めいのレッスン ~にゃあご
何がきっかけだったのだろう、マンガかアニメ、小説か映画、それともどこかで目にした姿やうごきからなのかもしれない、めいはサイェが何かと言えば「にゃあ語」をつかうようになったのだ。
あとがきたちよみ
『フィクションの哲学 〔改訂版〕』
「改訂版へのはしがき」と「はしがき」を公開しました。
虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第20回 人間不在の場所で生じる人間的経験/『けものフレンズ』
かばんは人間という種の特徴が個体化してギャラクター化された、人間という種のシミュレーションのような存在であるはずです。人間がいなくなった世界で生まれた、人間という形象のシミュレーション。この意味でかばんは、人間のもつ愛情を模倣したプログラムを搭載し、人類絶滅の後にAIの前でそれを演じてみせた、『A.I.』のアンドロイド、デイビッドに似ています。かばんもデイビッドも、「人間でもなく、人間でもなくもない」という二重の否定で表現されると言えます。
ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 18〉新聞の「編集権」はだれのものか
外部制作の紙面がノーチェックで掲載されるといわれると、記者ならだれしもギョッとしそうです。でも実際にあるそういう取り組みから、何か見えてきませんか?[編集部]
コヨーテ歩き撮り#36
アンダルシアの名物料理のひとつ、冷たいスープのサルモレーホ。パンでとろみをつけたトマトとにんにくのスープ(これに対してここではガスパーチョはとろみが少ない)。真夏には40度を超える土地、体にしみわたります。
めいのレッスン ~かね、のエコー
「茎わさびがきざんでのっているおそばもおいしかったけど、 かねの音がね、よかった。
めいのレッスン ~古本を救う犬
ときどき道路に雑誌や本が積みかさねてある。ゴミの収集日の朝だ。 モノがゴミになるのはいつからかな、とおもいながら、ゴミ袋を横目にみる。でも雑誌があるとついつい、立ちどまってしまう。
コヨーテ歩き撮り#35
スペイン、アンダルシア地方の古都グラナダは、ガルシア・ロルカの街でもあります。ここの国際詩祭に招待され、自作を朗読しました。空き時間は、もっぱら街歩き。かつてユダヤ教、イスラム教、キリスト教が共存した、中世のアル・アンダルースに思いをはせながら。なぜか、すべてが美しい街。
あとがきたちよみ
『結婚差別の社会学』
「はじめに」と「第1章」を公開しました。
めいのレッスン ~はるおちば[第3回]
木からおなじように落ちても、秋や冬と、春とではちがう。春に落葉ということばはあまり耳にしないようにおもうけれど、実際にはよく落ちる。
ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』第39回
今回は書評回となります。本年4月に勁草書房からダニエル・ソロブの翻訳『プライバシーなんていらない!?――情報社会における自由と安全』が発売されました![編集部]
《ジェンダー対話シリーズ》第5回 王寺賢太×森川輝一:愛・性・家族のポリティクス(後篇)
《ジェンダー対話シリーズ》第5回は、第4回にひきつづき、王寺賢太さんと森川輝一さんをお迎えして開催された『愛・性・家族の哲学』(ナカニシヤ出版)出版関連イベントでのお話をお送りします。今回中心になるのは「愛」のポリティクスについて。宮野さんのするどい質問に対し、森川さんと王寺さんが「愛」の擁護にまわります。王寺さん、森川さん、藤田さん、宮野さん、それぞれが考える「愛」のかたちとは?
