『ベルクソン 反時代的哲学』最終回

About the Author: 藤田尚志

ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。
Published On: 2022/6/9By
藤田尚志さんの連載が本になりました。『ベルクソン 反時代的哲学』2022年6月刊行です。刊行を機に、藤田さんから最終回の言葉が届きました。連載から大幅加筆した(600頁超え!)書籍を手に取っていただけたら嬉しいです。【編集部】

 
 
 この連載を読んでくださっていた方が果たして何人いらっしゃったのか分かりませんが、もしいらしたとすれば、長きにわたり途中で中断してしまって誠に申し訳ありませんでした。連載の最終回を、と言われたのですが、もう何も出てきません。「あとがき」へのあとがきのようなものでご勘弁ください。
 

 
 「あとがき」にも記した通り、本書は私が2007年に提出した博士論文に基づいている。今年は2022年だから15年も経ってしまった。フランスで同時期に博論を書いていた人たちは早々に単著を刊行し、遠くへ羽ばたいていってしまった。例えば、伊達聖伸さんの『ライシテ、道徳、宗教学――もうひとつの19世紀フランス宗教史』(勁草書房)は2010年だったし、郷原佳以さんの『文学のミニマル・イメージ――モーリス・ブランショ論』(左右社)は2011年だった。早くに出していれば……とも思うが、それは後の祭りである。もうあの頃に戻ることはできない。
 
 なぜこんなにも時間がかかってしまったのか。なぜ書けなかったのか。当時はまったく反響がなかったので気もめげてしまい、待ったなしの教育現場や、次から次へと降ってくる目の前の仕事に追われるのをいいことに、自分自身と向き合うことから逃げ回っていたのだと思う。
 
 ありがちな話だが、時間が過ぎるほど、情けないものは出せないというプレッシャーが高まってくる。何とか最低限のバージョンアップをしなければと思うが、目の前の仕事にかまけてそれも出来ない。『ライティングの哲学――書けない悩みのための執筆論』(星海社、2021年)の「もっと良くなるはず……「幼児性」と〆切」にはこうあった(78‐80頁)。

「全てを書けると思っちゃうっていうのは、ある種の自分の万能さという幻想だと思うけれど、逆に「全ては書けないんだ」って思い切れるかと言うと難しい」(千葉雅也)
 
「自分の場合、根底にあるのは「もっともっと」と要求する「幼児性」ですね。これは認識していて、しかしそれを手放すことができない。だからいつまでも移行対象をいじり続けようとしてしまう。(…)だから結局は幼児性を捨てて、その「諦め」をどれだけ前に持って来られるかってことだと思う」(山内朋樹)

 自分の万能さという幻想、どこまでも諦めきれない幼児性、まったくそのとおりだ。そしてそれは厄介な病まで連れてきた。
 

 
 15年前と同じだ。初めての子育て、初めての大規模な国際シンポジウム運営、そして初めての(当たり前か)博論を完成させた後、心身の疲労がピークに達し、大学卒業以来おさまっていたアトピー皮膚炎が極度にぶり返したあの時と。今回もまた、この著作の完成に向けて追い込みがかかるほど、アトピー症状は激しさを増し、痒さで夜も寝られなくなっていった。
 
 しかし、15年前と違うところもある。それは、近年の症状はますます「疾病利得」と化してきている、ということである。疾病利得(より正確には第二次疾病利得)とは、疾病であることで周囲の者や社会から同情・慰め・補償などを得られるという理由からその疾病に陥ろうとする無意識の欲望のことである。忙しくなり、ストレスが一線を越え始めると、途端に痒くなってくる私のアトピー症状が疾病利得だと思うのは、全身どこでも痒くなるのだが、特に顔などの見える部分を搔いていると自分で感じるからである。
 
 アトピーの標準療法はステロイド治療なのであるが、どうしてもステロイドから抜け出せなくなってしまう傾向がある。私は自己流の脱ステロイドを実践しており、近年は何とかそれで持ちこたえていた。だが今回ばかりは事態は悪化するばかりで、整体や鍼療治にも通い始めたのだがそれも効かず、三週間前の或る朝、体を起こすと頭や顔の至るところから黄色い体液が滲み出し、流れ落ちてきた。これからはステロイド治療とのうまい距離感を見つけていかねばと考えている今日この頃である。
 
 こんなことをどうして細かく書いているかというと、次に取り組みたいと考えていることの一つが――哲学的大学論や「結婚の脱構築」とともに――「痒さの哲学」だからである。
 
 私は「歌舞伎」より「落語」に親近感を覚える。より肩肘張らない大衆的(ポピュラー)なもの、しかし最先端の流行(ポップ)でないものを好む。現代思想より少し古ぼけたもの、しかしいわゆる古典として綺麗におさまっていないものに興味をもつ。ドゥルーズやデリダも好きだし、スピノザやカントも好きなのだが、ベルクソンにより愛着が湧く。哲学は高尚・荘厳・悲壮(pathétique)なものばかり扱う傾向がある。苦痛から来る絶望については、ストア派からショーペンハウアーに至るまで哲学史において扱われ続けてきた。私は『笑い』を書いた「生の哲学者」ベルクソンの延長線上で、痒みの惨めさや滑稽さを哲学的に考察してみたい。例えば、ジッドは日記の中で次のように書いている。

「何ヵ月も痒みに苦しんでいる。最近では耐えがたく、ここ数日はほとんど眠れていない。ヨブやフローベールのことを考える。ヨブは身体を掻くために陶器の破片を探し、フローベールは晩年の手紙の中でこのような痒みについて書いている。誰でもそれぞれの苦難を抱えているし、自分の苦しみを他のものに代えようと望むことは非常に愚かなことだと自分に言い聞かせている。だが、本物の痛みでもこれほど悩まないだろうし、これほど耐え難くはないだろう。苦しみの格で言うなら、痛みはもっと高尚で荘厳なものだが、痒みはみじめで人にも言えない。滑稽な病だ。苦しんでいる人に憐れみを覚えることはできても、身体を掻きたくてたまらない人を見ても笑ってしまう。」(アンドレ・ジッド、1931年3月19日の日記(André Gide, Journal 1926-1950, éd. Martine Sagaert, Gallimard, 1997, pp. 263-264.))

 
 なぜ書けなかったのかに関する答えは或る程度分かっているつもりである。だが、なぜ重い腰を上げ、書こうと決意するだけでなく、実際に書けたのかは今でも分からない。決着をつけようと思ったことは何度もある。突然編集者に連絡して、明日東京に行くので話を聞いてほしいと言ったこともある(実現しなかったが)。しかし、何度も決着をつけようとし、そのたびに挫折しては、申し訳なさで編集者からのメールをどうしても開けないという、自分で書いていても恥ずかしい状態に陥ってしまっていた。それがなぜ本当に決意し、行動に移すことが出来たのか。
 
 諦めがついたから? その割にはずいぶんと手直しをした。連載を残すかどうかという話のとき、「買わなかった人を後悔させるくらい、校正で徹底的に直します」と宣言したくらいである。「あとがき」にも記した通り、担当編集者の関戸詳子さんをはじめ、本書の刊行に携わってくださった方々には本当にありえないくらいのご迷惑をお掛けしてしまいました。重ね重ねお詫び致します。
 

 
 時間が経ち、自分の中に何かが静かに降り積もっていった。機が熟したのかどうかは分からないが、爆(は)ぜるべくして爆(は)ぜたということだろうと思う。
 
 ただ一つ言えるのは、今の自分の限られた時間、限られた心身の能力からすれば、私はベストを尽くしたということである。15年かけてこれか、と言われれば、返す言葉もない。もちろん根本的に修正したい部分もたくさんある。例えば、『創造的進化』については、エピジェネティックスをはじめ、最近の研究を勉強してはいたのだが、残念ながら組み込むまでにはいかなかった。『二源泉』研究についても、ヴィヴェイロスやラトゥールといった近年のきわめて理論的な人類学や社会学の知見を組み込むことはできなかった。これらについては他日を期したい。
 

 
 私がこの本の中でやろうとしたことも、おそらくはこの一連の愚考/愚行と変わるまい。ベルクソンの中の「落語」的部分、その粋な野暮さ、より肩肘張らない大衆的(ポピュラー)なもの、しかし最先端の流行(ポップ)でないもの、現代思想より少し古ぼけたもの、しかしいわゆる古典として綺麗におさまっていないものを見つめ続けてきたのではなかったか。ベルクソンの中の痒み、その泣き笑いのようなものを。
 

 
 最後に。連載を少しでもお読みいただいた方々には改めてお礼を申し上げます。長らく最後の部分が書けずにおりましたが、本のほうでは私なりの結論をつけております。書籍の形で手に取っていただければこれに勝る喜びはありません。
 
 今回初めてお読みいただいた方にはどんな本だかまったく伝わらない(笑)文章になってしまい申し訳ありません。本のほうはもう少し意味のあることを書いておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
 
 
※『ベルクソン 反時代的哲学』のほんとうのあとがきはこちらからご覧いただけます。▶▶▶【あとがきたちよみ『ベルクソン 反時代的哲学』】

表1_1~1藤田尚志『ベルクソン 反時代的哲学』
発売日 2022年6月1日
定価 6,000円+税
ISBN978-4-326-10300-3
書誌情報 → https://www.keisoshobo.co.jp/book/b606132.html

 

About the Author: 藤田尚志

ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。
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