起業家を目指している皆さん、起業家になるためにはどのような能力が必要だと思われますか。そしてその能力を身に付けるためにはどのような経験が必要だと思われますか。今回は、起業家になるために求められる能力を考えてみます。[編集部]
筆者は全15回の授業のうち10回以上をアントプレナーによる講演中心の授業を、2020年度から前期と後期で展開しています。また、それ以前からも、授業内、授業外を問わず、機会があればアントレプレナーの話を学生に聞かせるようにしてきました。そして、講演後、いろいろな質問が出るのですが、他の質問にはスラスラと答えていた起業家が、ちょっと困ったような顔をする瞬間があります。それが、「起業家になりたのですが、今、どのように過ごせばよいですか」「起業家になるためにどのような経験や能力が必要ですか」という質問をされた時です。「自分は今までいろいろな経験をしてきたけれど、これらは本当に起業家になるためだったのだろうか」「確かに、ある時から、起業家になろうと思ったけれど、自分の体験は特殊なものであって、他の人にとって役に立つのだろうか」という思いが、回答までのタイムラグに表れているのではないかと、筆者は解釈してきました。今回は、このような話題に関連して、改めて起業家になるためにはどのような能力、そしてそれを身に付けるためにどのような経験が必要なのかを考えてみたいと思います。
アントレプレナーに関する2つの研究
アントプレナーに関する研究を大きく2つに分けると、1つはどのような人がアントレプレナーになりやすいのかを調べることです。つまり、アントレプレナーになる「前」の属性や行動特性に関する研究です。もう1つは、アントレプレナーはどのような行動を取るのかを調べることです。こちらは、アントレプレナーになるための具体的な準備活動や起業「後」の活動に関する研究です。
前者の例としては、男性と女性のどちらがより起業しているか、両親が自営業の方が勤め人である場合よりも起業する割合が高いのかなど、属性の違いによって起業家になる割合が異なるのかどうかを調べるものです。性別、親の職業の他、学歴、年齢、住んでいる地域、親の資産などさまざま属性別のデータを調べます。また、属性以外にもどのような行動特性を持つ人がより起業するのかも調べます。
後者の例としては、資金調達を実施したのかどうか、実施した場合はどこから資金を調達したのか、ビジネスプランを作成したのか、経営者チームのメンバーを頻繁に入れ替えたのかなどを調査することです。そして、これらの活動が起業活動のパフォーマンスにどのような影響を与えたのかも調査テーマになります。
起業家に至るまでの道筋は十人十色
ここで学生の起業家に対する質問に戻ると、それは前者のテーマに含まれる問いかけになります。アントレプレナーになる「前」段階の学生からすれば、当然と言えますが、起業家からすると、これがなかなか答えるには厳しい質問になります。
自分の属性、自分が起業前にやってきたことが起業家Aさんの起業につながったことは確かですが、だからといって、学生のBさんの起業につながるとは限らない。これはある意味、やむを得ないことです。起業家Aさんと同じ属性で、同じ行動特性を持っている人でも起業家にならない人は数多く存在します。つまり、必要条件は示せても、十分条件を示すことはできません(図表1)。
ただし、プロ野球選手になりたい、プロのサッカー選手になりたいという場合であっても、図表1と同じようなことが起きます。小学校時代はリトルリーグに所属し、中学校時代はリトルリーグと部活、高校時代は甲子園を目指し、さらに進学する場合は大学野球リーグで活躍するような選手になるといったモデルコースがありますが、例えば甲子園まで進んでもプロ野球選手になれるのは一握りの高校生に過ぎません。
それでは、起業家とプロ野球選手との違いはどこにあるのか。決定的に違うことは、起業家の場合、図表1で示した円グラフがたくさんあることです。「円グラフ」というと、誤解を招く恐れがあるので、「図表1で示したような円グラフだけではなく、様々な形の図形がたくさんあること」ですと言い換えた方がいいでしょう(図表2)。
普段、私たちは、「○○になりたい、△△をしたい」と思い、その疑問を誰かにぶつける時に、その多くにはある回答がすでに存在しています。先ほどの、プロ野球の例の他にも、「××高校に合格したい」「☆☆大学に入学したい」と言えば、最終的に夢が叶うかどうかは別にしても、具体的なアドバイスが得られると思います。
しかし、起業家の場合は、起業家になるまでの道筋は人それぞれです。当然、その過程で形成される能力も一通りではありません。越前刃物の職人として起業を目指す人と、人工知能(AI)を使って新しい損害保険の申請システムを考える人、世界を飛び回ってその地域ならではの食材を探し、それらを日本に紹介するビジネスを計画している人では、起業家になるために経験しておくことが全く違いますし、その過程で育成される能力も異なってきます。
図表2のように、人生の数だけいろいろな経験をし、その過程でさまざまな能力が形成される。そしてそれぞれの中で、同じような経験をした人たちでも、起業家になる人もいれば、ならない人もいるのです。
2つの能力(起業家になるための能力と起業家に求められる能力)
話が混線する前に、今回と次回はどのようなテーマを扱うのかを整理しておきます。連載のタイトルにあるように、テーマは起業家になるための能力と起業家に求められる(起業家になった後に求められる)能力です。そして、筆者は、この2つの能力は切り離して考えた方が良いのではないかと考えます。
前者、つまり起業家になるための能力、起業家になりやすい属性とは何かは魅力的な問いかけではありますが、明確な回答はなかなか見つかりません。研究の世界でも、1989年に「起業家の属性を調べたりするのはやめよう(Who Is an Entrepreneur? Is the Wrong Question)」というタイトルの論文がウィリアム・ガートナー(William Gartner)によって発表され、そこでは「どういう人が起業家になりやすいとか、起業家に共通する属性探しはやめて、起業家の行動分析を中心とした研究に切り替えるべきである」ことが主張され、アントレプレナーの研究は、起業準備段階を含む、起業プロセスにおける具体的な行動分析にシフトしてきました。
十人十色の部分で何か結論を出そうとするのではなく、ある程度共通性が観察される起業プロセスに焦点を当てようとするものです。確かに、実際に起業家の人たちの話を聞くと、起業する前の経験はバラバラなのに、起業した後の行動や考え方には、共通点がとても多いことに気づきます(図表3)。
不思議ですね。その答えの1つが、「起業家は学習するから」です。この連載の3回目の最後に、「アントレプレナーシップ(起業活動)がアントレプレナー(起業家)を育てるのです。アントレプレナーとして生まれる人はいません」と書きましたが、この部分は次回(第15回)で詳しく話します。
東京カメラ部株式会社 塚崎秀雄さん
以上のような背景があって、「起業家になりたいのですが、今、どのように過ごせばよいですか」「起業家になるためにどのような経験や能力が必要ですか」と尋ねられても、「まあ、頑張りなさい」とか「学生なのだから、いろいろなことを経験してみることだね」のような回答しかできなかったのですが、今年の5月21日に筆者の勤める大学で講演された東京カメラ部株式会社の創業者である塚崎秀雄さんは違いました。学生にとっても、具体的な行動指針になるようなことをとても明快に述べられ、目から鱗が落ちるような気持ちで聞かせていただきましたので、ここで取り上げたいと思います。
まず、東京カメラ部株式会社と塚崎秀雄さん(図表4)の紹介です。
東京カメラ部は写真愛好家の方であれば、一度は名前を聞かれたことがあるはずですし、実際に投稿された方も多いと思います。東京カメラ部には、毎日4万点の写真が集まり、その中から選ばれた7~8点の作品が毎日掲載されるという、写真の投稿サイトとしては質量ともに比類なきものと言っても過言ではありません。「奄美・沖縄フォトコンテスト」、「ぎふの旅フォトコンテスト」、「全国工場夜景フォトコンテスト」などSNS上のイベントを連続的に開催し、そこにも数多くの写真が投稿される仕組みになっています(図表5)。
東京カメラ部の本業は、SNSの運営代行であり、キャッシュフローのほとんどはここから生まれます。かつては、顧客の名前をなかなか出すことができず、営業する時に苦労されたそうですが、今は、すべてではないにしても、同社のホームページに紹介できるようになりました。民間企業ではアメリカン・エキスプレス、オリンパス、キヤノン、JR東日本、トヨタ自動車、本田技研工業などが名を連ね、自治体では石川県、広島県、帯広市、北上市、長浜市などがあります。
図表6の上の2つの部分で収益を生み出し、カメラマンのマナー向上のキャンペーンなどのメセナ的活動で信頼や信用を生み出しているビジネスモデルと言えます。
現在までの道のり
次に、塚崎さんのキャリアを紹介します。彼は大学を卒業した後、東証の名で知られる、株式会社東京証券取引所に就職します。配属された部署で任された仕事が、株式取引における企業の不正を調べることで、ここで「会社のため」と思い、「不正」をしながら働くことの不条理さを目の当たりにします。しかし、この段階では起業は彼の頭の中にありませんでした。
英語が得意で優秀であった彼は、間もなく企業派遣で、世界のトップ10内にランクされるカリフォルニア大学バークレー校 ハース・スクール・オブ・ビジネスに2年間留学します。企業派遣といっても、試験自体は一般受験生と同様に受験した上での合格です。米国のトップビジネススクールですから、同級生に起業を考えている人が数多くいたことは容易に想像ができます。そこで、東証を「頑張れば幸せになれる会社」「外部環境の変化や成果ではなく頑張ったかどうかで評価される会社」に変えようと思っていた気持ちに変化が現れるようになったそうです。「今の東証が良いと思っている人もたくさんいるのに、それを自分が変えてしまって良いのか」と考えるようになり、理想とする会社を自分でつくろうと決心しました。
帰国後間もなく、世界的なコンサルタント会社であるA.T.カーニー(現KEARNEY)に転職し、不足していたマネジメント経験、ネットワークを身に付け、さらに業界経験を積むためにSONYで音楽配信技術企画とWalkmanの商品企画の仕事に携わり、1億円以上の資金調達を行い、2007年に今の企業を立ち上げました。最初の社名はWillVii(ウィルヴィィ) で、デジタル家電商品のクチコミ情報に特化したソーシャルブックマークサービス「みんぽす(みんなのポスト)」の運営と家電の価格予約型ショッピングサイト「プラボ(プライスボード)」の運営を行っていましたが、ビジネスモデルの変更に伴って、2017年に現在の社名となっています。
ビジネスモデルの変更、そして社名の変更を行ったことから想像できるように、創業後も相当な苦労をされています。そのような彼の言葉なので説得力があったのかもしれませんが、筆者が起業家を目指す学生の心に最も響くメッセージと感じたものでしたので、次に紹介します。
塚崎秀雄さんの5原則
1 今の仕事に集中しなさい、手を抜くな
塚崎さんは、確かに、A.T.カーニーとSONYは起業のための修業の場でしたが、だからといって、そこで手を抜いたりしていません。だからこそ、両社での上司が東京カメラ部の顧問に就任しています。しかも、SONYの上司とは、ヒラ取締役から14人抜きで社長に就任されたことでも話題になった出井伸之氏です。見ている人は見ています。普通の人、つまり特別なコネや人脈がない人が信用、信頼を築くには、それしかありません。
2 いま得になるかどうかで判断するな
塚崎さんの今の仕事には、彼の過去がたくさん生かされています。例えば、学生時代から一眼レフカメラを使っていたことや美術館めぐりをしていたこと、そしてSONYで商品企画をしていた経験などです。しかし、これは東京カメラ部の事業に役に立つからと思ってやっていたのではありません。連載の第12回と第13回でも紹介したアントレプレナーシップの研究者であるサラス・サラスバシーも、先のことはわからないことを前提に行動することの重要性を強調しています。確かに人づきあいでも損得で考えるときちんとした人脈は築けません。
3 己を知りなさい
塚崎さんは起業する前に二度転職しながら、足りない知識や経験を補っています。しかし、そのような「己の知り方」に加えて、自分、そして自分を取り巻く現状を素直に認める力なのだと思います。私たちは、どうしても現状を自分の都合の良い方向に解釈しがちです。「自分だけは違う」「自分は特別」と思わない謙虚な気持ちの重要性です。
4 本を読みなさい
これはわかりやすいですね。本には普通の人が一生かかっても獲得できない知識や情報が詰まっています。これを利用しない手はありません。
5 体力をつけなさい
そして、最後は体力です。塚崎さんは、起業したばかりの時から、万が一、この事業に失敗して再び勤め人になっても、家族を養っていける自信はあるのだと話されています。その条件が体力です。
この5つの原則を聞いて、皆様はどのように感じられたでしょうか。
これって、起業家になるかならないかに関係のないことじゃないか
当然のことだよね
そのように思われた人もいるかもしれません。その通りです。
しかし、だから素晴らしいのです。
筆者はそう思いました。「起業家になるために今、どうすればいいのか」という問いかけに、「頑張りなさい」という漠然すぎるアドバイスでもなく、だからといって、「社長のカバン持ちをしなさい」という起業家というキャリアを意識しすぎた助言でもありません。
ちょうどその真ん中。そこがいい。
なかなか表現できなかったことを言い表した「塚崎秀雄の5原則」です。
塚崎さんとの四半世紀前の出会い
私事になりますが、筆者が塚崎さんと初めて会ったのは、1996年夏でした。もう25年前のことになります。ビジネススクールの新学期は9月から始まりますが、そのための準備期間として、ミネソタ州のダルースというスペリオル湖畔の小さな町で研修を受けている時でした。たまたま寮の部屋が階段の踊り場をはさんで向かい側であったこともあり、時々、話をする機会がありました。
それ以来、帰国してからも数年に一度、ダルース会という当時の留学仲間との会合でお会いしたり、大学にも今回を含めて計3回来ていただいたりしています。
今回は、起業に興味のある学生、将来起業を視野に入れている学生に伝えるメッセージとして、とても素晴らしいことをお話しいただきましたので、紹介しました。
残念なことは、このようなシンプルなメッセージは、本人の生の声で、つまり直接話法で聞くのと、間接話法で聞くのでは伝わり方が全然違うことです。これは筆者の力不足ですが、それでも伝えたかったという気持ちを汲んでいただければと思います。
次回は、起業した後に、起業した企業を倒産させない、そして発展させるためにアントレプレナーに求められる能力について考えます。
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業
⑩ビジネスの世界だけではない
⑪不思議の国の企業活動:「日本」
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか
⑬起業後のリスクや不確実性への対応
⑭起業家になるための能力・起業家に求められる能力(1)