『掌の美術論――触覚と想像力に』、2026年7月2日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
芸術と産業
前回の記事で論じたように、ロバート・モリスもロザリンド・クラウスも、特殊な遊び場としての解説映像『ロバート・モリス 心/身問題』(1995年)で既存の現実に対し批評的な距離を取ることを試みた。モリスが距離を取ろうとしたのは、既存の芸術と既存の産業の双方が別々に築き上げてきた価値体系であった。とりわけこの解説映像で度々取り上げられるパフォーマンス《サイト》(1964年)は、階層化された既存の芸術とも、労働者を労働から疎外する既存の産業とも切り離されながら、芸術と産業の労働が交差するような実践の場にほかならなかった。しかもこの実践のために必要とされた展示室や劇場という特殊な場が、様々なかたちで社会的に階層化された既存のシステムとの関係を完全に断ち切っているわけではなかったからこそ、より一層批判的な姿勢が必要とされたのである。
ではそうした批判的姿勢を持ち続けさえすれば、展示室や劇場は、産業生産や商業活動の根底にある資本主義や、それが生み出したり強化したりしている社会構造とは切り離された場となり得るのだろうか。そうすれば芸術は、それ固有の理論や価値観を持った自律した一分野となることができ、いわば「純粋性」ともいうべきものを獲得できるのだろうか。
文化産業に関わる者なら、できればはっきりと意見を表明したくないような問いだ。どんなに批判的になったところで、芸術の場が真の意味で「純粋」になることはないのかもしれない。そう思いながら、それでも私たちは、あらゆる抑圧から解放された自由で「純粋」な何か、商業的でも産業的でも、党派的でも差別的でもない場を求めるものだ。
つづきは、単行本『掌の美術論』でごらんください。
身体を通して、世界に触れ、世界と戯れ、世界を模倣し、そして世界とずれていく。そのずれの中にこそ、芸術の可能性は宿っている。
2026年7月2日発売
松井裕美 著『掌の美術論――触覚と想像力に』
四六判上製・352頁 本体価格4000円(税込4400円)
ISBN:978-4-326-85207-9 →[書誌情報]
【内容紹介】遊びが手触りや感覚を頼りに新たなゲームや楽しさを創造し、ときに新しい認識や価値を開いていくように、触覚を軸にした鑑賞の方法を提示する。触覚に関わる美術史を整理したうえでフェミニズムや歴史・記憶と芸術作品の関係など、現代的な問題意識を織り込んだ作品解説を通し、触覚と想像力が拓く遊戯場としての美術史を紡ぎだす。
》》》バックナンバー ⇒《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手
第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい
第15回 キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた
第16回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(前編)
第17回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(中編)
第18回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(後編)
第19回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(前編)
第20回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(中編)
第21回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(後編)
第22回 働く手(前編)――仕事中を演じる

