サンスティーンとセイラーが広めた「ナッジ」という考え方、そのベースにあるリバタリアン・パターナリズムという理論。この視点を中心に、自由や幸福、社会制度、私たちの生活をめぐって、京都大学教授の那須耕介さんが「いま、ちゃんと話を聞くべき人びと」に会いに行ってきました。

 
法哲学をご専門とする、京都大学教授・那須耕介さんが、2021年9月7日、お亡くなりになりました。2017年に初期の膵臓がんが見つかり、手術を経て、抗がん剤治療などに取り組んでいらっしゃいましたが、2019年に再発。さらなる治療を続けられましたが、2021年8月半ばより容態が悪化し、9月、永眠なさいました。
 
これまで、勁草書房では、2005年に足立幸男編著『政策学的思考とは何か』「第七章 政治的思考という祖型――政策学的思考はどこから出てくるのか」執筆者、2012年にキャス・サンスティーン著『熟議が壊れるとき』編監訳者、2019年にけいそうビブリオフィル連載「めんどうな自由、お仕着せの幸福」対談ホスト、2020年に『ナッジ!? 自由でやっかいなリバタリアン・パターナリズム』共編著者、同じく2020年に刊行記念トークイベントおよび電子書籍『ナッジ! したいですか? されたいですか?』登壇者・著者、『法の支配と遵法責務』著者として、たくさんの仕事に携わっていただきました。
 
このインタビューは、『ナッジ!?』の企画が立ち上がり、那須さんが対談連載用の取材を始める前に、「那須さんに話をうかがっておきたい」という『ナッジ!?』共編者の北海道大学教授・橋本努さんのお申し出によって実現しました。写真はすべて2018年のインタビュー当日に撮影したものです。那須さんがどのように考え、どのように研究をしてきたのか、ぜひみなさんにもお読みいただければと、ご遺族の了解を得て公開いたします。53歳という若さで亡くなった那須さんのご冥福を、心より祈ります。[編集部]

 
 
 
橋本努: 2018年6月24日、私たちは京都大学の吉田泉殿の施設に来ています。今日は那須さんにあらかじめ準備した項目10項目にお答えいただくということで、始めたいと思います。
 
那須さんと私は、2017年にともに50歳になりました。50歳になった現時点で、那須さんがこれまでの研究生活を振り返り、また今後を展望するとすれば、どのような景色がみえてくるでしょうか。これはもしかすると最後に聞くべきかもしれないことですが、まずはざっくばらんに振り返る感じでお答えいただけるとうれしいです。
 

那須耕介(なす・こうすけ)
1967年生まれ。京都大学教授。法哲学。著書に『多様性に立つ憲法へ』(2014年、編集グループSURE)、『現代法の変容』(共著、2013年、有斐閣)、共訳書に『メタフィジカル・クラブ』(ルイ・メナンド著、2011年、みすず書房)、『熟議が壊れるとき』(キャス・サンスティーン著、2012年、勁草書房)ほか。2021年9月7日逝去。享年53。

那須耕介: 言い訳はしないでおこうときめてきたけれど、言い訳になるかもしれません。
 
ぼくは、研究者としての仕事はできてないです。理由のひとつは、最初に就職した大学が教育一本でいかざるをえない環境だった。でも、教育はやりだすとおもしろい。かなりコミットして、それで学問観が変わった感じがあります。30年前なら大学に入っていないだろう人たちを集めた大学で、彼らに向かって話すことが先にあって、そのなかで考えるようになった。研究が先にあってしゃべるのではなくなった。講義で学生の反応がいいなとか、自分でおもしろくなることがある。そういうものを手がかりにして考えて、いわば自分のファイルのなかに入れていくようになったんです。
 
ただ、そういうやり方だと、なかなか論文が書けない。最初に就職してからの10年間くらいで、自分の形ができた気がする。京大にもどったら研究者スタイルになるかというとそうではない。でもネガティブに考えないで、逆にそういうスタイルでできることを考えたいと思ってます。
 
もうひとつは、生涯かけて「こういうことをやるんだ」ということが考えられない。こっちもおもしろいとなったら、膨らましてみようということになる。それは教育の問題だったりする。ひとつひとつのテーマへは、ネタから入っていく。それから、「論文になりにくいかもしれないけれど、自分にしか考えられない」ことに興味がなくなってくる。「これだったら誰だってわかるはずだ」というところまで自分の中でブレークダウンできたものが、自分のモノになるという感じ。教壇でしゃべっていると、やっぱりそういう感じになる。そこは今後もあまり変わらないところだろう。「なにをやるか」より、「どういうふうにしてやるか」が大事なんです。このスタイルを崩すと、やりたくないことをやってしまうんじゃないかと思っています。
 
だから、一方では諦めきれずに学会の人たちとつきあって、研究会になるべく出ていたけど、そこで、「こういうことをやるからあなたも考えてみないか」という声をかけられると、そこで宿題としてもらったものを、もういっぺん講義でしゃべれるかどうかと考えて、一から勉強する、という繰り返しでした。だからあまりテーマに一貫性がない。ただ料理の仕方はいっしょだった。
 

橋本 努(はしもと・つとむ) 1967年生まれ。北海道大学大学院経済学研究院教授。経済社会学、社会哲学。著書に『自由原理:来るべき福祉国家の理念』(岩波書店、2021年)、『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』(筑摩書房、2021年)、『解読ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(講談社、2019年)、編著書に『現代の経済思想』(勁草書房、2014年)、橋本努編『ロスト欲望社会:消費社会の倫理と文化はどこへ向かうのか』(勁草書房、2021年)、訳書にR・メイソン『顕示的消費の経済学』(名古屋大学出版会、2000年)ほか。

橋本: 今後の展望はまたあとで別に聞きたいと思います。次に、学部時代、あるいは大学院生時代に、研究の初発の関心となったのは、どのような問題でしたでしょうか。とくに最初の論文「行政過程論」では、どのようなことを論じられたのでしょうか。
 
那須: これはね、橋本さんにお話しするのは初めてかもしれないけれど、修士論文は(フリードリヒ・)ハイエクでした。しかも方法論的なところに関心があった。だから橋本さんの本(『自由の論法』創文社、1994年)が出たときにひっくりかえってね。当時は嶋津(格)さんの本とか、リベラル-リバタリアン論争とかが話題になっていて、しかもリバタリアンのデビッド・アスキューが当時大学院生で近くにいて、彼なんかとしゃべりながら、最初の入り口を作っていきました。
 
ただ正義論にはあまり興味がもてなかった。それは、自分の先生の田中(成明)先生の影響もいくらかあるかもしれないけれど、正義論は大事だけれども、法哲学やるなら法理論をやりましょう、と。ただそこで、ぼくはいわゆる法律家同士の議論には入っていけなかった。法律学をすべて共有した人たちのパラダイムには乗れなくて、その舞台がどうやってできているのかにむしろ関心をもったんです。どうしたら舞台のゲームに乗れるのか、と。
 
そこから先は、「法の支配」の話になっていくわけで、ハイエクの「法の支配」がいちばんわからなかった。公表論文として最初に書いた行政過程には、ハイエクは出てこないけれど、隠れモチーフとしてはハイエクでした。「法の支配」の問題を、現代の福祉国家でどう活かすかということが最初のモチーフ。
 
橋本: 修士論文でのハイエク研究と、この最初に公表した行政過程論は、どうつながっているんですか?
 
那須: 「法の支配」ということでつながっているといえばつながっているけれど、行政過程について論じたときは次のように問題を立てました。基本的な枠組みでは、立法と司法で「法の支配」を考えるのがベースで、でもそうすると、どうしても(ロナルド・)ドゥオーキンのような超人的な裁判官を理念として想定することになるけど、そしてそれはまた、ハイエク的になるかもしれないけれど、しかしむしろ、全体を見わたす人がいないところで、ある種の見えない組織というものが、結果としてプロセスのなかで、ある種の共同的な「法の支配」を実現するということがある。そのプロセスがどう可能になるか、という問題を立てました。
 
「法の支配」にとっては敵対的というか、そりがあわないといわれてきた行政と、「法の支配」の関係の問題を考えたいと思った。いわゆる行政機関の裁量の話は、「法の支配」に全面的に敵対的でもなければ、味方でもないけれど、その分かれ目はどこにあるかという問題です。
 
橋本: その結論はどうなりましたか?
 
那須: 個別状況に抽象ルールがどう適用されるのか。現場の人間が裁量を行使しないと、抽象的なルールは適合的に判断できない。実際はあるルールを捨てたり、狭めたりということを現場の官僚がする。ぼくは、足立幸男先生にお世話になっていたので、政策の執行過程を勉強する機会があって、それで複雑な状況でさまざまなルールがどうなっているか、ということに関心が向いた。
 
橋本: 行政ではいろんなケースがあって、それをプラグマティックに描くという感じだった、と。それで、どの行政過程がいいとか悪いとか、評価したりしましたか?
 
那須: そこまでいかなかった。ある基準を満たせば、という状況適合性のアイディアをもつまでです。実際のところ、田中先生の評価では、ぼくの議論は行政法の人たちがどういう議論をしているのかという、法律学的な議論が不十分とのことでした。しかし、多数の人たちが全体をコントロールすることのできない環境があってはじめて、法が法として生きたものになる。行政過程もそういうもので、行政過程が単純なトップダウンでは、そういうプロセスを阻害することがある。いい民法批判だけやっていればいいということではない。
 
橋本: たとえ裁量的なものであれ、中央で統制されてないような仕方で行政過程が動くと。
 
那須: それは社会学でも、そうとう研究がある。いわゆるストリート・レベルの。とくに警察研究なんかである。そういう場面で、法の自由な取捨選択がなければ、ストリート・レベルに着地しない。上手に着地させている研究者たちは、上手に自分たちの材料を活用している。窓口官僚のいい仕事とはなにか、そういうモデルを作っている。
 
橋本: これまでご自身の思想形成において、影響を受けてきた人、あるいは著作などはありますか。例えば、編集グループ〈SURE〉の「シリーズ・この人に会いたかった バーリンという名の思想家がいた」や「セミナーシリーズ鶴見俊輔と囲んで 那須耕介・ある女性の生き方・茅辺(かやべ)かのうをめぐって」で論じられているように、那須さんは、アイザイア・バーリンや茅辺かのうから、大きな影響を受けていらっしゃいますか。またそれは、ご自身の思想形成のなかで、どのような意義をもったでしょうか。よろしければ、このシリーズ企画の背景もお話しください。
 
那須: これも気をつけないと話が長くなるんですが、切り取って、方法の問題でいうと、このやり方が気に入っているのはたしかです。ライブで反応をみながらしゃべるのは、ひとりで原稿を書くより性に合っている。聞き手が学生ではなくて、いろんな人たちがいるのはすごく楽しい経験ですね。理想としては、街頭演説みたいにしゃべって、おもしろいことがいえるか、です。これはそういう機会になっている。講義より力が入って、緊張する。準備も一生懸命やる。いままでこのSUREから3冊出していて、茅辺さんのこととバーリンのことと、もうひとつは憲法の話です。
 
橋本: するとこのバーリンと茅辺さんは、那須さんにとって重要な二人なんですか?
 
那須: とくにというと語弊があるかもしれないけれど、茅辺さんは、ぼくが強く影響を受けた運動のなかのひとりです。その運動とは、鶴見俊輔さんがずっと京都でやっていたサークルのことです。
 
ぼくは、大学に入ってすぐこのサークルに行きはじめた。「家の会」というのですが、このサークルは1962年ごろからスタートして1990年代までつづいた。ぼくの高校時代の恩師がそこに出入りしていて、それで知る機会があった。仲良くなった友人が独自にそこに入っていたりもした。いろんな世代の人がいて、主婦の人もいる。
 
月1回、おしゃべりをする。かわりばんこに好きな話をする。雑談をする。勉強会というか。茅辺さんもそこに来ていて、そこで仲良くなった。学校じゃないところに学校がある。そういう場所で、ものを考えたり話したりするという経験が、自分にとって大きい。
 
鶴見さん個人の影響もあるけれど、鶴見さんがああいう場所を大事にしていたということからの影響でしょう。学校というものを相対化するということに役立った。
 
橋本: サークルには毎回、何人くらい来ていましたか。
 
那須: 多いときに20人くらい。だいたい10数人くらい。
 
橋本: そのなかで、思想家とか人物でいうとどんな方がいましたか。
 
那須: いわゆる有名な学者もくる。「家の会」なので、寺山修司がきてしゃべることもあったようです。ぼくは高校時代、寺山修司にかぶれていたんで感激したりしましたが。上野千鶴子さんとかもきたけど、基本的には、ふつうのサラリーマン、ふつうの主婦とかが、がかわりばんこにしゃべる。
 
じつは公務員がひとりいた。「家の会」をつくるきっかけになった人です。SUREという編集グループの代表というか、北沢恒彦で、その娘が北沢街子さん。彼が、京都市の市役所に勤めていて、商店街の相談役をしていて、絶対に昇進しないという。かなり強固なマルクス主義者だった。なおかつ組合にも、本筋では加わらずにいた。商店街を歩いて、ひとりで勉強する。商店街の話にバシュラールとかハイデガーとかが出てくる。そういう市井の人たちから影響を受けた。学校にいないと勉強できないわけではない。そういう人たちと一緒に考えていけるということです。
 
橋本: なるほど。
 
那須: 茅辺かのうさんもそういうなかで出会って、そのときは知らなかったけれど、しゃべっているうちにわかったんですが、彼女は京大の女子学生1号で、途中でやめて、東京でアナキストやって、北海道で肉体労働やって、それで京都に帰ってきたという。非常に驚いた。
 
橋本: 那須さんのこれまでの研究テーマは多様で、対象領域としては、「市場」「教育」「環境」「裁判」「行政」等々があります。また思想的理念としては、「リバタリアン・パターナリズム」「法の支配」「遵法責務」あるいは「市民社会」「グローバリズム」などがあると思います。こうしたテーマについて、なんらかの仕方で体系的に考えていく、あるいはひとつのユニークな価値関心をもって考えていく、そのような立脚点について、思うところをお聞かせください。
 
那須: やっぱり自分は法学部に入って、うまく法学の議論にのれなかったというコンプレックスがあるけれど、その法学に自分ではしごをかけたい。
 
橋本: そういう人は法哲学に行きますよね。
 
那須: そう、多かれ少なかれ。だけど、政治思想でもよかったんじゃない、と言われたときに、やっぱり法の問題を考えたい、と。ハイエクに関係しますが、人間の足りないところというか、人間の不完全なところ、合理性の限界というものがある。
 
これは鶴見さんから教えられたのですが、「リカルシトランス(recalcitrance)」という言葉がある。ぼくは気に入っていて、いつか単著を書くとき使いたい。日本語で、強情さとか訳されるけど、ぼくは「どうしようもなさ」と訳している。人間というのは、同じ間違いをする。可謬性というときに、二つの種類があって、ひとつはポパーのように、誤りから学んで進歩するということ。もうひとつは、どんなに気をつけても、同じ間違いをするということ。こうしたことは、種のレベルでも個のレベルでもある。
 
もうひとつ、「ユーフォリア(euphoria)」(多幸感)という言葉がある。この二つの言葉は、鶴見さんがハーバードで知り合って、日本に帰ってきてからも会った、フィリップ・セルズニックという法社会学の学者と付き合いがあって、鶴見さんはこの人から教えてもらったという。どちらも人間の不完全さを表すためのキーワードになっている。人間というのは、人間であるという不治の病にかかっているというか、治らないバカなところがある。しかしそれを非難するのではなく、あるいは謙虚にならなければならない、という道徳的な意味で使うのではなく、それがいわば人間の原動力になるということです。
 
完全な生き物だったら、人間は考えないでしょう。ぼくにとってこういう考え方は、だんだんコアになってきた。人間はバカという不治の病にかかっていて、でもそれを否定的に考える必要はない。制度とは、人間のバカさのなかで、どのように付き合っていくかの工夫の産物であると。たとえば文学作品でも、自分はなんでこんなにバカなのかということが、作品をつくっていくことがある。方法は全然違うけれども、これらがキーワードになっている。法の問題でもこれらがキーワードになる。
 
橋本: これはおもしろいですね。もっと聞きたいです。ぜひ展開してほしい。これを「法の支配」に引きつけておうかがいしたいのですが、「法の支配」についてのご研究では、何を否定し、何を肯定しているのでしょうか。「法の支配」というのは抽象的な議論ですが、これは先に挙げたさまざまな「対象領域」(「市場」「教育」「環境」「裁判」「行政」等々)での政策に、どのようなインプリケーションを与えるでしょう。おそらくこのあたりが、ご研究の中心的なテーマになるのではないかと察しますが、いかがでしょうか。
 
那須: ぼくの「法の支配」の考え方は、憲法の原理とはちがう。どうしようもなさを抱えている生き物というのは、独善的で、その独善性が他者に示されたときには、暴力というかたちをとる。ぼくは、人間は決して進歩しないと思っている。でもそれに居直らないで、「暴力やむなし」という考え方にどれくらい距離をとっていけるか。とにかく人間は他の人たちと顔をあわせないといけない。
 
でも独善から逃れられない。するとその次に出てくるのは「勝てば官軍」という考え方です。これは人間のほとんど99%の事実だろうと思うけれど、でも西欧にふれて感動するのは、「だけども」という人が必ず出てくる。その考え方に抵抗したい、という考え方がもういっぽうにある。その系譜に荷担したいという気持ちがあるんですよ。ぼくにとって「法の支配」とはそういう、勝てば官軍に抵抗する系譜のもの。
 
飛び抜けてすぐれた人が出てきて、みんなを天使にしてくれるわけではない。結局のところ、バカが集まって、バカ同士で知恵をだしてやっていかなければならない。そういうときに、ひとつの思想伝統として、暴力にどのくらい抵抗できるのか、と。そのためのひとつの理念として「法の支配」があり、それはその核になっている。究極的には、一人ひとりはバカなのに、そういうのが大事だと思えるのか、ということですね。それが究極の謎であると。
 
橋本: プラグマティックな実力支配に対する抵抗を、権威の上位に置く必要がある、ということかな。
 
那須: よく学生にいうのは、裁判するときには「裁判しましょう」という時点で、自分が負けてもその決定に従うことに、あらかじめ同意していないといけないけれども、なぜそんな不思議なことができるのか、という問題です。
 
裁判ではどちらも絶対自分は正しいと思っている。そういう人たちが、なぜ自分が負けることをあらかじめ受け入れられるのか。これは多数決でもそうですね。自分は少数派に回るかもしれない。でもその決定を自分たちも受け入れる。ぼくたちは実際にそのようにやっているけれど、どのようにしてそう考えられるのか。わかんない人にわかるように説明するのは難しい。それをうまく言いたい。
 
橋本: ここから後半に入ります。私たちはこれから、「リバタリアン・パターナリズム」について、共編著の刊行を目指していろいろ議論していくことになると思います。現時点ではありますが、サンスティーンという思想家について、どのように評価されているのかについて、お聞かせください。
 
那須: けっこうたくさん読んだので、なかば飽きて辟易するところもある。切れすぎるので、切れすぎる刃物はあまりよくないところもあって、なんでも説明できるところは危ないと思う。そういうところをサンスティーンには感じます。弱点をなかなか自分で認められない。
 
こういう人が出てきたら自分の話はひっくりかえる、という反証可能性のようなものを示すほうが大事だと思います。学問はまちがったことをいうのも大事。サンスティーンは学者の政治と現実の政治の両方にコミットすることで、自分の議論を万能なものとして示そうという傾向が強い。そこが危うい。あまりによくできた話なので、かえってそれはどうか。ひとつの関心は、サンスティーンにとっての盲点とは何かです。盲点がなければ視点はないので。
 
橋本: ぜひそこを書いてください。わくわくする。
 
那須: たいへん! 成原(慧)さんがサンスティーンとレッシグをペアで出してきて、ハクティビストとアーキテクトという対比を出してきたのは示唆的です。そのへんを手掛かりに考えたい。
 
もう少しポジティブには、さきほど述べた人間の「リカルシトランス(recalcitrance)」。人間は間違う生き物。間違うことにどう向きあうか、から考えないといけない。これは当たり前のようだけど、意外と守られていない。サンスティーンは、人間のまちがいにある種の傾向や法則性を考えて、あらかじめ対応の仕方を考える。まちがう能力を能力として活用するという発想もある。たしかにこれはサンスティーンのオリジナルです。行動経済学はまちがいのパターンを指摘したけど、そのまちがいが活力のもとになるというところまで踏み込まなかった。サンスティーンがそこをちゃんと資源と考えたのはすばらしいと思っている。
 
橋本: いまのはサンスティーンに対する評価ですが、いっぽうで彼は切れすぎる、盲点はなにか、という問題も指摘されましたね。
 
次に、「遵法責務」についてのご研究についておうかがいします。遵法責務のご研究では、何を否定し、何を肯定しているのでしょうか。またこの抽象的な議論が、先に挙げたさまざまな「対象領域」(「市場」「教育」「環境」「裁判」「行政」等々)での政策に、どのようなインプリケーションを与えるでしょうか。
 
那須: 「法の支配」は、個人のコミットを得にくいものです。国家法が大事という考え方は、実感ではえられないし、それがあたりまえでしょう。でも一方で、国家は遵法を要求する権限をもっている。この溝は永遠に埋まらないでしょう。遵法責務論は、場合によっては、ジャンプして道徳的義務があるという。たとえ国家の要求が間違っているように思えるときにでも、遵法を要求する。その動機はわかる気がする。でも、その架橋の仕方は簡単ではない。すくなくとも政府が、自分たちの要求を正しく、正統なものとして示すしかない。物理的に無理強いしなくても、ちゃんと従ってくれる、そういうふうに要求することでもあるわけです。
 
そのときに「正しいから」ということは遵法の動機にはならない。正しいからではなく、国家の運営が、全体として、それは価値なのか幸福なのか自由なのかわからないけれど、私たちにとって大事なものにつながっているんだという、最も広い意味でのアカウンタビリティということだと思いますけれど、私たちはこういう方向に進もうとしているという、そういうことが遵法の動機になる。
 
一つひとつは理不尽かもしれないし、立法レベルでまちがいもいろいろあるだろうし、いい法律を作っても官僚がまちがった運用をして特定の人に損害を与えることもあるかもしれない。だけども全体として私たちはこういう方向でやろうとしているし、それはおおよそうまくいくだろうから「従ってくれ」と要求するときに、説得の材料として、ある種の誘惑が含まれていないといけない。
 
橋本: するといまのお話で、遵法責務を動機づけるものを、キーワードで一言では言えないでしょうか。
 
那須: なんだろう。今回の課題のひとつですよね。福祉国家というのは、それを自覚的にやりだした。
 
橋本: 最近では「ウェルフェア(welfare)」とか「ウェルビイング(well-being)」とか「ハピネス(happiness)」とか、いろいろなキーワードがある。昔だと「ウェルス・オブ・ネーションズ(wealth of nations: 諸国民の富)」だった。
 
那須: 「ウェルス・オブ・ネーションズ」だと説得力がない。「ウェルフェア」とか「ウェルビイング」とかは、実際、それなりの力をもっているんじゃないかな。
 
安倍政権に対して、いろいろまちがっていると思っていても、やっぱり全体としてこれに代わるものがないと思っているのは、いまの政権がやっていることは総体では自分たちのウェルビイングにとってプラスだと思っているから。政治的正統性や正義からは考えていない。全体として安倍政権を気に入るかどうかの評価はあるにせよ、現に人々を動かしている力のひとつの核は、ウェルビイングのようなもので、それが改善される見通しをもてるかどうかが大きいです。
 
橋本: 国家がある程度うまく機能している場合には、正しさの基準よりも、ウェルビイングのほうが、上位の基準として、私たちが正統性を担保する条件として承認できてしまうわけですね。
 
大雑把におうかがいしますが、法哲学という研究分野(学問)について、どのように捉えていますか。あるいはどのように向き合っていますか。すでに入り口の話を語っていただけましたが、教育という要素も含めて、この学問の意義をお聞かせください。
 
那須: これは自己教育の問題ですね。自分がいつまでも法学というものに馴染めなくて、だけどさすがに、その大事さがわかるところまでは直観的にきている。それは法律の専門家がいて、素人にはわからないことをやってくれているということを含めてですけど、それはつまり、私たちは道徳的な共同体のなかにはいないということですけれども、そういうことがわかるということが、ひとつです。だけど私たちは、完全に砂のようなバラバラな存在ではいられない。
 
ぼくはもともと高校のときに人類学にあこがれていて、京都大学の人類学研究室を見学したことがあった。最初は自然人類学のサルに興味があった。だけど結局、大学で法学部に入ったんですが、そういうサルに興味をもったというのは、どこかで共同体とか社会の作られ方に関心があったんですね。参与観察で、自分がなるべくサルになって観察するという、そういう感じがフィットして、それで人間の社会に対しては疎遠な感情をもっているというか、そういう感じになっている。でも、それが同時に、いろいろな知的好奇心につながっていくところがある。
 
ぼくが影響を受けた本のひとつに、スタッズ・ターケルの『仕事!』がある。他人の仕事に興味をもつことの大切さは、最近ますます感じる。社会を思い浮かべるときに、他人の仕事を通して社会のイメージを作っていくということがないと、「国家」と「社会」の区別がつかなくなる。そういう社会というものをどうやってうまく作るのか。「市場」というものも、そういう仕事の連なりとして捉えたい。マイケル・ポランニーの個人的知識やハイエクのローカル・ナレッジというのは、実はターケルが捉えていたものと同じじゃないかな。
 
ぼくはあまり法理学とか法哲学にこだわりがなくて、広く法の理論的なことをやる。政治理論にはあまり引きつけないで、現に制度として機能しているものの実態、あるいは実際にそれを動かしている人たちがどういうことを考えているか。そういうことのなかで考えていくことのほうが本質的だという気がする。そのなかで理念的なものがどういうかたちをとっていくのか。そういうイメージです。
 
橋本: なるほど。そうすると、そのような観点から、これまで刊行されてきた論文を束ねて単著を刊行するとすれば、どのような目次になるでしょうか。これは、勁草書房の編集部より質問していただくことが相応しいかもしれませんね。
 
那須: 本のタイトルとしては、内容がないままずっと思っているのは、「オン・リカルシトランス」というものです。
 
橋本: 「どうしようもない人間」というのはどうですか。こうしたタイトルのほか、これまでのインタビューから漏れてしまった重要な事柄もありそうです。
 
那須: ぼくにとって大きなのは、やっぱりハイエクとバーリン。どちらも自由というけれど、自由という言葉に欠けているものがそれぞれちがう。ハイエクの場合、人間的自由の根拠は予測不可能性や制御可能性で考える。設計ではうまくいかないと考える。これは相当よく考えられたもので、ぼくはやっぱりハイエクから外に出られない。
 
いっぽうでバーリンは制度に関心がない。弱点だけど、惹きつけられているのはそういうところ。バーリンは歴史に関して感受性がすごい。それはなにかというと、「不可逆性」と「代替不可能性」といえる。そういうもののなかでの人間の自由を考えようとしている。ハイエクとはかみあわないけれど、どっちも落としたくない。歴史家で、バーリンのように、歴史の不可逆性をほんとに考えている人がいるかというと難しい。バーリンが批判した理論枠組みで、たとえば歴史の発展法則や人類の進歩を考えて、それにあわせて歴史を記述すると、一番大事なところが消えてしまう。
 
バーリンのほとんどの本を編集したヘンリー・ハーディがいるけれど、そして濱真一郎さんに紹介されて彼に日本で直接会うことができたけれど、ハーディが言うには、バーリンは歴史観はすごいのに通史はやらない。唯一、ロマン主義はいろいろな人たちが出てくるかたちで歴史を書くけれども、基本的に、ポートレイトしか書かない。そこにバーリンの魅力もあるし、そこに歴史感覚が働いている。
 
『アゲインスト・ザ・カレント』というバーリンの本があるけれども、不可逆、つまり抵抗できない歴史の動きをつねに考えている。けれどもそのなかでバーリンが唱えたいのは、その不可逆ななかで、アゲインストする、とんでもないことをする、場合によってはゲーム・チェンジャーみたいなラディカルなことをする、そういう人を見つけてきて、その人がなぜそんなことを言えたのかとか、あるいは、どういう文脈でその人は考えたのかを、ピンポイントでおさえるような仕事を、バーリンはしている。人間の自由というのは、そういうところにある。それはある種の創造性ですけれど、可謬性と創造性は裏表で、当時は狂人扱いされることもあった。
 
橋本: そうすると、このバーリンの議論を引き受けるとすれば、私たちは、現在社会の何に対してアゲインスト(反対)することが、自由になるでしょう。
 
那須: そういう設定ができますよね。ひとつは、ぼくは福祉国家を大前提として考えるけれども、福祉国家が成立するには、これを全体として相対化するものがないといけない。今回のテーマ(リバタリアン・パターナリズム)もまさにそうだけど、社会が国家と独立のものとしてイメージできるかどうか、それが機能するかどうか。それが大事。
 
さっきの仕事論ともかかわるけれど、サンスティーンがリバタリアン・パターナリズムの使い方としては国家のことしか考えていない。けど、それはおかしいのであって、このアイディア自体は、ありとあらゆる主体に開かれている。アーキテクチャは、いろんなレベルでできる。さまざまなアーキテクチャのせめぎあいがないと、国家が作ったアーキテクチャは、健全には機能しないだろう。そういう大きな文脈で考えたい。
 
橋本: ハイエクとバーリンが一番大きい影響力をもったというお話は、今回のインタビューの最初の話にもつながったと思います。
 
那須: ぼくはバーリンについて論文を書くことはできないけれど、考えのもとになっているのはこの二人です。
 
橋本: 今回のお話のなかで、ご自身の研究のなかの法社会学的なアイディアというものが出てきた。ある種のルポルタージュやサル学研究がもつ社会観察の意味、共同体の外部から観察するおもしろさが、人間のどうしようもなさと自尊心というものがみえてきて、そういうところを基点に社会を考えていくと。
 
では、私たちに続く世代の人たちに残したいものはなんですか。まだ早いですが、ご病気を経験されて、感じるところがありましたか。
 
那須: 病気になると、自分は死なないということを感じる。自分が死ぬときはギリギリまで死なないと思っている。自分の死は観念にすぎないと。
 
橋本: 死というのは、何か残したいという欲望を生んでくれるものかな。
 
那須: ぼくは「持続可能性」という言葉がきらいなんですよ。いつまで持続するつもりだ、という気がする。人類がいつまでもつづくと思ってものごとを考えないといけないというのは、もはやおかしい。自分は無限に人類がつづいていくことを肯定的には考えられない。
 
滅ぶのが当然で、ただ、滅び方があるだろう。あんまりひどい滅び方をするのは美学的にいや。核戦争とか、原発をさんざんつくった挙句、それが爆発して死ぬのはいや。あるいは宗教対立で隣同士が殺しあって死ぬのはいや。やっぱり共和的にゆっくり滅んでいくということができるのであれば、その道筋を考えることはしたい。これはぜんぜん暗くない。暴力的なしかたではなく、みんながゆっくり滅んでいく。いつの間にか子どもが生まれなくなっていく。
 
橋本: 日本社会がこれから衰退の局面を迎えるに際して、パイを奪い合うというときに、どういう知恵をもちうるのか、ということかな。
 
那須: 日本だけじゃなくてヨーロッパでも子どもが生まれにくい。精子の数が減っているという統計的な根拠もある。ただ、それより速いスピードで、人類はおろかな滅び方をしそう。それにどうやって抵抗するか。
 
そのときにいちばんバカなことをしそうなのは国家で、19世紀から20世紀にかけて、国家がものすごく多くのものを引き受けちゃった。もういっぺん荷を下ろしていくプロセスがいるだろう。ちょっとずつ荷をおろしていく具体的なプロセスがいる。国家ではなく「社会」というものがもう少し分厚くならなければならない。
 
若い人にとりあえず言いたいのは、自分以外の人がやっている仕事に興味を持ちましょう、ということ。そういうことの積み重ねのなかで、社会がどうできているかを考えるべき。
 
去年『君たちはどう生きるか』という本が漫画化されてヒットしたのは不思議ですが、でもその最初のほうで「人間分子の法則」という話が出てくる。ああいう感じを人がもつことは奇跡的なことだけれど、やっぱりそういう感じを、一人ひとりがちがう道筋で見つけていくことが必要です。そうでないと、自己責任か、それとも国が全部やってくれるか、という二分法になってしまう。すると追い詰められて、ファナティックなナショナリズムになってしまう。
 
橋本: そういうナショナリズムを避けるためにも、「どうしようもない人間が、いかにしてその愚かさを避けるのか」というテーマ。これはぜひ書いてほしいですね。
 
『君たちはどう生きるか』ですが、近代になると都市化がすすんで、人びとは疎外されながらも、他人を観察するようになる。いまになってこの本にニーズがあるのは、別の側面にニーズがあるのでしょうね。
 
那須: ふしぎ。ぼくらの時代は、大学入りたての頃に無理矢理読ませようとした。
 
橋本: 当時は全体主義と戦争のなかで、生きる道がないのだけど、やっぱりどう生きるかという実存が問われた。でもいまは実存が問われないですし、全体主義でもない。だけどやはり、どう生きるかという問題が、他人を観察することとの関係で意味があるようです。この話をリバタリアン・パターナリズムのもつ意味につなげられないでしょうか。
 
那須: 自分のなかに社会があるという感じです。自分のなかにいろんな人間がいる。たとえば自分が仕事するなかで、自分を職人になぞらえる。こつこつと何べんも同じ文章をなおす。新しいテーマを見つけるときは、商人みたいな気持ちになるって、やっぱり旅でもして、知らない世界から持ち帰ってくるものがイノベーションになる。職人はどう仕事をしているか、それが自分の仕事にも役立つ。NHKの番組「72時間」をみて面白いのはそういう喚起的な面です。こういう考え方をすると、自分にもブレークスルーがあるのではないかとか、そういうことを具体的なかたちで見せられる。
 
もはや自分にできないことは、この人に任せていいという気持ちになることがある。たとえば、ぼくが親しくしている陶芸家の友人は、いい仕事をしている。自分にはできないことをやっていて、それで安心する。話をするとわかるのですが、そういうのは社会にとってもありがたい。大学にいると、そういう人に出会えないですね。
 
橋本: 今日のお話では、人間はどうしようもない存在であるという、そういう意味の「リカルシトランス」というキーワードが出た。けれども一方で、私たちは、他人の仕事をよく観察して、そして自分にはできないけど、こういう人がいていいな、とリスペクトすることができる。そういう道徳的な関係性を築くことが、どうも国家や全体主義に対抗する社会を築くための、ひとつの基礎になりそうですね。それはまた、リバタリアン・パターナリズムにとっても、ひとつの視点を与えているかもしれません。
 
那須さん、本日は長い時間にわたってインタビューにお答えいただき、ありがとうございました。
 
[2018年6月24日、京都大学吉田泉殿にて]
聞き手:橋本努、速記+文字起こし:鈴木クニエ+橋本努、写真撮影:鈴木クニエ
 
 
《「めんどうな自由、お仕着せの幸福」バックナンバー》
第1回:連載をはじめるにあたって《那須耕介》
第2回:なぜいま、民主制の再設計に向かうのか《大屋雄裕さんとの対話》
第3回:ぼくらは100点満点を目指さなくてもいい?《若松良樹さんとの対話》
第4回:80年代パターナリズム論の光と影のなかで《瀬戸山晃一さんとの対話》
第5回:熟議でのナッジ? 熟議へのナッジ?《田村哲樹さんとの対話》
第6回:サンスティーンという固有名を超える!《成原慧さんとの対話》
番外編1:「小さなおせっかい」の楽園と活動的生(前編)《『ナッジ!?』刊行記念編者対談》
番外編2:「小さなおせっかい」の楽園と活動的生(後編)《『ナッジ!?』刊行記念編者対談》

サンスティーンとセイラーが広めた「ナッジ」という考え方、そのベースにあるリバタリアン・パターナリズムという理論。この視点を中心に、自由や幸福、社会制度、私たちの生活をめぐって、京都大学教授の那須耕介さんが「いま、ちゃんと話を聞くべき人びと」に会いに行ってきました。
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