これまでの連載の中では、個々の起業家および起業活動の事例を紹介してきました。今回は、アントレプレナーが研究者たちによってどのように定義されてきたかについて説明します。アントレプレナーはどのように捉えられてきたのでしょうか、その足跡をたどります。[編集部]
前回(第16回)は、「アントレプレナーシップは私たちの世界に何をもたらすのか」というタイトルで、起業活動の社会的意義について考えました。また、これまでも個々の起業家を数多く紹介してきたので、アントレプレナーとはどのような人なのか、起業家とは何をする人なのかについてのイメージはすでに形成されていると思います。今回は、研究者たちがアントレプレナーをどのように定義していたのかを振り返ります。この作業を通して、前回の中心的なテーマであった起業活動の社会的意義の捉え方に新しい視点が加わり、アントレプレナーシップが私たちの世界に何をもたらすのかについても、より理解が深まるのではないかと思います。
リチャード・カンティヨンの捉え方
まず、アントレプレナーという言葉を学術的な研究の中で初めて使ったと言われているフランスの経済学者であるリチャード・カンティヨンの話から始めます。
カンティヨンは、いわゆる商人をアントレプレナーと呼び、商人の活動の社会的重要性を明示的に示しました。
次のような状況を考えてみてください。
今、Aという国には農民と地主だけが存在し、Bという国に米を販売し、その収入を得ることでA国の農民と地主は生活しています。A国の地主はA国の農民に土地を貸して収入を得て、農民は地主から借りた土地を使って米をつくり、その米を販売し、B国から得た売上金から地主に地代や肥料代を支払い、その残りを自らの生活費に充てています。
A国の農地1アール(100平米)当たりの米の産出量は10俵(1俵60キログラムとして600キログラム)と仮定すると、A国の米の産出量全体は農民が地主から借りる土地の広さで決まります。
一方、地主は土地を貸すことで収入が発生するので、農民がどれだけの広さを借りてくれるかによって1年間の収入が決まります。仮に1アール当たりの地代を10万円、地主が必要とする年間収入が300万円とすると、地主は農民に30アールの広さの土地を借りてもらわなくてはいけません。
農民は30アール借りると、10俵×30アール=300俵の米が収穫できます。それに伴う経費は地代とC国から仕入れる1アール当たりの肥料代4万円であるとすると、1アール当たり10+4=14万円の費用がかかることになります。
以上の条件をもとに農民が地主から30アールの土地を借りるかどうかを判断しなさい。
そのような質問を受けたら、皆さんはどのように答えるでしょうか。
わかるわけない。
B国の人たちはお米をいくらで買ってくれるの? それ次第だよ。
そのとおりです。しかし、米の価格は秋にならないとわかりませんが、土地は春に借りないと秋に収穫できません。
秋になって米を実際に販売した後に販売価格に応じて地代を払うことでいい?(農民)
価格を後から決めるとは虫が良すぎる。(地主)
米の値段は作った後でないとわからない。あなたも我慢しなさい。(農民)
それならば土地は貸さない。(地主)
地主はあくまでもリスクは自分では取らずに、農民にリスクを押し付けようとしています。ここで、仮に地主の言うとおりにした場合、B国の販売価格によって農民の収入がどのように変化するでしょうか(図表1)。
図表1からわかるように、農民は1俵当たりの販売価格が1万円の場合は赤字になり、2万円になっても180万円と地主の収入の6割です。仮に4万円になると、農民の年収は780万円となりますが、それは秋にならないとわかりません。農民は販売価格という不確実性を伴うリスクを背負っている一方、地主はリスクを引き受けていません。このように農民と地主がリスクのなすり合いをしている間は、A国の経済活動はいつまで経っても始まりません。
リスクを取る人がいて経済活動が始まる。
そこで登場するのが商人、つまりアントレプレナーです。商人は次のように農民に伝えます。
農民さんはどのくらいの収入が必要ですか?(商人)
地主と同じ300万円は欲しい。(農民)
わかりました。秋に収穫できた300俵の米を、私が720万円で買い取りましょう。そうすれば、あなたは420万円の支払いをした後でも、300万円が残るでしょう。(商人)
!!!!!!!(農民)
今度はリスクを農民ではなく、商人が引き受けることになりました。ちなみに、B国の販売価格によって商人の収入がどのように変化するのかをまとめたものが図表2になります。
商人が実際に大きな損失を被るのか地主や農民を上回る収入を得られるのかはまさにB国の需要状況次第ですが、大切なことは、商人がリスクを取ったことによって、A国の経済活動が始まることです。商人が登場したことによって農民は地主から土地を借りて米の生産にとりかかることができました。
カンティヨンはこのような商人が果たす社会的な意義(ここでは経済活動が動き出すこと)を再評価し、アントレプレナーの役割の重要性を強調しました。
参考として、B国、C国、そしてA国の間でどのような取引が行われているのかを図表3にまとめました。
このように私たちの経済活動の中には、ある一定の時間が経過しないと結果がわからないことが数多くあります。
絶対売れるはずのおもちゃを開発したので、それを作るための機械が必要だ。お金を貸してください。
売れたらお金を貸してあげる。
これではいつまで経っても何も始まりません。未来の不確実なことに対してリスクを負う人がいないと動き出さない経済活動がたくさんあります。カンティヨンの卓見とは、アントレプレナーが持つ経済活動を始動させる力を見抜いたことにあると言えるでしょう。
アダム・スミスの視点
先ほどのケースでは商人がリスクを引き受けたのですが、それを可能とした条件は二つ考えられます。一つは、商人はB国の経済状況に精通しているなど恐らく大きな損害は被らないという自信を持っていること、もしくは情報のようなものがあること、そしてもう一つは、万が一損失が発生してもそれを補填できるだけの経済力があったこと、と整理できます。
そして、後者の方に着目したのが「見えざる手」を唱えた経済学者として有名なアダム・スミスです。
経済学の祖とも言われるアダム・スミスをはじめ、イギリスの研究者は、アントレプレナーの資本家的機能だけを認識していたのではなく、不確実性(リスク)を引き受ける役割や事業の諸活動を管理する機能にも気がついていました。功利主義の創始者であるジェレミー・ベンサムは、後のシュンペーターの考え方にも通じるアントレプレナーの革新的な役割にも注目していました。しかし、相対的に資本的な機能の重要性を主張していたのがイギリスの研究者グループと言えます。当時は、事業を始めること=資本を持っていること、と見なされる時代であったことも考慮に入れる必要があるでしょう。
A国の事例で言うと、商人が秋に農民に720万円を支払うことを約束した時点で、金融業を営む人から何らかの形で融資を受けることが決まっていたようなケースです。このような状況では、金融業を営む人もリスクを被るので、彼らはアダム・スミスを代表とするイギリスの経済学者の考えに近いアントレプレナーということができます。
創造的破壊型のアントレプレナー
次に登場するアントレプレナーは今までのアントレプレナーとは全く別の行動を取ります。まず、D国にA国の地主よりも安い地代、つまり1アール当たり5万円で土地を貸してくれる地主を見つけてきます。また、C国の半分の価格で同じ効果を持つ肥料を製造しているE国を発見し、それを利用するように農民に勧め、その上で、農民には以前と同じ720万円の支払いを約束します(図表4)。
A国の農民が商人からの提案を断る理由はありません。従来通りの生産活動をするだけで、収入は300万円から510万円に大幅に上昇します。
ずいぶんとお人好しの商人だ。
全然アントプレナーらしくない。地代や肥料代が安くなったことの恩恵を自分も受ければいいのに。
そのように思われる人も多いかもしれませんが、商人には商人の目算がありました。この商人は、仕入れた米を米のまま売るのではなく、米菓にして販売することを計画していたとしましょう。米菓にすると、商品の付加価値は大幅にアップし、1俵からできる米菓製品の販売金額は米のままで売る場合の10倍になります。米から米菓にするための加工賃を1俵当たり1万円としても、商人の収入は図表5のようになります。農民には協力体制確保のために、安くなった地代や肥料代の恩恵はすべて与えても全く問題ないのです。
さて、ここで、商人が大金持ちになったことだけに気を取られてはいけません。注目してほしいのは、A国の地主やC国の貿易による収入の変化です。
A国の地主の収入はどうなったでしょうか。ゼロです。C国のA国との貿易による収入はいくらになったでしょうか。これもゼロです。代わりにD国の地主が新たに地代を得るようになり、E国の肥料の販売高が増えました。
商人が米のままの販売から米菓の加工販売に切り替えたことによる関係者や関係国の収入の変化をまとめると図表6のようになります。これを見ると、アントレプレナーである商人の革新的な行動によって、商人を取り巻く人や国がどのような影響を受けたのかがわかります。全くの無一文になる人もいれば、(米1俵が米のままの時は3万円、米菓にした時は30万円のケースでは)収入が180万円から7,980万円と44.3倍になる人もいます。
起業活動を見る時、起業家がどうなったのかだけではなく、起業家を取り巻く経済社会がどのように変化したのかという視点の大切さを図表6は伝えています。
シュンペーターが描くアントレプレナー
このように、第3の視点はアントレプレナーの革新的な側面に注目するものです。アントレプレナーの革新性を経済発展の原動力と位置づけ、現代のアントレプレナーシップ論の中心的存在となっているヨゼフ・シュンペーターは、そのような革新的行動を新結合と名づけ、それには、D国の発見のような新しい生産地の開拓、そして米から米菓への切り替えなどの新製品の開発などが含まれます。シュンペーターはそのようなアントレプレナーの活動を経済発展と結びつけたところに経済学への大きな貢献がありました。
A国の事例では、A国の収入全体は革新前の780万円(300+300+180)から革新後は8,490万円(0+510+7,980)へと激増しています。しかし、先に触れたように、A国の地主のように収入が300万円からゼロになった人もいます。C国のようにA国からの収入がゼロになった国もあります。革新は、ある地域やある国の収入や富全体を増やすだけではなく、また一部の大金持ちを誕生させるだけではなく、貧富の格差も生み出してしまう可能性も秘めています。
シュンペーターが創造的「破壊」と名づけたゆえんです。
アマゾンが発展したことによって多くの書店が姿を消しました。さまざまなメディアによってニュースが伝えられるようになり、米国では多くの新聞社は経営難に陥りました。同じ商店街の中に洒落たレストランができると、昔ながらの経営をしていた食堂が廃業に追い込まれることもよく見かける光景です。
創造には破壊が伴います。しかし、破壊の先にしか経済発展は期待できないと考えたシュンペーターはある意味、厳しい現実の姿を直視していた経済学者と言うことができるでしょう。
私たちも、起業活動には光の部分と影の部分があることを常に心に留めておきながら、アントレプレナーの活動を見守らなくてはなりません。
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業
⑩ビジネスの世界だけではない
⑪不思議の国の企業活動:「日本」
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか
⑬起業後のリスクや不確実性への対応
⑭起業家になるための能力・起業家に求められる能力(1)
⑮起業家になるための能力・起業家に求められる能力(2)
⑯アントレプレナーシップは私たちの世界に何をもたらすのか:起業活動の社会的意義とは何か
⑰アントレプレナーとは誰なのか