虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第19回 正義と生存とゴースト/攻殻機動隊「STAND ALONE COMPLEX」と「ARISE」

About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
Published On: 2017/5/10By

 
 

「ARISE」、生存戦略

しかし、「ARISE」になると正義も悪もなくなると言えます。あるのは、様々な異なる立場であり、利権争いであり、その立場のうちのどれが生き残ることができるのかという競争です。様々な立ち位置にいる人物たちが、自分を生き残らせることのできるニッチを必死で探している話と言うこともできるでしょう。そして、そのような過酷な競争の世界に嫌気がさした人たちは、この世を離れ、第三世界とよばれる情報ネットワークのへと個を溶解させます。

「ARISE」の物語は、前記のとおり前日譚、後に公安九課となるグループがどのように成立したかを描きます。大きな戦争の後、軍事や防衛の民営化が進み、兵器の開発について、それを国内の企業で行おうとする一派と、海外へ発注しようとする一派という軍内部での対立が、物語のはじめにまずあります。前者の動きには主人公の草薙の上官であるクルツ中佐と彼女の所属する陸軍の501機関(戦闘用義体の開発機関)が絡んでいて、後者には陸軍情報部のホズミ大佐が絡んでいます。この争いは実は、軍内部に留まらず、企業や政府、海外の闇の組織なども巻き込んだ大きな広がりをもつもので、軍内部での対立はその氷山の一角に過ぎません。両派の水面下での激しい争いは様々な事件を引き起こすこととなり、それらの事件を通して対立と策略が次第に明らかになります。草薙は、その対立構図の一部に自分が組み込まれることを嫌って、所属していた501機関を去ります。そこで草薙は、しがらみとは無関係な自分独自の部隊をつくろうと模索し、それが後に公安九課となるのです。

対立構造は他にもあります。国防の民営化の流れのなかで、国防省を防衛庁へと格下げしようと動く政府と、それに対して反発する軍人たちの一派があり(政府と軍人の対立)、また、人を義体化するビジネスにおいて、古い規格を維持することで既得権を守ろうとする一派と、技術革新を積極的に推し進めようとする一派があります(義体の「規格」をどうするかについての資本間の対立)。これらの対立は個別にあるのではなく、利害関係は絡み合い、錯綜しています。たとえば、戦中に義体化した軍人たちは古い規格の義体をもつため、新しい規格に対応できません。古い義体をもつ軍人たちは、新しい規格の下では故障した部品の調達もままならなくなり、古くなった機械のように捨てられることになります。この「見捨てられた」という感情が、防衛庁への格下げに対する反発と結びついていると考えられます。

この争いのどれにも巨大な利権が絡んでいて、争いに負ければ命も危ないのです。いや、争いの過程で、邪魔になれば首相でさえ暗殺されてしまいます。これは生き残りをかけた切実な争いですが、どの立場も理念や大義名分を欠いていて、利己的な争いに過ぎないともいえます。そして、様々な策略が飛び交うこのような状況のなかで、他人のゴーストに侵入し、洗脳し、記憶を書き換え、義体の遠隔操作までできてしまうという謎の電脳ウイルスと、それを操るファイア・スタータという存在が絡んできて、話はややこしくなります。

兵器開発国内派(クルツ中位)と国外派(ホズミ大佐)の争いでは国内派が勝ってホズミは殺され、技術開発推進派(ロバート東亜連合代表)と既得権派(クルツ・首相)の争いでは推進派が勝って首相とクルツは殺され、そして策略の限りを尽くして勝利したロバート東亜連合代表も草薙によって殺されます。さらに、裏ですべての勢力と繋がって暗躍したフィイアスターターも、草薙に正体を知られて自ら命を絶ちます(ネットの世界に旅立ちます)。そして、最終的に勝利した草薙は、自律的な自分の部隊と立場を手に入れるのです。つまり、自分独自の部隊を作り上げ、それによって最終的に勝利することで、草薙が自己実現を果たし、公安九課というこの世界での自分の居場所を得ます。身も蓋もなく言ってしまえば、「ARISE」はそのような草薙の自己実現の物語だと要約できるでしょう。
 

「攻殻」である意味

しかしこれは事の一面であり、このような側面だけを見るならば「S.A.C」や「ARISE」が「攻殻」であることの意味が見失われてしまうでしょう。「攻殻機動隊」の共通した主題として、情報技術が進歩した世界において「個(わたし)」がどのようにあり得るのかという問題があり、こちらの側面もみていく必要があります。

「GHOST IN THE SHELL」も「S.A.C」も「ARISE」も、どの作品でもわたし(個)の固有性、あるいは唯一性という考え(自然な確信)が揺らぎます。しかし、その揺らぎの在り様が異なります。「GHOST IN THE SHELL」では、義体化により「身体の唯一性」が揺らぎ、また、電脳へのハッキングにより「意識へのアクセス権の唯一性」が揺らぎ、それによって「記憶(経験)への信頼性」が揺らぐのでした。わたしの在処=わたしの身体というアイデンティティーが失われ、「他ではないわたし」を形作る要素であるはずの記憶が、他人によって書き換えられたものかもしれなくなり、その根拠としての地位を失います。では、その後の「攻殻」ではどうなのでしょうか。
 

笑い男、名前と正義の連鎖

まず「S.A.C」の笑い男事件について考えてみましょう。ここで問題になるのはまず、笑い男という名前です。そもそも、笑い男は自ら名乗りませんでした。笑い男という名前は、最初の誘拐事件の実行者が自分の顔を隠すために用いたアイコンから、人々が勝手につけたものです。自身の固有性を隠そうとする行為が、逆効果となり固有名を生んでしまいます。誘拐者の目的は誘拐したセラノ社長から証言を引き出すことにあって、自分の存在やその行為を主張することにあったわけではないのです。

そして、笑い男という固有名は、それを利用して企業テロを行う者に利用されます。最初の事件の実行者は、図らずも名付けられ、有名になってしまい、そしてその名前は、自分とは関係のない別人によって名乗られ、いわばその位置を乗っ取られるのです。笑い男という名は、ある行為とそこに貼り付けられたアイコンに対する名であり、もともと顔(身体)との結びつきをもっていません。つまり、アイコンをコピーしてその名を名乗れば、誰が名乗っても区別がつかないのです。ここで問題となっているのは、名前と名付けられた者とを紐づける根拠がないということです。匿名的な行為とそのアイコンにつけられた名は、指示対象への通路がはじめから途切れてしまっているのです。

この時、名と行為主体とを結びつけるものは、その行為の質(オリジナリティ)への判断しかありません。草薙は、その行為の質から判断して、オリジナルの笑い男による犯行は、最初の誘拐事件と、その3年後の警視総監暗殺予告の2件だけだという正しい判断を下します。ここには、行為主体のオリジナルな才能への確信があり、つまり、問題は名と身体との紐づけの不確かさだけで、行為のオリジナリティという意味での固有性は少しも揺らいでいないのです。コピーされ増殖するのはたんにアイコンと名だけであり、ゴーストはオリジナルであり、草薙は笑い男のゴーストの在り様を正確に掴むことができるのです。

では、笑い男事件において個(わたし)を揺るがしているものとは何なのでしょうか。笑い男の目的は不正の告発です。警視総監暗殺予告も、警察のあまりにひどい隠蔽体質に業を煮やして行われたもので、はじめから暗殺の意志はありません。しかしここでも笑い男を名乗る別人が介入します。最初の別人の介入は仕組まれたものです。警視総監暗殺という大きい事件を起こすことによって別の事件を隠蔽するために、笑い男の名が盗まれるのです。笑い男を名乗る別人により、警視総監をガードするはずのSPに電脳ウイルスが仕掛けら、SPが長官を襲います。

しかし、これだけは済みません。暗殺が予告された会場には、自分こそが笑い男だと名乗る者や、笑い男からのメッセージを受けたとする者など、多数の模倣者が押し寄せたのでした。彼らの行為は、電脳ウイルスによるものでも、仕組まれたものでもありません。申し合わせたわけでもなく、彼ら1人1人がそれぞれ個別に、自発的な笑い男の模倣者となったのでした。これは、SNSが発達した今日においては割合ありふれた光景ともいえます。誰に頼まれたわけでもなく、自分自身の利害にもかかわらないのに、非常に短絡的な正義感に駆られて他人を叩く人々がしばしば出現します。自分勝手な正義感はとても感染しやすいようです。

ただ、「S.A.C」が正義を主題とすることには、もう少し深い意味もあると考えます。笑い男は、電脳硬化症という病気に有効なワクチンが不当に不認可にされ、ほとんど効果が期待できないマイクロマシンの方が認可されてしまったという不正に対して行動を起こしました。しかし彼の行動は、より悪質な企業テロに利用されるという結果に終わります。この結果に失望した笑い男は、社会の不正に対して「目を閉じ耳を塞いで」いようと考えます。

しかし、彼の起こした行動は途切れず、バトンがつながれます。笑い男事件を捜査する捜査官の1人が、すべての捜査員の行動が秘密裏に監視されていることに気づくのです。彼は、それに気づいたことにより殺されてしまうのですが、その資料をかつて同僚だった九課のトグサに託したことで、線がつながり、隠れていた笑い男が再び表に出てくる状況をつくるのです。「S.A.C」のトグサは、まるで笑い男の青臭い正義感が感染してしまったかのように行動し、体を張って事件の真相をつかみます(トグサのこの過剰な正義感は、ケーブルを通じてバトーにも感染します)。そして、身をなげうって真相をつかんだトグサの行為を反復するかのように、荒巻は、公安九課の存在と引き替えに(九課をなげうってまで)、巨大な悪を告発するのです。笑い男、捜査官、トグサ、荒巻と、示し合わせたわけでもない、それぞれ個別の正義感(判断と行動)が、いわば偶発的に連鎖することで大きな悪の告発が実現されるのです。

「S.A.C」において個(わたし)を揺るがすものとは、個々のレベルでは途切れ、潰えてしまうような正義の行為が、示し合わせたわけでもないのに偶発的につながってしまうという出来事にあると考えます。スタンド・アローン・コンプレックス(スタンドプレーの連鎖による結果としてのチームプレー)とは、公安九課のなかでだけ起きることだというわけではないのです。

とはいえ、正義が勝ったとは言えません。企業テロを行った大物政治家の告発を決意したセラノ社長が暗殺されたことをほのめかす描写がラスト近くに置かれています。また、正義感の連鎖と、身勝手な正義感の反復は、明確に区別できるものでもありません。「Solid State Society」に登場する、他人を自由に操るハッカー、傀儡回しの正体は、組織を離れて独自の捜査をつづけた草薙がネットにまき散らした正義感が、草薙から離れて人格化したものでした。草薙こそが身勝手な正義感の出所であったというわけです。「S.A.C」では、正義は常に法という縛りの上で行われなければならないという(それ自体が限界でもある)限定が強く効いています。
 

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About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
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