燃えよ本 連載・読み物

燃えよ本[第3回]「たまたま」のレトロスペクティブ ② スペンサーは本当に弱肉強食を唱えたのか?

 

発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが、けいそうビブリオフィルにご登場です。書評連載なのですが、なかでも「燃えた」本についてご紹介くださる予定です。「燃えた」とはどういうことなのか? 「燃えよ」と願う本があるのか? どうぞお楽しみください。[編集部]

 
 

[第3回]「たまたま」のレトロスペクティブ②
スペンサーは本当に弱肉強食を唱えたのか?

 
 
 ダーウィンが発表した『種の起源』は、キリスト教世界の根幹を揺るがした。しかし時代は19世紀後半、まだ遺伝子はじめ分子生物学的な生命の仕組みが解明されていなかったため、ダーウィンの進化論はさまざまな曲解を生んだ。中でも20世紀中盤まで炎上し続けたのが、進化論を人間社会に適用した「社会進化論」、人間個体に適用した「優生学」だ。
 
 前回は生物学の話だったが、今回は社会学の切り口から「進化」の概念を巡る人類の右往左往を見ていこう。(今回はあんまり長くならないように頑張るぞ)
 

 
 実はダーウィン自身は「進化」(Evolution)という言葉を提唱していない。『種の起源』第一版では「進化」という表現は出てこず、「変化」(Modification)という単語を使っている。「進化」という言葉を現代の僕らが使う意味で提唱したのは、ダーウィンと同時代のイギリスの思想家、ハーバート・スペンサーだ。
 
 彼は近代の思想家のなかでも傑出した「何でもかんでも包括的に語りたいマン」で、人間社会のあらゆる要素を体系化する「総合哲学体系」という試みの第一巻『第一原理』(1862年)のなかで、ダーウィンの生物学的論理を人間社会に当てはめ「人間の社会もまた生物のように進化する」と主張した。生物が自然選択(淘汰)によって環境に適応した種が生き残っていくように、人間の集団にも自然選択の圧がかかり、「適者生存」(Survival of the fittest)が行われていく、というスペンサーの論は「トレンドをいち早く取り入れてそれっぽいこと言ってやったぜ!」というアヤしい広告代理店マンのようなノリを感じさせる。しかし当時の世論には響いたらしく、スペンサーの唱えた進化はバズワードになり、ダーウィン自身もそれに影響を受けて『種の起源』最終六版には進化(Evolution)という単語が登場するようになる。
 
 そしてこのスペンサーの唱えた「進化」が弱い者が淘汰され強い者が残る「弱肉強食」の価値観につながり、やがて人種差別を正当化する優生学へと変貌し、そして世界史上に残る悲劇、ナチスによるホロコーストを生んだのだ! だからスペンサーの社会進化論はトンデモ論でこのおじさんは時代の徒花(あだばな)!
 
……というのが現代の思想史におけるスペンサーのポジションである、という総括を20歳の頃の僕は素朴に受け入れていたのだが、僕もすっかり疑り深いおじさんになったので改めてスペンサーの著書を読み込んでみたら、どうも様子が違う。さっき「アヤしい広告代理店マンみたいだな」とか言ってしまったが、実はスペンサーは現代においても通用しそうなマトモなことを言っている。
 
 進化および適者生存の主張については、強い人種が弱い人種を駆逐する、という戦闘的な話ではなく、むしろ戦闘的な文明よりも、相互協力する文明のほうが環境に適応しやすい。したがって人類文明は戦闘的な軍事国家から、個人の相互協力による自由主義国家へと「進化」するであろう、というのがスペンサーの言いたかった筋だ。彼は中世の帝国も、近代のナショナリズムも否定し、あくまで個人の平等な権利に基づいた社会形態の激推し、いや神推し野郎なのである。
 

 
 さて。スペンサーの社会進化論をおさらいしてみると、3つの論点があってだな。

①社会進化論にもダーウィン派とラマルク派がある
②自然選択を人間社会に当てはめるのはかなり残酷
③進化の適用を集団にするか個人にするかでだいぶ違う

スペンサー前後の社会進化論の進展とあわせて順番に見ていこう。
 
 まず①。スペンサーの言う進化はダーウィンに影響されて書いたという割には多分にラマルク的だ。

「ラマルク的ってどういうこと?」

種の変化は遺伝子によって次の代に伝播し、生物個体の意志とは関係ない、というのがダーウィンの進化の定義。対して生物個体が生きている間に獲得した形質が次の代に伝播する、というのがラマルクの進化の定義。ラマルクの進化論では「個体の意志」がフォーカスされる。よりよく生きようとする生物個体の意志が次の代へ受け継がれることで、生物は低級な虫けらから高等な人間へと梯子状に進化する、というIT会社の意識の高い人事が説く成長論みたいな世界観だ。詳しくは長文ですまないが前回の記事を読んでほしい。
 
 でね。スペンサーの社会進化論は「人間の社会は低級から高等へと進化する」と定義している時点でダーウィン的というよりラマルク的だ。ダーウィンなら「生物の世界に低いも高いもない!」とか言いそう(でもスペンサーとダーウィンはそれなりにリスペクトしあっていたらしい)。そして人間集団(生物で言うところの種)よりも個人の振る舞いを重視しているところもラマルク的である。個人の道徳のアップデートにより社会が進化していく、というスペンサーのアイデアはラマルクの唱える「獲得形質の遺伝」に置き換えることができる。
 
 20世紀以降の生物学では「獲得形質の遺伝」は基本的には否定されている。個体の振る舞いは次代に遺伝しないというのが定説(例外もあるが)。なのでスペンサーの社会進化論は生物学のセオリーで言うと正しくない。それではメンデル的な「遺伝子による形質の伝播を人間社会に当てはめる」ことを実践してみたらどうなるか? それが優生学なのであるよ。
 
 それでは②の論点を見ていこう。個体の振る舞いは遺伝に関係ない、それはアプリオリに決定されている、とするダーウィン的な進化論を人間社会に適応してみるとどうなるだろうか。いくつか道筋を端折って言うと「事前にヤバそうな遺伝子の持ち主を間引こう」という話になる。逆から言えば「適応に有利そうな個体を優遇しよう」という話にもなる。社会進化論がバズってから半世紀ほど後、メンデルの遺伝の原理が再発見されてダーウィン理論が強化されたことで、エンドウマメを品種改良するように、人間も品種改良したら良くない?というアイデアが国家レベルで真面目に議論されることになる。この時に勃興したのが「優生学」である。生物進化の理論を応用することで人間をアップデートし、同時に劣等な人間を排除するという、キーボードを打つだけで目眩がしてくる激ヤバな応用科学の1カテゴリーなのだが、これは現代における出生前診断やデザイナーベビーに受け継がれている、今なお進行中の重要案件だ。
 
 優生学を最初に唱えたとされるのは、ホンマかいな?と思ってしまうが、ダーウィンの従弟にあたるフランシス・ゴルトン。1883年に優生学(Eugenics)という言葉を提唱した。しかし彼の提唱はかなりざっくり&ふんわりだったので特に社会に具体的なインパクトをもたらしたわけではない。
 
 優生学が本格的に社会に影響を与えていくのは20世紀初頭の頃だ。なぜこの時期なのか? 理由は2つ。一つは前述したようにメンデルが発掘され、遺伝のメカニズムの理解が進んだこと。もう一つが国民国家の勃興である。
 
 こないだCOTEN RADIOというポッドキャストで第一次世界大戦のエピソードを聴いていて気づいたのだが、中世以降の帝国よりも国民国家の方が経済的にも軍事的にも有利になっていく流れの中で、優生学の普及には必然性があった。多様な民族が並立するオスマン・トルコや中国のような帝国と違い、国民国家では「自国の民族=国民」を定義しないといけない。そしてなみいる国民国家間の競争を制するには、自国の国民=民族を優れたものにしなければいけない。賢明な読者諸氏はもうお気づきだろう、国民国家の富国強兵と人間の品種改良=優生学は不可分の関係性を結んでしまうのだ。
 
 スペンサーの時代、人間社会の進化は「啓蒙」でイケるで!と思われていた。しかし国民国家の成立以降では、人間社会の進化はマインドセットではなく、社会制度の実装(具体的な例は後述)および医療的なオペレーションによって「具体的・物理的に」推進されていく。
 
 皮肉なことに、これはスペンサーが人生をかけてディスり続けた「政府による個人の権利への強制介入」に他ならない。スペンサーの社会進化論と優生学は一直線につながっているのではなく、ねじれの関係で(スペンサーが一番イヤなかたちで)結ばれている。国家が適者生存を目指して構成員である国民を強制的に品種改良していく。そしてそれは当初「暴力」ではなく「福祉」の顔をして国民に近づいていった。
 

 
 「優生学」と聞くと、ナチスによるユダヤ人根絶(ホロコースト)をイメージする人が多いかもしれない。しかしホロコーストは優生学の「極端な例外」だ。極端なゆえに悪目立ちするが、優生学はもともと「社会福祉」として発達していったものだ。ちなみにスペンサーの社会進化論も悪魔の理論ではなく、リベラルな教養人に「キリスト教原理に代わる統一理論」として受容された。つまり現代のSDGsのような「イケてるトレンド」として支持されたことを強調しておく。
 
 でね。20世紀以降の優生学は大きく3つのバリエーションに分岐していく。一つは「アメリカ・ドイツ型」、もう一つは「北欧型」、そして最後に「フランス型」の3つ。まずアメリカ・ドイツ型が一番極端で、障害者や特定の疾病を持った患者、移民や犯罪者を「劣った人種」として隔離し、少なからぬ人に次世代の種を残さぬよう強制的な不妊手術を施した。さらにアメリカでは移民法によって人間の格付けが行われた。上位にアングロ・サクソンが、中位に東欧・中欧の白人、そして下位に黒人やアジア系が置かれたピラミッド型の格付けが国家によって制定された。ちなみにドイツでは同じような発想でアーリア人が優位に置かれ、それがナチス台頭の後、劣等人種であるユダヤ人の積極的根絶に変質していく。
 
 スウェーデンやデンマークを中心とした北欧型の優生学もけっこう過激で、アメリカやドイツのように知的障害者や精神病患者の強制断種(不妊処置)が数多く行われてきた。しかし為政者によるトップダウンで断種や差別が実行されていたアメリカ・ドイツ型と違い、北欧型では障害者施設の関係者や育児をになう親たちから積極的に優生学的政策が要請された。つまり国民生活を向上させる福祉施策として、市民側が優生学の知見を望んだのだ。現代日本でも出生前診断で自分の子どもが障害児だとわかったら中絶するケースがあるが、これはテクノロジーが発達した時代における市民の優生学と言える側面もあるかもしれない(公的サポートの不備はじめさまざまな理由から障害児を養育する環境を整えられないなど、もちろん別の要因も考えられる)。
 
 最後にフランス型。これは一番穏当なもので、前述の2つのモデルのように政治による積極的な断種・隔離・差別は行わないポリシーで、結婚前に遺伝に影響するような特定の疾病や体質を持っていないかチェックする義務が設けられた程度だ(2008年に非義務化)。人種に関する見解も面白い。隣国ドイツや北欧が「人種が混淆すると劣化する」という民族の純血主義を唱えたのに対し、フランスでは「俺らそもそもいろんな人種の混血だし、人種が混じったほうが適応度高くなるのでは?」と人種の混淆を積極的に捉えている。進化論のセオリーで言えばフランスのほうが合理的だったりする。一方、遺伝子によるアプリオリな決定を重視して、生まれてくる前の断種に対して積極的ではないのは、ラマルクの思想を受け継いでいるとも言える。実際フランスの優生学者はダーウィン型の英米・ドイツに対し「俺たちにはラマルクがいる!」という対抗意識を燃やしていた節がある。
 
 以上のように、優生学は各国でそれぞれ異なる発展を遂げた。程度の差こそあれ、現代から見ると人権をないがしろにした政策を行ってきたわけだ。20世紀の学問的汚点と言える優生学につながるものとして、社会進化論、もっと噛み砕いて言えば生物学の進化の概念を人間社会に当てはめる方法論は「それっぽく聞こえる」からこそスペンサーの時代以降、何度も炎上を繰り返してきた。
 
 それではここから先は僕なりに社会進化論や優生学について考えたことを書く。
 
 19世紀後半から20世紀中盤にかけての状況で言えば、進化を人間社会に適用する場合はダーウィンよりもラマルクのほうが穏当な結果になるのが興味深い。生物学的な妥当性はラマルクの方が低いのだが「獲得形質の遺伝」のアイデアは、個人の意志による環境の改善を認める。つまり「生まれが悪くても頑張れば更生できるんやで」という考えが許される。対してダーウィン・メンデル的な遺伝子によるアプリオリな形質の決定を人間に当てはめると「ダメな奴は生まれつきダメ! 更生させようと努力しても無駄だから施設にぶちこんで断種して何なら安楽死させようぜ!」という話になってしまう(あくまで20世紀中盤までは、の話だが)。
 
 スペンサーの社会進化論を一つの極とし、反対の極にナチスの優生学を置く。ともに進化の論理を人間社会に当てはめた試みという点で一致しているが、力点を個人に置くか集団に置くかで対立していることにお気づきだろうか。
 
 進化が適用されるユニットは、個体なのか集団なのか。ダーウィン以降の生物学では、それは集団=種である、ということが定説になった。であれば個体よりも集団の存続が生物の核心である、という理屈を人間に当てはめてみるとゾッとする。20世紀以降の国民国家では、国家を生物種と見立て、国家に属する国民=民族を生物個体とした。まず種=国家の「なか」で淘汰を行い、適応できない個体(これは特定の民族まるごとと、障害者や犯罪者などの劣等とされる人間の2つに分かれる)は排除する。次に種=国家の「あいだ」での淘汰が行われる。適応度の高い個体が最もたくさん繁殖した種が生き延び、繁栄する。この二重の淘汰が世界規模で行われたのが20世紀前半だ。国家の「なか」の淘汰は優生学が、国家の「あいだ」の淘汰は2つの世界大戦がその役割を担った。
 
 20世紀前半から中盤は、全体主義が世界を席巻した時代だった。ドイツや日本ではファシズムが、ソ連や中国では共産主義が。そしてそこに属さない大半の先進国のスタンダードであった国民国家も、現代とは比べ物にならないほど個人がないがしろにされ「お国のために」を求められる全体主義的な環境だった。
 
 スペンサーが警笛を鳴らしたのは、まさにこのような個人がないがしろにされる弱肉強食の軍事的な全体主義だった。ハードコアな全体主義に退行しないために、個人が道徳に従って自律的に動く自由な社会に「進化」しなければいけない、それがスペンサーの言いたかったことなのだ。しかし皮肉なことに、全体主義をドライブさせた要因もまた「進化」だったのだ。国家という「種」を進化させるために、構成員を選抜し、淘汰し、改良する。この時にダーウィンの進化論の恐るべきキメラが出現してしまった。このキメラと比べれば、ラマルクの不完全な応用のほうが100倍マシだったのだよ。
 
 後世の優生学という進化論の成れの果てを見たダーウィンおじさんはどう思うだろうか。
 
「お前たちは大事なことをわかっていない。種には優れたも劣ったもない。なぜなら優劣をジャッジする創造主はいないのだから」
 
……とか爆撃で荒野となったロンドンで呟いていそうだ。なるほど後世の人々は、理論としての進化論は理解したかもしれない。しかしダーウィンおじさんの鉄の意志が破壊した優劣や進歩という”意味のバイアス”にはいまだ囚われたままなのだろうか……。
 

 
 それでは最後に読書案内。今回取り上げたスペンサーの『第一原理』は単体の著書にはなっていない。『世界の名著 (46) コント・スペンサー』(中央公論新社)に収録されているので大きめの図書館なんかで探すのがオススメ。Kindleでも読める『ハーバート・スペンサーコレクション』(筑摩書房)はスペンサーのエッセンスを知るのにオススメ。僕は今回この本でスペンサーを読み直してみてたくさんの気づきがあった。
 
 イギリスのフランシス・ゴルトンやドイツのアルフレート・プレッツなど、20世紀前半までの優生学の主要登場人物の著書は一般に読める書籍として出版されているものはほぼない。米本昌平ほか『優生学と人間社会』(講談社)では各国における優生学の変遷がコンパクトにまとめられている。なお今回本文では取り上げなかったが、犯罪者を遺伝的に診断するというスゴい研究を行ったイタリアのロンブローゾを紹介した寺田精一『ロンブローゾ犯罪人論』(巌松堂書店)がKindleで読めるようになっている(大正6年発行!時代を感じるぜ)。最近の話題本であるポール・A・オフィット『禍いの科学 正義が愚行に変わるとき』(日経ナショナル ジオグラフィック社)でも優生学が主要トピックスの一つとして取り上げられている。大変面白い本なのでご一読あれ。
 
【追記1】ラマルクの「獲得形質の遺伝」は、実はダーウィンも積極的にではないが認めている。スペンサーがラマルクっぽいからと言ってダーウィンをちゃんと理解していないことにはならない。
 
【追記2】スペンサーの「社会が低級から高等に進化する」という主張は実は系譜があり、端緒となったのは18世紀。モンテスキューの「狩猟→遊牧→文明社会」の三段理論から。スペンサーとだいたい同時代のアメリカの人類学者モーガンも社会進化の三段理論を詳細に論じている。こういうモデルを元にしてスペンサーも社会の進化を説いていると思われる。
 
【追記3】優生学は生命を取り扱う領域なので、各国ごと、研究者ごとに微妙なニュアンスの差異がたくさんある。例えば安楽死一つとっても、国家のために遂行するのか個人の幸せのために遂行するのか立場が分かれる。しかし文字数に限りがあるためにかなりざっくりとまとめてしまったのでその点ご了承願いたい。
 
【追記4】込み入った生物学的トピックスになるので本文では割愛したが、自然選択には2つの方向性がある。一つが適応度の低い個体が淘汰され「安定」へと向かう方向性。もう一つはたまたま環境変化に適応した突然変異が生き残ってしまい「変化」へと向かう方向性。優生学が勃興した背景には、医療や公衆衛生の発達により、適応度の低い個体も生き延びられてしまう一方、健康な男性が戦争で死んでしまって種の安定度が低下するのでは?という議論が背景にある。フランス型の「人種が混淆したほうがよくない?」という考えは、遺伝子の掛け合わせによる「変化」の方向の自然選択への期待が反映されている。現代の進化論からするとかなり素朴な考えではあるが。
 
【追記5】日本はどうだったの?と気になる人も多いだろう。スペンサーは明治のリアルタイムからものすごく人気があった。優生学に関しては、20世紀前半まではフランスと同じく穏当なものだったが、第二次世界戦中の1930年代後半以降、ドイツの影響を受けた優生学が受容され、戦後すぐの1948年に優生保護法が制定、つい最近の1996年まで存続する。この間、主に障害者や伝染病患者を中心に行われた不妊手術(つまり断種)は約84万5000件である。その大半は1950-60年代に行われたらしい。瀬戸内国際芸術祭トリエンナーレで訪れることができる、ハンセン病治療施設・大島青松園のある大島ではあまりにも悲しい記憶の一端をアートの展示で垣間見ることができる(事前に予約すれば見学が可能なようだが、現在は中止)。
 


 
《バックナンバー》
[第0回]ご挨拶
[第1回]逃避としての読書、シェルターとしての書店
[第2回]「たまたま」のレトロスペクティブ ① 粘着ダーウィン、意味を破壊する

小倉ヒラク

About The Author

おぐら・ひらく  発酵デザイナー。下北沢『発酵デパートメント』オーナー。YBSラジオ『発酵兄妹のCOZY TALK』パーソナリティ。著書『手前みそのうた』(農山漁村文化協会、2014)、『発酵文化人類学』(角川文庫、2020)『日本発酵紀行』(D&DEPARTMENT PROJECT、2019)など。写真集に『発酵する日本』(Aoyama Book Cultivation、2020)。山梨県の山の中で日々菌を育てながら暮らしています。