虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第15回 「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUC(ユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(1)

About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
Published On: 2017/2/8By

 
 

体制内アウトローと大人の現実主義

詳しくは連載の第1回を読んでいただきたいのですが、体制内アウトローという考えについて少し説明します。体制内アウトローとは、体制対反体制、あるいは父対息子という対立の物語(それは反体制、あるいは息子が世界を革命する物語とも言えます)にリアリティが感じられなくなったことによって生まれた虚構内の人物像です。特に90年代に顕著に現われ、『機動警察パトレイバー』の後藤課長や『攻殻機動隊』の9課のメンバーなどが代表例と言えます。彼らは、精神(魂)としては反体制的なのですが、社会的な地位としては体制内にいて秩序に維持のために働きます。

彼らは、体制内では周辺的な位置にいて、権力の中枢とは距離をとっています。破壊を厭わずに性急に世界を革命しようとするようなテロリストが現れたときに、権力の中心は官僚的で腐っていて機能せず、それに充分に対処できません。そこで、体制内アウトローである彼らが独自の行動をとって事態を回収します。彼らは革命家でも権力者でもなく、無名の公務員ですが、汚れ仕事を買って出る彼らの矜持とやせ我慢が世界の秩序を守るのです。しかし彼らはあくまで「古い体制」の側にいる人たちであって、「新しい可能性」の側にはいません。彼らの活躍によって、世界の破壊や混乱という最悪の事態は免れますが、それは同時に「社会を変える」という行為を抑圧します。結果として、腐った権力の中枢(既得権)を生き延びさせるのです。ここに彼らの最大の矛盾があります。魂は反体制的である彼らにとって、本当は彼らの敵である革命家こそが「夢」なのですが、しかしそれは世界の破壊を意味するので決して実現を許されない夢なのです。

そして実際、私たちは現在、破壊や混乱よりも現状維持を望むという「大人の現実主義」のつみ重ねによって、非常に閉塞した世界に住んでいるように感じられます。

『逆襲のシャア』の主人公がアムロではなくシャアであるのは、この物語の軸が「新しい可能性」の側にあるということを意味するでしょう。しかし、シャアのやり方は肯定できません。『逆襲のシャア』のアムロに、大人の現実主義としての体制内アウトローとは異なっている点があるとすれば、この物語の結末――破滅の回避――が「古い体制の秩序回復」ではなく、「新しい可能性」の力によってもたらされているということによるでしょう。シャアの暴走を抑制するアムロは、古い体制を維持する側(地球連邦軍)に位置してはいるのですが、しかし結果としてアムロこそが可能性を開く鍵となるのです。とはいえ、繰り返しになりますが『機動戦士ガンダム』や『逆襲のシャア』における「ニュータイプ」と呼ばれる新しい可能性はきわめて具体性が乏しく、ただ「可能性はあるんだ」と言っているだけなのと大差ありません。

(とはいえ、具体的なことが一つ言われていて、それは「新しい可能性」のためには世代交代――新しい世代――が必要である、ということです。)

破壊によって性急に世界を革命しようとするテロリストも、腐った秩序でも混乱よりはマシだとしてそれを守る体制内アウトローも、どちらも「人は変わり得る」「社会は変わり得る」という可能性を信じられないという点で一致しています。可能性はあるんだ、可能性を信じろ、とただ言われても、それをそのまま信じるには、その失敗をあまりに多く目にしてしまっているのです。
 

『ガンダムUC』

『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』では、宇宙世紀シリーズの時系列としては『逆襲のシャア』の3年後の出来事が描かれます。これは『機動戦士ガンダム』で描かれた戦争の16年後にあたります。アムロは16歳でガンダムのパイロットとなるのですが、戦後すぐに生まれた『ガンダムUC』の主人公バナージ・リンクスもまた16歳です。

つまり、バナージの存在はあきらかにアムロと重ねられています。いわば二度目のアムロであり、次の世代のアムロと言えます。そしてもう一人、この物語にはシャアの再来と言われ、シャア自身なのか、それとも別人なのかはっきりしないフル・フロンタルという人物が登場します。彼もまた二度目のシャアなのですが、彼の場合は、次の世代のシャアではなく、いわばシャアのシミュレーションというような存在です。この物語は、二度目のアムロと二度目のシャア、次の世代のアムロとシミュレーション化されたシャアが対立する物語と言えるでしょう。

物語の骨格をみていきます。表向きは美術品をコロニーへと移送するための財団法人であるピスト財団は、「ラプラスの箱」と呼ばれる、それが開かれると地球連邦政府が滅びるとまで言われている秘密の何か所有しており、この重要機密を盾にして政府から様々な便宜を引き出すことで、財団と、財団が支援するアナハイム・エレクトロニクス社を繁栄させてきました。宇宙世紀のはじまりから百年近くつづくこの関係は、強迫-被強迫の緊張関係というより、馴れ合いによる均衡をつくっていて、今や政府と財団は共依存のような関係になっています。

しかし、宇宙世紀百年を目前とした0096年、財団の当主であるカーディアス・ピストは、秘密である「ラプラスの箱」へと至るための「鍵」を、シャアの再来と呼ばれるフル・フロンタルが率いるネオ・ジオンの残党へ引き渡すと言いだします。政府の弱みである「ラプラスの箱」の鍵を、政府と敵対する立場であるネオ・ジオン残党へと譲渡するというのだから、これは大変なことです。カーディアスによるこの決断は、癒着による安定を切り崩すことで社会を変えようとする行為だと言えます。しかしこれは下手をすると戦争を誘発しねない危険な賭けです。旧ジオン公国を独裁していたザビ家の唯一の生き残りである姫、ミネバ・ザビは、この動きを知って戦争の危険を悟り、カーディアスに譲渡を思いとどまるよう説得するため、財団の屋敷のあるインダストリアル7というコロニーに単独で秘密裏に潜入し、そこに住むバナージと出会います(ヒーローとヒロインの邂逅です)。

また、政府とアナハイム・エレクトロニクス社もこの動きを察知し、それを阻止するためにインダストリアル7に軍を派遣します。そのため地球連邦軍とネオ・ジオン残党と戦闘が勃発してしまい、戦場となったインダストリアル7は破壊され、多くの人が死に、カーディアスも死んでしまいます。この混乱のなかで、バナージは偶然にガンダムを発見します。このガンダムこそが、カーディアスがネオ・ジオンに託すために用意した「ラプラスの箱へと導く鍵」だったのです。カーディアスはその死の直前に、偶然にも現われたバナージにガンダムを託します。実はバナージはカーディアスの生き別れた息子なのですが、父がつくったガンダムに、「偶然にも」息子が乗ることになってしまうという流れは『機動戦士ガンダム』と同じです。カーディアスは当初、ラプラスの箱へと導く鍵であるガンダムを、シャアの再来と言われるフル・フロンタルに託すつもりでした。しかし、地球連邦政府の介入による戦闘の混乱のため、図らずも自分の息子にそれを託すことになってしまうのです。

財団と政府との癒着的均衡を破って「社会を変え」ようとしたカーディアスの行為は、インダストリアル7を戦場とし、壊滅的な打撃を与えてしまいます。さらに、地球連邦政府(と結託するアナハイム・エレクトロニクス社)とネオ・ジオン残党の間に、「ラプラスの箱」の争奪戦という戦争を勃発させてしまいます。腐った秩序であっても破壊と混乱よりはマシだと、彼ら自身にも美しいとは思えない「古い体制」を守ろうとした体制内アウトローからすれば、カーディアス(ピスト財団)は『逆襲のシャア』のシャアと同じくらいに許し難い存在でしょう。ともあれ、カーディアスによって状況は変化し、物語が動き出します。
 

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About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
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