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〈第2回〉レインボー金魚の選択

12月 18日, 2018 中村和恵

人生、悩みがつきものですよね。この連載では、さまざまな悩みに対し、本の虫・中村和恵さんがホロスコープ(星占い)ならぬビブリオスコープ(本占い)をしてくださいます。[編集部]

 
 
第2回:レインボー金魚の選択
 
 
お久しぶりです。お月さまが一度ならず二度三度と生まれ変わる間、スコーンと沈没、ようやく明るむ地平線まで浮上してまいりました。委細面談、いや省略。しかし沈没のたびに発見がある。おもしろい。
かように生きてあるかぎり悩み相談の種はつきまじ。
 
今回はセクシャル・マイノリティからのご相談。セクマイ、って略語はいまのところ、好きになれないので使いません。近ごろ聞くことが増えたセクシャル・オリエンテーション・ジェンダー・アイデンティティ(SOGI)が多様であることは了解、で、SOGIマイノリティのこと、なんて呼ぶ、という話。
 
個人的にはクイア(Queer)が好き。クイアって「ヘン」って意味だもの悪口じゃない、ってひともいるけど、自分を笑う魂に共感する。近寄ってみれば人間それぞれみんなヘン。まるでヘンじゃないひとがいたら、それこそヘンだと思う。自称ヘン、って社会状況へのコメントでもあるよね。いまの世間じゃヘンらしいわよわたし、でもどーなの? って考えれば。

わたしはわたしのことをなんて呼べばいいんでしょう?
 

と、ニコくん(20歳)。困った口調だけどニコニコ顔なので、ニコくん。
ちなみにわたしは知り合ったひとの名に、くん、とか、さん、とか、適当につけます。 性別とは無関係に。
友達のニコくんの悩みを聞いてほしい、とわたしのクラスに出ているヒサくん(H.)が連れてきました。
 

あえていえばMTXかな、って思うんですが。
 

○To△ って、FTM(Female to Male、女性から男性へ)のように、生物学的な性とは異なる性を「自分本来の」性と認識し、自分本来の性に変更したい/変更したトランスセクシュアルなひとが使う表現だね。MTXってことは、男性から男でも女でもないものに変わりたい、ってこと?  

どうしたいのかは、まだよくわからないんです。ただ、きめつけられたくない。男としても、女としても、あつかってほしくない。
 


 
じゃあ X to X? というか、なにかにきめなくていいんじゃないの? ニコくんで、いいんじゃない。


H. でも、わかりやすい名称って必要じゃないですか。ニコくんみたいなひとが誤解されないで、わかってもらうためには。
 

どうかなあ。ラベル貼りして、わかった気になるの、あんまり好きじゃないです。だれだってそんなに、わかりやすいものじゃないのでは。男とか、ヘテロ(異性愛者)とか、LGBTとか、国籍とか、歳とか、出身県とか、卒業した学校とかのラベルを貼って、わかった気になっても、じつは一人一人、みんな違うから。
ヒサくんも「ソコソコ大生ね、はいはい」なんていわれたら、「なにがわかったんですか」ってムカッとしない?
 
H. あー、たしかに。でも男なのか女なのか、わからないと困りますよね。どうつきあったらいいのか、悩むし。
 
うんとねえ、そうだねえ。わたしの場合ですが、わたしはね、悩まなくなったんだよね、あるときから。
男だ、女だ、って態度を変える必要ない。あるというのは、思いこみだったんだって気づいた。
 
ジェンダーのみならず、セクシュアリティも、現象だと思うようになったの。そのときどきで、変わりうるものなのね。固定してるひとは、そういう選択をしたというまでのことなんじゃないかな、多くは無意識に。
 
竜超『オトコに恋するオトコたち 誰も教えてくれなかったセクシュアル・マイノリティの世界 』(立東舎、2015)でゲイ雑誌『薔薇族』編集長の竜さんはこうおっしゃっています。

「じつはボクは「全人類はバイセクシュアルである」という持論をもっています。(…)「この世には “完全なる異性愛者” も ”一〇〇%の同性愛者“ もいない」ということ」(…)「異性愛と同性愛は「白黒ハッキリ分かれている」のではなく、「白から黒のグラデーションになっている」」

わたしもそう思う。でも自分は絶対違う、ってひともいる。それが間違いってわけじゃないとも思うの。自分のライフスタイルとして、白黒どっちかに固定するって選択は当然、ある。大多数のひとが固定型を選んでるね。ただ、事実は事実として認めないと、判断を誤るよ。
 
まず、男と女は生物学的に100%ハッキリ分かれているわけじゃない、っていう事実。ヒトの性は外性器だけでなく、内性器、内分泌系、染色体そのほか、多数の要素から成立してる。それらの組み合わせに、いろんなバリエーションがある。生物学的事実として、人類はパキッと男女に分かれてない。グレーゾーンがある、天然自然に。
 
そしてどんな社会にもセクシュアル・マイノリティはいるという事実。いわゆる先住民族にもいる。世界中でゲイに出会ったわ。ゲイは不自然な存在じゃない。ゲイもいるのがヒト社会の天然自然なのよ。
 
人種差別やセクシュアル・マイノリティ差別って、いわばオシロイバナの内輪もめだと思うの。白が正統で優れてるんだ、黄色いオシロイバナは最低、殺す、とか、赤白混じってるやつは変態、とかいって騒いでるけど、よそ目にはみんなただのオシロイバナ、って話。わたしたちはみんな同じ、ただのヒト科のバリエーション。
 
H. 文化的な性の多様性も考えれば、話はもっと複雑ですよね。
 
性自認においてセックス(性交)を過大に考えないことも重要かもね。ほかにも山とあるのよ、ポイントは。竜超さんは白黒のグラデーションを異性愛と同性愛の間にイメージしてるけど、そのほかにもカラーチャートがいっぱいある。大きなレインボーカラーの水槽をイメージしてみるといいかも。たとえば、身体が男っぽい、から、女っぽい、へのグラデーションがある。
それとはまた別に、服装や化粧などの外見が、男っぽい、女っぽい、の間のグラデーションがある。
 
パートナーや家族に関する考えや人生の選択、男女観のグラデーションは、無数といっていいほどある。
 
パートナーは絶対ひとり/複数いてもいい。
生殖能力が自尊心やアイデンティティと切り離せない/ぜんぜん関係ない。
子どもがたくさんほしい/なくていい。
法的結婚がしたい/したくない。
男尊女卑こそ伝統社会の基盤、女性が中心の社会のほうがよい、などなど。
 
こうした両端の間に、それぞれの選択がある。いろんな色のグラデーションが立体的に交差している。
白か黒かなんて単純な話じゃない。クイアじゃないよ自分は、と思ってるひとだって、十人十色。
しかも指標は、いつも動いている。時代ごとの男女イメージ、国や民族ごとの男女意識がある。
だからこの社会の中で自分は性的になにものなんだろう、という問いへの答えに、かんたんなラベルは貼れないのよ。座標軸が示せるだけ、わたしはいまこのあたり、って。
セクシュアリティって、レインボーカラーの海を泳ぐ金魚みたいなものかもよ。生来の色もあるけど、いまいる時代や場所でいろんな色に変わる。
 
 
で、ニコくんが最近読んだゲイ関係の本で印象に残ったのってなに? 
 

鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼』全4巻(小学館、2015~2018年)かな。「学校でゲイとバレたら人生終わり」っておびえてた主人公が、信頼できるコミュニティに出会って、ヘテロ社会だけでなく、どうやって年齢も背景も多様なセクシュアル・マイノリティと接したらいいのか、自分のゲイフォビアと格闘しながら模索する、SOGI問題入門っぽいマンガです。
 

 
今回紹介する本の著者、ダン・サヴェージも、若い頃のそうした葛藤について書いています。ダンの父親はシカゴの殺人課の刑事で、昔はゲイ=犯罪者差ってイメージを抱いていて、かれらは「経済的な意味で社会への脅威」(家庭を築かず、芝刈り機も買わないから)といって、若き日のダンを傷つけた。でも30になったダンは知っている。父の子ども4人のうち、ゲイの自分だけが結婚したし、洗濯機も買ったって。お父さんはのちに考えを改めた。ゲイは生産性が低い、なんてことを本気で信じてるひとは、ぜひダンと彼のファミリーの話を聞いてほしいわ。
 
ところでゲイってことばは男女問わず使うこともできて、わたしはそういう意味で使ってます、カンタンなので。
 
というわけで、今回おすすめの本は、前・後編ってかんじの構成のこの二冊です。
 


ダン・サヴェージ(大沢章子訳)
『キッド 僕と彼氏はいかにして赤ちゃんを授かったか』
『誓います 結婚できない僕と彼氏が学んだ結婚の意味』 
みすず書房 2016、2017年

(原作は1999、2005年刊)

 
 
アメリカの社会人ゲイカップル、ダンとテリーが養子をもらう話が、一冊目の『キッド』。二冊目の『誓います』は題名どおり、パパ二人が息子を連れて結婚しちゃう話。
 
著者のダンはなんでもありったけ正直に語っちゃうひと。なにしろセックス相談のコラムニストなので、セクシュアリティを問わず、なるほどね~というポイントがきっといくつもあるよ。マンガや小説みたいに読めるスピード感のあるドキュメンタリー・エッセイ。キャンピーな毒舌が笑える。二冊とりまぜて高速で紹介します。
 

ゲイバーで知り合った30歳と23歳のダンとテリーはファッションも音楽もライフスタイルも違う、でも読書の趣味が合った。で、一緒に暮らすうちに、子どもが欲しい、ということに。わりとなんとなく。
 
レズビアンやストレート(ヘテロ)の女性との子作り案も出たけどうまくいかず、結局エージェントを通じてオープン・アダプション、情報公開型の養子縁組をしようということに。白人で金持ちでクリスチャン、って夫婦だらけのセミナーに参加し、なんとか自己紹介の手紙を書いて、申請。でもゲイカップルに子どもを託したい親はすぐには見つからないだろうなーと待っていたら、意外なことに二週間で連絡がある。
 
保守的な親に子どもを預けたくない、というその若い女性、メリッサは、すでに妊娠7ヵ月。18歳で家出して2年もストリートで暮らしているガター・パンク(あえて訳せばどぶ暮らしパンクとか、放浪パンク?)。車、家、仕事といった「アメリカ的価値観の主流」を否定する生き方で、渡り鳥みたいなホームレス暮らしなの。こういうライフスタイルをつづけたい彼女に子育てには無理と自分でもわかってて、養子縁組を頼む。
 
妊娠中は信頼関係の構築、メリッサの薬物やアルコール摂取の影響の心配(ネットで調べるとこわいことばっかり出てくる!)、州ごとに違う法律のチェック、お金の心配(1万5千ドルぐらいかかる!)、それぞれの家族への対応、とハードルはたくさん。でも無事出産、子どもの受けとりになる。
 
メリッサはあまり感情を表に出さないひとなんだけど、赤ん坊を引き渡すときは号泣して、やっぱり母親が産んだ子どもを手放すのは、合理的に考えて正解だとしても、こんなにつらいんだ、とダンとテリーも身にしみて感じるのね。で、その後もちゃんと連絡をとっていこうと考えるんだけど、うちの家族にも赤ん坊を見せてやって、とメリッサに頼まれたり、いきなり生物学的なお父さんやその家族まで登場したり、メリッサが行方不明になったり、とまどうこともいろいろ。でも結局は案ずるより産むが易し、で二人はその後、結婚もしちゃう。
 
最初は二人ともまったく結婚したがっていないの、ストレート(異性愛者)みたいなことはしたくない、タトゥーをいれるほうがセクシー、験(げん)がわるい、とかいって。ところが、ダンの母親(カトリック!)が10年続いてるんだし、子どももいるし、としきりに結婚をすすめる。友だちの影響で、だめ、男どうしは結婚しない! なんていってた子どもも、なぜか一転して「パパたちはずっと一緒にいないとだめだから」結婚して! といいだす。当時すでに同性婚が合法だったカナダでドタバタ結婚する二人に、ドクロのついた指輪を選んだのは、彼らの息子だった。という、まあいい話よ。
ダンとテリーが実行するオープン・アダプションて、どんなものですか。
 

「子どもを養子にした両親がその子の産みの母親が誰かを知っている養子縁組」という説明があるね。子どもも産みの親を知ることになる。つまり育ての親と産みの親は、都合のつく範囲で一緒に子どもを見守ることになる。だから産みの親が子どもをとり戻したいと思うこともむしろすくなくて、うまく続くことが多いそう。
 

それで子どもは混乱しないんでしょうか。

ダンも同じことを先輩養父に訊いてる。「いいや、混乱するのは大人だけさ」って答えが返ってくるの。長年コミュニティ全体で子どもを育ててきた多くの社会の事例からみても、たしかにそうだろうなと思うよ。子どもにとって大事なのは、誰であれ自分を大切にしてくれるひとがちゃんといるということにつきるんだろうな。
 
H. でも養子縁組のシステムを工夫するより、メリッサみたいな親を支援してちゃんと子育てできるようにするほうが大事なんじゃないかな。無責任だと思います、そういう状態で子ども産むのって。
 
うーん、たしかに支援のオプションはあったほうがいい、それを命綱にするひとの手が届くように。でもメリッサにはメリッサの事情があるのよ。
 
どんな事情であれ子どもが産まれてきて、なにか事情があって育てられない母がいたら、やっぱりなにか事情があって子どもを育てたいひとと手をとりあって、実際わるいはずがないんじゃない? その三者を引き合わせないほうが、無責任じゃないかな。すくなくとも当の子どもはそう感じるんじゃないかしら。
 
 
この二人、もうひとつオープンにしてることがあるの。浮気を隠さないのね。この話は結婚に至る過程を描いた『誓います』のほうにがっつり書いてあるんだけど、こういうカップルのありかたは、おもしろいよね。
 

えっ。いきなりハードル高い。
 


マイノリティは模範的じゃないと、即バッシングの対象になる。やっぱり不真面目なんだ、ほらだめじゃん、みたいなきめつけが、ヘテロ側に生じがち。だけど正直な話、ヘテロも浮気するし、ゲイも浮気する。冷静に考えれば当たり前の話ですね。
 
ゲイのほうがセックスについて、思いこみを捨てて熟考せざるをえなかった結果、人間はかなりの割合で複数の相手とセックスしたい動物らしい、ってことを率直に認めてるひとが多い、ってことはいえるね。ダンはその前提の上で、それでもカップルがお互いを大事にして関係を保つには? ということを考えている。理論じゃなくて実践すると、意外にこれがむずかしくない。すくなくとも働かないとご飯たべられない階級の人間は、そんな浮気ばっかりしてられないし(時間も金も体力もない!)、年齢が上がるにつれ自分のことを理解して気遣ってくれる安定したパートナーはより大事になる。浮気程度のことで大事なパートナーを失いたくないひとは、嘘をつかずオープンにして、たま~にちょっとの遊びと了解しあえる範囲にするほうが得策。
 
H. 僕はそれは無理。わからない。好きなひとが浮気するけどいい? っていって、いい、とはいえない。
 
そこは考えが分かれると思うよ。いずれにしろこれはある程度以上の経験と年齢を積んだ、自制心があって正直に話し合えるカップル、なにより上下がない対等な関係が大前提だね。パートナーの気持ちを考えずに好き勝手したら、大事な連れ合いを失うよ。長く安定した関係を築きたいなら、パートナーいちばん、セックスはにばん以下。優先順位を間違わず、思いやりを忘れないようにしないと。
 
ただ、ほかのひととセックスするかどうか問題って、ヘテロでもゲイでも、大多数のカップル生活で実際、一度は浮上することだから、そこをきっちり考えてる本として、ヘテロにもこの本は参考になると思うな。
 
ほかにも論争ポイントが、ぽんぽん、飛び出します。不妊は敗北だと思っている白人・中流以上・クリスチャンの裕福な夫婦に、絶対妊娠はありえない(そりゃそうだ!)ゲイカップルとして、投げかける視線もそのひとつ。完璧な家族っていう幻想があなたたちを苦しめてない? っていう問いが浮き上がる。あなたたちはうつむいてるけど、ぼくらはゲイが養子を迎えられるいまの社会状況にわくわくしてるよ! と。
 
ダンは自分が保守的だ、と繰り返しいってる。実際そうだと思う。実家も含め家族が大好き、子ども大好き、結婚もする。息子にカトリック教会で洗礼も受けさせるのよ。かれらが養子を迎えるとわかると、ダンの実家の女性たちは大騒ぎ、テリーの実家はもうすこし控えめだけど、みんなでベビーグッズを買いまくる。普通の、むしろ古風な家族。こんな伝統的家族観のゲイもいる。そうじゃないゲイも、ヘテロもいるよね。
ゲイカップルが息子を迎えて、困ることってないんですか?

国境を越えるたびに、誘拐犯じゃないかと疑われるのを心配して、ドキドキすることぐらいかな。幼稚園の友だちが標榜する世間の普通とも衝突する。子どもって世間が狭いからすぐ影響されちゃうのよね。でもおむつや食べこぼし、うるさい音楽や泣きわめき、といった普通の子育ての苦労のほうが、大変そう。わたし自身、LGBTQ問題を毎日のように考えていた頃にゲイカップルの子育てを何軒かのぞいて、なにも特別なことはないんだなあってつくづく思いました。ダンがいうとおり、「ゲイのライフスタイル」なんてものは、じつはない。都市の若いヘテロ・カップルと、なにも変わらないんだよね。
ゲイの子育てにたいする周囲の目はどうなんだろう。近所でへんな噂とか流されたりしないのかな。

わたしがこの二冊で一番いいなあと思ったのは、『キッド』に出てくるシアトルの隣人たちの暖かな協力なの。養子縁組に必要な書類の中に「隣人からの推薦状」というのがあって、都会ぐらしのダンとテリーは近所づきあいがほとんどないわけ。
 
そこで二人はお願いの手紙を書く。よかったら「ダンとテリーはコカインを売ってないし銃を発砲することもありません」と書いて、同封の返信用封筒に入れて投函してくれませんか、って。それをせいぜい挨拶程度の関係の、おそらくほぼヘテロの隣人たちのポストに投函。するとなんと7通もの手紙が返送されてくるのよ。
 
これって、お願いしたほうも応えたほうも性善説、善意にもとづいて行動してるよね。疑念や悪意や嫉妬や保身じゃなくて。母が育てられない子を引きとって育てようとしているゲイカップルがいる。よいことをしようとしている。応援してください。じゃあ応援しよう。手紙ぐらい書こう。自分の考えひとつ、行動ひとつで、よいことをなしとげるのが可能だと、互いに信じている。
 
こういう自他の善意にもとづく行動への信頼、わたしたちのご近所でもまだ死んでいない。そう信じたいです。市民社会って、民主主義って、これあってのものだよね。でなきゃ沈没しちゃいますよ、みんな。



 
本占い第2回はいかがでしたか? 私はレインボーの水槽を泳ぎ回ってみたくなりました! 来年はもうちょっと頻繁に更新する予定です。次回をお楽しみに~[編集部]
 
 
《バックナンバー》
〈第1回〉ラヴ&ライフ@ティウィ
〈第2回〉レインボー金魚の選択

中村和恵

About The Author

なかむら・かずえ  札幌出身、東京在住。詩、批評、エッセイ、翻訳等の書き手、英語圏ポストコロニアル文学を中心とする近現代文学の研究者。ちいさい「くに」(ネイション)と先住民族の土地を好んで旅し、書かれたことばと書かれていないことばの両方に関心がある。肩書きをひとことで、といわれ悩んだ末「ことばつかい」になった。主な作品に詩集『トカゲのラザロ』『天気予報』(ともに紫陽社)、エッセイ集『キミハドコニイルノ』(彩流社)、『降ります』『地上の飯』『dress after dress』(ともに平凡社)、『日本語に生まれて』(岩波書店)、編著に『世界中のアフリカへ行こう』(共著、岩波書店)、訳書にアール・ラヴレイス『ドラゴンは踊れない』(みすず書房)、トレイシー・K・スミス『火星の生命』(平凡社)、ジャッキー・ケイ『トランペット』(岩波書店)など。明治大学教授。