ベルクソン 反時代的哲学

『ベルクソン 反時代的哲学』30

2月 01日, 2016 藤田尚志

第四部第二章

哲学者アンリ・ベルクソン晩年の著作『道徳と宗教の二源泉』(1932年)は、呼びかけに関する省察であり、パフォーマティヴに関する省察である。一方で『二源泉』は、哲学が呼びかけず、誘惑しないはずのものであることを強調する。「宗教はその本質上行動たることをやめないし、哲学は何よりもまず思考たることをやめない」(II, 1148/215)。哲学は宗教のように、宗教として呼びかけることはない。『二源泉』は、しかし他方で、知性の力で人々を折伏し道徳や宗教へ向かわせようとする合理主義的道徳を激しく論難する。「推奨と説明は別物である」(I, 991/14)。退路はこうして二重に断たれている。だが、わずかな間隙、わずかなチャンスにベルクソンは賭ける。『二源泉』は呼びかけについて考察を行なうことで呼びかけようとするのだ。青年マルクスはフォイエルバッハ・テーゼとして名高いかのAd Feuerbachの第11テーゼにおいてこう宣言していた。「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。大切なのはそれを変更することであるのに」。『二源泉』もまた、独特の歩調で哲学の極限=限界(リミット)の一つへ歩みを進める。それは、theoriapraxisの古い係争地であり、呼びかけの論理、パフォーマティヴの論理が最大限に開示されるKampfplatzである。『道徳と宗教の二源泉』の真の賭け金は、道徳哲学や宗教哲学の創設ではない。「人はいかに行動へと駆り立てられ、促され、呼びかけられるのか」、これこそ『二源泉』が解明しようとするものであり、これを私たちは〈行動の論理〉と呼ぶ。行動の論理には、生命の二つの運動(進化を促す前進運動と自己保存を図る循環運動)に呼応する二つの形態、「実際にそれらの極限に到達することはまず起こらない」「二つの極限deux limites extrêmes」(I, 1018/48)がある。閉じたものに習慣的に従う〈静的行動〉の論理と、開かれたものに呼びかけられ憧憬に駆り立てられる〈動的行動〉の論理である。

この第四部はベルクソン晩年の著作『道徳と宗教の二源泉』を研究対象とし、〈声〉、〈火〉、〈道〉という隠喩に注目しつつ、「動的行動の論理」の諸側面を三つに分けて分析しようと試みる。前章は、ベルクソンの多用する〈声〉の形象を通じて、憧憬によって生み出され、自ら憧憬を生み出す人格性を「響き」、「反響」の効果と捉えることで〈呼びかけ〉概念を規定し、動的行動の発生(不可能な起源)の局面を分析した。本章で私たちは、ベルクソンの頻用する〈火〉の形象を通じて、創造によって伝達され、自ら創造を伝達する共同体を社会的紐帯なき「伝播」、「交流」と捉え、それによって〈情動〉概念を規定し、動的行動の伝播(不可能な伝達)の局面を分析しようとする。次章では、『二源泉』に用いられている〈道〉の形象を通じて、動的行動の方向(不可能な目的)の局面を分析することになるだろう。

本章でとりわけ強調したいポイントを先回りして述べておこう。「開かれた者」の象徴としてベルクソンが取り上げられる「偉大なキリスト教神秘家たち」という有名な形象については、神との合一といった内的・精神的側面ばかりが注目されてきたが、「動的行動」の原動力となる「情動」の観点からすれば、同時に彼らの「共同(体)性」が注目されねばならない。〈火〉の形象は、前者のみならず後者の側面をもよく示すだろう(とりわけ〈灰〉の形象とともに、共同体なき共同性の可能性をよく示すだろう)。

以下、まず、ベルクソンにおいて情動が存在様態を規定するものであること、根本的な存在様態を規定する根本情動は「歓喜/快楽」であることを、ハイデガーとの簡潔な比較を交えて確認し(第1節)、次いで動的行動の重要な構成要素である「人類愛」という情動を検討することで「情動」全般の分析を準備する(第2節)。これらの予備的考察を踏まえて、「情動」を「人格性」、「表象」、「伝達」との関係から分析する(第3節)。その後、最高度に動的で創造的な、したがって最高度に共同性を孕んだ情動にほかならない「熱狂」をカントのそれと対比しつつ分析し(第4節)、最後に以上の分析から得られた「情動」概念の共同性のうちに、神秘家たちの動的共同体の特性を探ることにしたい(第5節)。

 

第2章 火の領分:情動と共同体

誰が我らの勇気を制し、歓喜を禁じえよう。神々の焔も、昼となく夜となく我らに起てと迫る。だから行こう、開かれた世界に身を放ち、おのれ固有のものを、たとえそれがどんなに遠くにあろうと、探し求めるために。

――ヘルダーリン

 

第一節(§86 二つの根本気分:熱狂の歓喜と安楽の快楽(ベルクソンとハイデガー)

では、前章を終えたところから始めることにしよう。私たちは、こう述べていた。「〈呼びかけの効力は情動の力に由来するL’efficacité de l’appel tient à la puissance de l’émotion〉という決定的な一節(I, 1046/85)については、熱狂と開かれた共同体の問題と共に、この第2章で検討することにしたい。こうして私たちは、呼びかけから情動へ、人格性の問題から共同体の問題へ、動的行動の発生からその広がりへ、声の形象から火の形象へ移る」と。ここではまず前章の「はじめに」で展開した主張の基本線を新たな観点から辿り直し、本章への導入としたい。

私たちは前章で、ベルクソン哲学を貫いて対立する二つの生命の運動があり、それはこの第四部の研究対象である最晩年の著作『道徳と宗教の二源泉』にも見出されると述べていた。前回とは異なる一節を引用しておこう。

圧力[pression]のうちには、ひたすら自己保存を目指す社会の表象が内在している。ここでは、社会が一緒に[avec elle]個々人を引き連れていく円運動が生じ、習慣を媒介として本能の不動性をなんとか模倣しようとする。この純粋な責務がすべて満たされた場合にその責務全体の意識を特色づけるであろう感情は、普通に生活を営んでいる際に伴うであろうような、個人または社会の安楽[bien-être]状態にほかなるまい。それは歓喜[joie]よりもむしろ快楽[plaisir]に似ていよう。これに反して、憧憬[aspiration]の道徳のうちには、暗にある進歩の感じが内包されている。我々が前に言っておいた情動とは、この前進への熱狂[enthousiasme]にほかならない。(I, 1018/49)

生命の二つの運動とは、日常生活を安定させるべく社会規範のルーティンを維持する「圧力」の循環運動と、その循環を突き破り、新たな道徳規範を創造しようとする「憧憬」の前進運動にほかならない。圧力の道徳においては、社会は「それ自身と共にavec elle」諸個人を引き連れていくと言いつつ、習慣や伝統的な道徳規範で縛ることによって、分裂した諸個人をたがに嵌めるように結束させるにとどまる。これに対して、後で見る「憧憬の道徳」では、「進歩」や「前進」といった能動的で創造的な行動は、見習いたいと思う人物を追いかけるうちに、「熱狂それ自身と渾然となっているse confond […] avec l’enthousiasme lui-même」。(I, 1018/49)

この引用には、前章で人格性に注目しながら生命の二つの運動の中に読み取ったのとは異なる根本特徴が表れている。それは、ハイデガーならば「根本的な気分Grundstimmung」――仏訳者たちは主にtonalité fondamentaleと訳している――と呼ぶであろうもの、すなわち「歓喜」ないし「熱狂」と、「快楽」ないし「安楽」である。生の前進運動(開かれた道徳・動的宗教という形で展開される動的行動)を特徴づける「歓喜」と、その場での旋回運動(閉じた道徳・静的宗教という形で展開される静的行動)を特徴づける「快楽」。例外的な努力の末に見出される気分と、日常生活を覆い尽くさんばかりの現代において支配的な気分という違いこそあれ、どちらも根本気分であることに変わりはない。ベルクソンにあっても、ハイデガーにあっても、このような根本気分は、気分に関する二つの「常識」、すなわち気分は存在するものではないし、もし存在するとしても不安定なもの、はかないもの、単に主観的なものである、という考えを根底から覆すものである。気分は一つの根本的な存在様態として存在する。というのも気分は最も不安定なものであるどころか、人間存在に存立の基盤と可能性を根底から与えるという意味で、最も確固として存在するものだからだ。〈呼びかけの効力は情動の力に由来する〉という言葉は、まさにこのような文脈において理解されねばならない。呼びかけが成立し、人格性が影響を及ぼしうるためには、情動という人間存在の根本様態が解明されている必要がある。動的行動を規定する「ある気分を生ぜしめるinduire un état d’âme」(I, 1025/57)ことはいかにして可能なのか。動的な根本気分である「情動」――「歓喜」ないし「熱狂」はすぐれて情動的な情動である――これこそ、「火」の隠喩で表される動的行動の根本要素にほかならない。

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藤田尚志

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ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。