夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
⑦学生起業家

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、日本中小企業学会幹事、企業家研究フォーラム理事、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
Published On: 2020/10/9By

 
日本ではまだまだ少ないと言われる起業家、そのなかでも学生時代に起業する「学生起業家」はとくに少ないようです。大人に比べてアドバンテージを持つのが若い人たちです。世の中の「当たり前」をひっくり返す力をもつ学生起業家の登場がいま必要なのです。今回はその「学生起業家」に焦点を当てます。[編集部]
 
 
 デル・コンピュータ(現在のデル)社の創業者マイケル・デル、マイクロソフト社の共同創業者ビル・ゲイツ、フェイスブック社の創業者マーク・ザッカ―バーグ……。この3人の共通点は何かと聞かれてどのように答えるでしょうか。
 
 世界的にも有名で、「超」がつくほどの大企業を一代でつくり上げた人という回答が最も多いかもしれません。もちろん、正しい回答ですが、もう一つの正解があります。それは、3人とも大学生時代に事業を立ち上げた学生起業家ということです。日本でもリブセンスを早稲田大学1年生の時に立ち上げた村上太一氏や堀江貴文氏(オン・ザ・エッヂ)などを思い浮かべる人がいるかもしれません。
 
 今回は、その学生起業家の一人である株式会社BearTaillの黒﨑賢一さんを紹介します。アントレプレナーが持つ特徴の一つは、「当たり前のことを当たり前と考えない」ことだと思います。その意味で、まだ世の中の「当たり前」に浸っていない学生は、大人に比べてアドバンテージを持っています。
 
 黒﨑賢一さんが始めた事業も、ほとんどの人が「当たり前」と考え、半ばあきらめていた非効率な経理処理を革新するものでした。会社勤めの経験がなかったからこそ、そこに気がつくことができたのかもしれません。
 
若者の起業・学生の起業
 
 今回は、学生起業家を取り上げますので、まず、わが国の若者、そして学生の起業活動を概観してみましょう。日本の起業活動が他の先進国、特に米国と比較すると、不活発であることは、この連載を通して何回か触れてきました。
 
 日本の起業活動は活発ではないと言うと、何人かの人は、「それはそうだろう。だって、日本は高齢化が急ピッチで進んでいるのだから」「若い人が少ない国の起業活動が低迷しているのは当然」といった反論をしたりします。
 
 するどい観察ですし、その指摘はある意味、的確です。ただし、日本を除けば……です。図表1をご覧ください。これは、年齢階級別に、その年齢階級に属する100人のうち、何人が起業活動をしているのかを示したものです。
 
 確かに、25-34歳の年齢階級を見ると、日本も米国も他の年齢階級に比べて、TEA(総合起業活動指数)が最も高くなっている。しかし、日本は18-24歳を除けば、1%の範囲ですべての年齢階級がおさまっている。25-34歳(4.2%)と55-64歳(3.3%)の差は0.9%ポイントに過ぎません。これでは、若年層が多少増えても、国全体の起業活動水準を引き上げることには繋がらないでしょう。
 
 一方、米国は25-34歳(14.9%)と55-64歳(7.6%)には2倍以上の開きがあり、このような状態で若い人が増えると、国全体の起業活動水準に大きな影響を与えることが期待できます。
 

図表1 年齢階級別の起業活動(Total Entrepreneurial Activities: TEA)

注1:2001年から2018年の個票データをプール化して算出したものである。
注2:日本の年齢階級別サンプル数は、18-24歳は3,441人、25-34歳は6,036人、35-44歳は7,545人、45-54歳は7,714人、55-64歳は7,225人である。米国の年齢階級別サンプル数は18-24歳は6,703人、25-34歳は10,298人、35-44歳は12,055人、45-54歳は14,208人、55-64歳は12,753人である。
注3:Total Entrepreneurial Activities: TEA(総合起業活動指数)とは、成人人口100人あたり起業活動に従事している人の数を表すもので、例えばTEAが10.6%であるということは、その年齢階級100人に対して10.6人が起業活動をしているという意味である。
資料:グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)調査(2001~2018年)。

 
 次に、学生の起業活動について見てみましょう(図表2)。データのもとになっているグローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)調査は、毎年2,000のサンプルを集めて実施しており、性別や年齢階級は国勢調査による性別や年齢階級に合うようにサンプリングを行っています。しかし、学生という身分はサンプリングの際にコントロールしていないので、調査年によってバラツキが生じる他、そもそもサンプル数が少ないことに注意してご覧ください。
 
 図表2も、日本と米国を比較したものです。調査年によって数字の変動が大きくなっていますが、学生の起業でも、両国間には相当の差があることがわかります。いずれにしても、黒﨑さんは、学生が100人いたとして、多い年でも6人いるかいないか、少ない年ではゼロという確率でしか存在しない学生起業家の一人であることは間違いありません。
 
 ちなみに、筆者が黒﨑さんの名前を学外で見つけた最初の機会は、2019年12月に広島経済大学で行われた日本ベンチャー学会の全国大会でした。筑波大学の内田史彦氏による発表の中で、学生起業家育成の試みに触れられた際、筑波大学に在学していた黒﨑さんをケースの一つとして紹介しました。このような環境も黒﨑さんという学生起業家を誕生させた要因の一つかもしれません。
 

図表2 学生の起業活動

注1:グラフの値(%)は、学生100人あたり何人の学生が起業活動に従事しているかを示している。
注2:日本のサンプル数(学生と回答した人の数)は、2014年は74人、2015年は92人、2016年は101人、2017年は110人、2018年は124人である。米国のサンプル数は、2014年は437人、2015年は230人、2016年は179人、2017年は108人、2018年は176人である。
注3:サンプル数が少ないため、年単位のデータは安定性を欠いている。
資料:グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)調査(各年版)。

 
高校では学業振るわず……大学は中退
 
 黒﨑さんは、2012年に株式会社BearTailという会社を立ち上げました。現在は従業員数が70人近くになり、資本金(準備金含む)は1億円です。主たる事業は、企業の領収書処理を含む一連の経費精算業務を請け負うことで、相手先企業に今まで存在していなかった時間を創り出すというものです。事業は順調に推移し、資金調達もベンチャーキャピタル等から16億円の出資を受けています。
 
 ビジネスの詳しい内容は、後ほど触れることにして、ここでは、学生時代のことをお話しします。黒﨑さんは私立武蔵中学、そして武蔵高校で合計6年間を過ごしています。前回の連載で紹介したラクサス・テクノロジーズの児⽟昇司さんも広島県の名門高校を卒業されていますが、私立武蔵高校も名門中の名門校で、都内でも指折りの進学校です。ですから、黒﨑さんの地頭の良さは言うまでもないことですが、中学、高校時代の成績といえば、「ほぼ最下位」と聞いています。入学当時は自信満々でしたが、上には上がいることに気がつき、「これは敵わない」と、ある意味「悟り」を開いたそうです。しかし、だからといって無駄に時間を過ごしたのではなく、高校1年生の時からはテクニカルライターとしてPC雑誌出版社に毎月企画を出して、記事を書いていました。筆者が勤める大学の隣が武蔵中学、武蔵高校なので、黒﨑さんを良く知る教員と会話することも時々あります。
 
 「いろいろな経験をした方が大成するんだね。」
 
といったコメントもありました。
 
 このように学業では苦労した黒﨑さんですが、筑波大学情報学群に自己推薦型の制度という枠で見事合格します。このあたりは流石と思いますが、今度は、その筑波大学を中退してしまいます。これは起業し、事業の方が次第に忙しくなったせいでもあります。また、冒頭で紹介したマイケル・デルもビル・ゲイツもマーク・ザッカ―バーグも、皆中退しています。でも、黒﨑さんは次のように語ります。
 
 「ずっと残っていても単位取れないで中退したかもしれない。」
 
 次の写真は、創業当時に住んでいたアパート、創業時のメンバー、そして最近の黒﨑さんです(図表3)。特に、真ん中の写真は、学生起業家の雰囲気を感じることができる貴重な一コマです。
 

図表3 創業時のアパート、創業時のメンバー、現在の黒﨑賢一さん

注:創業時のアパート(写真左)、創業時のメンバー(写真真中)、黒﨑さん近影(写真右)。
資料:黒﨑賢一さん提供。

 
当たり前を疑い、IT+αで顧客価値を創造する
 
 黒﨑さんが手がけるビジネスは、領収書の処理を伴う一連の経理事務を請け負うことで、顧客に新たな時間を創り出すというものです。これだけを聞いても何のことがわからないと思いますので、図表4を参照にしながら説明します。
 
 まず、【導入前】は、同社のサービスを導入する前の状態を表しており、特に、赤い枠の中に黒い文字で書かれている工程は、「現物」の「紙」の領収書が社内の誰かのそばにいつも存在しているところです。
 
 何かを買って、支払いを済ますと、領収書が登場します。まず、それを「受け取り」ますが、すぐに処理はできません。経理処理は月に1回などまとめて行うので、しばらく「保管」しておきます。次に、「データ入力」をします。それが済んで捨てられるのでしたら良いのですが、その後もデータと現物の領収書の「照合」作業と、「糊付」して「保管」という作業が待っています。後者の作業が発生するのは、法人税法上、10年間の保管が義務付けられているからです。
 
 とてつもなく面倒で、生産性を感じるような仕事にはとても思えません。でも、ほとんどの会社がずっと続けていました。なぜでしょうか。
 
 「だって当たり前のことでしょう。領収書は紙なんだから。」
 
 多くの人はこのように思いましたが、会社に勤務したことのなかったことによる「鋭さ」がここで発揮されます。彼のソリューションは次のとおりです。
 
 「スマホで撮って、捨てれば良い。」
 
 これが、図表4の【導入後】に描かれています。捨てるといっても、本当にゴミ箱に捨てるのではなく、同社が後日回収するボックスに入れてもらって、それでおしまいにするということです。後は、清算に必要なデータは顧客にフィードバックされますので、そこから後は今までどおり電子的に処理できます。
 
 個々の会社で手間暇がかかっている仕事を請け負って、ビジネスが成立するのかという心配もあるかもしれませんが、2,000人近いリモートワーカ―の組織化と、電子的な処理方法の組み合わせによって、仕事の流れの専門化と人材配置の専門化を実現し、収益性の高いビジネスモデルを構築しています。
 
 私たちはすべての工程を電子化することばかりを考え、それができないうちは何も手を付けないという状態に陥っていたのでしょう。しかし、黒﨑さんは違いました。ITで対応できないところは人手を加えれば良いという逆転の発想です。
 
 そのように聞けば、そして同社の仕事を実際に見れば、「なるほど」と思いますが、長年、【導入前】の仕事に慣れてしまった大人は、「経理処理とはこういうものだ」と考えに鍵をかけられてしまい、新たな発想が出てきません。
 
 会社の仕事上の問題を、会社勤めの経験のない学生が解決する。この事実から、私たちは多くのことを学ばなければなりません。
 

図表4 BearTailを利用した場合の顧客価値

資料:筆者作成。

 
収益性+キャッシュフローに卓越したビジネス
 
 次に、同社の収益モデルとキャッシュフローモデルを見てみましょう(図表5)。
 
 第1のポイントは、顧客を獲得するために必要な時間です。長ければ長いほど運転資金が必要になります。同社のようなサービスを提供している場合、通常ではサービスの説明や試験導入期間が不可避ですから成約まで半年くらいかかることも珍しくありません。しかし、黒﨑さんの会社ではかなり短い期間になっています。それが可能にしているのは、ひと言で言えば、実績と評判があるからです。
 
 第2のポイントは、顧客獲得に必要な費用を顧客獲得後、どのくらいの時間で回収できるかです。これについても、同社では、1年分の料金を前払いしてもらう仕組みになっており、かつ第1のポイントにおける「短さ」もあり、顧客獲得時点で獲得費用全額を回収し、かつそれを上回るキャッシュインを実現しています。
 
 第3のポイントは、リピート率です。これが高いほど、顧客獲得費用の負担なしに新たなキャッシュインが生まれます。ここでも驚異的に低い解約率を実現しています。
 
 そして、最後は、オペレーションコストを抑えることですが、これは2,000人のリモートワーカーを5人のスタッフで管理するという離れ業などで実現しています。
 
 以上のように、4つのポイントを述べましたが、これはすべてつながっています。ですから、良い方向に進めばどんどん良くなる一方で、万が一、同社のサービスの評判が悪くなると、すべてのポイントが反対方向に動き出します。常に顧客の期待を上回るサービスを提供し続けるという厳しい道はアントレプレナーの宿命のようなものでしょう。
 

図表5 顧客1社あたりの累積キャッシュフローモデル

資料:黒﨑賢一氏の話をもとに筆者が作成。2枚の写真は黒﨑氏提供。

 
若い起業家への期待
 
 冒頭でも触れましたが、日本は学生を含めて若い人たちの起業がとても少ない。無理して増やす必要はないけれども、このような状況になっている大きな理由は、キャリア教育の中に、自分で事業を起こすという選択肢が入っていないからです。このような状態は健全ではありません。
 
 アントレプレナーに必要な能力はいろいろな形で整理することができますが、仮に、図表6のように整理できたとすると、独創性や創造力、そして新しい時代を捉える力は、やはり若い人が優れています。それは、年齢を重ねるにつれて、「当たり前」と諦めてしまうことが増えるということと関連しています。
 
 個人から個人に荷物を送る時は時間がかかっても当たり前、個人で海外に行く場合に航空運賃が高いのは当たり前、微熱でも熱のある子どもを預かってくれる保育園がないのは当たり前などなどです。
 
 もちろん、図表6で示したように、若い人には知識、経験、ネットワークで見劣りするところはあります。しかし、そこは年齢を重ねた人が若い人を支援することで、世の中の「当たり前」をひっくり返してしまう、第二、第三の黒﨑さんを輩出してきたいものです。
 

図表6 年齢とアントレプレナーが持つ能力

資料:黒﨑賢一氏の話をもとに筆者が作成。

 
 
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、日本中小企業学会幹事、企業家研究フォーラム理事、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
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