夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
⑯アントレプレナーシップは私たちの世界に何をもたらすのか:起業活動の社会的意義とは何か

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、日本中小企業学会幹事、企業家研究フォーラム理事、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
Published On: 2022/1/7By

 
アントレプレナーシップには正の側面と負の側面があります。アントレプレナーシップが私たちの世の中に価値をもたらすものであるならば、この正の側面を積極的に捉えていかなければなりません。今回は、アントレプレナーシップの社会的意義を考えます。[編集部]
 
 
 アントレプレナーシップは私たちの世の中にどのような価値をもたらすのでしょうか。今までは、アントレプレナーシップそのもの、つまり起業活動についてさまざまな視点から見てきましたが、今回は、そもそも経済社会の中でどのように位置づけられる活動なのかを考えます。1989年の民主革命(ビロード革命)から8年が経過したチェコを訪れた時、市の幹部が「経済秩序を乱している元凶の一つが相次ぐタクシー業界への新規参入」と言っていたことを今でもよく覚えています。確かに筆者も滞在中に何度が騙された経験があるので、ある意味、的を射た発言とも言えます。しかし、アントレプレナーシップは負の側面を強調すべきものではなく、正の側面を積極的に捉えていくべきものと思います。ここでは、アントレプレナーシップが経済社会の発展にどのような役割を持っているのかを見ていきます。
 
雇用の源泉
 
 第1は、雇用を創出する役割です。2016年調査になりますが、総務省と経済産業省が実施している「経済センサス」の「活動調査」によると、2005年から2016年の間に新規に設立された事業所で働く人の数は1,706万7,775人と1984年以前に設立された事業所の合計である1,861万1,381人に匹敵しています(図表1)。全体に占める割合も30.7%を占め、新しく誕生した事業所がなければ、私たちは働く場所の不足に悩まされていたに違いありません(図表2)。
 

図表1 開設時期別にみた事業所における従業者数(単位:人)

注:開設時期不詳は含まれていない。
資料:総務省・経済産業省「平成28年経済センサス‐活動調査 確報集計(事業所に関する集計)」。

 

図表2 従業者数が働く事業所の開設時期別の分布

注:図表1に同じ。
資料:図表1に同じ。

 
新陳代謝を通した経済活動の底上げ
 
 第2は、生産性の低い企業に取って代わることによる経済活動の底上げ機能です。廃業企業と新規開業企業の付加価値生産性を比較すると、中央値では廃業企業の140.5万円に対して、新規開業企業は195.2万円です(図表3)。生産性が140.5万円の企業に代わって、生産性が195.2万円の企業が誕生することによる効果です。
 
 さらに、中央値ではなく、上位10%に着目すると、新規開業企業の生産性は721.2万円となり、廃業企業はもちろんのこと、存続企業をも大きく上回ります(図表3)。
 
 このように、生産性の低い企業が撤退し、生産性の高い企業が参入することによって経済が発展しますが、その重要な役割をアントレプレナーシップという新しい企業が誕生する活動が担っているのです。
 
 もちろん、経済活動が活性化する要因には、個々の既存企業によるイノベーションなどを通した生産性向上があります。しかし、新規開業企業を通した経済活動の底上げは、新旧交代による経済活動全体の新陳代謝を通したものであるところに特徴があります。
 
 ちなみに、「新旧交代による新陳代謝」による経済活動の活性化にはじめて着目した経済学者は元法政大学総長である清成忠男氏です。彼は国民金融公庫調査部(現在の日本政策金融公庫総合研究所)に在籍していた時に実施した一連の調査から、高度成長の初期段階に「自営業主などの中小企業が増えるのは時代の逆行現象である」と言われていた通説を覆し、新規開業の重要性を米国や英国より10年以上も早く指摘しました。
 

図表3 存続企業、廃業企業と比較した新規開業企業の付加価値生産性(単位:万円)

注:存続企業(2012年)は2012年調査で存続していた企業、存続企業(2016年)は2016年調査で存続していた企業、開業企業は2012年調査では存在せず、2016年調査で存在が確認された企業、廃業企業は2012年調査では存在し、2016年調査で存在が確認できなかった企業。
出所:中小企業庁『2020年版中小企業白書』第1-3-12図。
資料:総務省・経済産業省「平成24年、28年経済センサス―活動調査」再編加工。

 

図表4 新規開業企業による経済活動全体の底上げ

資料:筆者作成。

 
イノベーションの担い手
 
 第3は、イノベーションの担い手であるということです。もちろん、イノベーションは、新しい企業だけが行うわけではありません。既存企業がイノベーションを行った例には、ソニーのウォークマン、日清食品のカップラーメン、ヤマト運輸の宅急便などがありますし、海外に目を転じても、スリーエムのポスト・イットなどの事例は有名です。しかし、私たちの日常生活に欠くことのできないグーグル、アマゾン、フェイスブックなどが提供するサービスや、将来の自動車産業の構図を変えてしまいそうなテスラの電気自動車などは、アントレプレナーによるイノベーションから生まれたものです。
 
 ここでは、イノベーションがアントレプレナーシップから生まれる理由を考えるために、なぜ既存企業はイノベーションが苦手なのかに焦点を当てたいと思います。
 
 まず、次のような場面を思い浮かべてみましょう。
 
 時代は1990年代後半。その時、あなたは、全国展開をしている書店のオーナーであったとします。あなたの前に腹心の部下が現れ、次のような提案を行います。
 
 「これからはインターネットの時代です。本をネットで売りましょう」
 
 この提案に対してあなたはどのような対応を取るでしょうか。あなたの頭によぎることを大きく分けると二つになると思います。
 
 一つは、新しい事業に対する不安です。新しい事業をするには投資が必要であり、計画通りの売上を達成できなければそこにつぎ込んだお金は無駄になります。
 
 もう一つは、新しい事業が既存の事業に与える影響です。インターネットで本が売れるようになればなるほど、路面店である今の書店に人は来なくなります。
 
 しかも、今のビジネスで十分な利益を計上しているとすれば、多くの経営者の答えはノーでしょう。
 
 インターネットの勃興期である1990年代におけるアメリカの書籍販売業の雄は、バーンズ&ノーブル(Barnes & Noble, Inc.)でした。同社は、1965年にニューヨーク大学の学生で、大学内の生協でアルバイトをしていたレオナルド・リッジオが、「本を売るなら、自分でやったほうがうまくいく」とグリニッジ・ヴィレッジに小さな学生向け書店をオープンしたのがきっかけで、その後急速に発展し、その全盛期は、まさにアマゾンが生まれた時期とほぼ重なっています。
 
 アマゾンが創業した1994年の年商はすでに16億2,200万ドルになっていましたから、巨人と赤子のような関係でした。しかし、その後の結果は誰もが知っているとおりです(図表5)。
 
 バーンズ&ノーブルは寝ていたの?
 インターネットの発展を無視していたの?
 
 そのように感じる人もいるかもしれません。
 
 しかし、決してそのようなことはありませんでした。
 
 バーンズ&ノーブルのインターネットへの取組みは、同社がアマゾンの19倍もの年商があった1997年でした。その年のアニュアルレポートの中ではCEOのレオナルド・リッジオは、「今年は同社がインターネットで本を販売する記念すべき年になったと述べています。
 
 ただ、それと同時に、「決して従来型の書店型ビジネスの手を緩めることはない」と言及し、次のようなことを述べています。
 
「実際の書店でブラブラしながらお気に入りの本を探して購入することは、他では経験のできない楽しみ方の一つであり、アメリカ文化の一部と言っても過言ではないだろう
(shopping and browsing in a bookstore is an irreplaceable experience, and it is woven securely into the fabric of our American culture)
 
 既存事業、しかも順調な既存事業が革新的な取組みの阻害要因になってしまった典型的な例と言えるでしょう。
 

図表5 アマゾンとバーンズ&ノーブルの売上高の推移(単位:百万ドル)

注:途中で事業部門の買収や売却があるので書籍の売上高推移としてみると不連続な年がある。
資料:各年のアニュアルレポートから筆者が作成。

 
イノベーションを拒む3つの罠
 
 イノベーションがアントレプレナーシップから生まれる理由は、逆説的ですが、既存企業が革新的なことに取り組めないことによって事業機会がアントレプレナーに開かれているからとも言えます。
 
 既存企業が新しい事業に挑戦しにくい理由は、数多くの人たちによる研究実績がありますが、ここでは、イノベーションを拒む罠について、次の3つに整理して紹介します(図表6)。
 
 第1は、既存企業の既存事業がある程度の収益を上げている時です。このような場合、新規事業は既存事業を上回る収益を期待されるため、なかなか適当な新規事業が見つかりません。筆者が、大分県のある焼酎メーカーの社長にインタビューした時に、彼は次のようなことを話し、新規事業に進出することの難しさを語っていました。
 
 今の看板ブランドは売上の98%を占めている。多角化や新規事業の必要性はわかっているが、売上500億円に対して経常利益100億円を計上している今のブランドを超えるような事業は思い当たらない。
 
 第2は、新規事業が既存事業のステークホルダーの利益を損なうような時です。日本の新聞社が一気に新聞の電子化に進めなかった背景には、紙媒体の新聞を配達している新聞配達店の存在がありました。
 
 文房具をインターネットで買うことは今では珍しいことではなくなりましたが、その事業形態を日本で最初に実現したのは、アスクルです。アスクルは文房具業界でいつもコクヨの後塵を拝していたプラスの関連会社であり、1993年に今の業態を担う存在としてスタートしています。そして、アスクルが(最初は)通販、そしてインターネット販売で業績を上げていても、コクヨはなかなか重い腰をあげようとせず、コクヨがカウネットを立ち上げアスクルを本格的に追撃しようとしたのは、アスクルが新事業を展開してから7年が経過した2001年1月でした。
 
 その理由は、コクヨの強さは、全国に張り巡らされた販社-販売店のネットワークであったからです。通販やインターネットでの販売を強化することが、路面店で営業する販売店の売上に負の影響を与えることになるからと言われています。 
 
 第3は、既存企業で影響力を持つ人たちの考えや既存事業での成功体験です。その企業で偉くなった人たちは、その企業の現在のビジネスを作り上げた功労者とも言えます。彼らが自ら自分の過去を否定することは容易にできません。写真フィルムとカメラを同時に販売して利益を上げていたカメラメーカーが写真フィルムを使わないデジタルカメラに進出することは簡単ではないのです。
 
 ヤナセは1990年代後半から業績不振に陥り、2001年度には経常利益がマイナスになるという経営危機に直面しました。その時までは新車の輸入販売が主力業務で、社内表彰制度も新車販売部門にあるだけでした。また、アフターセール出身の幹部は出世したも平取締役までと言われていました。それをアフターサービス部門にも社内表彰制度を採用し、アフターセール出身の人が社内のナンバー2になる中で、修理やメンテナンス部門の改革もあいまって、社内の中核事業に成長しました(『日経ビジネス』2004年3月8日号を参照)。
 

図表6 既存企業が新しい事業に進出できない理由

資料:青島矢一(2004)「技術変化と競争優位」一橋大学機関リポジトリを使って作成した。

 
情報革命の歴史も見ても……
 
 情報産業の世界に限ってみても、その歴史はアントレプレナーシップが経済社会に果たしてきた役割を如実に示しています。
 
 ケン・オルセンによって設立されたディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)という企業をご存じでしょうか。この企業は少なくとも2つの意味でアントレプレナーシップの世界に新風を巻き起こした企業です。
 
 一つは、今のベンチャーキャピタルのビジネスモデルになった投資先企業という理由です。ジョルジェ・ドリオが率いるアメリカン・リサーチ・ディベロップメント(ARD)が、1957年に設立直後のDECに7万ドルの投資をし、株式売却時に5,000倍になったことで、「ホームラン&ハンズオン」という、有望なスタートアップ企業に初期段階から関与し、その中から大きな利益をもたらす企業を育てるというVCのビジネスモデルが確立したと言われています。
 
 そして、もう一つは、当時、コンピュータの世界の巨人であったIBMが目もくれなかったミニ・コンピュータを開発し、1980年代には世界第2位のコンピュータメーカーになったことです。
 
 しかしながら、パーソナル・コンピュータの競争ではアップル・コンピュータ(当時)に完敗し、そのアップル・コンピュータもOS(オペレーション・システム)ではマイクロソフトの後塵を拝しています。ところが、インターネットの発展速度を見誤ったビル・ゲイツはブラウザ(インターネットの閲覧ソフト)ではネットスケープに先を越され、さらに、検索エンジンでは新興企業であるグーグルが覇権を握り、SNS発展の先鞭をつけたのはフェイスブックでした。
 
 このように、覇権の移り変わりの激しい、そして新しい応用技術が次々に開発される情報産業においては、アントレプレナーシップによって産業の発展が起こっていると言っても過言ではなく、しかも、このことは、ほとんどすべての産業に共通して言えるのです。
 
 既存企業が、現在の事業を守りながら、新しい挑戦をすることは容易ではなく、そこにアントレプレナーシップが経済社会に貢献する余地が生まれるのです。
 
 
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業
⑩ビジネスの世界だけではない
⑪不思議の国の企業活動:「日本」
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか
⑬起業後のリスクや不確実性への対応
⑭起業家になるための能力・起業家に求められる能力(1)
⑮起業家になるための能力・起業家に求められる能力(2)
⑯アントレプレナーシップは私たちの世界に何をもたらすのか:起業活動の社会的意義とは何か

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、日本中小企業学会幹事、企業家研究フォーラム理事、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
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