言語ゲーム

掌の美術論・最終回
働く手(後編)――とある「仕事」の区切り

前回の記事の最後の部分にちょっとだけ立ち戻り、解説映像『ロバート・モリス 心/身問題』(1995年)でロザリンド・クラウスとロバート・モリスが昔語りをする老人たちを演じていたことを思い出してみよう。それがわざとらしい演出を伴っていたのは、老人の眼差しが本来クラウスにとって、批評家に相応しからぬものだったからである。遠くの過去ばかりを見ようとする老人の眼差しは、美術史家にこそおあつらえ向きだと、彼女は考えていた。クラウスは著書『視覚的無意識』において、影響源を探り当てようとする美術史家の関心を「出典探しのゲーム(game of sources)」と皮肉をこめて呼んだ。

By |2026-06-14T10:07:52+09:002025/3/25|連載・読み物, 掌の美術論|

掌の美術論 第23回
働く手(中編)――芸術の「自律性」を宙吊りにする

前回の記事で論じたように、ロバート・モリスもロザリンド・クラウスも、特殊な遊び場としての解説映像『ロバート・モリス 心/身問題』(1995年)で既存の現実に対し批評的な距離を取ることを試みた。モリスが距離を取ろうとしたのは、既存の芸術と既存の産業の双方が別々に築き上げてきた価値体系であった。とりわけこの解説映像で度々取り上げられるパフォーマンス《サイト》(1964年)は、階層化された既存の芸術とも、労働者を労働から疎外する既存の産業とも切り離されながら、芸術と産業の労働が交差するような実践の場にほかならなかった。……

By |2026-06-12T11:21:54+09:002025/2/25|連載・読み物, 掌の美術論|

掌の美術論 第22回
働く手(前編)――仕事中を演じる

あ、この人こんなふうに笑うんだ、と、ミニマリズムの彫刻家ロバート・モリス(第11回・第12回記事参照)についての1995年の解説映像『ロバート・モリス 心/身問題』に登場する、美術批評家ロザリンド・クラウスを見て思った。クラウスはこの映像の中で始終かしこまって教壇から解説するのだが、威圧的な教授たらんと装う最中、映像を投影するスクリーンとして使用していた、教壇に貼り付けられたボール紙が剥がれ落ちて、ふふっと笑ってしまう。……

By |2026-06-12T11:32:32+09:002025/1/29|連載・読み物, 掌の美術論|
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