気候が不安定だったせいか風邪をひいてしまって、ほぼ毎日学校帰りに寄っていくサイェにもしばらく遠慮してもらうことにした。ふだんはあまり口数が多くないめいは、一通の手紙を送ってくれていた。外出も一切しなかったせいで、気づいたのは何日かしてからだったけれど。
おじさん、
梅雨にはいってしまいましたね。風邪、いかがですか?
大雨がつづき、東京にも洪水警報がでています。暑いのと寒いのがこんなふうにいれかわって、わたしも風邪をひきそうになっています。
このまえ、遠いところで洪水が、というはなしをしてくれましたね。知り合いがそちらにいらっしゃる、とも。バルカン半島ときいても、わたしはぴんとこなかったし、ましてやセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、とか、サライェボ、ベオグラード、とか、はじめて耳にしたかもしれません。いまこうやって書けるのは、おかあさんにあらためて尋ねてみたからです。
おかあさんは、こんな一節を読んでくれました。
「津波は日本だけじゃなくてアジア各地で起こるんだなあ。人は死んだ。動物は助かった。先に地球の深いところから振動を聞き取り、避難した。人は動物の声に耳を傾けなくてはならない。いいかい、リズムだ。インド人が言うように、ものを観るリズムを呼吸のリズムに調和させることだ。じっくり生きる。時間の中に宝物が隠されているのさ……」
雨がどんどん降って、川、運河が、あふれてしまう。水が地面をおおってしまう。何年か前、津波、を、津波がやってくるのを放送で何度もみたけれど、似ているのでしょうか。それとも近いところも似たところもあるけれど、ちがうのでしょうか。正直、あまり想像ができません。想像できないことがおこる。想像できないことがある、というのがおそろしい。
おなじものなのに、少ないのと多いのとではちがってくる。量、ってことなのでしょうか。水、そうですよね。コップ一杯の水は欠かせない。顔を洗うのも、お風呂にはいるのにも。猫にも鉢植えにも。そんな水が、でも、多いと町を、土地をのみこんでしまう。
おじさんは、まえに、乾いた土地に雨が降ってくる、そのさまをよろこぶ人たちを描いた文章を読んでくれたことがありましたっけね。『川が川に戻る最初の日』、だったかしら。望まれる水がある。必要とされる水が、祝福される水がある。でも、おなじ水がわざわいになってしまうのは、どこで、なんでしょう。
おかあさんは、バルカン半島には複雑な歴史があって、と教えてくれました。本棚の奥のほうからだしてきてくれたのは、坂口尚の『石の花』というマンガです。おじさんがおかあさんに、読めば、と渡してくれた、とか。人種も宗教もいくつもあって、だから、このはなしは第二次世界大戦のときのことだけど、五十年したら、また、ややこしいことがおこってしまった。いまはおさまっているけれど、地雷がとりのぞかれないままで、この洪水でも「二次被害」——–このことばもおぼえました——があるのだ、と。
わたしにわかるのはほんのわずかなことです。知識もまだまだないし、たまたまちょっとみることができる写真やテレヴィがせいぜいです。できるのは、そこに自分がいたら、ということ。すこしだけ想像しても、こわくなって、ふたを閉じてしまったりするのですけれど、でも、想像の「先」、もっと広がっている現実があることだけは忘れないでいられれば。
地球のなか、大気圏のなかで、ほかの月や太陽や、とかかわりながら、雨が降ります。ひとが降らせているわけではない。すくなくとも、直接には。いろいろなもののからみあっているなかで降る雨でさえ、わたしたちはどうにもできない。それでいて、また、自分たちがつくりだした地雷なんかも、どうにもできない。これって、よくわからないのです。わたしがもっと大人になれば、勉強をしていけば、わかるようになるのかしら。おじさんは、もっとわからなくなるばかり、って苦笑いをするかもしれませんね。
わたしには、地球の、振動が感じられているのかしら。空気や雨の、ちょっとしたゆれならわかるかもしれない。もっと生きていたら、どうなんだろ。そしてそのなかに、遠くからまじってくる、植物や動物やひとのいき、いきづかいがわかるようになったら、いいのに。
おじさんの風邪。このごろはしょっちゅう風邪をひくけど、こんどのはすこし長引いているみたいだし。大したことはない、というのはわかっている。わかっているけど、じゃ、何も言わないと、心配していることも、眉間にしわをよせてるほどではないことも、伝わらないし。心配しています、って一言、それだけでもいいのかもしれない、と。それだけは。
引用は、山崎佳代子『ベオグラード日誌』(書肆山田、2014)、2005年1月13日(木)の日記(p.121)から。
[編集部より]
東日本大震災をきっかけに編まれた詩と短編のアンソロジー『ろうそくの炎がささやく言葉』。言葉はそれ自体としては無力ですが、慰めにも、勇気の根源にもなります。物語と詩は、その意味で人間が生きることにとって、もっとも実用的なものだと思います。不安な夜に小さな炎をかこみ、互いに身を寄せあって声低く語られる物語に心をゆだねるとき、やがて必ずやってくるはずの朝への新たな頼と希望もすでに始まっているはず、こうした想いに共感した作家、詩人、翻訳者の方々が短編を寄せてくださいました。その一人である小沼純一さんが書いてくださったのが、「めいのレッスン」です。サイェちゃんの豊かな音の世界を感じられる小さなお話、本の刊行を記念した朗読会に小沼さんが参加されるたびに続編が生まれていきました。ここではその続編にくわえ、書き下ろしもご紹介していきます。
【バックナンバー】
〉めいのレッスン ~かぜひいて
〉めいのレッスン ~クローゼットの隅から
〉めいのレッスン ~ゆきかきに
これまでの連載一覧はこちら 》》》
「東日本大震災」復興支援チャリティ書籍。ろうそくの炎で朗読して楽しめる詩と短編のアンソロジー。東北にささげる言葉の花束。
[執筆者]谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html