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新着記事2024-04-16T22:14:11+09:00

【寄稿◎安達貴教】
未来世代への責任――デジタル社会・第2ステージに向けての自著解題

2024年も12月を迎え、年が明けると21世紀第一四半世紀最後の年。節目を前に、今年6月『21世紀の市場と競争』を刊行された安達貴教さんから、自著改題が届きました。今世紀の市場を考える上で欠かせない「プラットフォーム」をどう見るか、「マークアップ」「マークダウン」とは何か。本書への扉をぜひ開いてみてください。[編集部]

By |2024/12/18|本たちの周辺|

掌の美術論 第21回
顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(後編)

これまで、何人かの作者たちの芸術実践に触れながら私が述べたかったことは、仮面を選択する行為が、一方では作り手や書き手に自由と解放の可能性を与え、他方では自己喪失の危険をもたらしてきたということだ。これから展開する議論はそれとは別種の問い、すなわちどのような選択が真の自由と言えるのか、という問いと部分的に関わる。……

By |2024/12/6|連載・読み物, 掌の美術論|

憲法学の散歩道
第42回 二つの根本規範──ケルゼンとフッサール

 エトムント・フッサールは現象学の祖である。彼は判断停止(epoché)による現象学的還元という手段を用いて意識の構造を分析した。  人の意識には志向性(Intentionalität)がある。庭の梅の木を見る、ショスタコヴィチの交響曲第5番を聴く、軽やかなピノ・ノワールを味わう、フッサールはフライブルク大学の教授だったと考える。対象を見たり、感じたり、考えたりする。そのとき人は意識している。  意識の内容は「梅の木」、「第5番」、「ピノ・ノワール」「フッサール」であり、そうした意味(Sinn)を持つ。人は意味を通じて対象を意識する。フッサールは、意識の内容をノエマ(noema)と呼んだ(複数形はnoemata)。人はノエマを通じて対象を意識する。……

By |2024/12/2|連載・読み物, 憲法学の散歩道|
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