コヨーテ歩き撮り#39
小豆島の思い出はかぶと虫。偶然発見したポイントで、一晩で20匹以上捕まえた。それでその晩は自分が「かぶと虫の木」になった。未明にはみんな森に帰っていった。
小豆島の思い出はかぶと虫。偶然発見したポイントで、一晩で20匹以上捕まえた。それでその晩は自分が「かぶと虫の木」になった。未明にはみんな森に帰っていった。
『君の名は。』で起こっているのも、三葉と瀧という、決して出会うことのできない2人に間の「入れ替わり」であるはずです。ここでは時間があらかじめずれていて、瀧が三葉を知った(入れ替わった)のは、三葉が死んでから三年も経った後だったからです。三葉が瀧に会いに行った時、瀧は未だ三葉を知らず、瀧が三葉に会いに行った時、既に三葉はこの世にいない。出会うことが不可能な2人を「入れ替わり」によって強引に関係づけるということは、再会することのない2人の(本来は顕在化することのない)ギャップを、編集によって作り出す『ほしのこえ』とさほど変わらないといえます。しかし、『君の名は。』の特筆すべきところは、出会うことが不可能である2人を、なんとかして出会わせてしまうというところにあると考えます。ここに、「ここ-今」と「そこ-今」という隔たった二つの「今」の系を、共に成立するものとして織り込もうとする「同時」の創造があるといえるように思います。
今回は、通常のスタイルから離れてこれまでの連載を振り返りつつ、ジャーナリズムの現場が抱える難しさをふまえた連載のねらいを、著者・畑仲哲雄さんが率直に語ります。[編集部]
さあ、夏。でっかい四角い西瓜に、頭ごと潜っていきたい。台湾・花蓮の街角から。
哲学的ゾンビと呼ばれる思考実験があります。オーストラリアの哲学者、デイヴィッド・チャーマーズが考案した唯物論に反対する議論です。チャーマーズは、「意識」は空間や時間と同様に宇宙の根本原理の一つであり、物理によって意識を還元する(物理的事実によって意識を説明する)ことはできないだろうと考えています。彼は、情報論的汎心論とでもいうような立場をとっており、一貫性のある情報処理系には原初的な意識の萌芽のようなものが自動的に宿ると考えます。
梅雨明けまえ、東京でも狂ったような夕焼けが見られることがあります。宇宙の火災。信号機は何かのメッセージ。
何がきっかけだったのだろう、マンガかアニメ、小説か映画、それともどこかで目にした姿やうごきからなのかもしれない、めいはサイェが何かと言えば「にゃあ語」をつかうようになったのだ。
かばんは人間という種の特徴が個体化してギャラクター化された、人間という種のシミュレーションのような存在であるはずです。人間がいなくなった世界で生まれた、人間という形象のシミュレーション。この意味でかばんは、人間のもつ愛情を模倣したプログラムを搭載し、人類絶滅の後にAIの前でそれを演じてみせた、『A.I.』のアンドロイド、デイビッドに似ています。かばんもデイビッドも、「人間でもなく、人間でもなくもない」という二重の否定で表現されると言えます。
外部制作の紙面がノーチェックで掲載されるといわれると、記者ならだれしもギョッとしそうです。でも実際にあるそういう取り組みから、何か見えてきませんか?[編集部]
アンダルシアの名物料理のひとつ、冷たいスープのサルモレーホ。パンでとろみをつけたトマトとにんにくのスープ(これに対してここではガスパーチョはとろみが少ない)。真夏には40度を超える土地、体にしみわたります。