あとがきたちよみ
『狂熱のパレット――激闘するゴッホとゴーギャン』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2026/8/19

 
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西岡文彦 著
『狂熱のパレット 激闘するゴッホとゴーギャン』

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著者後記
 
 一九〇三年一月、アルルを去って十五年を経たゴーギャンが、ゴッホの思い出を回想録に綴っている。ゴーギャンは、苦しい時に自分より不幸な人間がいたと思い出せることにおいて、ゴッホに多くを負っているという。
 ゴッホの死の十三年後、ゴーギャン自身が亡くなる四ヶ月前のことである。
 ヨハン・セバスチャン・バッハの『マタイ受難曲』といえば、新約聖書「マタイによる福音書」に記されたイエスの受難を描いた至高の名曲として知られるが、この三時間半の大曲は終盤、以下のような詞を謳いあげている。

いつの日か、我、死に向き合う時、
主よ、我より離れたもうな。
我、死に苦しまん時、
我に、お姿を見せたまえ。
我が心、深く憂う時、
汝の受けし苦悩により、
我を、怖れより救い出したまえ。

 苦難の渦中にある人々が、傍らに寄り添うイエスの存在を思うことで慰さめられる心情を、これほど哀切に歌った曲はないであろう。「我が神、我が神、なぜ我を見捨てたまいしか」と叫びつつ逝った青年イエスを思うことで、理不尽な災厄の中にある人々は、自身が決して孤独ではないことを知るからである。
 南太平洋フランス領ポリネシアのヒヴァ・オア島で、病に苦しみ視力を失いつつあったゴーギャンが回想録に綴ったゴッホも、そんな受難の青年であったのだろう。
 天上のゴッホを、これほど讃美する言葉はなかったのかも知れない。
 ゴーギャンはこの回顧録に、人生は一瞬のそのまた一瞬であると書いている。
 そのわずか一瞬の間に、永遠というものに連なる備えをしなくてはならないのが人間の哀しさだと綴っているが、とはいえ、人生に永遠に連なると思える一瞬があることも事実であり、ゴーギャン自身、ゴッホと過した二ヶ月は一世紀にも感じられると書いている。
 アルルへの旅は、彼にとっては永遠に連なる備えのひとつであったのかも知れないが、ささやかながら私たち自身も、旅先で過した一瞬を生涯にわたって思い返し続ける機縁に恵まれることは、少なくないように思われる。
 
 ゴッホの亡くなった部屋で、ひとりきりで過したことがある。
 三十年ほど前、パリ近郊の村オーヴェール・シュル・オワーズを訪れた折りのことで、ゴッホはこの村で生涯最後の二ヶ月を過している。
 彼が暮らした下宿が記念館になっていると聞いて見学に出かけたのだが、部屋の質素さは私の想像をはるかに超えるものであった。
 晩年のゴッホが描いた麦畑や教会で知られるこの村を訪ねたのは極寒の二月。冬枯れの麦畑やゴッホの埋葬された共同墓地の寒々とした記憶もさることながら、彼が最後の夜を過した部屋で味わった、魂の奥底に沁み入るような孤独感は忘れられない。
 部屋は二階建ての小さな建物の二階に二室ある部屋のひとつで、一階の受付で申し込むと見学することができるという。入館して、誰もいない受付で待っていると、若い女性の職員がやって来た。一階は資料室となっており、ゴッホの書簡集なども販売している。
 料金を払うと、職員は二階に上がる階段を指す。一緒に来る様子がない。
 驚いて、身振り手振りをまじえて、ひとりで上がっていいのかと聞くと、微笑んで手を振りながら、自由に上がって構わないと言う。
 粗末な木造の狭い階段をひとり上がって行くに連れ、ひとりで見学できることの幸運に驚く自分の感情が、怖れとしかいいようのないものにすり替わっていく。階段を一段ずつ踏む足の運びが、自然と遅くなっていくのがわかった。
 階段を上がり切ると、開いた扉から小部屋が見えた。
 厚い石壁の天井近くに小窓がひとつあるだけの、廃屋の物置としか思えないような部屋に、粗末な木の椅子と壊れかけた鉄製のベッドの骨組みが置かれている。
 この部屋で過した時間は覚えていない。
 半時間にも一時間にも感じられるが、おそらく十分か二十分のことであったのだろう。凄惨としかいいようのない感情に囚われ、心も体も硬直してしまっていた。ゴッホという人物に対して私が抱いていたものが、根本から変わってしまったのがこの時であった。
 一八九〇年七月二十七日、三十七歳のゴッホはこの村のはずれで自分の胸に銃弾を撃ち込むが死に至らず、自力で下宿に戻り、異変に気づいた住人が医者を呼んでいる。隣室のオランダ人画家アントン・ヒルシッフは、夜通しゴッホの苦悶の声を聞いていたという。
 翌日の昼、知らせを受けてパリから駆けつけたテオの顔を見て、ゴッホは「また、しくじったよ」と言ったという。泣き崩れる弟に、兄は慰めるように声をかけている。「泣かないでくれ、皆のためによかれと思ってしたことなんだ」
 弟にとって、これほどむごい言葉はなかったであろう。
 夜半、日付が変わって一時間半ほど経った頃、ゴッホは弟の腕に抱かれ死んでいく。
 弟の腕の中でゴッホは「ああ、死ぬ時もこうしていられたらなあ」と言ったという。
 生涯にわたって不遇であったゴッホの、最後に叶えられた願いであった。
 私がひとりきりで過す機会に恵まれたのは、その部屋である。
 
 二十年ほどして再訪すると、記念館は整備され、ゴッホの部屋もきれいになって、館内は団体の見学客でにぎわっていた。かつてひとりきりで見学できた幸運に、感謝を新たにしたものだったが、この二十年の間に私が携わった美術書や美術番組の仕事のすべてに、この部屋で過した時間は、はかり知れない恩恵を与えてくれているように思う。
 二十分か十分、あるいはもっと短い時間かも知れないが、あの部屋で過ごしたあの時間がなくては、それらの仕事には決して携わることができなかったと思う。
 今でも、あの部屋に行くと、硬直しているあの時の自分に会えるような気さえする。
 本書は、そうした私の美術に関わる仕事の総決算として取り組んだ試みであり、執筆の過程で直面した多くの課題は、私の新たな出発点ともなってくれた。
 形式としては小説のかたちをとっているが、ゴッホやゴーギャンがその絵筆やパレットに込めた思いや、テオが画商という生業を介して兄に捧げた思いを理解するにあたって、わずかでもこの形式が貢献できたならば、著者として望外の喜びである。
 美術史学者の故若桑みどり先生に、ルネサンス期に芸術家列伝を著したことで知られるジョルジョ・ヴァザーリのお話をうかがったことがある。今日なおルネサンス研究の最大の古典資料とされるヴァザーリのダ・ヴィンチ伝やミケランジェロ伝に、事実と相違する記述があることへの批判に反論して、先生はこう言われたのだ。
 「確かに、ヴァザーリの記述には、事実と相違する点があるかも知れません。しかし、それは事実と相違する虚構をもって、真実を記述する試みであったともいえるでしょう」
 フィクションというものの持つ可能性を語り、この言葉ほど雄弁なものはなく、同時にフィクションというものに課せられた倫理を説き、かくも峻烈な言葉もないだろう。もし事実と相違するフィクションというものが許されるなら、それは事実それ自体をも超えて事実に肉迫する真実を語ることにおいてのみである、との戒めと解されるからである。
 ゴッホは手紙に、絵画は写真を超える可能性があると書いている。
 ピカソを筆頭に多くの画家達が、最新技術である写真の登場に絵画の危機を感じていたことを思えば、このゴッホの見識は驚くほど先見性に富んでいる。
 ゴッホは、絵画には、写真よりはるかに肉迫したかたちで人間を描く力があるとして、自分が夢見てやまない絵画は、百年先の人々の眼前に生けるがごとくに立ち現れるような人物画だと書いている。私たちが目にしているのは、そんな彼の描いた人物画なのだ。
 そうした偉業の足元にも及ばないのは承知の上で私が本書で願ったのは、読者にゴッホやゴーギャンという人物を生けるがごとく感じて頂くささやかな一助となることであり、そうした無謀な試みにあえて挑んでみたのは、私の筆力の拙さを補ってそうした生けるがごとき人間像を思い描いて頂く想像力を、読者それぞれが持っておられることを確信してのことである。読者それぞれの中に、多かれ少なかれゴッホやゴーギャンのような人格は息づいており、テオもまた息づいていることを確信してやまないからである。
 本書が世に出ることができたのは、勁草書房の黒田拓也氏のご理解とご寛容のおかげである。本書の読後感が、氏のご厚情を裏切らぬものであることを祈るばかりである。
 
二〇二六年初夏
西岡文彦
 
 
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