コヨーテ歩き撮り#78
光が神の徴だとしたら、突然現われた彼は神の顕現かな。神々しい人でした。汚れた街路が突然に変容する瞬間。ハバナにて。
光が神の徴だとしたら、突然現われた彼は神の顕現かな。神々しい人でした。汚れた街路が突然に変容する瞬間。ハバナにて。
青空を見ていると自分が帰ってゆくところがあるような気がする、みたいなことを書いた詩人がいたじゃない。その気持ちもわかるけれど、ほんとうはヒトは空には全面的に拒絶されている、閉め出されている。帰ってゆくべきところがあるとすれば、それは海。陽光がゆれ無限のパターンを生む、光の海。ハバナにて。
生物も無生物も歳をとる。ショーウィンドウのフィギュアだって、確実に古びてゆく。でもタンタンとミルーそのものは、けっして歳をとらない。フィクション存在の強さだね。
旅先では食事はひとり。でもだいたい、何かを読みながら。きょうのお昼はタルタルステーキ、食卓の連れはフィリップ・デスコラとティム・インゴルド。なんという贅沢でしょう。
本格的エチオピア料理! それぞれの煮込み料理、ぜんぶ味がちがいます。テフという穀物から作る、インジェラという酸味のある発酵パン(パンではない)を適当な大きさにちぎって、手で巻いて食べます。巻いた手で食べさせてあげるのが、同席する人々への親愛のしるし。東京の一角で、エチオピア・ディアスポラの人々に教わりました。
夢に牛が出てきました。それがいつのまにか本物じゃなくて、かわいいアニメみたいになってて。目覚めてから「どこかであんな牛の絵を見たな」としばし考えて思い出したのがこれ。ロスアンジェルスの人気エチオピア料理店の壁画です。働き者の牛たちは家族。
台中で國立中興大学に遊びに行くと、オフィスの一角にこんなものが。充電中のピカチューを見つめるピカチュー。完成されたかわいさですね。
台中の街を歩いていたら、公園にこんなジャングルジムみたいなものがありました。へんな格好だな、と思いつつ歩きすぎようと思って、ある角度にくるとオヤッ? 突然正体が見えました。そう、法國闘牛犬です。つまりフレンチブル。とたんにかわいく思えてきました。
パリの秋、モンパルナス墓地を訪れました。多くの文学者や芸術家が眠るここは、一種の図書館。マルグリット・デュラスの墓標には、訪れた人たちが残していったたくさんのペンが花を咲かせていました。
カトリックのなまなましさには時々びっくりします。教会のそばのお店で売られている、こうした血まみれの像は、いやでもイエスの苦しみを日々人々に思い出させずにはいません。南米エクアドルの港湾都市グアヤキルにて。