国際比較で見ると、日本の専業主婦からの起業は世界でも低い水準にあるといいます。そんな状況にありながら、日本でも起業に取り組んで活躍する女性がいらっしゃいます。今回は日本ではまだまだ少ない専業主婦からの起業を、歴史を振り返りながら取り上げます。[編集部]
専業主婦と聞いて、どのようなことを想像しますか。子育てや家事をしている姿を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、今回のテーマは、専業主婦からの起業です。起業して何をするのか、起業して何を達成したいのかは、起業前のさまざまな経験が大きく影響します。今回は、専業主婦を経験することによって、起業の目的や事業内容にどのような特徴が生まれるのかをも考えます。筆者が観察する限り、それは、(当たり前のことかもしれませんが)専業主婦になったことで諦めたこと、できなくなったことを実現したい、追いかけてみたいという想いにあるように見えます。「子育てをしながらでも働きたい」「短い時間でもよい。外に出たい」……。今回は、そのような気持ちを強く持ち、自分だけなく、一緒に働くパートナーの同じ想いを実現しようとしている五味渕紀子(ごみぶち のりこ)さんを紹介します。
少ないけれどゼロではない
まず、統計やデータの確認から始めます。図表1は、夫婦世帯のなかで、男性のみが働く「専業主婦世帯」と男性と女性が働く「共働き世帯」の数を1980年から2019年にかけてみたものです。
これによると、両者の数は、1990年代に入って逆転し、その後も勢いが衰えず、その差が拡大しています。今では、専業主婦は3人に1人いるかどうかの少数派になりました。
次に、主婦と起業に関するデータを見てみましょう。データはこの連載でいつも使っているグローバル・アントレプレナーシップ・モニター(Global Entrepreneurship Monitor: GEM)の2001年から2017年の個票データです。
ここでは、米国、英国、ドイツの欧米諸国、アジアからは韓国と中国と日本を比較したデータを示しました。いずれも国全体の起業活動の水準は日本よりも高い国です。
図表2からわかることを整理すると、次のようにまとめることができます。
第1にいずれの国でもフルタイム、パートタイム、そして専業主婦の順番で起業活動の水準が低くなる傾向があります。
第2にいずれの就業形態でも日本は他の5か国と比べて水準が低いことです。
第3に米国を除くと、他の4か国の専業主婦の起業活動水準は、(日本が最下位といっても)1%台と他の就業形態ほどの差がないということです。
日本と同様に、他の国々でも専業主婦の割合は減少しています。母数が少なくなる中で、起業活動をする比率も低いのですから、専業主婦からの起業は絶対数でも少ないのです。具体的な数字で見ると、例えば米国は専業主婦1,655人中78人、日本は5,246人中57人、お隣の韓国は4,328人中75人が起業活動に従事しているという結果です(資料は図表2と同じ。つまり、2001年から2017年の個票データによる数字)。
このように専業主婦からの起業は割合の面でも数の面でも少ない、特に日本では、諸外国の中でも最も少ない。しかし、数字では測ることのできない、すなわち質的な面で、専業主婦からの起業には大きな意味があると、筆者が信じています。その理由を次に示したいと思います。
時代を映し出す鏡
筆者の前職である国民生活金融公庫(現日本政策金融公庫)では複数回にわたって主婦を含む女性経営者の調査を行っていました。ここでは、新しいタイプの女性経営者が時代の区分ごとに登場しているという調査結果を紹介します。
戦後の混乱期(1946~1954年)
この時代に創業された女性経営者による企業の典型は、未亡人になった女性、つまり配偶者を失った主婦によるものです。例えば、現在、紙器などの梱包資材を扱う企業を創業した女性は、戦争で夫を亡くし、子供を育てるために最初は日本料理店、そして友人から勧められて現業を始めています。
昭和30年代(1955~1964年)
この頃になると、世の中は落ちついてきましたが、まだまだ第1次産業(農業など)で働く既婚⼥性が主流を占めていた時代です。この時代に起業する既婚女性の典型は、特別な経験を生かした創業でした。例えば、日本を世界にPRするために始めた会社は、アメリカ帰りというキャリア、そして政界の重鎮を父親に持つなど、一般女性にない経歴と家系を持った女性によるものでした。
昭和40年代(1965~1974年)
置かれた境遇、家系や特別の経験を背景とするのではなく、女性ならではの感性を生かしたファッション産業への進出などが見られるようになり、「働くこと」が女性起業のテーマになり始めました。篠原欣子(しのはら よしこ)さん(パーソナルスタッフの創業者)が事業を始めたのもこの頃です。また、当時は30代になったり結婚したりするとフライトできなくなった元キャビンアテンダント(CA)(当時はスチュワーデスと呼ばれていた)が、子供が小学校に入学したことを機に、旅行関係の人材派遣(創業当初は業務請負として受注)を始めたりするケースもあります。昭和30年代ほどではないけれど、篠原さんにしても留学経験があり、元CAにしても当時は今の女性アナウンサー並みの競争倍率をくぐりぬけた人であり、特別なキャリアを経験している女性であることには変わりはありません。
昭和50年代(1975~1984年)
ここまでくると、すそ野は広がり、女性ならではの視点、主婦ならではの感性による新奇性のある事業機会が前面に出てくる起業が増え始めます。例えば、住まいのコンサルタント業や、料理好きのキャリアと主婦経験を生かしたケータリングサービス業などでの起業がそれに当たります。女性ならではの気配りを特長にしたアート引越センターの寺田千代乃さんもこの年代に創業しています。
昭和60年代以降(1985年以降)
女性や主婦ならではの視点や感性を生かした事業分野に加えて、投資顧問やソフトウエア開発など、純粋に成長可能性のある事業機会にターゲットを絞った起業が増えます。ヘリコプターパイロットの養成学校、携帯電話向けのソフトウエア開発といった起業もこの時期に登場しています。
そして、専業主婦の働きたいといったニーズに応える起業は、昭和40年代後半から登場し始め、専業主婦の働きを支える事業、主婦にとどまらず働く女性の子育てを支援する事業などの分野に拡大していきます。
五味渕さんは、このような大きな流れの中で、2000年代になって、主婦が置かれた環境を考慮し、細切れになった時間をつなぎ合わせても、成果が出せるような事業を展開し始めたのです。
株式会社YPP
それでは、ここから五味渕さんがどのような会社を設立されたのかを見てみましょう。最初は会社のプロフィールです。
社名:株式会社YPP(当初はコンサルタント業務を行うつもりで設立したので、Your Partner & Plannerの頭文字を取った。今は事務のアウトソーシングが主力業務なので、Plannerではなく、Playerとしている)
創業(設立):2005年2月
資本金:930万円
本社:東京都日本橋人形町
本部スタッフ:10人
登録メンバー730人
事業内容:事務代行業(事務のアウトソーシング)
もちろん、これだけではどのような会社なのかはわかりません。次に、YPPのビジネスモデルを見てみましょう。
図表4からは、人を雇うほどの業務量はないけれどそれなりの時間を取られる仕事を抱えている会社とフルタイムでは働けないけれど1日数時間なら働ける、家の中なら働ける人をつなげる企業であることがわかります。
五味渕さんが起業したのは、今から15年前ですからネットバンキングは今みたいに発達していません。銀行のATMの前で、何件もの振込を社長自らが行っている風景も珍しくなかった時代です。そのような社長の負担を軽減し、それを働きたくても働けない環境にある人に行ってもらうことでYPPに付加価値が生まれます。そして、働きたくても働けない環境にある人の多くが、五味渕さんと同じ想いを抱いている専業主婦なのです。
それでは、このようなYPPのビジネスモデルを動かすためにはどのようなことが必要なのかを確認します。
①発注する企業
②仕事をしてくれる人たち
が必要なのはすぐわかります。①と②をどのように獲得してきたのかは後述するとして、次に進みます。
③この仕組みを動かすノウハウ
登録者730人に仕事をうまく割り振るためには五味渕さんには何が求められるでしょうか。それは、一つには登録者の技術・態度・志向的能力を把握していることと、もう一つはグループで取り組んでもらう時は最適なチームを作るノウハウです。
一見、簡単そうに思えるかもしれませんが、そうではありませんし、五味渕さんも最初からそのようなノウハウを持っていたわけではありません。最初は失敗も多かったそうです。期日になっても期待に沿ったものが納品されかったり、登録者の能力を高く見すぎたりしています。そこで、サンプルテストを実施したり、仕事の内容次第ではベテランと新人を配置したりするなどの工夫を重ねてきた結果、顧客から信頼される仕事ができる企業に育て上げたのです。
また、そのような仕事に直結する取り組みだけではなく、YPPのホームページをみると、本部スタッフと登録者、そして登録者同士の日常的なコミュニケーションを大切にしていることもわかります。やはり、登録者の能力の把握、登録者同士の組み合わせパターンの多さだけでは長続きしません。それに加えて、YPP全体が大家族のような雰囲気を持っていることが、同社の強みと言えます。
それでは、①発注する企業と、②仕事をしてくれる人たちに戻ります。まず、①ですが、発注する企業を見つけることはそれほど難しくないとのことです。拍子抜けされたかもしれませんが、実際にそうなのです。
「創業時は珍しい仕事なので比較的順調に受注できた」
「今は、類が友を呼んでくれます」
「つまり、書類の整理が苦手な社長の友人には、書類の整理が苦手な社長が多いのです」
とのことです。
ただ、仕事の依頼を受ける時のヒアリング技術はあります。仕事を受ける前には、発注企業から、仕事の段取り等のレクチャーを受けるのですが、その中で、相手企業が「当たり前」と思っていることはレクチャーの対象外になってしまうことが多い。それを防ぐコツも大切とのことです。
最後に登録者の確保ですが、いきなり730人の確保したわけではなく、スタート時は数人でした。ノウハウの蓄積をしながら、社内の能力に合わせて人材を確保していくタイプでしたから、基本的には会社の評判が新しい登録者を呼び込んだのです。その意味では、発注企業を見つけるのと同じかたちで確保していると言えます。
なお、登録者のターゲットは、子育て中の主婦ですが、中には、外出するのが苦手な男性や通勤ができない限界集落に住んでいる人もいます。これは嬉しい誤算でした。
勤め先なんてなくなるといいのに……
ここでは、五味渕さんとはどんな人なのかを紹介したいと思います。驚くかもしれませんが、ひと言でいえば、とても経営者になりそうな人ではありませんでした。
まず体力です。今でこそ、経営者として寸暇を惜しんで働いている五味渕さんですが、生まれた時に大病を患ったこともあり、小さい時は病弱で、「6歳までは生きられないだろう」と言われたそうです。意外です。
次に、家庭環境ですが、こちらも企業経営に関係する人は周りに誰もいませんでした。企業経営をする人は、自分とは全然違う世界にいると思っていたそうです。
そして、勤め始めてからも、営業が大嫌いであったことです。
勤務時代にはこういうエピソードがあります。
「営業が死ぬほど嫌で、アポイントがキャンセルされると、やったぁーと心の中で叫びました」
「通勤途中に会社が火事にならないかな。そうすれば営業しなくてすむのに」
など、少し物騒な話もありますが、それほど営業が嫌いだったのです。
最後に、やや計画性に欠けるところがあります。例えば、地方新聞社の広告営業、ITベンチャー、経営コンサルタント会社に勤務した後、子供を授かり、半年ほどは子育てに専念していましたが、出産後1年も経過しないうちに起業して会社を設立します。
いきさつは次のとおりです。
①ずっと子育てをしていたので家の外に出たくなった。
②出産前にお世話になっていた社長に「無事出産したことの報告に行く」ことを口実に母親に子供を預けて外出する。
③考えていたセリフが出ないで、思わず「仕事ができるようになりました」と言ってしまった。
④「それならまた仕事を頼む」と言われて家に帰る。
⑤子育て中の主婦が仕事を請け負うことになったので、本気度を見せるために会社を設立した。
⑥その後、経営コンサルタントの仕事は縮小し、現在のビジネスが中心になった。
病弱な子供が元気に成人し、営業が大嫌いなOLが多くの取引を必要とする会社を経営し、出産の挨拶に行って仕事を受けてしまう。波乱万丈の人生です。
アントレプレナーシップの本質が見える
ただ、ここで誤解しないで欲しいことは、五味渕さんの悪口を書いているのではないということです。アントレプレナーに必要な資質の一つに、「まず行動し、外部環境に働きかける。そして、そこから得られたフィードバックをもとに次の作戦を考える」というものがあります。
経営とは不確実な環境の中で進めていくものです。それに対応するためには、①将来に対する完璧な情報が集まった後に行動する、②仮説に基づいた計画を立てて、その計画に従って進んでいく、③少しずつ行動し、外部からの反応を見ながら進んでいく(図表6)、という3つの方法があります。
状況によって、それぞれが有効に機能しますが、アントレプレナーシップの多くの場合は、③が有効と言われていますし、この連載で紹介した起業家のほとんどもそうでした。
筆者は、主婦から起業した人の特徴のひとつに、「思い切りの良さの中での慎重さ」「急いで大きくしない」ことがあると思っています。この「慎重」「急がない」という行動特性は、無意識のうちに、「少しずつ行動し、外部からの反応を見ながら進んでいく」ことにつながり、自然と不確実な環境下での最適な行動につながっているのではないかと考えます。
その意味で、五味渕さんの行動特性は、まさにアントレプレナーシップの本質を突いています。
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業