憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第28回 法律を廃止する法律の廃止

 
 
 今回は、少々頭の体操の様相を帯びている。新世社から刊行されている拙著『憲法』は、現在第8版である。その448頁に次のような括弧書きの注釈がある(章と節の番号で言うと14.4.5)。

もっとも、19世紀半ばまでのイギリスでは、ある法律を廃止する法律が廃止されると、元の法律は復活するという法理が通用していた。法令の「廃止」がどのような効果を持つかは、個別の実定法秩序が決定する問題であって、概念の本質や論理によって一般的に決まる問題ではない。

 これは、いわゆる違憲判決の効力論に関する注釈である。違憲判決の効力という標題の下で通常議論されているのは、法令違憲の判断*1が最高裁によって下された場合、その法令の身分はどうなるかである。
 
 大きく2つの立場があると言われる。一般的効力説によると、最高裁による法令違憲の判断には、当該法令を廃止する効力がある。つまり、その法令は存在しなくなる。他方、個別的効力説によると、法令違憲の判断に当該法令を廃止する効果はなく、当該事件ではその法令は適用されないという効果を持つにとどまる。
 
 非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1と定めていた民法900条4号但書を違憲と判断した最大決平成25年9月4日民集67巻6号1320頁には、2人の裁判官の補足意見が附されており、個別的効力説を基本として考えたとしても、判例には事実上の拘束性が伴うことから、他の相続事件にもたらす影響を考慮して、遡及効を限定する必要があるとの説明がなされている。すでに確定したはずの遺産分割の効力を事後的に覆すことになると、人々の期待を裏切り、深刻な社会的混乱を招きかねない。だから、遡及効を限定する必要があるというわけである*2
 
 つまり、個別的効力説をとったとしても、違憲判断が判例として下級裁判所および後の最高裁を拘束する以上、結局、当該法令は違憲であるとの効果が一般的に及ぶことになる。その限りでは、一般的効力説をとるか個別的効力説をとるかで、実際上、大きな違いが生ずるわけではない。
 
 拙著が前述の注釈に続いて説明しているのは、かりに一般的効力説と個別的効力説とで違いが生ずるとすれば、どういう場合かである。
 
 これまた滅多に起こらないことではあろうが、ある法令が最高裁によって違憲と判断された後、当該法令が国会等によって廃止される以前に、最高裁が判例を変更して合憲であるとの判断を下したときは、個別的効力説であれば、当該法令は違憲判断によって廃止されるわけではないので、再び効力を取り戻すことになるが、一般的効力説であればすでに廃止されている以上、それが復活することはないという点であろうことが説明されている。
 
 とはいえ、冒頭で引用した注釈に戻ると、ある法律を廃止する法律を廃止すると元の法律が復活するという法理が通用しているとすれば、一般的効力説の下でも違憲と判断された法令は復活することになる。そのことが指摘されている。そうした法理が通用しているのであればやはり、一般的効力説と個別的効力説との間に違いはないこととなる*3
 

 
 冒頭の注釈であるが、典拠はジョン・フィニスがOxford Essays in Jurisprudence, 2nd Seriesに寄稿した論文である*4
 
 本書は当時のオクスフォードの法学者の寄稿論文からなり、H.L.A. ハートの ‘Bentham on Legal Rights’、ロナルド・ドゥオーキンの ‘Taking Rights Seriously’、ブライアン・シンプソンの ‘The Common Law and Legal Theory’ など、筆者の世代にとっての必読文献がいくつも収められているが、研究生活に入ったばかりの筆者がもっとも熱心に読んだのは、フィニスの論文であった。
 
 フィニスは、法令の廃止とは何を意味するかという論点を採り上げて、ジョゼフ・ラズの示す理解が単純に過ぎることを指摘する。ラズは、①ある法律を廃止する法律は、廃止がなされてしまった後は、もはや存在していると言い得るか疑わしい*5、②法律は廃止行為(repealing-act)によって廃止されるのであって、廃止規範(repealing-norm)によって廃止されるわけではないと考えるべき理由がある、と主張する*6
 
 ①と②は関連している。廃止行為によって法律が廃止されてしまうのであれば、その後も廃止した法律が規範として存続していると考えるべき必要性は乏しい。なされるべき仕事は廃止行為によってすでに終わっているのであるから、規範としてさらに果たす仕事はもはやない。廃止した法律が規範として存在し続けていなければ、廃止された法律が復活してしまうわけではないのだとすると、廃止規範が当該法秩序の構成要素として継続的に存在しているとは言いにくい。これが、ラズが言っていることである。
 
 これに対してフィニスが指摘するのが、19世紀までのイングランドでは、ある法律を廃止する法律が廃止されれば、元の法律が復活するという法理が通用していたという事実である*7
 
 この法理を前提とすると、廃止されたはずの法律も実は寝ていただけで、廃止法が廃止されれば、また目を覚ますことになる。廃止されたからと言って、ゼロになったり無になったりするわけではない。目を覚ますことは、「法律」の本質や「廃止」の概念自体からしてあり得ないと言うことはできない。だとすると、廃止された法律が廃止されたままであるためには、廃止規範が存在し続けている必要がありそうである。
 
 もっとも、現代の日本では、ある法律を廃止する法律が廃止されたときに元の法律が復活するという法理は、おそらく通用していないであろう。アンケート調査をしたわけではないが、日本の大部分の法律家はそう考えているように思われる。であれば、あまり心配する必要はない話かも知れない。
 
 ただ、関連して気になる点は出てくる。
 
 さきほど、かりに個別的効力説をとったとしても、判例の拘束性を前提とする限り、一般的効力説とさしたる違いは出てこないという話をした。ある時点で最高裁が違憲とした法令を、下級裁判所がその後の判決や決定の中で合憲として適用することはないであろうから、結局、廃止されてしまったのとさして変わりはないはずだという話である。
 
 とはいえ、厳密に言えば、廃止されてこの世から消滅する──妥当しなくなる──ことと、裁判所をはじめとする公的機関によって適用されなくなることとは違うはずである。だからこそ、一般的効力説と個別的効力説とが対立していると言われてきた。適用されることのない法令は実効性を失いineffectiveとなる。しかしそれは存在しないこと、つまりinvalidであることとは異なる。
 
 日本国憲法98条1項は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と規定する。
 
 「効力を有しない」とはどういうことであろうか。個別的効力説を前提とする限り、存在しなくなるというわけではない。廃止や撤回がされない限りは、存在はしている。しかし、最高裁によって違憲と判断された以上は、公的機関によって適用されることはなくなる。実効性は失われる。とはいえ、無効な法であっても法としてはなお存在している。
 

 
 ジョン・フィニスの言う「法律を廃止する法律が廃止されると元の法律が復活する」という法理は、サー・エドワード・クックも言及している*8。とはいえ、法律を廃止する法律が廃止されると、必ず元の法律が復活するというわけではない。議会がそれと異なる意思──元の法律が復活しないという意思──を明らかにしていれば、そうはならないはずである*9
 
 議会にできないことはない。かつては女を男にしたり男を女にしたりすることだけはできないと言われていたが*10、今では男女の性別を変えることも可能である*11
 
 ただ、議会が異なる意思を明らかにしていない限りは、フィニスの言う法理が妥当し、法律を廃止する法律が廃止されると元の法律が復活する。同様の法理はコモンローについても妥当すると考えられていた。つまり、あるコモンロー上の法理を廃止する制定法が廃止されると、元のコモンローが復活する。
 
 ある法律を廃止する法律が廃止されたときに元に法律が復活することは、当初から有効期間の定めがあるいわゆる時限法については、当然あてはまることのように思われる。ある法律の有効性に当初から期限が附されていて、その期限が到来したときは、法律制定以前の法状態が復活するものであろう。悠久の古から悠久の将来に至るまで妥当する、不老不死であるはずのコモンローからすれば、あらゆる制定法は時限法である*12。となると、少なくともコモンローと制定法との関係に関する限り、コモンローを廃止する制定法が廃止されれば、元のコモンローが復活するのは当然のようにも思われる。
 
 イングランド法史学者のサー・ジョン・ベーカーは、コモンローの有効性を一時的に失わせる制定法の例として、いわゆる聖職者特権(benefit of clergy)を次の議会召集まで一時的に停止した1512年の法律を挙げる。
 
 聖職者特権は、15世紀から16世紀にかけてさかんに利用されたもので、殺人罪等の重罪(felony)について有罪とされた者も、初犯であれば、読み書きの能力をラテン語の聖書を読み上げることで示すことで死刑を免れた制度である。実際には聖職者でない者も頻繁にこの特権の恩恵に浴した*13。読み上げを求められるのは旧約聖書の『詩篇』のある一節に決まっていて、それを覚えておけばよかったからである。特権を停止するこの1512年の法律は教会から強く批判されたことから、その有効期限は更新されず、聖職者特権は復活した。しかしその後、1540年に制定された法律で、聖職者特権は無期限に停止されることとなった。
 
 聖職者特権はその後、1827年の法律(the Criminal Law Act 1827)で廃止されたが、この法律自体も1967年に廃止されている。その結果、聖職者特権が1967年に復活したかと言えば、そうしたことは起こっていない。なぜだろうか(と改めて問う者もいそうもないが)。
 
 その回答を与えてくれるのは、1889年制定の解釈法(the Interpretation Act 1889)である*14。同法は、法律が以前の法律を廃止したとき、「異なる意思が明らかにされていない限りは、廃止の発効時に有効でなくまたは存在しないいかなるもの(anything)も復活しない」旨を定めている*15
 
 1967年に1827年法が廃止されたとき、すでに聖職者特権は1827年法によって廃止されていて、有効でもなければ存在もしていなかった。したがって1889年解釈法を前提とする限り、1827年法が1967年に廃止されても聖職者特権は復活しなかった、というわけである。
 

 
 ごく常識的ことを定めているように見える1889年法の規定は、たとえば、次のような帰結をもたらす。
 
 1967年の法律によって1827年の法律が廃止された結果、どのような法状態がもたらされるかは、1827年法が何を廃止し、何の効力を奪ったかに依存することになる*16。つまり現在のイングランドに生きる人々は、すでに廃止されてしまったはずの1827年法の内容にもとづいて、どのような法に従って生きるべきかが決まることになる。廃止された法は墓場からなお現世にコントロールを及ぼしている。
 
 だとすると、ジョゼフ・ラズが主張するように、廃止してしまえば廃止する法律はもうお役御免とはいかない。現在の法状態を正確に知るためには、過去の法律が何を廃止したか、とりわけコモンローのうちどの部分が過去に廃止されたかを事細かに調査する必要がありそうである。
 
 もっとも、そこまで事態を深刻に考える必要があるか、あるいは現在のイギリス人が、そうしたコモンローに関する悉皆調査が必要であると考えているかと言えば、そうでもなさそうである。その理由の1つは、現在のイギリス人が、コモンローに不老不死の生命がやどっているとは、もはや考えていないことにあるように思われる*17
 
 たとえば、近年廃止すべきか否かが議論の焦点となっている法律に、ヨーロッパ人権規約の定める人権をイギリス国内法へと取り入れた1998年人権法(the Human Rights Act1998)がある。
 
 かりに同法が廃止されたとしよう。するとかつての国王大権が甦って、国王は(つまり政府は)、令状によらずに人々を収監したり、私有財産を没収したりすることができるようになるとは、おそらく誰も考えてはいないはずである*18。だとすれば、たとえ1998年人権法を廃止したとしても、イギリスにおける人権保障のあり方については、ずっと昔に死んでしまったコモンローではなく、依然として、廃止された人権法とその下での判例・先例を手掛かりとして考えざるを得ないのではないだろうか*19
 
 もう1つ廃止が複雑な問題を引き起こす法律の例として、2011年議会任期固定法(the Fixed-term Parliaments Act 2011)がある。この法律は、下院が解散される時機を首相の判断に委ねてきたイギリスの憲法習律を変更し、総選挙は原則として5年ごとに施行されるとした上で、下院が総議員の3分の2以上の多数で総選挙が施行されるべきことを議決した場合、または、下院が政府不信任案を可決し、その後14日以内に新たな政府に対する信任案が可決されなかったときに限って解散・総選挙が行われることを規定していた。
 
 ジョンソン政権が2020年12月に提出した議会任期固定法廃止法案は、2011年法を廃止するとともに(1条)、解散に関する国王大権を復活させる旨(2条)を定めていた。
 
 法案の2条1項は、次のような条文である。

議会の解散と新議会の召集に関して、2011年議会任期固定法施行直前に国王大権にもとづいて行使されていた諸権限は、あたかも2011年議会任期固定法が制定されなかったのと同様に、再び行使可能である。

 国王大権を廃止した2011年法を廃止しただけでは、かつての国王大権は復活しない(少なくとも1889年解釈法からすれば)。議会は「異なる意思」を明らかにする必要がある。それが法案の2条1項だというわけであろう。
 
 しかし、2011年法以前の解散権については、原則として首相の助言にもとづいて行使されるとの憲法習律が20世紀初頭以来存在していた*20。この憲法習律を復活させることは、条文上は、明らかに示されてはいない。そもそも、制定法によって憲法習律を復活させるなどということが可能なのだろうか*21
 
 となると、憲法習律によって制約されることのない国王大権が復活することになるのであろうか。まさかそんなことは誰も考えていないであろうが*22
 
 法律でもって法律を廃止するというごく単純そうに見える法現象が、かなりややこしい問題を隠しているらしいことが分かる。
 

*1 ある法令が、適用され得るあらゆる場面で違憲となる(つまりその法令が合憲的に適用されることはあり得ない)という判断である。特定の適用場面において(のみ)違憲であるとする適用違憲の判断と対比される。
*2 この問題については、さしあたり、拙著『憲法の論理』(有斐閣、2017)第12章「判例の遡及効の限定について」参照。
*3 言わずもがなのことではあるが、ある法律(A)を廃止する法律(B)の制定によってAが廃止されるのは、後法は前法に優越するlex posterior derogat legi prioriからである。この点については、さしあたり拙著『法律学の始発駅』(有斐閣、2021)100頁参照。
*4 John Finnis, ‘Revolutions and Continuity of Law’ in Oxford Essays in Jurisprudence, 2nd Series (AWB Simpson ed, Clarendon Press 1973). ジョン・フィニス(1940−)は、オーストラリア出身の法哲学者。オクスフォード大学名誉教授。ノートルダム大学教授。
*5 Joseph Raz, The Concept of a Legal System: An Introduction to the Theory of Legal System (2nd edn, Clarendon Press 1980) 58.
*6 Ibidem 64, n 2.
*7 Finnis (n 4) 61.
*8 Edward Coke, The Second Part of the Institutes of the Laws of England (Clarke and Sons 1817) 685. クックはこの法理は「真実であり、否定し難いThis is true and cannot be denied」と述べる。See also John Baker, English Law under Two Elizabeths: The Late Tudor Legal World and the Present (Cambridge University Press 2021) 123.
*9 Baker (n 8) 124.
*10 AV Dicey, Lectures Introductory to the Study of the Law of the Constitution (JFW Allison ed, Oxford University Press 2013) 29.
*11 See the Gender Recognition Act 2004. 日本の、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に相当する。
*12 Baker (n 8) 125.
*13 John Baker, The Law’s Two Bodies: Some Evidential Problems in English Legal History (Oxford University Press 2001) 39-40. 中世後期において、初犯の聖職者は世俗の裁判所の管轄には属さず、教会裁判所で裁かれた。聖職者特権はその名残である。
*14 Baker (n 8) 125−26.
*15 ‘[U]nless the contrary intention appears, the repeal shall not…revive anything not in force or existing at the time at which the repeal takes effect’ (section 38 (1) (a)).
*16 Baker (n 8) 127.
*17 Ibidem.
*18 Ibidem 131−32.
*19 Ibidem 132.
*20 それ以前は、解散の助言は首相ではなく、内閣によってなされていた。See Alison L Young, Turpin & Tomkins’ British Government and the Constitution: Text and Materials (8th edn, Cambridge University Press 2021) 463.
*21 法案に附されたExplanatory Notesには、同法案が制定されれば、以前と同様に、国王は首相の助言にもとづいて議会を解散することになる旨が記されている(§1)。しかし、これはExplanatory Notesが明らかにしていることであって、法案自体が明らかにしているわけではない。なお、議会任期固定法廃止法案は廃案となり、2021年5月に同一内容の法案(解散および新議会召集法案Dissolution and Calling of Parliament Bill)が議会に提出され、2022年3月24日に法律(Dissolution and Calling of Parliament Act 2022)として成立している。
*22 ここで発生しているのは、拙著『神と自然と憲法と──憲法学の散歩道』(勁草書房、2021)177−78頁で扱った全能のパラドックスの応用問題である。主権的な国会は自身の主権を自ら部分的に廃止して国王大権を復活させることができるのか──できるという答えも可能だが、そうではないとの答えもあり得る。答えは不確定である。

 
 
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第21回 道徳対倫理──カントを読むヘーゲル
第22回 未来に立ち向かう──フランク・ラムジーの哲学
第23回 思想の力──ルイス・ネイミア
第24回 道徳と自己利益の間
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憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
 
2021年11月15日発売
『神と自然と憲法と 憲法学の散歩道』
長谷部恭男 著

3,300円(税込) 四六判 288ページ
ISBN 978-4-326-45126-5

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b592975.html
 
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。
 
本書のあとがきはこちらからお読みいただけます。→《あとがき》

長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第7版』(新世社、2018年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。