掌の美術論 連載・読み物

掌の美術論
第5回 時代の眼と美術史家の手
――美術史家における触覚の系譜(前編)

5月 30日, 2023 松井裕美

 
 

時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)

 
 2020年春から、コロナ禍で国内外の多くの展覧会が開催を見合わせたり延期したりした。代わりに多く見かけるようになったのが「ヴァーチャル・ミュージアム」と呼ばれる企画だ。インターネットに繋いだパソコンやタブレットさえあれば、家にいながらにして幾つかの海外の企画展の展示室風景を3Dの再現で見ることができた。そうした特設サイトでは、気に入った作品をクリックすればその詳細画像とキャプションを読むことができる工夫もなされていた。自粛期間が続くあいだ、美術館のこうした取り組みは重要な気晴らしの時間を提供してくれた。
 
 だがそれと同時に改めて考えさせられたのが、作品を「見る」という行為の意味である。文化事業が通常運転を始め、実際の作品を前にする機会を取り戻した今、やはりパソコン上で見る作品の画像と、実物を前にして見る体験とは大きく異なっていることを再確認した人も多いに違いない。
 
 では目の前の作品と、パソコンの画面上で見る画像とで異なる点とはなんだろう。さまざまな答えがあるだろうが、おそらく次の点について意見は一致するのではないだろうか。つまり、私たちは実物を前にした方がはるかに多くの感覚を刺激され、情報を得ることができる。ある部分のかたちや色、筆致が全体ともつ関係性はどのようなものか。作品が周囲の環境ともつ関係性はどのようなものか。距離を変えるとどのように見えるのか。光があたる角度でどのように色合いが変わって見えるのか。もちろんデジタル画像でも部分を拡大して見ることはできる。ある特定の部分の、特定の情報だけを得たいのであれば、場合によってはデジタル画像の方が鮮明に見えるのかもしれない。だが実際の私たちの知覚は、作品に近づいたり離れたりする身体運動の中で、部分と全体との、作品とそれを取り巻く環境との相互的な対話の展開により形成されていくものだ。そうした知覚の複雑さやダイナミズムを、デジタル画像からのみ得ることは難しい。おそらくそのことは不可能ではないのだが、それは見る側が現物を目にして観察する経験を相当積んでいるということを前提としなければならないだろう。過去にさまざまな作品を観察・鑑賞した際の記憶や感覚を、デジタル画像から得られる情報と統合する鑑賞のあり方は、通常よりも高度な知覚プロセスを要する。
 
 つまるところ私たちは、眼だけで作品を見ているのではなく、体全体で見ているといっても良いだろう。この作品と身体との関係は、美術史においてどのように記述されてきたのか。ここではとりわけ、視覚と触覚の関係性に注目しながら、まずはバクサンドール、次にヴェルフリン、そして最後にベレンソンの著述へと遡ってみよう。
 
「時代の眼」と「時代の身体」
 
 美術史家にとって、作品を分析するうえで視覚が五感のなかのもっとも重要な位置を占めてきたことは、いまさら説明する必要もない。美術史家の「眼」は、過去の作品を仔細に観察し、分析し、そして解釈する客観性を備えているという前提が、そこにはある。だが「ニュー・アート・ヒストリー」が登場し「受容理論」が美術史に導入される1970年・80年代以降になると、美術史家の眼差しもまた、特定の歴史的・文化的環境に条件づけられているのだとする意識が先鋭化されることになる。
 
 無論、あらゆる眼が客観的たりうると人々が素朴に信じていたわけではない。それどころか、時代によってさまざまに異なる「眼」があるために、現代のものの見方から離れて過去の人々の「眼」に近づく必要があるということは、美術史が学問の一分野として確立された初期の頃から意識されていた。例えば美術史の形式分析に決定的な影響を与えることになるハインリヒ・ヴェルフリンの1915年の著書『美術史の基礎概念』は、さまざまな時代や国の芸術家の「眼」が、異なる形式を作品に与えることを明らかにし、「視覚の歴史*1」を語ろうとする試みだった。しかし「ニュー・アート・ヒストリー」以前の西洋の美術史家で、作品を観察する美術史家の「眼」そのものに対し、こうした学問分野としての存続を揺るがしかねない根本的な疑念を向けた者はいなかった。当時最新の心理学的研究を踏まえながら美術史の語りを刷新したエルンスト・H・ゴンブリッチの、50年代から60年代の著述でさえ、写実主義を含めた人間の視覚文化が文化的な構築物であることを問題にしながら、「美術の物語」を紡ぐ観察者としての自らの眼の客観性について問題として取り上げることはなかった。
 
 では「ニュー・アート・ヒストリー」以降、美術史は客観的な歴史科学としてのステータスを失ってしまったのかというと、そうではない。美術史家の「眼」に対し美術業界の内部に生じた疑念は、美術史に携わる者への警句にはなりえたが、学問分野の存続を実際に危うくするまでには至らなかった。というのも美術史という学問分野は、その方法論的な問題が指摘されるたびに、古い方法による研究成果の完全なる否定や方法論の根本的刷新ではなく、新旧含めた多様な方法と成果とを包摂することによってこそ、生き延びてきたからである*2
 
 現代の美術史家の眼が客観的であると無条件に信じることができないのだとしても、現代ではなく過去の眼で作品を見るために、視覚以外のさまざまな資料もまた駆使すれば、より信頼に足る客観的な歴史叙述ができるのではないか。そう考えた人々が取ってきた解決策とは、作品の形式的な特徴を明らかにするだけでなく、作者の同時代人を含む過去の人々がその作品に対してどのように反応し記述してきたのかを明らかにする、というものだ。またそうした過去の作品受容において、どのような言葉やロジックが用いられ、さらにそれらがどのような慣習や制度、美学、思想、政治的態度と結びつくものなのかという点までわかれば、私たちは、私たち自身の時代に囚われた「眼」から少し離れて、過去の人たちの「眼」に接近することができるかもしれない……。このような期待を抱いた美術史家たちは、作品分析やその制作にまつわる調査を行うだけでなく、その周囲を取り巻いてきた人々の眼差しと思想、それらを基礎付ける下部構造へと近づく手がかりを追い求めて、多様な分野のさまざまな性質の文献を探し、読み、関連づけていくことになる。他ならぬ私もまた、自らの美術史的研究においては、こうした手法をとることで多くのことを学び、発見してきた。
 
 マイケル・バクサンドールは、1988年に出版された名著『15世紀イタリアにおける絵画と経験』(邦訳は『ルネサンス絵画の社会史』)の中で、美術史家が接近しようとする過去の人々の眼のことを「時代の眼(period eye)」と呼んでいる。彼は同書の第二章を「時代の眼」と題し、次のように始める。

 物体を見るとき、人間の目には、光のパターンが映し出される。光は瞳を通して目のなかに入り、レンズによって収束し、ついで眼球の後方にあるスクリーンつまり網膜に達する。この網膜上には神経繊維が張りめぐらされており、細胞を通して光を膨大な数を持つ感覚器官である円錐体へと伝える。この円錐体は光と色とに反応し、その情報を脳に伝達するためである。
 人間の視覚的な知覚方法が、一人ひとり異なってくるのはこの段階からである。脳は円錐体から受け取った光と色についての生のままの情報を解読しなければならない。その際、脳にもともと備わっている能力と、経験によって発達してゆく能力とが用いられるのである。脳に蓄えられたパターンやカテゴリー、また推測や類推の習慣から、たとえば「丸い」「灰色の」「なめらなか」「小石」などと言語化される関連項目をいろいろと取り出したうえで、雑然とした視覚についての情報にひとつの構造と意味とを与えるのである。[……]われわれはそれぞれ異なる体験をしてきており、そのためわずかずつ異なった知識と解釈の力を持っている*3

 この「わずかずつ異なった知識と解釈の力」は、いかにして特定の時代の社会における技術や習慣、テキストと結びつき構築されてきたのか。また、そのことが、芸術作品のイメージとそれを語る言葉にどのような多様性をもたらしてきたのか。それこそが、バクサンドールの著書の根底にある問いであった。感覚器官としての眼の解剖学的な構造から説明を始め、イメージを解釈するという行為における文化的に構築された側面へと分析を進めるこの冒頭の一節は、今日でも私たち読者を魅了する力を失っていない。「視覚上の技術や習慣」は、文書だけからは知りえない過去の社会の「独特な技術や習慣」を理解することに資するのであり、だからこそ「視覚上の技術や習慣に近づく手がかりを与え」る絵画様式は、「視覚活動の記録」として、「その社会特有の経験にまで近づく手がかりをも与えてくれる」のだと、著者は結論で述べている*4
 
 バクサンドールの重要性は、その方法論が新たな発展可能性を秘めていた点にある。彼の問題意識を受け継ぎつつも、視覚だけでなく、あらゆる身体的な感覚を含めた過去の経験、すなわち「時代の身体」とでも呼べるものを芸術作品の分析から得ようとする試みが、その後の美術史研究にも登場することになる*5。翻ってそれは、バクサンドールの研究が依然として、古代以来脈々と西洋文化に受け継がれてきた視覚至上主義に根ざしており、そのことで固有の限界を抱えていたという事実を炙り出しもする。バクサンドールがこの本を締めくくるべく、15世紀の戯曲から引用する次の一節、すなわち、「目は第一の門といわれる。それを通して知性は学び味わう。耳は第二の門、細心の言葉で精神を強靭にする」は、単に視覚が重要な知覚器官の中の一つ・・であることを示す言葉であるばかりではない。それは、視覚がさまざまな知覚の中でももっとも・・・・優位に置かれることを示す言葉だ。
 
 もちろんバクサンドールは、視覚のみが芸術鑑賞において重要であると述べているわけではない。実際その著述の中で彼は、美術史黎明期のルネッサンス絵画の専門家バーナード・ベレンソンが、マザッチョの壁画の立体的な浮き彫り効果を見ることで自己のうちに強烈に感じとった「触覚的意識(tactile consciousness)」を、頭ごなしに否定しない*6。だがバクサンドールは、「自分自身について[……]語る」ベレンソンの語り口を踏襲することはない。なぜなら特定の過去に存在した「時代の眼」を通し、それを有していた当時の人々の文化的環境について分析しようとする立場からすれば、現代を生きる美術史家が、自らの触覚的感覚を頼りに得る鑑賞体験は、「現代の身体」によって「時代の眼」を歪曲しかねないものであるからだ。そう、時代ごとに異なる「眼」があるならば、時代ごとに異なる「手」もあるはずなのである。
 
ヴェルフリンにおける線的様式と触覚
 
 実際に、過去の美術史や美学の著述における「触覚」に注目してみると、今日私たちが把握しているそれとは、やや異なる意味合いのもの、より正確には、はるかに限定されたものであることに気づかされる。私たちは日常的に対象に触れるとき、そのかたちだけでなく、質感もまた感じとるものだ。だが18世紀後半から20世紀半ばまでの文章の中で触覚の機能が肯定的に論じられる場合には、しばしば、事物の素材や生き物の表皮がもつ質感や温度というよりも、対象の形態を正確に伝える感覚として定義される。そうした言及においては、他の感覚から完全に切り離された「純粋な視覚」なるものが存在するということが前提にされており、触覚はそれよりもより直接的に事物の形状を把握しうる、信頼に足る感覚であるとするものが少なからず存在する。
 
 例えばヴェルフリンは、『美術史の基礎概念』(1915年)の中で、次のように述べている。

線的様式とは彫塑的に感得される明確性の様式である。身体が持つ均等に確かで明瞭な境界は、見る者に指でそれに触れることができるという確信を与える。肉付けに用いたすべての陰影が、形に完全に従っているので、触覚が即座に働き出すように挑発される。表現と事実とがいわば一致しているのである。それに反して、絵画的様式はあるがままの事実と、多かれ少なかれ関係を絶っている。絵画的様式には連続した輪郭はもはやなく、可触的な面が壊されている。斑点だけが並ぶ、脈略のない斑点が。描線や肉付けは、彫塑的な形態基盤と――幾何学的用語で言えば――もはや合同せず、事実の視覚的仮象を与えるに過ぎない*7

 触覚を喚起させる表現とは、陰影を支配する輪郭線の確かさに由来するのだと彼は述べている。逆に輪郭線が曖昧にされている場合には、描かれているものを見ることはできても、それに触れることができるという感覚は喚起されず、ただ眼の前に絵の具の斑点で覆われた表面が現れてくる。前者のことを彼は「存在ザインの芸術」と呼ぶのに対し、触覚に頼らず純粋に視覚のみによる知覚を促す後者の表現のことを、彼は「仮象シャインの芸術」と呼ぶ。彼はさらに、続く箇所で次のようにも述べている。

人体を均等に明確な線をもって縁取ることは、身体を使って掴む行為そのものにさえ近いものがある。眼をもって行う操作は、触知しながら身体に沿って滑る手の操作に等しく、また光度の差をもって実在的なものを再現する肉付けは、同様に触覚に訴える。それに反して、単なる斑点による絵画的表現はこの類推を許さない。これは眼だけを頼りにし、眼だけに訴えるのである。幼児が物を「理解する」ためになんでも手で掴む習慣をやめるように、人類は可触的なものに基づいて絵画作品を吟味する習慣をやめたのである。一段と進歩した芸術は、単なる現象に没入することを学んだのである*8

 彼がここで、「斑点による絵画的表現」として暗に批判しているのは、印象派の絵画である。それはもちろん、「進歩した芸術」には違いない。美術史が経験したこの「最大級の方向転換」のことを、ヴェルフリンは「触覚図タストビルト」から「視覚図ゼービルト」への移行として説明している。
 
 しかし前者を高く評価するヴェルフリンは、あえて「物を「理解する」ためになんでも手で掴む」幼少期の原体験を呼び起こさせるような、明瞭かつ正確な輪郭線の表現を讃える。このことを示すために彼は、彫塑的な性格をもつデューラーの素描(図1)を、印象派以前の「斑点による絵画的表現」であるレンブラント派の画家による素描(図2)と対立させている(ヴェルフリンはこの素描をレンブラントその人の手によるものとしている)。彼の分析を読むと、今日私たちが一般に「触覚」として認識する感覚と、彼が論じる「触覚」が、いかにずれたものであるのかがわかる。彼にとって触覚とは、柔らかいか固いか、温かいのか冷たいのか、ざらざらしているのか滑らかなのかという感覚を含むものではない。それは、実際に固形物として存在する事物や肉体の形態を正しく認識させる知覚なのだ。彼はレンブラント派の画家による素描について、その肌の質感を伝える表現の巧みさについて言及しつつも、「注意が彫塑的な形そのものから離れることが多ければ多いほど、どんな肌触りかというような、事物の表面に対する関心がますます活発に働き出す*9」のだと述べている。「肌は柔らかい素材であることがはっきりと識別させられるし、押せば引っ込むほど*10」のその描写力は、しかし、触ることのできる輪郭をもたないからこそ可能となる「視覚価値」なのだと、ヴェルフリンは言う。この点で言えば、「周りを走る縁線に主要アクセントがある」デューラーの素描の方が、「触覚価値」をもつということになる*11
 

図1 アルブレヒト・デューラー《イヴの習作》1507年。大英博物館

 
図2 レンブラント派《背後から見た裸婦立像》1640年ごろ。ブダペスト美術館

 
 


*1 ハインリヒ・ヴェルフリン『美術史の基礎概念』慶應義塾大学出版会、2000年、364頁。
*2 このことについては次の拙文にまとめた。「美術史を語ること、語り直すこと」『現代思想 特集「知のフロンティア」』2023年1月号、94〜104頁。
*3 マイケル・バクサンドール『ルネサンス絵画の社会史』(Painting and experience in fifteenth century Italy : a primer in the social history of pictorial style, 1972)、篠塚二三男 [ほか] 訳、平凡社、1989年、58頁。
*4 前掲書、261〜262頁。
*5 次の文章に、その経緯がまとめられている。Erin E. Benay and Lisa M. Rafanelli, “Touch Me, Touch Me not: Senses, Faith and Performativity in Early Modernity: Introduction,” Open Arts Journal, issue 4, Winter 2014 (DOI: http://dx.doi.org/10.5456/issn.2050-3679/2015w00).
*6 Bernard Berenson, The Florentine Painters of the Renaissance, New York and London, G. P. Putman’s Sons, 1909 [c1896], p. 29. バクサンドールの著書の、以下の箇所で引用されている。邦訳、212頁。
*7 ハインリヒ・ヴェルフリン『美術史の基礎概念』慶應義塾大学出版会、2000年、33頁。
*8 前掲書、34頁。
*9 前掲書、53頁。
*10 前掲書、53頁。
*11 前掲書、51頁。

 
 
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第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手

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About The Author

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。