そのような解釈の文献的な基盤となってきたのが、「ヒポクラテス集成」と呼ばれる60点ほどの医学に関連するテキストである。これらのテキストは、著者、執筆の時期、内容とテキストの機能などにおいて、きわめて多様な種類のものが含まれている。テキストが書かれた時代は420-370BCEであり、それよりも後の時期に書かれたものも含まれている。おそらく紀元前3世紀の初頭にエジプトのアレクサンドリアの図書館において集成され、「ヒポクラテス」のタイトルがつけられたものだろう。かつては、それぞれの著作の医学的な水準の違いに着目して、どれがヒポクラテスその人が書いたものかという著者同定の試みが盛んに行われた。しかし、このようなアプローチは、薄弱な根拠に基づいた推論の域を出ず、現在ではこのような姿勢は退潮している。むしろ、多様性を持つヒポクラテス集成全体の議論を、「ヒポクラテス派」「ヒポクラテス系」の医者たちの議論と考える態度が定着している。そのような多様性を持つ「ヒポクラテス集成」は、いかなる議論を提出し、それらはどのように解釈されてきたのだろうか。いくつかの著名な著作を取り上げながら、ヒポクラテス派の医師たちの特徴を眺めていこう。
冒頭で触れた宗教と医学の関係と直接かかわる著作が「神聖病について」である。ギリシア医学の大きな特徴は、病気の癒しの全体の構造としては医者と宗教的治療者の双方が共存したと同時に、医学と宗教・呪術の区分を鮮明にしたことである。「神聖病について」は、まさにこの区別と共存の双方が明らかである。神聖病と呼ばれた疾病は、現代の病名でいうとてんかんであると特定できるが、その原因について、この著作の著者は、身体に原因を持つ疾病であると主張した。著作の言葉を借りると、マラリアのように身体的なことが明らかである疾病と何の変わりもないという。この自然的な原因を求める解釈は、既に発達していたギリシアの自然哲学における傾向と一致しており、紀元前7世紀から6世紀に活躍したミレトス派のタレスやアナクシマンドロスらの思想家たちが、気象学や天文学において神的なるものの干渉という考え方を退けたのと並行している。これが、宗教と医学を切り離す身振りであるという解釈は的確に事態の一面を捉えている。しかし、それと並行して、この著作の著者は、他の自然な疾病も神聖な疾病であると言及していることにも注意しなければならない。
さてこの神聖病と呼ばれる病気は、他の諸病と同様の原因、すなわち人体に入って来るものと人体から出て行くもの、および寒冷や太陽や常に変化してやむことのない風の変化によっておこるのである。これらの諸原因は神業によるものであるから、とくにこの病気[=てんかん]だけを区別して他の諸病以上に神業であると考えるには及ばない。どれもが神業であり、どれもが人間的である。
「神聖病について」は、てんかんを自然な疾病であると主張すると同時に、他の疾病にも神業が介入していることを述べている。その意味で、この著作の著者は、疾病の自然性を原理主義的に主張しているわけではない。
「ヒポクラテス集成」の中で、最も著名な著作は「誓い」である。日本語に訳すと文庫版で1ページ半程度の短い文章であり、神々への誓いのあと、前半で医学教育とグループ内の医師間での約束事が述べられ、後半では医師が患者に対してどのようにふるまうか、何をしてはいけないかが述べられている。この「誓い」は、古代に書き写されたのはもちろん、中世以降の西欧の医学教育の中に組み込まれ、キリスト教が影響力を持っていた時代には十字架型に書いたものも用いられていた(図3、図4)。
図3 「ヒポクラテスの誓い」のパピルス
図4 「ヒポクラテスの誓い」十字架型に配置されている
21世紀の現在においても、医療倫理、特に安楽死や中絶の是非について論じる場面で頻繁に引用される。「致死薬は、誰に頼まれても決して投与しない」という文章や、「婦人に堕胎用器具を与えない」という文章がしばしば取り上げられるのは、現在の倫理の議論においても「ヒポクラテス」の名前は大きな意味を持っているからであろう。