『掌の美術論――触覚と想像力に』、2026年7月2日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
それならなぜクラウスはわらったの
あ、この人こんなふうに笑うんだ、と、ミニマリズムの彫刻家ロバート・モリス(第11回・第12回記事参照)についての1995年の解説映像『ロバート・モリス 心/身問題*1』に登場する、美術批評家ロザリンド・クラウスを見て思った。クラウスはこの映像の中で始終かしこまって教壇から解説するのだが、威圧的な教授たらんと装う最中、映像を投影するスクリーンとして使用していた、教壇に貼り付けられたボール紙が剥がれ落ちて、ふふっと笑ってしまう。フランス国立図書館の地下の、暗い映像資料閲覧室で、何度もこの動画を再生した。映像の中で、彼女の口から述べられる見解は、いかにも彼女が文章で書きそうな難解な内容ばかり。けれどそこに笑いが挿入されているなどとは、まったく予想していなかった。
解説映像全体は、モリスのパフォーマンスの記録映像と、パフォーマーによる再演、それらに応じたクラウスの分析という、オーソドックスな要素から構成されている。だがこの映像を他の解説映像と決定的に区別しているのは、そこに登場するクラウスとモリスが、それぞれ複数の人格を演じながら、異なる時間と空間を交差させるような、複雑な一つの作品を立ち上げようとしている点である*2。
この映像の中でモリスとクラウスが三つの役割を演じていることが、オープニングのクレジットで告げられる。それによればモリスは第一に「タスク・パフォーマー」であり、第二にアメリカのコミック『クレイジー・カット』に登場するネズミのキャラクター「イグナッツ」であり、第三に「一般観客」である。クラウスはといえば、第一に美術批評家、第二に「 ロズ・セラヴィ」、そして第三に「衒学的な教授」を演じているのだと、クレジットは告げる。モリスの演じる三重の役割も非常に興味深いのだが、ここで焦点を当てたいのはクラウスの役割の三重性である。
つづきは、単行本『掌の美術論』でごらんください。
身体を通して、世界に触れ、世界と戯れ、世界を模倣し、そして世界とずれていく。そのずれの中にこそ、芸術の可能性は宿っている。
2026年7月2日発売
松井裕美 著『掌の美術論――触覚と想像力に』
四六判上製・352頁 本体価格4000円(税込4400円)
ISBN:978-4-326-85207-9 →[書誌情報]
【内容紹介】遊びが手触りや感覚を頼りに新たなゲームや楽しさを創造し、ときに新しい認識や価値を開いていくように、触覚を軸にした鑑賞の方法を提示する。触覚に関わる美術史を整理したうえでフェミニズムや歴史・記憶と芸術作品の関係など、現代的な問題意識を織り込んだ作品解説を通し、触覚と想像力が拓く遊戯場としての美術史を紡ぎだす。
》》》バックナンバー ⇒《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手
第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい
第15回 キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた
第16回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(前編)
第17回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(中編)
第18回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(後編)
第19回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(前編)
第20回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(中編)
第21回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(後編)

