虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第16回 「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUC(ユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(2)

3月 01日, 2017 古谷利裕

 
 

「新しいこと」の新しさ

『ガンダムUC』は、ラプラスの箱がバナージとミネバに託されるところで幕を閉じます。それは、地球対ジオンという構図ではない、新たな状況が生まれたということではあります。しかし、それにより何がどう変わったのか、新しい可能性は何を生み、あるいは生めなかったのかは示されません。

本質的に「新しい」ものの新しさは、それが生まれた時には理解されないでしょう。その新しさが本当に新しいものだとすると、わたしたちが既に知っている新しさとは似ていないはずなので、それの何がどう新しいのかなかなか気づけないからです。この連載の第3回に書きましたが、インターネットの研究は当初あまり注目されない地味なものだったそうです。専門家でさえ多くが「これからはファックスの時代だ。コンピュータネットワークなんかもう古い」「貴重なコンピュータを、たかがおしゃべりのために使うのは馬鹿げている」という意見だったといいます。インターネットの新しさは、新しすぎて理解されなかったのです。

だとしたら、人は変わり得る、社会は変わり得ることを示す「新しい可能性」が生まれる瞬間を、その具体像を、フィクションは捉えることができないのでしょうか。これから検討する『ガッチャマン クラウズ』は、事前には予測できなかったまったく新しい事態が生まれる瞬間をクライマックスにもつ物語だと考えます。その新しい事態が、人は変わり得る、社会は変わり得るという可能性を、少なくとも一瞬は垣間見せていると思います。そしてそれは、「ガンダム」における可能性の象徴であるサイコフレームの発光よりは具体的であり、技術的、現実的なレベルでも一定のリアリティをもつものだと思われます。
 

思想家(はじめ)と革命家(ルイ)

『ガッチャマン クラウズ』は、72年から74年にかけて製作された戦隊ヒーロー物の人気アニメ『科学忍者隊ガッチャマン』をオリジナルとするリメイクと言えますが、オリジナルに対して、そしてヒーロー物というジャンルに対して、かなり大胆な解釈による変更を行っています。この物語では、ヒーロー(ガッチャマンという存在)が否定されると言っていいでしょう。そして、この物語もまた、ガッチャマンという組織が新しい世代(新人)を迎えるところからはじまるのです。新しい人がガッチャマンという組織を変えていきます。

『ガッチャマン クラウズ』には二人の重要な人物が登場します。一人は、ガッチャマンという組織に新しく迎えられる一之瀬はじめで、彼女はいわば、社会変革のための思想家のような役割をもっています。もう一人は爾乃美家累(にのみや・るい)で、彼は新しいテクノロジーを用いることで社会を変えることを実践する革命家の役割をもちます(はじめはボクっ娘で、ルイは女装男子という対照性があります)。

ヒーローというのは通常、悪を倒すことで秩序を回復する存在で、社会を変革する存在ではありません。むしろ、社会の変革を目指す者と敵対する可能性の方が高いでしょう。では、またもやここにも体制内アウトローが登場するのでしょうか。しかし、ガッチャマンはアウトローではなく、ベタに(どちらかというとあまり有能ではない)官僚的な組織として描かれます。ガッチャマンは、地球人に危害を加える異星人を確保して地球から排除するという仕事を秘密裏に行う組織として設定されています。これはおそらく映画『メン・イン・ブラック』が参照されているのでしょう(メン・イン・ブラックはアメリカの都市伝説が元になっていますが、この物語のガッチャマンも一般の人々から都市伝説のように噂される存在です)。

物語のはじまりの時期、ガッチャマンたちは、MESS(メス)と呼ばれる、人や物に擬態したり、触手に触れた人間を取り込んでしまったりする宇宙人の駆除に躍起になっていました。しかし、新人であるはじめはMESSの駆除に熱心でないばかりか、時に妨害さえします。リーダー(決断力もなく責任逃ればかりし、やたらと威張っているという、典型的な駄目な上司として描かれます)に注意されても、「なんか違うんっすよねえ」と言うばかりです。はじめは思索をつづけ、そしてあるきっかけでMESSとのコミュニケーションに成功します。MESSには悪意などなく、擬態し取り込むのは彼らにとっての自然な生態であることが分かります。彼らはたんに、人を人として認識していなかっただけなのです。そして、はじめとの接触によりMESSは人を生物と認識し、彼らに取込まれて行方不明になっていた人々は全員無事に帰還します。つまり、今までガッチャマンたちがやっていたことはまったく無意味で、方向としても間違っていたのです。

はじめは、その後もそのあまりに囚われのなさすぎる態度で周囲を苛立たせつつも、ガッチャマンという硬直化した組織を少しずつ変化させていきます。彼女は、自らの主張を説くことでそれを認めさせるという形の思想家ではなく、その自由すぎる態度が、周囲との間に摩擦を生みながら、しかし結果として周囲の人々の頭や態度を柔軟にさせてゆくという思想家なのです。

一方、ルイは、Xと呼ばれる人工知能を使ってGALAXというSNSを主催しています。これは、ネットワークを用いたマッチングによって相互助け合いを実現するというものです。例えば、ある場所で交通事故があり、それを目撃したGALAXのユーザーがスマホから人工知能Xに呼びかけると、Xがその現場に近い場所にいる医療技術をもったGALAXユーザーをただちに検出して連絡をすることで、救急車到着よりはやく応急処置ができる、というようなことが可能になります。このようなマッチングは、求職者と求人者や、悩みをもった人とそれを解決する能力をもった人を適切につなげるなど、様々なレベルで応用可能です。

GALAXのキャッチコピーは「世界をアップデートするのはヒーローじゃない。僕らだ」です。つまりルイは、特定の有能な存在によってではなく、一人一人の人の意識が自然に高まる(変わる)ことによって「世界のアップデート」を目指す革命家です。制度ではなく人々の意識を変えることを目指す点では『逆襲のシャア』のシャアの流れを汲むと言えますが、ルイは地球に隕石を落とすという乱暴なやり方でなく、テクノロジーとネットワークを用いることで、一滴の血も流れることなく、それが自ずと実現されてしまうような仕組みをつくることを目指しています。つまり、エンジニアでありデザイナーであることによって革命家であろうとするのです。

(人工知能は総裁Xと呼ばれ、GALAXのユーザーはギャラクターと呼ばれますが、オリジナルの『科学忍者隊ガッチャマン』では、悪の組織の名がギャラクターであり、そのリーダーの名が総裁Xなのです。このことの意味が、後で効いてきます。)
 

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