高橋徳行先生の連載第5回です。日本ではそもそもアントレプレナーが少ないと言われています。いわんや女性のアントレプレナーはなおさらです。しかし、今回取り上げる女性起業家をご覧になって、読者の皆さんのアントレプレナーに対する見方が変わることを期待します。[編集部]
起業家の学ぶ力にはすさまじいものがあります。彼女や彼らは実践し、時には失敗もしながら、そこから数多くのことを学び、その学びを次のステップに活かします。連載の第5回は、28歳の時にミャンマーに単身で渡り、そこで家事代行業を立ち上げた女性起業家を紹介します。村上由里子さんという人ですが、おそらく、読者のほとんどの方は初めて聞く名前かもしれません。しかし、この記事を読み終わる時にはきっと忘れられない、そして一度は会ってみたくなる人になるでしょう。それでは、今回もプロセスに焦点を当てるアントレプレナーシップの醍醐味を味わってください。
日本の女性の起業家活動
今回の主人公は女性起業家ですので、最初に、わが国の女性の起業活動の現状を見てみましょう(図1)。これを見ると、米国や英国と比べて、わが国の水準がかなり低いことがわかります。ドイツには時々、「勝つ」こともありますが、総じて見ると、やはり低いです。連載の第1回で、男女合計の起業活動水準が低いことを述べましたが、女性だけを取り出しても低いことには変わりがありません。
今回紹介する村上由里子さんは、その意味では、100人の女性に会って3人に出会えるかどうかという「貴重な」女性起業家の一人です。ただ、村上さんを取り上げるのは村上さんが女性であるからではありません。彼女の行動、そして現在に至るまでのプロセスに起業家の原点を見つけて欲しいからです。
アジアでよかったわ
村上さんが開業の地として選んだ場所はミャンマーです。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する、人口5,000万人強の国で、首都はネピドー、最大の都市はヤンゴンです。日本からは成田―ヤンゴン往復の全日空の直行便がありますが、それでも行きが8時間半、帰りでも6時間以上かかります。日本人の長期滞在者数も2,608人と(2017年時点)、まだまだ日本にとっては遠い国です(図2)。
そして、上皇后の美智子さまの出身大学としても知られる聖心女子大学に付属中学校・高校から進学し、大学ではシェークスピア文学を学んでいた村上さんが28歳の時、「私、ミャンマーで起業する」と両親に打ち明けたのです。
皆さんが村上さんの両親であったら、どのように反応するでしょうか。ちなみに、この時、村上さんはまだミャンマーに足を踏み入れたことがありません。
その時、母親から出た言葉が「アフリカより近くてよかったね」でした。
意外ですね。普通は、日本国内でも「私、起業する」と言われると、「ちょっと待って」という反応が普通です。今回はそのあたりの謎解きも考えながら読み進めて下さい。
発展途上国と教育
彼女は大学生時代、フィリピンに研修に出かけて数多くの貧しい人と出会った時、この人たちから逃げるのは失礼と感じたそうです。それは物理的に逃げる、逃げないという話ではなく、向き合って生きるどうかという次元の話です。
「私には教育という土台がある。その土台をベースにいろいろな可能性に挑戦できる。でも、教育を受ける機会に恵まれない人は、その土台を作ることもできず、挑戦したくても挑戦する機会がない。」
この短い言葉の中に、村上さんの生き方を支える2つの軸が表現されていると思います。一つは発展途上国、もう一つは教育です。
一つ目の軸については、学生時代のインターンシップ先にグラミン銀行とマザーハウスを選び、大学を卒業した後は、青年海外協力隊の一員としてアフリカのルワンダに行き、そこでゲストハウスを作るという仕事に携わり、そして今ミャンマーで起業されたことからもわかります。
もう一つの軸については異論があるかもしれません。「だって村上さんはハウスマネジメントの仕事をしているのでしょう」という反論です。
でも、やはり教育なのだと思います。そうでなければ、ミャンマーでハウスキーピングとして働く一般の人の3倍以上の賃金を支払ったりしませんし、そのような賃金を支払えるようなビジネスモデルを必死に考えたりはしないでしょう。
村上さんは、自分の会社(HerBEST)で働く人への「家庭訪問」を定期的に行って、生活がどのように変化しているのかを見て歩き、家電が増えたり、子供が学校に通えるようになったりした様子を見るのが仕事でもあり、楽しみの一つであるとのことです。
また、ある雑誌社のインタビューにはこのように答えており、教育を話題にしています。
「アフリカで出会ったある家のお手伝いさんは日本人の家庭で働いていて日本食も作れるし、日本語の歌で子どもをあやすことも可能。絶大な信頼を得た彼女は月に600ドルほど稼ぎます。お手伝いさんの月収の平均が150~200ドルですから、破格です。彼女は自分の稼ぎで5人の子どもを大学まで行かせたことを誇りとしていました。」(https://www.abroaders.jp/article/detail/506より)
私たちはしばしば誰かを助けます。しかも、助けた人からの見返りを期待することなく誰かを助けます。専門用語では、「間接互恵性」と言われるものですが、このように「二者に閉じない助け合い」こそが、人として最も重要な特性で、霊長類を含めて人間にしか備わっていない(備わっていない人もいますが)そうです(亀田達也『モラルの起源』岩波新書、2017年より)。
このことを若くして身に付け、事業を通して実践されている村上さんは素晴らしい教育を受けてきたのだと思いますし、そのことが発展途上国と向き合う彼女の姿勢に表れています。村上さんに確認を取ったわけではないですが、筆者は、発展途上国の人に教育の機会を増やしたいという想いが彼女の生き方の根底にあるように思えます。
家事代行業とミャンマー
次に、村上さんのビジネスに焦点をあててみましょう。本稿を執筆時点ではCOVID-19の影響で日本への帰国を余儀なくされていますが、直前までヤンゴンを中心とするミャンマーに在留日本人を中心に約50の顧客をもち、それらの顧客にハウスマネジメントサービスを展開していました。
最初は、なぜ、ハウスマネジメントなのかです。先の雑誌社のインタビューの中で、村上さんは次のようにも語っています。
「身近な人はみんな知っていることですが、私は部屋の片づけや料理、洗濯といった家事全般が苦手です。どれだけひどいか語るとお嫁にいけなくなりそうなので詳細は省きますが、控えめに表現しても私と住みたい人間はいないと思う、というレベルです。」(https://www.abroaders.jp/article/detail/506より)
その彼女がホスピタリティの水準では日本でも指折りの宿泊施設で、ルワンダから帰国した後に働きます。掃除、歩き方、布団の敷き方、そして笑い方に至るまで、ありとあらゆることに悪戦苦闘しますが、何十回、何百回も繰り返す中で、「できる」村上さんが誕生し、おもてなしは才能ではなく技術であると気がつき、訓練すればだれでもできるようになると「悟り」を啓いたそうです。この経験とルワンダで出会った高収入のお手伝いさんが重なり、今の事業の可能性に気がつきます。
ホームページを見ると、基本プランは、月1回、月4回、そして月8回の3種類に加えて、洗濯や買い物代行、そしてエアコンやベランダ掃除などのオプションも紹介されています。サービス内容だけを見ると、そこに新しさを見つけることは難しいかもしれませんが、それは日本を基準にした見方であって、お手伝いさんは住み込みで働くのが普通であったミャンマーでは新しいサービスなのです。
お手伝いさんの地位は低く、しかも賃金も、彼女の会社であるHerBESTが現在支払っている水準の3分の1程度が標準的な姿である中で、ハウスマネジメントの価値は「滞在している時間」ではなく「家事をしている時間」であるとして、一人が担当する顧客を数世帯に増やし、村上さんが高級旅館勤務時代に鍛えられたスキルを教え、お手伝いさんに「かっこ良さ」という付加価値をつけました。
この「かっこ良さ」というのがとても大切なところで、そこに高学歴の人は絶対に働かないと言われている職業の価値観を変えたいという想いが詰まっています。
そして、ミャンマーという場所の選択です。大学卒業後の2年間をルワンダで過ごした村上さんは、最初はアフリカで起業することを考え、当時は日本に住んでいましたが、アフリカにリサーチに出かけます。
しかし、ルワンダに在住する日本人はわずかに100人という現実に直面します。(現地では)ハイエンドのニーズに応えるビジネスを想定していた村上さんは、この数の少なさを改めて知り、ルワンダを諦めます。次の候補はケニアです。ケニアにはルワンダの10倍の日本人がいましたが、現地でお手伝いさんを雇っている家庭にヒアリングすると、留守の間に男性を家に連れ込む、殺人が起きるなど、直面するトラブルが半端でなく、リスクの高さからここも断念します。
その後に出会った国がミャンマーです。ミャンマーには約3,000人の日本人が住んでおり、しかもハウスマネジメントサービスを事業として行っている会社は3社でした。もちろん、アジアには在留日本人が7万人近くいるタイもありますが、そこにはすでに500社近い同業者がおり、お手伝いさんのイメージを変えるには、自らの存在が相対的に小さいと判断して選択肢から外しました。
起業活動 in Myanmar
ミャンマーでどのように事業を展開したのかに話題を移します。まず、知り合いも誰もいない中で、どのように営業をされたのか。村上さんの答えは次のとおりです。
「不動産屋です。どんな時にお手伝いさんを探すかを考えると、引っ越しの時ではないかという結論に至ったからです。」
不動産屋の商品パッケージの中に村上さんのサービスを組み込んではもらえなかったが紹介はしてくれたそうです。そして、めでたくお客さん第1号が誕生します。
しかし、お手伝いさんを一人も雇っていない。
やむを得ないので、村上さん自身がでかけることになり、この状態がしばらく続きますが、契約世帯が5世帯を超える頃、限界を感じて人を雇用することを真剣に考え始め、実行したことは次のことです。
ヤンゴン大学に単身乗り込みビラを配る。
ところが、ヤンゴン大学に通っている学生が働くような職業ではないことが間もなく分かります。それでも諦めず、今度は学生の知り合い、次は知り合いの知り合い、そして最後は知り合いの知り合いの知り合いの人で働いてくれる人が見つかり、第1号のスタッフが生まれました。都市部では従業員の知り合いや友人、地方では部族のコミュニティや寺院などを通してスタッフを確保していくのです。
アントレプレナーの学習曲線
学習曲線は経営学の世界では良く知られた概念です。習熟曲縁とも呼ばれ、ある作業を何回も繰り返していると、より短時間にできるようになったり、より品質の高いものを制作できるようになったりするということです。
アントレプレナーにも学習曲線があります。しかし、一般の学習曲線と異なる点が2つあります。
一つ目の相違点は、インプットです。一般の学習曲線は累積作業量、つまり今までどのくらいこの作業に携わったのかがインプットになります。一方、起業家の場合は、経験の種類、つまりどれだけ異質な経験をしているかです。
もう一つの相違点は、学習曲線の傾きです。一般の学習曲線の傾きはどちらかと言えばリニアに近く、一方起業家の学習曲線はリニアもありますが、2次関数や指数関数、そして階段状もありとさまざまです。漸進的な変化ではなく、カタストロフィックな変化とも言えるかもしれません。
起業家は何度も同じ困難に遭遇するのではなく、常に新しい困難に遭遇します。直接的には過去の経験は役には立ちませんが、初めての困難を何度も乗り越えた経験が、その時点での新しいチャレンジに立ち向かう力を与えてくれます。
その意味で、村上さんの経験から学ぶ力には素晴らしいものを感じます。やはり、アントレプレナーは生まれるのではなく、つくられるものなのです。
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家