『問答の言語哲学』をめぐって⑤

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2021/2/15

 
10月刊行の『問答の言語哲学』について、著者入江幸男先生のブログ「哲学の森」では本書の各章の解説、追加説明を連載されています。読者の方々へのガイドとして、弊社サイトにも記事転載させていただくことになりました。全6回シリーズでお届けいたします。読む前に、読んだ後に、ぜひお楽しみください。[編集部]
 

 
拙著『問答の言語哲学』(勁草書房、2020)について、解説したり、追加説明したり、ご批判やご質問に答えたりしたいとおもいます。素朴な疑問、忌憚のないご意見、励ましの声、なども歓迎いたします。→【哲学の森|入江幸男のブログ】
 
 

第5回 第4章の見取り図

 
1 問答論的矛盾
 
 第1章で命題の意味を、第2章で発話の意味を、第3章で言語行為を考察してきました。命題の意味は発話の意味の一局面として成立し、発話の意味は言語行為の一局面として成立するものです。そして、第3章の最後に、言語行為は問答関係の不可避性によって成立すると説明しました。これを受けて、第4章では、コミュニケーションが成立するための条件、つまり問答関係が成立するための必要条件(超越論的条件)を考察しました。第4章は、4つの部分に分かれています。
 
 「4.1 問答論的矛盾の説明」では、問答関係が成立しなくなる特殊な矛盾関係「問答論的矛盾」について説明します。この矛盾を避けることが、問答関係が可能になるための必要条件(超越論的条件)となります。
 
 問答論的矛盾とは、例えば「私の言うことが聞こえますか?」「いいえ、聞こえません」というような問答関係の矛盾です。まず最初に、この矛盾が、従来「矛盾」関係として論じられてきた「論理的矛盾」「意味論的矛盾」「語用論的矛盾」とは異なることを説明しました。
 
 二つの文が「論理的に矛盾」するとは、たとえば「AはBである」と「AはBでない」という二つがともに真であることが論理的に不可能であるということです。二つの文が「意味論的に矛盾」するとは、例えば、「これは赤い」と「これは青い」の二つがともに真であることが、文の意味によって不可能であるということです。ある発話が「語用論的に矛盾」するとは、例えば「私は存在しない」という主張のように、主張するという発話行為と、主張される命題内容が、矛盾するということです。
 
 問答論的矛盾は、これらのどれでもありません。問答論的矛盾は、二種類「純粋な問答論的矛盾」と「混合型問答論的矛盾」に分けることができます。
 
 「純粋な問答論的矛盾」とは、例えば、次の問答の関係です。

「私の言うことが聞こえますか?」
  「いいえ、あなたの言うことは聞こえません」

 この問いも答えも、単独では問題のない発話です。しかし、この答えの発話が上の問いに対する答えとして発話されるなら、矛盾します。なぜなら、質問が聞こえなければ、それに答えることはできないはずだからです。
 
 したがって、この問いに対しては、「いいえ」という答えることは不可能であり、「はい」ということだけが可能になります。つまり「はい」という答えが問答論的に必然的なものになます。他にも次のような例があります。

「あなたは日本語がわかりますか?」
  「いいえ、わかりません」
 
「あなたは、私の質問を憶えられますか?」
  「いいえ、憶えられません」

「混合型問答論的矛盾」となづけたものは、例えば次のようなものです。

「あなたは、誠実に私に話していますか?」
  「いいえ、私は誠実にあなたに話していません」

 この質問への返答であるためには、返答は質問に対して誠実なものである必要があるので、「いいえ、私は誠実にあなたに話していません」という返答は矛盾します。つまり、この返答の内容は、これが質問への返答であることと矛盾します。その意味でこれは問答論的矛盾です。ただし、この返答は、「私は誠実にあなたに話していません」という発話として単独にとらえたときに、語用論的に矛盾しています。つまり誠実に主張するという言語行為と、発話の「命題内容」が矛盾するのです。この問答では、問いと答えが問答論的矛盾になっているだけでなく、答えの発話がそれだけで語用論的矛盾になっているので、このような問答論的矛盾を「混合型問答論的矛盾」と名付けました。ここでも「はい、私は誠実にあなたに話しています」と答えることが問答論的に必然になります。他にも次のような例があります。

「どなたかいませんか?」
  「いいえ、誰もいません」
 
「あなたは何か主張していますか」
  「いいえ、私は何も主張していません」
 
「私はあなたの命令に従うべきですか?」
  「いいえ、あなたは私の命令に従うべきではありません」

純粋な問答論的矛盾と混合型問答論的矛盾は、興味深い構造をもっており、本書では、より詳しい分析を行っています。純粋な問答論的矛盾と混合型問答論的矛盾のこれらの事例から、〈問答論的矛盾は、言語的コミュニケーションのための必要条件(超越論的条件)を示している、と言えるでしょう。
 
2 問答の照応関係と問いの前提
 
 「4.2 問答関係の分析」では、一般的な問答関係と問答論的矛盾の関係を考察します。
 
 この前半では、問答が照応関係を必要とすることを確認した上で、問答論的矛盾がその照応関係を妨げることを説明します。

「昨日私は奇妙な人に会いました。彼女は変わった帽子をかぶっていたのです。」

という文があるときに、「彼女」という代名詞は、ここで「照応詞」として使用されています。「彼女」は、「奇妙な人」を指します。正確には、「奇妙な人」が指示する人を指示します。そのとき「奇妙な人」を「先行詞」と呼びます。照応関係は、名詞(名詞句)に限らず、動詞、形容詞、副詞などにも見られ、ありふれているけれども大変興味深い現象です。
 
 ところで、ある疑問文の発話とそれに続く平叙文の発話が、問答の関係にあるときには、平叙文の中の一部の表現が、照応詞ないし照応表現として、問いの中の表現をその先行詞としている必要があります。なぜなら、問いは答えの半製品であり、答えの一部はすでに問いの中に現れている必要があるからです。例えば

「このリンゴは何ですか?」
  「はい、それはマッキントッシュです」

の「このリンゴ」と「それ」が照応関係にないとしたら、これは問答になりません。
 
 ところで、問答論的矛盾を引き起こす問答の場合には、この照応関係が成り立ちません。例えば、

「私の言うことが聞こえますか?」
  「いいえ、あなたの言うことが聞こえません」

 返答の中の「あなたの言うこと」は、問いの中の「私の言うこと」が指示するものを指示する必要があります。しかし、聞こえないならば、この照応的な関係自体が成り立たないはずです。以上から、問答論的矛盾を惹き起こす問答の間には、適切な仕方で照応関係が成立していないと言えます。
 
 後半では、「問いの前提」について一般的に説明し、それと問答論的矛盾の関係について考察しました。発話一般の前提については、第3章の3.2で説明したのですが、問いの前提については触ていませんでした。ここでは問いの前提について、まず一般的に説明します。問いの発話は、意味論的前提と語用論的前提を持ちます。
 
 問いの「意味論的前提」については、Belnapの提案を拡張して、問いが真なる(あるいは適切な)答えを持つための必要条件と考えました。例えば、「フランス王はハゲていますか?」という問いの意味論的前提は、「フランス王が存在する」となります。
 
 問いの語用論的前提とは、質問という発語内行為が成立するための必要条件であり、質問発話の誠実性と正当性です。例えば、

・答えを知らないこと
・答えを求めていること

などが誠実性に関わる語用論的前提となります。
 
 また正当性にかかわる前提としては、例えば、「明日の会議に出席しますか?」と問う場合には、その質問者が、相手にそれを尋ねる資格があること、質問者が相手がその会議に出席する資格があると信じていること、などになります。
 
 では、このような問いの意味論的前提と語用論的前提は、問答論的矛盾とどう関係するでしょうか。次の問答論的矛盾の問答で考えてみましょう。

「あなたは私の言うことが聞こえますか?」
  「いいえ、私には、あなたの言うことが聞こえません」

この否定の返答は、(詳細な分析を省きますが)この質問の意味論的前提と語用論的前提を否定しませんし、これらの前提を承認するように聞き手に要求する「前提承認要求」を否定することもありません。
 
 しかし、以上のことは質問の通常の語用論的前提、つまり誠実性と正当性に関して言えることです。例えば、

・質問者の声が相手に届くこと
・質問者の言葉を相手が理解すること
・相手が誠実に答えてくれること

 これらもまた質問の語用論的前提だとすると、事情は異なってきます。上で、問いの語用論的前提を、〈質問という発語内行為が成立するための必要条件〉として定義しましたが、この定義によるならば、これらもまた問いの語用論的前提となります。これらは通常の問答では成立しているので、看過されているのです。ここでの返答「いいえ、私には、あなたの言うことが聞こえません」は、「質問者の声が相手に届くこと」という問いの語用論的前提と矛盾しています。つまり、問答論的矛盾の返答は、問いのある語用論的前提と矛盾することになります。
 
 問答論的矛盾を惹き起こす返答が否定している語用論的前提は、問答が成立するための超越論的条件となるでしょう。それを次に考察します。
 
3 超越論的論証
 
 「4.3 問答論的矛盾による超越論的論証」では、表題通り、問答論的矛盾を用いて、いくつかの超越論的論証を行います。
 
 ある問いに対する答えが、問答論的矛盾を引き起こすならば、それを避ける答えを行うことが、問答関係を成立させるための必要条件(超越論的条件)となります。ある問いに対する特定の返答のこのような必然性を「問答論的必然性」と呼ぶことにしました。ここでは、問答論的矛盾をもちいて、問答関係の成立条件についての超越論的論証を行いました。
 
 まず、問答関係の基礎的超越論的条件として3つを説明しました。

「私の声が聞こえますか?」
  「いいえ、聞こえません」
 
「私の言葉がわかりますか?」
  「いいえ、わかりません」
 
「誠実に話していますか?」
  「いいえ、誠実に話していません」

これらの否定の返答は、問答論的矛盾を引き起こすので、このように問われたときには、肯定の返答をすることが問答論的必然性を持ちます。そこで次の3つが問答関係の基礎的超越論的条件になります。

(1) 会話者が互いに声を聞くことができる(絡路の相互確認)
(2) 会話者が相互の言語を理解できる(言語の相互理解)
(3) 会話者が互いに誠実に話している(誠実性の相互確認)

次に、問答関係の意味論的超越論的条件を考察しました。詳細は省きますが、それは次のようなものです。

(1)照応関係
(2)タイプとトークンの区別
(3)言語の規則に従うこと

 次に、問答関係の論理的超越論的条件を考察しました。

(1)同一律
(2)矛盾律

次に、問答関係の規範的超越論的条件について考察しました。

(1)根拠を持って語る義務
(2)嘘をつくことの禁止
(3)相互承認の義務

 これらは、問答関係が成り立つための超越論的条件の網羅を意図したものではありません(おそらくこれら以外にもあるだろうと予想します)。重要なことは、これらが問答関係が成り立つための超越論的条件であるということです。
 
4 超越論的論証の限界
 
 「4. 4 超越論的論証の限界」では、問答論的矛盾を用いた超越論的論証は、他の超越論的論証と同様の限界をもち、究極的な根拠づけにはなっていないことを説明しました。
 
 まず超越論的論証一般の限界を説明しました。それは、超越論的論証が、古典論理を前提して成り立つ論証であるということにあります。それは次のような事情です。
 
 今仮に、命題T が、真なる経験的命題E の超越論的条件であることを証明するとします。この場合には、

E → T

が成り立ちます。これを証明するには、この対偶

¬T→¬E

を証明すれば、古典論理に基づいて、これからE→Tを導出することができます。
 
 ¬T→¬E の証明は、次のように行うことができます。例えば、T が「私が存在する」であり、E が「私はpを主張する」であるとすると、¬T→¬E は、「もし私が存在しなければ、私がpを主張することはない」となります。これは自明であるかもしれませんが、この自明性は、日本語の「存在する」や「主張する」の意味に基づいています。ここでは仮に、これらの語の意味の理解については問わないことにして、仮に¬T→¬E が成り立つとしましょう。その場合、それに続く超越論的論証は、次のようになります。

    1(1)¬T→¬E   仮定
    2(2)¬T      仮定
  1,2(3)¬E(1)  (2)MP
    4(4)E       仮定
1,2,4(5)¬E&E   (3)(4)&+
  1,4(6)¬¬T    (2)(5)¬+
  1,4(7)T      (6)二重否定消去
    1(8)E→T     (4)(7)→+

 この証明の(6)から(7)のステップにおいて、「二重否定消去」を使用しています。しかし、この推論規則は、古典論理では認められますが、直観主義論理では認められないものです。その意味で、超越論的論証は、古典論理の採用を前提しています。
 
 もし、このような論証で究極的な根拠づけを行うとすれば、古典論理の採用を正当化する必要がありますが、それはなされていません。これが、超越論的論証の論証としての限界です。
 
 問答論的矛盾による超越論的論証の場合にも、ある問いに対して否定の返答が、問答論的矛盾を引き起こすことを介して、肯定の返答の必然性を証明しました。ここでも、この最後のステップで「二重否定消去」を用いており、古典論理の採用を選定するという限界を持っています。
 
次回最終回は、「あとがきのあとがき」を紹介します。[編集部]
 
入江幸男(いりえ・ゆきお) 1953年生香川県出身。1983年大阪大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学。現在大阪大学文学研究科名誉教授、文学博士。著書に『ドイツ観念論の実践哲学研究』(弘文堂、2001年)、『ボランティア学を学ぶ人のために』(入江・内海・水野編、世界思想社、1999年)、『コミュニケーション理論の射程』(入江・霜田編、ナカニシヤ出版、2000年)、『フィヒテ知識学の全容』(入江・長沢編、晃洋書房、2014年)。訳書に『真理』(P. ホーリッジ/入江幸男・原田淳平訳、勁草書房、2016年)。
 


分析哲学の成果を踏まえ言語行為について問いと推論の関係、問いと発話との関係を分析、意味論と言語行為論に新しい見方を提供する。
 
入江幸男 著
『問答の言語哲学』

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b535722.html
ISBN:978-4-326-10287-7
A5判・272ページ・本体4,300円+税
 
本書のたちよみはこちら→【あとがきたちよみ『問答の言語哲学』】

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Categories: 本たちの周辺
Go to Top