あとがきたちよみ 本たちの周辺

あとがきたちよみ
『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
畑仲哲雄 著
『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』

「ねらいと使い方」「目次」「CASE:001」「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報はこちら〉
→連載第1回:〈CASE 01〉最高の写真? 最低の撮影者?[ページ見本あり]
→連載最新回:〈CASE 20〉後輩の女性記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら[フルにご覧いただけます]


ねらいと使い方 ジャーナリズム倫理を絶えず問いなおす
 
 報道倫理に関する本は、大手の新聞社や放送局からいくつも出版されていますし、有名な記者たちも筆を執ってきました。それらの多くは個人的な経験に基づいて書かれています。大物ジャーナリストたちがつづる手柄話や失敗談はおもしろく、記者志望の学生や新人ジャーナリストを魅了します。しかし、「体験的ジャーナリスト論」の大半は、残念なことに理論的な背骨を欠いています。
 他方、学問的にしっかりした倫理学の研究書は学者たちが書きます。しかし、取材現場をかけずり回るジャーナリストたちが読んでいるようには見えませんし、取材のルールブックを作成するベテラン記者たちも「功利主義」や「義務論」など職業倫理に不可欠な概念を参照しているようにも思えません。
 
業界の倫理、企業の内規
 日本におけるジャーナリズムの倫理は、業界が設定した「かくあるべし」的な理想や理念と、各メディア企業が内部で運用している「べからず」集のようなマニュアル類から構成されることがほとんどです。新聞記者や放送記者たちも組織の一員であるかぎり「かくあるべし」と「べからず」の制限を受けています。
 日本ではジャーナリスト教育を大学が担う伝統がなく、もっぱら個々の企業内で記者教育がおこなわれてきました。学生時代にジャーナリズムについて体系的に学んだ経験のない記者にとっては、勤務先の上司やベテラン記者と報道マニュアルが教科書です。
 しかし、上司やマニュアルがいつも頼りになるとは限りません。みながマニュアルどおりに行動したため失態を招いた例や、掟を破った記者によって改善がもたらされた例もあります。ベテラン記者も常に正しい判断をするわけではありません。実務家として名を成した人が、自身の成功体験に固執する「成功者バイアス」のため、悪しき指導者となる例は、報道の世界以外でもみられる現象です。
 ジャーナリストが難問に直面したとき、いったいなにを基準にどう決断すればいいのでしょうか。
 
道徳的な20の難問
 ジャーナリズムの世界には、百年単位で受け継がれてきた原理や手放してはいけない鉄則がありますが、わたしたちの情報環境はすさまじい速度で変化しています。ジャーナリズムの倫理も問い直しは必要でしょう。
 この本には、報道現場における20の難問が収録されています。ほとんどが過去に実際に起こった事例をもとにしています。どの事例も簡単に答えは出ないものばかりです。ただ、難問だからという理由で放置してよいはずもありません。日ごろから絶えざる問い直しを心がけておくべきです。
 この本の狙いは三つあります。第一は、現場の経験知に頼りがちな記者たちに一度立ち止まって考えてみる機会を提供することです。「勉強する時間がない」「問題意識を共有する場がない」というジャーナリストたちを少しでも触発できれば幸いです。
 第二は、メディアの問題に関心を寄せる市民と語り合うことです。「マスゴミは信用ならない」と頭ごなしに否定する人もいますが、ちょっと待ってほしい。この本を読めば、取材する側の視点から報道倫理の悩ましい問題を考えてみる機会がもてるはずです。
 第三は、報道の仕事に就こうとしている若い人たちに、将来出会うであろうジレンマを知っておいてもらうことです。答えは一つではありません。優れた記者になるには数多くの事例と理論をみずからの血肉にしておく必要があります。
 
本書の読み方
 この本には全部で5つの章があります。第1章から順に「人命と報道」「報道による被害」「取材相手との約束」「ルールブックの限界と課題」「取材者の立場と属性」です。各章には4つのケースを設けました。
 ケースはすべて、「思考実験」→「異論対論」→「実際の事例と考察」の3パートで構成されています。「思考実験」では、ジャーナリズムの道徳的難問が物語の形式で示されます。思考実験の最後には、AかBかの選択肢が与えられます。どちらが正しく、どちらかが間違っているわけではありません。まずは直観的にじぶんがどちらの立場を支持するかを心に思い浮かべてください。
 次に「異論対論」のページを開いてください。AとBの対立する二つの立場から交互に意見を並べました。ここに示された見解は、著者のわたしが脳内で議論したものです。足りない論点を補足したり、別の視点で考えたり、ちがう条件ならどうなるか比べたり、ほかの立場ならどうなるかなど、ぜひいろいろ検討してみてください。
 最後に「実際の事例と考察」に進んでください。各ジレンマの事例を考えるうえで必要な基礎知識と、実際の事例について詳しく述べられています。「現場の知」だけでは得られない「学問の知」も記されています。
 
ワークショップでの利用
 もし、この本をグループディスカッションなどのワークショップで利用する場合、「思考実験」を読んだ時点でいったん本を閉じて1回目のディスカッションをしてみましょう。じぶんの意見を他者に押しつけるのではなく、異なる意見に耳を傾ける機会です。じぶんはなぜA/Bの立場を支持するのか、冷静に語り合ってみましょう。必要に応じてじぶんの意見を修正し、最終的にグループごとにひとつの意見にまとめてください。
 次に、「異論対論」のページを開き、そこに記されている議論の流れと、グループ内での議論との違いをひとつずつ検討しみましょう。異論対論に記されている意見とじぶんたちの意見と違いはどこにあるでしょう。みなさんの議論は十分だったでしょうか。ディスカッションや異論対論で示された観点から、あなたはじぶんの意見を変えるでしょうか。ここで2回目のディスカッションをしてみましょう。
 最後に、振り返りのために「実際の事例と考察」を読んでください。「事実は小説より奇なり」と言いますが、実際に起こった出来事の重みをかみしめてください。
 
 
あとがき ジャーナリストの理想へ向けて
 
 本書はジャーナリズムの規範を考えるケースブックなので、倫理学の体系に基づいて章立てを考えたわけではありません。ただ、メディア企業の研修担当者たちには、最小限これだけは知っておいてほしいと思うことを最後に記しておきます。
 哲学の一分野である倫理学は、大きくはメタ倫理学、規範倫理学、応用倫理学に分類されます。このうち規範倫理学では、功利主義や義務論などをめぐる膨大な議論が繰り広げられてきました。
 
功利主義と義務論
 功利主義とは、ジェレミー・ベンサムが残した「最大多数の最大幸福」に象徴される考え方で、結果から道徳的価値を考えることから「帰結主義」のひとつとされています。具体的にいうと、王様を特別に扱うのではなく、身分の別なく人々の「幸福」の量を均等に計算し、その社会の「幸福」の総量を最大にしようとする原理です。それに基づけば、王よりも数が多い農民や平民の「幸福」を重視する社会が目指されます。しかし、問題もあります。多数者の利益だけが優先されれば、少数意見が無視され、マイノリティや被差別者の権利が侵害されかねません。
 そんな帰結主義と対立する立場に、イマヌエル・カントの義務論があります。結果から倫理を考えるようになれば、「嘘も方便」のような振る舞いが際限なく拡大し、収拾不能になります。そこでカントは道徳的な価値を目的の良さで決めるべきだと考えました。人間には人として守るべき絶対的な命令(定言命法)がある、とカントは説きましたが、わたしたち凡人はカントが考えるほど理性的ではありません。
 規範倫理の学者たちによって鍛えられた思考の筋道や理論は堅牢です。それらを総動員して、現実の問題と格闘するのが応用倫理学です。この分野は21世紀に入り、科学技術倫理や環境倫理、情報倫理など個別分野ごとに大きな注目を集めています。応用倫理は理論家と実務家の協働が前提となります。ただ、ジャーナリズムをめぐる倫理については、業界人の経験論(体験的ジャーナリスト論)が幅をきかせ、応用倫理学の一分野として確立されているとは言えません。
 こうした理論的背景を知るための参考書として、入門的な『本当にわかる倫理学』(田上孝一、日本実業出版社)、『功利主義入門』(児玉聡、ちくま新書)、『サンデルの政治哲学』(小林正弥、平凡社新書)などがあります。ケアの倫理を扱ったジャーナリズム理論では『〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム』(林香里、岩波書店)があり、『マス・コミの自由に関する四理論』(F・S・シーバートほか、東京創元社)などの古典も目をとおす価値があると思います。これらを手がかりに関心をさらに広げ、理解を深めていってください。
 
企業の枠を超えて
 メディア産業に長らく横たわってきた思想は「表現の自由」を基調とする功利主義で、不特定多数の読者や視聴者に提供される情報の価値が視聴率や部数によって計られがちです。ジャーナリズム研究者の林香里は「最大多数の最大関心事」という表現で、メディア産業が古典的な功利主義の段階にとどまっていることを批判しています。この功利主義的な考え方は、企業統治にも影響しています。〈CASE17〉のセクハラ問題で検討したような、社内の少数者である女性の人権が抑圧されたり、組織のために個人が犠牲になったりした例を直接知るメディア関係者は多いはずです。
 ちょっとやそっとで変えられない構造的な問題があったとしても、個々のジャーナリストが業界や企業の論理と一体化しなければならない道理などありません。報道の目的は、公共の利益に資する情報を市民に報告すること。災害や事件事故を速報したり、埋もれていた事実を掘り起こしたり、複雑な問題を論評したりすることによって、よき社会をめざす――個々のジャーナリストはそんな理想を広く共有し、連帯できると信じています。
 本書は勁草書房編集部ウェブサイト「けいそうビブリオフィル」に2016年から連載をした内容をもとにしています(https://keisobiblio.com/author/hatanakatetsuo/)。連載全部は収録していませんが、連載にはないケースも追加しました。このウェブ連載は今後も不定期に更新していく予定です。考えてみたいケースや感想をお伝えいただけると幸いです。最後に、本書の企画段階から完成に至るまで骨を折ってくれた勁草書房の鈴木クニエさんへの感謝を記します。
 
2018年6月 畑仲哲雄
 
ウェブ連載バックナンバー一覧バックナンバー一覧
 
 
banner_atogakitachiyomi