憲法学の散歩道
第38回 ソクラテスの問答法について
筆者はいわゆるロースクールに所属している。法曹養成を任務とするロースクールでは、ソクラティック・メソッドと呼ばれる問答を通じた教育が推奨されている。アメリカのロースクールでは、そうした教育方法がとられているらしいので、それを輸入しようということのようである。……
筆者はいわゆるロースクールに所属している。法曹養成を任務とするロースクールでは、ソクラティック・メソッドと呼ばれる問答を通じた教育が推奨されている。アメリカのロースクールでは、そうした教育方法がとられているらしいので、それを輸入しようということのようである。……
今回はややこしい話なので、短めに済ませることにする。刑法230条には、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処する」とある。表現の自由との関連で、憲法学でもおなじみの条文である。『広辞苑』によると、「摘示」とは、「かいつまんで示すこと」である。隅から隅まで逐一にというわけではなく、要点を示すということであろう。……
グロティウスは1583年、オランダのデルフトの名家に生まれた。若くして才能を開花させたグロティウスは、11歳でライデン大学に入学し、1598年にはフランスへの外交使節に加わって、オルレアン大学から法学博士号を授与されている。 当時のオランダは、1568年に始まったスペインに対する独立戦争のさなかにあった。スペインとの休戦は1609年に実現したが、独立が正式に承認されたのは1648年のウェストファリア条約でのことである。 1603年、シンガポールでポルトガルの交易船サンタ・カタリーナがオランダの商船団の攻撃を受け、戦利品としてアムステルダムに曳航された。船と積荷は競売に附され、東インド会社に当時のイングランド政府の国家予算に匹敵すると言われるほどの莫大な利益をもたらした。東インド会社は、若きグロティウスに、会社の行動の合法性と正当性に関する意見書の作成を依頼した。 当時のオランダは、スペインに対する独立戦争を遂行する一方、ポルトガルに対抗して東インド交易に参入しようとしていた(当時スペインとポルトガルは、スペイン国王がポルトガル国王を兼ねる同君連合の状態にあった)。絹織物、陶器、胡椒類等の交易は莫大な富をもたらした。……
「憲法学の散歩道」書籍化第2弾『歴史と理性と憲法と』が2023年5月1日に発売となりました。第32回までの連載分に書き下ろし2章分が加わり、長谷部さんならでは散歩道を進むと意外かつ奥深い世界が開けてきます。そして、お待たせしました。第3シーズン、はじまります。[編集部] 第33回 わたしは考える? ルネ・デカルトは1596年3月31日、トゥレーヌ地方のラ・エ(La Haye)で生まれた。この町は現在ではデカルトと呼ばれる。父親のヨアヒムは高等法院付きの法律家で、親類の多くは法律家か医師であった。……
「あとがき」を公開しました。