虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第15回 「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUC(ユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(1)

2月 08日, 2017 古谷利裕

 
 

ファーストガンダム

40年近くの時を経た現在もなお、新シリーズがつくられ続けているガンダム・シリーズの第一作『機動戦士ガンダム』は、否応もなく巻き込まれてしまった戦争のなかで、少年少女たちが成長してゆく様が描かれる物語と言えます。しかし同時に、組織の腐敗や機能不全、そこから生まれる不正、対立、そしてそれらの増進が戦争へ至ってしまう、そのような社会しかつくり得ない旧世代に対する、そうではない別の可能性を秘めた新世代(ニュータイプ)の存在を示唆する物語でもあります。

それは一方で、人間は変わり得るのか、社会は変わり得るのかという可能性の物語であり、もう一方で、新世代に対する、旧世代の無理解や抑圧という、世代間対立(抗争)の物語でもあります。新しい可能性は古い体制のなかで生まれますから、必ず、古い体制の無理解と抑圧に突き当たることになります。新しい可能性(ニュータイプ)は、人類にとっての希望であると同時に、現に今ある体制にとっては非常に危険な存在ということになります。

新しい可能性が現実として芽を吹くためには、今ある体制からの無理解や抑圧を跳ね返し、それを覆す必要があります。『機動戦士ガンダム』では、地球連邦政府と、宇宙へと棄民された人々の一部であるジオン公国とが戦争をしているのですが、ここには二重の対立があると言えます。一つは、地球連邦政府とジオン公国との戦争という対立。そしてもう一つは、戦争をするしかない現状の体制と、現状を超え出る(かもしれない)新しい可能性との対立です。

ジオン公国は、地球の支配に対して宇宙移住者の自治権を主張するために戦争を仕掛けました。これはジオン公国による「社会を変える」ための行動と言えます。一見するとジオン公国の方に理があるようにも思われます。しかし疑問が二つあります。一つめは、社会を変えるための手段として戦争は肯定されるのか、ということ。もう一つは、地球連邦政府と宇宙移民者の間にある支配と欺瞞の構造は、ジオン公国内部にも別の形で(ザビ家による独裁など)存在するので、仮に自治権が認められたとして、それで本当に何かが変わったと言えるのか、ということです。実際、科学技術では地球を上回るジオン公国が戦争に破れた主な原因は、内部での裏切りの連鎖による自滅と言えます。つまり、前者の対立(ジオン対地球)は、「現にある体制」内部での対立であって、戦争でどちらが勝とうが、現にある体制内で力関係が変化するにすぎず(ジオンが勝っても与野党逆転に過ぎず)そこに「新しい可能性」はありません。

(この戦争の結果は少し複雑です。地球連邦政府は、ジオン公国の戦争責任を独裁していたザビ家に負わせ、ザビ家を排除したジオン共和国として自治権を認めます。しかし実際は、ジオン共和国の政権は地球連邦政府の傀儡にすぎないものでした。名目上の自治権を与え、実質は何も変わらないという、実に現実的な落としどころと言えます。なお、ジオン共和国は数多くあるコロニーの一つでしかなく、ジオン共和国以外のコロニーは自治権をもっていません。)

『機動戦士ガンダム』という物語は、前者の対立を描きながら、そこから後者の対立が浮かび上がってくるようにつくられていると言えます。新しい可能性は、古い体制の内にある限り、古い体制の都合で使われます。つまり、戦争の道具として、優秀な戦闘員として。そして、新しい可能性をもつ者も、自らの可能性の新しさに対して自覚的ではありません。新しい可能性をもつ者は、古い体制の駒として使われ、その経験のなかで徐々に可能性に気づき、育てていくのです。

ただし、『機動戦士ガンダム』でニュータイプとして示されている「新しい可能性」には具体性はなく、あくまで抽象的なものとしての「可能性」であるに留まります。ここで示されるのは、現にある体制を根底的に書き換えることのできる何かが新たに生まれることがあり得るのだということと、しかし、その新たな可能性は常に「現にある体制」に潰される危険があり、その開花は困難であるということでしょう。

(しかし、その可能性が真に新しいものであるならば、その具体像を前もって知る者はどこにもいないはずです。)
 

『逆襲のシャア』

『機動戦士ガンダム』において、シャア・アズナブルという人物は、戦争に乗じて個人的な復讐を実行しようという邪な思いを抱きながら、戦争で活躍することによって出世してゆく一人の優秀な軍人にすぎませんでした。覚醒したニュータイプであるララァという女性への愛情を除けば、ニュータイプという概念に戦争のための有利な能力(戦力)という以上の意味を感じていません。彼の目的は復讐や勝利であり、可能性の開花や社会の変革ではありません。

しかし、後につくられた『逆襲のシャア』では彼の考えは変化しています。人間の変わらなさ、古い体制の変わらなさにうんざりした彼は、人々を強制的に「目覚め」させようと考えます。体制のなかで出世していく軍人ではなく、積極的に社会(体制)を変化させようとする革命家(政治家)になっているのです。

ガンダムの宇宙世紀シリーズにおいて、ニュータイプへの覚醒は地球という故郷(重力)を離れることによって促されると考えられています。人類は増えすぎた人口への対策として、スペースコロニーをつくって人々をそこへと移住させています。そして、ニュータイプとは、宇宙という過酷な環境へ適応するための進化としてあらわれるものだというのです。しかし、政治的、経済的な中心は地球にあり、スペースコロニー群は文字通り植民地的に地球に支配され、搾取されています。「新しい可能性」がスペースコロニーの側にあるということは現体制にとって望ましいことではありません。

しかし、戦争を通じて何人もの人々がニュータイプとして目覚め(あるいは、目覚めの兆候をみせ)、その存在は既に無視できないものとなっています。シャア自身も、戦争を通じてニュータイプとして覚醒した一人と言えます。

『逆襲のシャア』で軍人から政治家へと転身したシャアは、ネオ・ジオンという、宇宙移住者の自治権確立を目的とする組織を立ち上げ、自らの出自(ニュータイプ思想を掲げた政治思想家の息子)を根拠にその代表となります。彼は、人を巧みに操り、政治的なパフォーマンスなどもそつなく演じ、ネオ・ジオンは多くの宇宙移民者からの支持を得ているようです。

しかし、政治家、策略家として現実的に振る舞う一方、彼の地球の住人に対する姿勢は非常に極端なものです。シャアは、地球に小惑星を落下させ、「核の冬」にして地球を人の住めない環境にし、地球上の人類を強制的に宇宙へ移住させることで進化を促そうとしているのです。

(核の冬とは、核爆発やそれに伴う延焼により、大量の埃や煙が大気に漂って長い期間にわたって太陽光を遮断し、光合成できなくなった植物の死滅などによって生態系が壊れ、生物の生存が不可能な状態になることを指します。)

つまりシャアは、新しい可能性を抑圧する古い体制(地球連邦政府)の存在の根幹そのもの(地球環境)を破壊してしまうことで、その抑圧を性急に取り払おうとしているのです。これはまさにテロリズムであり、この行為を肯定することはできないでしょう。シャアがテロリストだとすれば、この物語においてシャアと敵対するもう一人のニュータイプであるアムロ・レイこそが、この連載の1回目で取り上げた「体制内アウトロー」の先駆けと言えるかもしれません。
 

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