憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第38回 ソクラテスの問答法について

 
 
 筆者はいわゆるロースクールに所属している。法曹養成を任務とするロースクールでは、ソクラティック・メソッドと呼ばれる問答を通じた教育が推奨されている。アメリカのロースクールでは、そうした教育方法がとられているらしいので*1、それを輸入しようということのようである。
 
 ロースクールで行われるはずのソクラティック・メソッドが、ソクラテスが行ったと伝えられる問答法(dialectic)とどのような関係にあるかは、判然としないところがある。ロースクールの教員のすべて(あるいは大部分)が、ソクラテスの問答を描いたプラトンの著作の熱心な読者かと問われると、はなはだ心許ない。
 
 とはいえ、ソクラティック・メソッドを標榜する以上、ソクラテスの問答法との関係について、全く無関心というわけにはいかないであろう。プラトンの描くソクラテスは、たしかに問答を通じて「徳とは何か」「知とは何か」等の深遠な問題を探究しているように見える。
 
 たとえば、『ゴルギアス』という対話篇がある。ゴルギアスは弁論術(rhetoric)の大家で、弟子とともにアテナイを訪問し、得意の弁論術を披露した。
 
 ソクラテスはゴルギアスの演説が終わった後に到着し、ゴルギアス本人を含め、その場にいた人たちと弁論術をめぐる問答を始める。問答を通じて議論するためには、問に対して短く答えることが求められる。回答にあたって、弁論術を使った長談義を披露するのはやめてもらいたいとソクラテスは釘をさす(449b, 461d)。
 
 ゴルギアスとの問答を通じてソクラテスは、弁論術に関する自身の見解を明らかにする。言いにくいことではあるが、弁論術は技術と言い得るほどのものではなく、聴衆に対するおべっか使い(kolakeiâ)である。本当に身体を善くする医術に対して身体にとって善いと思わせる食べ物を拵える料理術がそうであるのと同様、人の魂を本当に善くするわけではなく、快いその幻影を与えるペテンにすぎない(463a−465d)。
 
 つまり弁論術は、政治を行う上で本来必要であるはずの、国を善く治め善く生きる上で適切なすぐれた心構えへと人々を導く技術ではなく、大衆のご機嫌をとって人心を掌握し、丸め込む手管にほかならない。現代民主政の政治家たちの行動を見ると、そうなのかもと思わせる話ではある。
 

 
 では、ソクラテスの問答法は、真実の知を獲得する手段となるのだろうか。ソクラテスの問答のすべてをここで検討するわけにはいかない。一つの例を紹介しよう。ゴルギアスがソクラテスとの問答で劣勢に立っているのを見て、弟子のポロスが、代わりにソクラテスの相手になると言う。正と不正をめぐる二人の問答は、概ね、次のように進む(474c−475e)。
 
 まずポロスは、不正を行うより不正を受ける方が害悪が大きいと主張する。これは少なくとも大衆の多くが納得しそうな出発点である。ソクラテスは問う。

ソクラテス「不正を行うことは、不正を受けるより醜いことではないか」
ポロス「その通り」
ソクラテス「醜いとは、より苦痛であるか、またはより害悪が大きいことを意味するのではないか」
ポロス「その通り」
ソクラテス「不正を行うことが不正を受けるより苦痛であるとは言えない」
ポロス「その通り」
ソクラテス「だとすれば、不正を行うことは、不正を受けることより害悪が大きいということになる」
ポロス「そのようですね」

 ここでソクラテスが問答を通じて行っているのは、ポロスの主張にある矛盾の指摘である。ポロスは不正を行うより不正を受ける方が害悪が大きいという常識的に受け入れられやすい主張をしながらも、問答を通じて不正を行うことは不正を受けることより害悪が大きいという結論を受け入れざるを得なくなっている。
 
 しかし、二つの主張に矛盾があることが論証されたからと言って、不正を行うことが不正を受けることより害悪が大きいという主張の正しさが論証されたことになるわけではない。二つの言明AとBが両立しないことが論証されたとしても、そのうちのAが(あるいはBが)正しいことが論証されたことにはならないはずである*2
 
 何となくそんな気になってしまうのは、ソクラテスの問答を通じてそう説得されたからである。つまりソクラテスが行っているのは、問答法を通じた論証というよりは、むしろ弁論術を使った説得である*3
 

 
 もう一つ、例を挙げよう。『国家』におけるソクラテスとトラシュマコスの対話はよく知られている。以下は、その一部(349a−350c)の概要である。
 
 トラシュマコスは、不正こそが徳と知恵に属するとし、正義はその反対だと主張する。ソクラテスは問う。

ソクラテス「正しい人は正しい人に対して、分をおかしてしのごうとするか」
トラシュマコス「いいや」
ソクラテス「正しい人は不正な人に対しては、分をおかしてしのごうとするか」
トラシュマコス「その通り」
ソクラテス「不正な人は正しい人に対しても、不正な人に対しても、分をおかしてしのごうとするのではないか」
トラシュマコス「その通り」
ソクラテス「医師や音楽家など、それぞれの分野で知識を備えた人は、その分野で知識を備えた人に対しては分をおかしてしのごうとはせず、知識を備えない人に対しては、分をおかしてしのごうとするのではないか」
トラシュマコス「その通り」
ソクラテス「知識を備えない人は、誰に対しても、分をおかしてしのごうとするのではないか」
トラシュマコス「その通り」
ソクラテス「知識のある人は知恵のあるすぐれた人だ」
トラシュマコス「その通り」
ソクラテス「であれば、知恵のあるすぐれた人は、自分と似た人に対しては、分をおかしてしのごうとはせず、自分と似ない人にたいしてはそうすることになる」
トラシュマコス「そのようだ」
ソクラテス「劣悪で無知な人間は、誰に対しても、分をおかしてしのごうとする」
トラシュマコス「そのようだね」
ソクラテス「ところで、不正な人は誰に対しても、分をおかしてしのごうとすると君は言った」
トラシュマコス「言った」
ソクラテス「正しい人は、自分と似た人をしのごうとはせず、自分と似ない人をしのごうとする」
トラシュマコス「そう」
ソクラテス「そうすると、正しい人は知恵のあるすぐれた人に似ており、不正な人は劣悪で無知な人に似ている。しかもわれわれは、両者はそれぞれ自分と似た人と同じ性格の人であることに同意した」
トラシュマコス「そう同意した」
ソクラテス「そうすると、正しい人は知恵のあるすぐれた人であり、不正な人は劣悪で無知な人だということになる」

 ソクラテスが指摘しているのは、ここでも、トラシュマコスの主張の内部矛盾である。トラシュマコスは、正しい人には徳も知恵もないと言いながら、ソクラテスとの問答を通じて、正しい人にこそ徳も知恵もあると言わざるを得なくなっている。ただこれでは、トラシュマコスが両立しない二つの主張をしていることが論証されただけで、正しい人にこそ徳も知恵もあるという結論が論証されたことになるわけではない。
 
 ここでもソクラテスは、正しい結論を論証してはいない。正しい人にこそ徳も知恵もあるという、厳密には論証されているわけではない結論を聴衆に(そして読者に)納得させただけである*4。彼が実際に操っているのは、弁論術を使った説得である。
 
 『ゴルギアス』で、ソクラテスの最後の論敵となるカリクレスは、弁論術も身に付けずにいい年をして何が正義か、何が徳かなどという子どもじみた知への愛にこだわっていると、いずれつまらない人間に糾弾されて法廷に引きずり出され、自身の弁護もろくにできないまま、死刑判決を言い渡されてしまうぞとソクラテスに警告している(468b, 511b−c, 521c)。ところが、プラトンの描くところによると、ソクラテスは実は、弁論術の巧みな使い手でもあったわけである*5。それでも死刑判決を言い渡されることにはなったが*6
 
 だとすれば、ソクラテスは死刑判決という結論を自ら望んでいたということであろうか。たしかに、有罪判決を受けた後の刑罰として何が相応しいかの弁論において、国の迎賓館での食事の饗応を受けることを提案するなど(36d−e)、すすんで市民の反感を買って自ら死刑判決を招いたとしか考えざるを得ないところがある。少なくともアテナイ市民が、知を愛し求める彼の生き方を理解するはずのないことは、ソクラテス自身予想していた*7
 
 そうなると、ソクラテスの刑死を、不当な法(判決)にそれにもかかわらず従うべきかという遵法義務の当否の問題として捉えることは、全くの筋違いだということになる*8。『クリトン』が描いているように、その気さえあれば死刑判決を受けた後のソクラテスが監獄を抜け出して亡命することは、容易なことであった*9
 

 
 ソクラテスの行った問答は、つねに相手の主張の矛盾を指摘するにとどまるわけではない。『ソクラテスの弁明』で彼は、告訴人のメレトスによる、ソクラテスは「太陽は石、月は土だと主張している」との主張に対して、「それはアナクサゴラスの見解だよ」と反論している(26d)。相手の主張を事実にもとづいて反駁しているわけである*10。もっとも裁判にあたった民衆をその反駁でもって説得することができたか否かは別の問題であるが。
 
 とはいえ、ソクラテスの問答法を通じて、読者のわれわれが常に正しい知へとたどりついたという保証はないこと、実はたどりついたような気がしているにすぎないことも間々あることは、認識しておく必要がある。問答法が正しい知を探究する確実な手段となるかというと、はなはだ心許ない。
 
 ところで、そもそもソクラテスは、なぜ問答法を通じて真の知を探究することが可能だと考えたのだろうか(プラトンの描くソクラテスは、と言うべきか)。
 
 『メノン』という対話篇がある。メノンは北方のテッサリアの高貴な家柄の出身で、後にクセノフォンが『アナバシス』で描くペルシャ遠征に指揮官として参加し、ペルシャ側に捕らえられて殺されている*11。メノンはゴルギアスの弟子で、師の教えを逐一覚え込んだ上、それを諳じてみせることもできる。たまたまアテナイを訪れていたメノンがソクラテスに、「徳(aretê)は人に教えられるものか」と唐突に問うことから、対話は始まる。
 
 問答の末、進退窮まったメノンはソクラテスに、そもそも知を探究することは不可能なのだと開き直る。探究の対象をすでに知っているのであれば、それをさらに探究することに意味はなく、他方、探究の対象を知らないのであれば、何を探究すべきかも分からず、かりに何らかの成果を得たとしても、それが探究していたものかどうかを判定するすべもない。いずれにしても知を探究することはできない(80d)。知を探究することなどそもそも不可能であって、できるのはせいぜい、覚えたことを諳じてみせることである。
 
 ソクラテスは、これに対して、問答を通じて知を探究することは可能だと言う。ただ、この主張は、ソクラテスが神話や詩を通じて伝え聞いたといういくつかの特殊な想定の上に成り立っている。
 
 まず人の魂は不滅である。永遠に生きる魂は、さまざまな身体を借りてこの世のすべてを経験し学んできた。何かを知らないと思うのは、実は忘れているだけである。ソクラテスは、問答を通じて、相手が忘れていた知を想起(anamnêsis)させることができる。一つの知を想起すると、隣接し連関する他の知を想起することもできる。つまり彼は、問答の相手に何かを教えて・・・いるわけではない*12。探究するとか学ぶとかというのは、実は忘れていた知を想起することである(81a−d)。
 
 メノンはこのソクラテスの物語について、なぜかは分からないがなるほどと思わせるところがあると言う(86b)。それにもかかわらず、メノンとソクラテスとの対話はさしたる成果を挙げることができない。
 
 それはメノンが、ソクラテスの呼びかけに反して(81e)、そもそも徳とは何かという肝心の問題を追求しようとせず(100b)、徳は人に教える・・・ことができるものかという自分の当初の問題意識に依怙地にこだわり続けるからでもあるが(86d)、何よりメノンが、自身の内面を見つめようとすることのない浅薄きわまる人物だからである*13。ソクラテスの物語にうわべでは同意しながらも、その意味するところを全く理解していないし、理解しようともしない。問答法が知の想起という成果を挙げることができるか否かは、相手の資質によるところが大きいことを『メノン』は示唆している*14
 

 
 現代のロースクールの学生に、魂の不死性やイデア(ideâ)の想起に関するソクラテスの物語を真に受けてもらおうと思っても*15、そうはいかないであろう。どうすればよいであろうか。
 
 一つの途は、ロースクールで行われる問答法とソクラテスの問答法とは全く別物であって、単に名前が似ているだけだと率直に認めることである。ソクラテス自身、法廷の場で問題になるのは真実の知ではなく、あくまで真実らしく見えるものにすぎないと断言している*16
 
 法廷弁論術を蔑んで真の知を愛し求め続け、その挙げ句、自身を被告人とする人民裁判に敗訴して命を落したソクラテスの名を冠してロースクール教育に箔をつけようとするのは、ソクラテスにも失礼きわまりないし、きっぱりと諦めるべきではなかろうか。とはいえ、全国のロースクールが「すみませんでした、ソクラティック・メソッドという看板は取り下げます」と言い出すとは、にわかには想定し難い。それに、だからと言って、問答法によるロースクールでの教育方法をやめるべきだということになるわけでもない。
 
 もう一つの途は、ソクラテスとは異なる想定にもとづきながらも、問答を通じて似通った成果を得ることができないか、それを探ることである。弟子との問答を通じて知を探究しようとした現代の哲学者としては、後期のウィトゲンシュタインが知られている。彼は、人のことばの使い方の背後には特定の生活様式がありそれを反映していること、自分は頭がいいと思い込んだ哲学者が生活様式を忘れたことばの使い方をすることで、哲学上の難問が生み出されてきたことを指摘した*17
 
 彼によれば、「『それは確実だ』という言明が意味しているのは、誰もがそう確信しているということにはとどまらない。それは、われわれがみな学知と教育を通じて結びつけられた一つの共同体に属していることをも意味している」*18。活きた問答は、そうした共同体の共通了解を想起させるよすがとなり得る。
 
 同様に、法律家のことばの使い方は、当該社会における法律家共同体の共通了解を反映している*19。定式化され、明確化されることの稀なこの共通了解に遡ることではじめて、法律学上の概念の正確な意味、全体の中での位置づけを理解できることが少なくない。
 
 熟練した法学教師であれば、短い問答から導き出される学生の断片的な記憶やいろいろな書物や資料に印刷された言明が、より包括的な法律家共同体の共通了解を前提としていること、全体の文脈に適切に位置づけることではじめて、断片的な記憶や印刷された言明の正確な意義を理解できることを、活きた会話のやりとりの中で、学生に想起させることも可能であろう*20。そういう法学教師には、なかなかなれそうもないが。
 
 なおここでも、いずれかの途をとるべきだという結論が論証されているわけではない*21
 

*1 ミシガン大学ロースクールで長年、財産法(property law)の教育に携わったブライアン・シンプソンは、ロースクールではケースブックを素材に、知的刺激に満ちた問答を行うべきだとされてはいるが、実際には授業の大部分は教師が一方的に話をし、学生はラップトップ・コンピュータでノートをとっていたと言う(AW Brian Simpson, Reflections on The Concept of Law (Oxford University Press 2011) 188)。ニューヨーク大学とコロンビア大学における筆者の客員教授としての経験も、それと異なるものではない。
*2 ポロスが論破された後に登場するカリクレスが指摘するのもその点である。ソクラテスは俗受けする弁論術を操って、ゴルギアスやポロスを自己矛盾に陥らせたにすぎない。カリクレスによると、ポロスが自己矛盾に陥ったのは、不正を行うことが不正を被るより醜いと認めたからである(482d−e)。不正を行うことは社会通念(nomos; convention)の上で醜いだけで、事の本性(physis; nature)として醜いのは不正を受ける方である。ソクラテスは二つの問題を巧みに混同することでポロスを混乱させたにすぎない、とカリクレスは言う(482e−483b)。
*3 Leo Strauss, On Plato’s Protagoras (Robert C Bartlett ed, University of Chicago Press 2022) 21 and 31−32.
*4 プラトンも、それは百も承知である。トラシュマコスが論破されて引き下がった後、グラウコンはソクラテスに「いったいあなたは、私たちを説得したと思われ・・・さえすれば、それで気がすむのですか?」と詰問している(375a)。
*5 つまり、弁論術は人々の魂をよりすぐれたものとするために使うこともできる。ソクラテスはカリクレスに対して、アテナイ人の中で本当の意味での政治の技術を手がけているのはソクラテス自身を含めて少数であり、現代においては彼のみが本当の政治の仕事を行っていると言う(521d)。およそ政治に携わる人間として配慮すべきことは、市民をできるだけすぐれた者とすることに尽きる(515b−c)。だからこそ、彼は法廷で自己弁明を迫られたとき、窮地に陥ることになる(521d−e)。
*6 『パイドロス』でソクラテスは、裁判の法廷において何が真実であるかを気にかける人など一人もいない、そこでは人を信じさせるもの、真実らしく見えるものこそが肝心なのだとの見解を紹介する(272d−e)。法廷弁論に対する同様の見方は、『テアイテトス』172c−173b, 201a−bではソクラテス自身の見解として展開される。
*7 Strauss (n 3) 62−63.
*8 See Leo Strauss, ‘On Plato’s Apology of Socrates and Crito’ in his Studies in Platonic Political Philosophy (University of Chicago Press 1983) 38−66, in particular 66.
*9 レオ・シュトラウスは、ソクラテスは実はクレタに亡命し、『法律』でアテナイからの客人として登場したとの仮説を提示している(Strauss (n 3) 56−57)。
*10 『パイドン』でソクラテスは、若い頃は自然についての研究に熱中したと語る。しかし、アナクサゴラスの自然学をはじめとして、自然研究が語る「原因」なるものは、彼が求めていたものではないことに気がつき、むしろ理性に照らして何が最善かが探究されるべきだと考えるにいたった(96a−99c)。この論点は、『ゴルギアス』の中でソクラテスが指摘する問題、つまり人生でもっとも肝心な事柄はいかに生きるべきかであり、たとえば弁論術を修めて民衆相手に演説して生きるべきか、それとも知を愛し求めて生きるべきかだという論点と関連している(500c)。なお、『ソクラテスの弁明』28d−30a参照。
*11 『アナバシス』2巻6章。クセノフォンによると、メノンは金銭欲が強く、人を愛することを知らず、人を騙す能力や嘘をつき友人を嘲笑することを自慢する人物であった。
*12 『テアイテトス』でソクラテスは、問答法によるこうした技術を産婆術にたとえている(150b−151d, 210b)。
*13 Jacob Klein, A Commentary on Plato’s Meno (University of Chicago Press 1989, first published in 1965) 185−89.
*14 それはソクラテスの弟子で、恋人でもあったアルキビアデスについても言えることである。See Bernard Williams, ‘Plato: The Invention of Philosophy’ in his The Sense of the Past: The Essays in the History of Philosophy (Princeton University Press 2006) 161.
*15 『メノン』ではイデア論は扱われていない。想起説とイデア論は、『パイドン』72e−77aと『パイドロス』248c−250aで、結び付けて語られる。
*16 前注6参照。
*17 この点についてはさしあたり、長谷部恭男『比較不能な価値の迷路──リベラル・デモクラシーの憲法理論〔増補新装版〕』(東京大学出版会、2018)78−80頁および本連載第37回「価値なき世界と価値に満ちた世界」参照。永遠に変わることなく光り輝く(はずの)イデアと異なり、生活様式は革命や敗戦によって根本的に変動し得る。
*18 Ludwig Wittgenstein, On Certainty (GEM Anscombe and GH von Wright eds, Denis Paul and GEM Anscombe trans, Blackwell 1977) 38 [298].
*19 法哲学者H.L.A.ハートが後期ウィトゲンシュタインの影響を強く受けていることについては、さしあたり、長谷部恭男『憲法のimagination』(羽鳥書店、2010)40頁以下「『ガチョーン!』の適切さについて」参照。
*20 ソクラテスの問答法が、個々の部分から全体へと至るプロセスである点については、Klein (n 13) 85参照。また、会話と異なり、書かれたことばが本当の理解の助けとならないことについては、『パイドロス』274b−277a参照。
*21 本稿の作成にあたっては、以下の邦訳を参照している(参照順)。『ゴルギアス』藤沢令夫訳(中央公論社、1978)、『国家(上)(下)』藤沢令夫訳(岩波文庫、1979)、『パイドロス』藤沢令夫訳(岩波文庫、1967)、『テアイテトス』田中美知太郎訳(岩波文庫、1966)、『ソクラテスの弁明』田中美知太郎訳(中央公論社、1978)、『パイドン』岩田靖夫訳(岩波文庫、1998)、『メノン』藤沢令夫訳(岩波文庫、1994)、『アナバシス』松平千秋訳(岩波文庫、1993)。

 
》》》バックナンバー
第33回 わたしは考える
第34回 例外事態について決定する者
第35回 フーゴー・グロティウスの正戦論
第36回 刑法230条の2の事実と真実
第37回 価値なき世界と価値に満ちた世界
 
《全バックナンバーリスト》はこちら⇒【憲法学の散歩道】
 
 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。山を熟知したきこり同様、憲法学者だからこそ発見できる憲法学の新しい景色へ。
 
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『歴史と理性と憲法と 憲法学の散歩道2』
長谷部恭男 著

3,300円(税込) 四六判 232ページ
ISBN 978-4-326-45128-9

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b624223.html
 
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。
 
本書のあとがきはこちらからお読みいただけます。→《あとがき》
 
 
連載書籍化第1弾『神と自然と憲法と』のたちよみはこちら。→《あとがき》
 

長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。