憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第19回 共和国の諸法律により承認された基本原理

 
 
 フランスの違憲審査機関である憲法院(Conseil constitutionnel)の1958年の創設から1986年にいたるまでの主要な決定の評議の記録が本としてまとめられている*1。どの決定の評議録もすこぶる面白い(憲法学者でない方がお読みになって面白いかどうかは別の話である)。たとえば1971年7月16日の評議と決定は、憲法院の機能自体を根本的に変革したと言われる。
 
 第5共和政憲法は、シャルル・ドゴールが自身のかねての憲法構想を実現したものであった。国家元首たる大統領は党派政治を超越して、首相をはじめとする国務大臣を任命し、政府の政策決定と執行を統括する。大統領はさらに、国家の継続性と独立性を保障し、大臣会議を主宰し、政党政治を超越した裁定者(arbitre)として行動する。国政の危機に際しては、国民投票と解散-総選挙を通じて主権者たる国民の判断が表明されるべく訴えかける。ドゴールは、特殊利益や諸党派の抗争がフランスの国力を弱めたと考え、強力な大統領の指導の下、統一的な国家利益の一貫した実現を目指した。
 
 憲法院は違憲立法審査機関である。しかし当初は、議会で法律案が可決された後、大統領の審署によって法律として正式に成立する前に、大統領、首相、国民議会(下院)議長、元老院(上院)議長のいずれかの附議により、可決された法案の憲法適合性を審査する機関であった*2
 
 しかも、第5共和政憲法の本体は、基本権を保障する条項を含んでいない。同憲法では、議会が法律として制定することのできる事項が限定されており(憲法43条)、それ以外の事項は大統領または首相の発する政令で制定される。議会が憲法により割り振られた権限を逸脱した法律を制定しないよう監視役を務めることが、憲法院には期待されていた。
 
 ところが、憲法院は1971年7月16日の評議と決定で、国民の基本権を擁護する機関へと変貌を遂げた。条文上の手掛かりはサーカスの綱渡りのような離れ業を通じて発見された。第5共和政憲法のごく短い前文は、「フランス人民は、1789[人権]宣言により規定され、1946年憲法前文により確認されかつ補完された諸権利に対する愛着を厳粛に宣言する」と述べる。このうち、1946年憲法、つまり第4共和政憲法前文は、「フランス国民は、1789年の権利宣言により認められた人および市民の権利と自由、ならびに共和国の諸法律により承認された基本原理を厳粛に再確認する」と述べている。
 
 ところで、1789年の人権宣言は、1971年決定で焦点となった結社の自由を規定していない。フランス革命はむしろ、封建的身分制のみならず職業組合や教会をはじめとする中間団体を粉砕して政治権力を国家に集中し、その対極に平等な権利主体たる個人を析出する企てであった。存在し得るのは個々人の利益と公共の利益のみである。結社の自由を認める余地はない*3
 
 そうすると憲法院にとって頼りになりそうなのは、「共和国の諸法律により承認された基本原理les principes fondamentaux reconnus par les lois de la République」に結社の自由が含まれるという議論である。憲法の前文が憲法本体と同様に違憲審査の根拠となるのかという論点がある上に、「共和国の諸法律により承認された基本原理」が、どの「共和国」のどの「法律」により承認されたどの「基本原理」なのかという複雑な論点が浮かび上がる*4
 

 
 1971年7月16日の評議で事実関係と法律問題を分析し、憲法院としての結論を提案する報告者(rapporteur)を務めたのは、フランソワ・ゴゲル(François Goguel)である。彼は長く議会上院の事務局長を務めるかたわら、パリ政治学院の教授も務め、政治学・憲法学関係の多くの学術書を著している。
 
 彼は第一に、附議された法律の審議手続に関する問題を指摘する。問題の法律は、上下両院の対立もあって、最終的に国民議会が可決したのは、会期末日であるはずの6月30日の翌日である7月1日未明のことであった。当時の憲法28条は常会の会期は3月を超えることができないと規定しており、フランスでは1カ月は30日として計算するので、4月2日に開会した会期は90日後の6月30日に終了する。
 

 ゴゲルは、こうした議決も手続違反と見るべきではないと言う。第3共和政でも第4共和政でも、会期末日の深夜24時を超えて審議が続く先例はあった。もし杓子定規に会期末日の24時で会期が終了するとしてしまうと、議事妨害を企てる野党の格好の餌食となる。
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つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。

 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
 
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』

 
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。


【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間

第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
 
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長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。