虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第19回 正義と生存とゴースト/攻殻機動隊「STAND ALONE COMPLEX」と「ARISE」

5月 10日, 2017 古谷利裕

 
 

その後の「攻殻」

「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」については、この連載の第4回と第5回で取り上げました(「冥界としてのインターネット」)。ここでは、その後の「攻殻機動隊」として、「STAND ALONE COMPLEX」(以下、「S.A.C」)と「ARISE」について考えたいと思います。

「GHOST IN THE SHELL」は、情報技術の進歩によって予測される先進的な世界観や様々な驚くべきガジェットを提示し、また、アニメーションの演出としても極めて斬新なスタイルを示した作品ですが、80分程度の小さな作品であり、内容的には、私の同一性、ゴースト(魂)の在り様、心身問題などが主に扱われ、深くはありますが地味なものだったとも言えます。

対して「S.A.C」は、2期に分けて全56本の短編と、1本の長編を含み、断続的にですが2002年から2011年まで続く長大なシリーズとなりました。このシリーズでは、「攻殻」としての難解な主題を引き継ぎつつも、派手なアクションや明快な刑事ドラマの形式が取り入れられたことで、それをシリーズとして展開し、長く持続させることを可能にしました。「攻殻機動隊」という物語のステイタスは、「GHOST IN THE SHELL」の先進性が世界的に高い評価を受けたことに加え、(アニメとしては)第二の「攻殻」である「S.A.C」シリーズが広範な支持を得たことによって確立されたと言えるでしょう(もちろん、原作の評価の高さもあります)。そして、2013年から2015年にかけて、第三シリーズ「ARISE」として、5本の中編と1本の長編が製作されました。物語としては、これまでの「攻殻」の前日譚となるものでした。

この「攻殻」の三つのシリーズは、共通した主題をもちながらも、それぞれに異なる特徴をもつと言えます。共通した主題とは、情報技術の発達した世界において「個(わたし)」というものがどのようにあり得るのか、ということでしょう。「GHOST IN THE SHELL」では、個は主に内省的な次元で捉えられ、問題とされていました。しかし、「S.A.C」で個は、主に社会の中で、社会との関係において捉えられています。そして、「ARISE」において問題となっているのは、環境のなかでの個の生存戦略とでもいうべきものです。いわば「個」は、「GHOST IN THE SHELL」では実存的な問題として、「S.A.C」では正義の問題として、「ARISE」においては居場所(ニッチ)の獲得の問題として、あらわれていると考えられます。
 

「S.A.C」、社会と正義

「GHOST IN THE SHELL」から「S.A.C」への変化で目立つものの一つに、設定の明確化が挙げられるでしょう。「GHOST IN THE SHELL」の舞台は、日本ではありますが、香港を思わせるアジア風で無国籍的にみえるどこかの都市です。しかし「S.A.C」の舞台は、先の戦争で壊滅的になった東京から遷都した福岡と特定されます。公安九課を管轄する内務省の大臣も登場しますし、九課の課長、荒巻の過去の経歴が示され(陸自情報部出身)、陸自時代からの旧知の関係である久保田という人物や恩師に当たる殿田大佐が登場したりします。荒巻は首相に直接会いに行くこともできる立場にあることが示されますし、政府や各省庁のなかでの公安九課の位置付けや緊張関係なども分かるようになっています。つまり、公安九課は政府の中枢にきわめて近い位置にあり、それにふさわしい特権を有しつつも、どのような勢力からも距離をとって存在していることが描かれます。

このことは、作品の長さから要請される設定の詳細さであると同時に、公安九課が取り扱う事件の社会性の高さを反映するものでしょう。「GHOST IN THE SHELL」において九課が追っていた「人形使い」というハッカーは、情報の海から出現した新たな生命体という、SF的な対象でしたが、「S.A.C」の主要なエピソードで彼らが追っているのは、テロリストや犯罪者、あるいはそれらの存在によってあぶりだされる悪徳政治家や悪徳官僚といった、現実的、社会的な対象です。ただ、その舞台となるのが、現在の現実よりも大幅に情報技術が発達した世界であるということだけが違うのです。犯罪者もテロリストも政治家も官僚も、我々の住んでいるこの世界にも存在します。しかし、それらの存在が、この世界とは異なる技術的な条件のもとにあるのです。

「S.A.C」の物語が主に問題とするのは社会的な悪です。そして、多くの場合、社会的な悪は体制の側にあり、政治家や官僚によって行われています。それは表面上は隠されています。その隠された社会的な悪をあぶりだすのが、犯罪者やテロリストたちによって引き起こされる事件です。公安九課は、まず犯罪者やテロリストに目をつけ、それを追ううちに体制内に潜む悪を発見します。「笑い男」事件における笑い男、「個別の十一人」におけるクゼ、「Solid State Society」における傀儡回しが、それぞれ犯罪者として九課に目をつけられ、彼らを追ってゆく先に、電脳硬化症治療薬の認可を廻って不正を働いた薬事審議会理事長の今来栖、「笑い男」の名を騙って企業テロで大儲けした政治家の薬島、電脳ウイルスを用いてテロをプロデュースすることで難民排斥の空気を作ろうとする官僚の合田、難民に職業教育をする施設で誘拐した日本の子供たちに秘密裏にエリート教育を施してパワーエリート集団を作ろうとする国粋主義の政治家である宗井(ただし、宗井は誘拐の事実は知りません)、といった存在が明るみにでてくるのです。

一方に、権力をもち、体制に深く食い込んだ社会的な大きな悪があり、他方に、そのような社会的な悪に対し、非合法的なやり方で対抗しようとする犯罪者がいます。そして、そのどちらでもない存在として、あくまで合法的に、あるいは体制の内側から、体制に食い込んだ悪と闘うのが「体制内アウトロー」である公安九課だ、という構図になっています。「S.A.C」の物語は、体制内にいる悪い奴がいかに悪いかということを執拗に描いています。そして、この物語に登場する犯罪者たちは、非合法的なやりかたで世界を変えよう(悪を潰えよう)とするという意味で、革命家であると言えます。しかし、悪い奴らはシステムを強固に掌握しているので、世界を変えようとする者の意思や行為は、悪い奴らによって取り込まれ、利用されるのです。革命は成功しません。

悪い奴らがシステムを掌握しているからこそ、体制内アウトローが正義であり得ると言えます。体制内アウトローの力(特権)は体制内にいることによって生まれるので、彼らには世界(体制)を変えられませんが、体制内にある悪を感知し、それを法の力を通して抑制、あるいは排除することはできます。体制内にいることが、彼らの限界であり、同時に強みでもあります。体制内アウトローは、官僚的組織に属しながら、官僚的な階層性や縦割り性を無視して個々の独自判断で動くのです。独自判断とは組織の命令系統ではなく自らの「ゴーストの囁きを聴く」ことによって行動することだと言えるでしょう。九課のモットーは「スタンドプレーの結果としてあらわれるチームプレー」です。ゴーストはスタンドアローンであり、ここでスタンド・プレー=独自判断の根拠は個々に宿るゴーストだ、ということになるでしょう。

革命は潰えますが、公安九課によって悪もまた潰えます。双方痛み分けという苦い結末が訪れるのです(「Solid State Society」は少し違いますが)。
 

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