連載・読み物 ベルクソン 反時代的哲学

『ベルクソン 反時代的哲学』9

1月 06日, 2016 藤田尚志

第1章 場所と空間:『アリストテレスの場所論』(1889年)を読む

§39. カント、アリストテレス、ライプニッツ

「場所」の問題を扱うにあたって、『アリストテレスの場所論』を検討しておくことは無駄ではあるまい。本章の目的は、この小論の提供する理論的基礎が、1889年の『試論』と1896年の『物質と記憶』を支えているのみならず、一種の通底器(vase communicant)のようにこの両者をつないでもいると示すことにある。

『アリストテレスの場所論』は、主論文である『試論』の陰に埋もれて目立たないが、ベルクソンの博士論文の副論文である。 「当時のしきたりに則って」ラテン語で書かれたこの論文の表題は、Quid Aristoteles de loco senserit, であり、文字通りには「アリストテレスは場所についてどのように考えたであろうか」であるが、その60年後に登場したフランス語訳では、L’idée de lieu chez Aristoteとされており、これは文字通りには「アリストテレスにおける場所の観念」である。

あまり強調されないが、ハイデガーは、ベルクソンの時間の哲学におけるアリストテレスの重要性を指摘した最初期の人物の一人である。ハイデガーは、『存在と時間』の最後のほうで、より厳密に言えば、最後から二つ目の節(第82節)に置かれた有名な註で、ベルクソンのこのアリストテレス論に言及している。

ベルクソンの時間観も〔ヘーゲル同様〕、明らかにアリストテレスの時間論の解釈から生じてきたものである。ベルクソンが時間と持続の問題を展開している『意識に直接与えられたものに関する試論』と同時に、『アリストテレスの場所論』と題されたもう一つの試論が刊行されたのは、単に外的な文献上の連関だけではない。アリストテレスが時間をαριθμός κινήσεωςとして規定したことに着目して、ベルクソンは時間分析の前置きとして数を分析している。空間としての時間(『試論』p. 69参照)は量的な継起である。そして持続のほうは、この時間概念に対立し、質的な継起として記述されている。ここは、ベルクソンの時間概念やその他の現代の時間観と批判的な討議を行なう場所ではない。ただ、これらの分析が一般にアリストテレスとカントと比べて本質的な何かを獲得しているとすれば、その収穫はとりわけ時間の把捉と『時間意識』に関わっているということだけは簡潔に指摘しておこう」(ハイデッガー『存在と時間』(下)細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、423頁。ただし、マルティノーの仏訳を参照し、翻訳を若干変更している)。

非常に奇妙なことであるが、『アリストテレスの場所論』の重要性を「単に外的な文献上の連関だけではない」としておきながら、ハイデガーは、ベルクソンの時間論における空間や場所の問いに触れさえしない。これは例えばディディエ・フランク(Didier Franck, Heidegger et le problème de l’espace, éd. Minuit, coll. « Arguments », 1986)が鋭く指摘しているように、『存在と時間』において空間が問題含みの仕方で位置づけられているからではないか。ちなみに、『存在と時間』のこの長い註について、デリダは有名な論文「ウーシアとグランメー。『存在と時間』の或る注記ノートに関する注記ノート」を捧げている。この論文は、デリダがベルクソンを論じている数少ない論文であるという意味でも興味深いものであるが、フランクやデリダの指摘しているハイデガーの問題点とベルクソンやアリストテレスの哲学との関係についてはいずれ立ち戻ってくることにして、ここでは歴史的ないし書誌的な観点は脇に置いて、直接的に次のようなナイーヴな問いから始めてみることにしよう。「しかしなぜアリストテレスなのか?」

この問いに対して、これもまた唐突に(ex abrupto)仮説の形で答えを与えてみたい。なぜならアリストテレスはエレアのゼノンの恐るべき敵対者であったからである、と。『アンリ・ベルクソンと空間の観念』(1957年)の著者であるフランソワ・アイドジック(François Heidsieck)が的確に指摘しているように、『場所論』において、「ベルクソンはほとんどゼノンについて語ってはいない。だが、絶えず彼のことを考えている」(p. 29)。ところで、ゼノンのパラドックスがベルクソンにとって啓示のごとき触媒の役割を果たしたことはしばしば語られるが、なぜゼノンであったのか、と問われることは少ないように思われる。ゼノンが青年ベルクソンの思考に決定的な展開を与ええたのは、ベルクソンの思想形成期がカント主義隆盛の時代であったこと、そしてゼノンがある意味でカント主義者(それも『純粋理性批判』(1781年)、とりわけ「弁証論的推論のアンチノミー」のカント)であったことを考慮に入れずに理解することはできない。

まずカント自身に立ち返って確認しておけば、彼がゼノンについて語るとき、そのパラドックスのもつ可能性を救い出そうとしているということ、その時に真っ先に挙げられている例が、「場所」の例であることに注意しておこう(B531/A503)。次に、ベルクソンにとってのカントとゼノンの親近性を指摘したのは私たちが初めてではない。フランソワ・アイドジークもジャン・ミレも、この点に関しては意見が一致している。アイドジークによれば、「ゼノンとカントは、ベルクソンを同じ仕方で引き止め、こういってよければ困惑させている。だが、彼らが解決に失敗している困難を指差すことで、ベルクソンが問いを正しく立てることに彼らは寄与している。彼らはこの問いの正しい立て方をすでに始めていたのだとさえ言ってもいいかもしれない。ゼノンは運動の事実を前にして、幾何学者的知性の自然的な無理解を明らかにしなかっただろうか? カントは、アンチノミーの試練にかけることで、もし形而上学が可能であるなら、それはヴィジョンによってであって弁証論によってではないということを垣間見たのではなかったか?」またミレーによれば、「カントは、ゼノンの所論をよく知っていたが、それらに副次的な重要性しか認めなかった。彼にとってそれらは卑俗な詭弁にすぎなかった。とはいえ、彼はそれらが将来のアンチノミーを予告していたことは認めている」。

ベルクソンは、ゼノンのパラドックスにカント的アンチノミーのプロトタイプを見て取っていたのではないだろうか。実際、『試論』の最後の文章は次のように述べている。

したがって、自由の問題はある誤解から生まれたのだ。それは近代人にとって、エレア派の詭弁が古代人にとって持っていたのと同じ意味を持ったのであって、あの詭弁と同じく、この問題は、継起と同時性、持続と延長、質と量とを混同する錯覚の中に、その起源をもっている。(DI, conclusion, 156/180)

よく知られているように、『試論』のこの結論部において、ベルクソンは「時間を等質的な環境と見なす」という「カントの過ち」を糾弾している(DI 151/174)。その過ちによってカントは、「道徳的顧慮から自由をきわめて丁重に物自体の非時間的領域へと送り込むのだが、われわれの意識はこの領域への神秘的な閾を踏み越えるわけにはいかない」(DI 155/179)という袋小路へと導かれる。これは時間についてであるが、固有の意味での「空間」に関して言えば、『試論』の中核部分である、持続に関する第二章においてベルクソンは二重の操作を遂行していた。

一方で彼は、「運動と運動体の走破する空間の混同」に由来する「エレア派の詭弁」を糾弾している(DI 75/84)。なぜならエレア派の人々は、「不可分で独特なあの一連の働きを、その下に張り渡された(sous-tend)等質的空間と同一視する」(ibid.)という錯誤を冒しているからである。ベルクソンは、「空間にその内容から独立した現実存在を付与し、われわれ各人が事実上分離しているものは、権利上も切り離し可能であると宣言し、他の人々のように、延長のうちにひとつの抽象を看取したりはしない」という、超越論的感性論で展開された理論に、厳密な定式化を与えた点で大きな功績をカントに帰しつつも、「空間の絶対的実在性をめぐる問いに過大な重要性を付すなら誤りを犯すことになるだろう」(DI, II, 62/68-69)と主張している。こうして、ベルクソンの中で、エレア派(ゼノンのパラドックス)とカントのアンチノミーが連結される。

他方で、『試論』においてベルクソンがアリストテレスに言及したのはただ一度なのであるが――同時期に執筆・刊行された副論文が『アリストテレスの場所論』であるにもかかわらず、である――、それはまさに、物理的諸現象の量的多様性に、意識の諸状態の質的多様性を対置させている場面においてのことである。

この多様性、この区別、この異質性は、アリストテレスであれば言うであろうように、潜勢態においてのみ数を含む。それというのも、意識は、諸々の質を数えたり、さらにはそれらを複数のものにしようとするいかなる下心もなしに、質的差別化を施すからである。(DI, II, 81/90)

ヴォルムスが言うように、現勢態と潜勢態というこのアリストテレス的区別の重要性は、ベルクソンにとって「空間を思考するうえで決定的」なものであったにもかかわらず、先にも述べたように、ベルクソンはきわめて慎ましやかな、故意としか思えないほど目立たない形でしかアリストテレスに言及していないのは、なぜなのか。この際立つ対比から私たちの作業仮説が導き出される。すなわち、ベルクソンにとってのカントは、ほとんどアリストテレスにとってのゼノンであったということである。なぜこの仮説が先の「対比」や「ほとんど」の理由を説明してくれるのか、これからそれを示していくことにしよう。

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藤田尚志

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ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。