり、しばらく待つこととなった。2026年5月に編集部から出版の許可が出たため、他の新規に追加された箇所を訳出した。さらに、旧訳に存在した誤訳や不備を修正するとともに、原著の変更箇所が理解しやすくなるように訳文を全面的に見直した。このため、一部の訳語には旧訳から変更したものもある。
 第4版の翻訳の際には、太田陽、次田瞬、萬屋博喜の各氏にその全体を読んでもらい、多くのミスや改善点を指摘してもらった。それに加え、永守伸年氏には第7章、安藤馨氏には現第18章を読んでもらい、彼らの専門的な観点から指導を受けた。さらに、第4版、第5版の試訳をテキストとする訳者の授業を受講してくれた広島大学の学生からは、どの辺りの理解が難しいのかを学ぶことができた。また、本邦訳の刊行にあたっては、前回から引き続き担当していただいた勁草書房の土井美智子氏の迅速かつ的確な作業にも助けられた。こうした多くの人の協力に感謝したい。最後に、本邦訳に関する研究は、科研費(20K00033、23K00010)の助成をうけている。
 第4版の訳者解説でも述べたが、四半世紀ほど前に大学院生だったときから、訳者はプリチャード氏の著作に極めて多くを学んできた。当時氏の論文を熱心に追っていたのだが、彼が刊行したばかりの論文が日本ではまだ入手できず(掲載誌が電子化されていないか、できたとしても日本の大学ではまだ利用できなかった)、どうしてもすぐに読みたかった訳者は、辞書をひきながら生まれて初めての英文のメールを書き、メール添付で送ってくれないかとたずねたことがある。数時間後に返事があり、まったく見ず知らずの異国からの依頼だったにもかかわらず、氏は快く応じてくれた。当時は自分が将来、氏の著作を翻訳することになるとは夢にも思っていなかったが、本書第4版、第5版の邦訳でその恩を返すことができたとすれば、嬉しく思う。
 
 
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