本は燃えやすい。社会的にも燃えやすいが、物理的にも燃えやすい。カエサルのアレクサンドリア図書館の焼き討ち、中国の秦帝国やナチス・ドイツによる焚書など、文化の抹殺の象徴は「本を燃やす」こと。つまり本は燃やしやすい物質だということだ。
実は「本を燃やす」という行為には三億年超の地球の歴史が宿っている。地上にどのように生物が上陸し、どのように現在のような生態圏ができあがり、さらに人類がなぜ産業革命を起こすことができたのか? 鍵を握るのは陸上植物と菌類の関係性だ。今回は小川真『カビ・キノコが語る地球の歴史:菌類・植物と生態系の進化』(築地書館、2013年)を取り上げながら人類と樹木、菌類の関わりを掘り下げてみたい。
本は印字された紙を束ねたもので、紙はパルプからできている。パルプは木材のチップに熱と圧力をかけて繊維状にしたもので、この繊維の主成分はセルロースやリグニンという物質である。これらは、樹木が重力に逆らって垂直に立ち上がるための構造材のような役割を果たしている。ちなみにリグニンは紫外線による変色の原因になるので、本に使われる上質紙はほぼセルロースのみを取り出したものだ。
さてこのセルロースやリグニンは、複雑に化合した炭水化物。もっとわかりやすく言えば、超複雑に絡まりあった糖分の鎖だ(炭水化物=糖質+食物繊維)。植物は光合成を使って空気中から炭素を取り込み、炭水化物≒糖分を蓄積する。蓄積した糖分を複雑に化合させることで硬い繊維物質をつくりだし、それによって重力に逆らって垂直に伸び、太陽光をより多く取り込もうとする。海中にも光合成を行う藻類などがいるが、重力の影響を受けにくいので硬い身体をつくる必要がない。紙の原料になる硬い炭水化物は、光合成する植物の先祖が、地上に上陸した時に発明したものなのである。
セルロースをリグニンで接着してできる樹木の構造は安定性が高く、めちゃ硬い。硬いということはつまり「分解しづらい」ということだ。この特性により、他の生き物に食べられないように身を守ることができる。法隆寺の五重塔が千年以上もその姿を保っていられるのも、古代の古文書が現代でも読めるのも、植物が陸上で繁栄するために編み出しためちゃ硬い繊維物質のおかげなのだ。
そして。この繊維物質は分解されにくいと同時に、光合成により空気中から取り込んだ炭素を含むので酸素と結びつきやすい=燃えやすい。高温状態で酸素と一緒にさらされると高速で酸化が進み、さらなる熱とガスを発生し炎上する。五重塔は千年以上腐らないが、放火されるとあっという間に燃えてしまう。本が燃えやすいのは、紙がそもそも炭素化合物であるがゆえの宿命なのだ。
3億6000万年ほど前の石炭紀。地球上に初めて森ができた時代だと言われている。セルロース=リグニンの構造が完成し、植物はどんどん硬くなり、太くなり、上に伸びて樹木となり(ソテツのような裸子植物が多かったらしい)、それが林立して森になった。その後次々と枯死した樹木=木材が積み重なって地上は木材で埋め尽くされていった。エネルギー循環の観点から言うと、炭素が樹木の死体に蓄積され、同時に光合成によって排出された酸素が大気中に充満。二酸化炭素が減少し酸素が爆増!という現代とは真逆の現象が起こったのだ。この頃大量に枯死・倒壊した樹木が沈殿し、長い時間をかけて化学反応を起こしてできたのが石炭だ。3億6000万年〜3億年前のこの時期は、森が大繁殖し、樹木の死体(炭水化物)が石炭として地下に蓄積されたので石炭紀と名がつけられた。
広大な森が生い茂り、酸素で満ちた世界……と書くと素晴らしい世界のように思えるが、実際は樹木の大繁栄によって地球の生態系はピンチを迎える。石炭紀に続くペルム紀(3億年〜2億5000万年前)になると、大陸プレートの動きが活発になり、火山活動も激しくなる。それにともなって大火災が頻発したらしい。今よりも酸素濃度がずっと高いわけなので、一度山火事が発生するととんでもないスピードで拡がっていく。そして発生した煙に上空が覆われ太陽光が遮られ、気温も下がり……という悪循環から環境が急速に悪化。生物のほとんどが死に絶えるペルム紀の大量絶滅の一因となったとする説がある。
この緊急事態の時に頭角をあらわしたのが、僕の専門とする菌類(カビやキノコ)だ。それまで誰も分解することができなかった堅固なセルロースやリグニンを消化・分解するタフなヤツが登場した。木材を分解し土や大気に還元するという、地上における「生物の分解サイクル」ができあがった。これにより炭素が地中に蓄積され、かつ大気中の酸素が増え続けるという悪循環が断ち切られることになった。
石炭紀からペルム紀にかけての危機を乱暴に要約するとだな。植物の防御力が強くなりすぎて誰も樹木を分解することができず、地球の物質循環のバランスが崩れた、ということだ。この突出した防御力を突破したのが、菌類のスーパーストロングな消化分解酵素なのだね。菌類の進化によって全地上が山火事で燃え尽きる大惨事が結果的に防がれることになった。地上に酸素をもたらした植物も偉大だが、その植物を分解することができた菌類もまた偉大である。
今僕たち人類がお世話になっている石炭は、石炭紀と次に続くペルム紀にその大半が作られ、以降はほとんど新規に作られることはなかった。それはつまり、ペルム紀以降に菌類が繁栄し、炭素の循環システムが安定していったという証でもある。地上に平和をもたらしたのは、カビとキノコだったのだ。
木材を雨ざらしにしておくと、湿気を好むキノコや腐朽菌が木材を分解して土に還してしまう(木造建築で雨漏りが致命傷になる理由でもある)。これに近いことが本でも起こる。古本屋や図書館などで本がカビ臭くなるのは、繊維物質を菌類が分解しているからだ。試してみたい方は手持ちの本に水のスプレーを吹きかけて放置してほしい。青や黒のカビが本格的に生えてきて紙が腐っていくはずだ。この現象もまた石炭紀の地球の危機を乗り越えた菌類の進化の名残なのだ。
植物と菌類、そして我ら人類の運命の歯車を考えると大変興味深い。もし菌類の進化がもっと早くに起こっていれば石炭は生まれず、近代の産業革命は起こっていなかっただろう。菌類の進化がもっと遅れていたら、地上は焦土となり、僕たちは魚の末裔として海中で生きていたかもしれない。運命の鍵を握っていたのは、樹木の「分解されづらく、燃えやすい」という性質だったのである。そしてこの性質が紙=本を生み、人類の叡智を保存する役割を果たし、暴君がその叡智を滅ぼすために本に火を放った。
カビよ、さもなくば全てが燃え尽きん……!
【追記1】木材の構成要素にはセルロースとリグニンの他にヘミセルロースという物質もあるのだが話をシンプルにするため割愛した。なおこの3つのなかではリグニンが最も分解しづらく、菌類がリグニンを完全に分解する酵素を獲得するのはジュラ紀までかかったそうな。樹木の防御力、恐るべし……!
【追記2】『カビ・キノコが語る地球の歴史』は生物サイドから見た石炭紀の話で、地球物理のサイドからも理解するのが望ましい。今回の記事は鎌田浩毅『地球の歴史(上中下)』(中公新書、2016年)や、大河内直彦『「地球のからくり」に挑む』(新潮新書、2012年)を参考にした。
【追記3】小川真さんは菌類と植物の関係性を専門とする、国際的に活躍する生物学者。この記事を読んで菌類に興味をもたれた方は『きのこの自然誌』新装版(築地書館、1997年)や小川さん訳のニコラス・マネー『ふしぎな生きものカビ・キノコ:菌学入門』(築地書館、2007年)などを読まれたい。
《バックナンバー》
[第0回]ご挨拶
[第1回]逃避としての読書、シェルターとしての書店
[第2回]「たまたま」のレトロスペクティブ ① 粘着ダーウィン、意味を破壊する
[第3回]「たまたま」のレトロスペクティブ ② スペンサーは本当に弱肉強食を唱えたのか? 粘着ダーウィン、意味を破壊する
[第4回]「たまたま」のレトロスペクティブ ③ 「人は意味なしで生きていけるか?」とクンデラは問うた